相模国と武蔵国の国境を行く 3     
◆ 2014年9月21日  東戸塚駅 〜 港南台駅  

 相模・武蔵国境を歩き続けて3日目、いよいよ後半戦である。初日は米軍基地のおかげで比較的順調だったが、二日目はゴルフ場で寸断されたルートで、辛く遠い迂回を余儀なくされた。今日は、人が多く住んでいる地区で開発も進んでいるので、尾根道がどの程度残っているか不安もあるが、国境をひたすら南へ進んでいかなければ、このプロジェクトの終りはない。


 気持ちの良い青空で、暑いくらいである。9時37分に東戸塚駅に降り立つ。まず、国境へ戻ろう。

  1 東戸塚駅                     2 国境へ
   



 前回別れを告げた国境は、品濃谷宿公園バス停のあるこの場所である。東海道線・横須賀線がトンネルで越える山を降りたところがここだ。ここから国境は広い道路を東へ向かう。

  3 品濃谷宿公園バス停                4 環2境木交差点
   

 環状二号線の交差点を直進するが、国境は、すなわち保土ヶ谷区と戸塚区の区境でもあるので、交差点にはその旨の標識があった。

  5 環2境木交差点保土ヶ谷区標識           6 同交差点戸塚区標識
   

 広い道とマンションが出来て、尾根は消失しているが、国境が現代の道をわずかに外れたところには、写真8のように、住宅が建ってはいるものの、尾根の地形が残っているところもある。

  7 境木へ                      8 国境を望む
   



 1本の木が印象深い広場に出た。武相国境之木と書いてある。

  9 武相国境境之木                  10 モニュメント
   

 ここは国境であると同時に、旧東海道の峠でもあるようだ。

  11 境木地蔵入口                  12 願掛けをするおばあさん
   

  13 境木地蔵
     

 14 境木地蔵由来解説板


 地名も境木である。ここが、旧東海道が分水嶺である武相国境を超える場所で、なかなか賑わっていたらしい。多分、景色も良かったのだろう。地蔵尊も残っていた。

  15 境木立場跡解説板の絵図             16 解説板の浮世絵
   

  17 解説板                     18 現在の若林家
   

 江戸時代に茶屋として栄えた若林家の事が書いてあった。ふと後ろをみると普通の現代の家ではありえないような立派な門がある。すぐに確信したが、念のため、門標をみると若林と書いてあった。ちなみに門はアレだが、家は現代風の豪邸であった。ただ、この門の維持費を考えると、歴史を背負った名家というのも大変ではある。
 境木立場跡を過ぎると、中学校がある。その辺りに86.8mの三角点があるはずであるが、学校の中にあるのか、見当たらなかった。ここから旧東海道は左へ別れて江戸へ向かっているが、この分水嶺に登ってくる坂道が有名な「権太坂」である。

  19 境木中学校                   20 レトロな境木商店街
   



 しかし、国境は東海道には雷同せず、写真21で南へ向かう。

  21 右折する                    22 国境を南へ
   

 住宅地であり分水嶺でもある何気ない道が国境であるが、いつものとおり両側が下り坂であることを確認できる写真を撮りたくなる。

  23 国境から保土ヶ谷区側を見下ろす         24 国境から戸塚区側を見下ろす
   

 住宅地になる前は緑の尾根道であったことだろう。

  25 権太坂へ その1                26 尾根から東戸塚駅方面を望む
   

  27 権太坂へ その2                28 尾根から南西を望む
   



 家が建ち並んではいるが、所々では道路によって、かなり遠くまで見渡せる。

  29 権太坂へ その3                30 尾根から丹沢を望む
   

 境木のところで旧東海道の権太坂を紹介したが、現代では、権太坂といえば国道1号線の坂をさすことが多い。箱根駅伝のせいで、毎年正月になると日テレのアナウンサーが権太坂の名を連呼するからである。尾根はその国道1号線の権太坂に向かう。

  31 権太坂へ その4                32 権太坂へ その5
   

 住宅地が崖で不意に終わると、遥か下の切通しに国道1号線が見えた。坂道を降りて行く。

  33 国道1号線権太坂を見下ろす           34 国道1号線へ
   



 10時39分、国道1号線に出た。箱根駅伝の選手を苦しませる(新)権太坂である。そして、国境の東側は、保土ヶ谷区から南区に変わる。

  35 国道1号線権太坂頂上付近            36 権太坂の国境尾根断面
   

 国道1号線は尾根をかなり深く切り開いている。現代だったらトンネルにしても良いくらいの高度差であるが、昔は切通し工法の方が容易だったのだろう。

  37 東側の尾根に登り直す              38 権太坂を挟んで保土ヶ谷区側を望む
   

 再び眺めの良い尾根に登る。相模平野にどこまでも続く住宅の向こうに箱根山が見えた。

  39 尾根から箱根を望む               40 平戸桜木道路へ その1
   



  41 大郷山第二公園                 42 公園から東戸塚方面を望む
   

  43 平戸桜木道路へ その2             44 平戸桜木道路へ その3
   

 再び住宅地の中に続く国境尾根道はマンションによって遮られた。マンション入口の横に細い通路があり、入って行くと階段が続いている。尾根を分断しているのは、平戸桜木道路である。

  45 平戸桜木道路へ降りる道入口           46 平戸桜木道路へ降りる道
   

 ここもかなりの高度差があり、尾根を切り開いた斜面に、無理やりマンションを建てている。平地の少ない横浜市にはこのような丘陵を切り崩した斜面マンションがたくさんある。



 上の地形図を見ていただくとわかるように、この切通しの南側の戸塚区と南区の区境、46から51の区間が不自然である。分水嶺を外れて、南区側が西に大きくはみ出ている。調べてみると、旧国境はちゃんと分水嶺にそって直線的に南下していたようだ。黄緑のラインである。
 1936年に相模国の鎌倉郡永野村が南区に編入され、その後、1969年に港南区が出来た時に旧永野村は港南区になったが、なぜか、六ツ川四丁目地区だけは南区に残ったというのが真相らしい。理由はよくわからないが、当時の港南区はまだまだ田舎だったので、多分、学校の通学がどうのなど、何らかの理由をつけた住民の反対運動の結果だろうと推察する。しかし、分水嶺という立場からみると、醜い区境である。自然の地形と調和した国境の長い歴史を無視してはいけないのである。

  47 こども医療センター入口             48 こども医療センターへ
   

 先ほど書いた理由で、このあたりは、南区/港南区の区境ではあるが国境ではない。

  49 こども医療センターへ その2          50 ひばりが丘学園
   

 写真51付近でようやく尾根、すなわち国境に復帰する。

  51 ひばりが丘学園内の国境尾根           52 こども医療センター前
   



 病院と養護学校に挟まれた尾根道である。

  53 横浜横須賀道路へ その1            54 横浜横須賀道路へ その2
   

 尾根らしく見晴らしがいい。天気も良くて、絶好の国境歩き日和である。

  55 横浜横須賀道路へその3             56 芹が谷第一公園
   

 次に国境尾根を切り裂いているのは横浜横須賀道路である。考えてみれば、今回の国境の分水嶺を横切っている東名高速、東海道新幹線、東海道線、横須賀線、国道1号線、横浜新道、横浜横須賀道路などを通過してきたが、それらが東京から西に伸びる日本の大動脈であることを改めて再認識した。

  57 別所三の橋で横浜横須賀道路を越える       58 横浜横須賀道路
   

  59 別所桑原公園                  60 別所桑原公園南の切通し
   

 尾根は写真59の公園でまたもや切れ落ちていた。写真60がその先端である。お決まりの斜面マンションがあり、下は道路であるが、尾根沿いに大きな水管が繋がっていた。下の地形図でも国境にそって青い点線が続いているのがわかる。おそらく、西谷浄水場から港南台の峰配水地への幹線配水管ではないかと思われる。



  61 港南区・南区区境/国境 水道橋下バス停     62 別所桑原公園の国境尾根を見上げる
   

 下の道はちょうど水道橋下というバス停になっていて、バスを待つ乗客が写真を撮る不審者を胡散臭い目で眺めていた。

  63 再び国境へ                   64 国境を北に戻る
   

 尾根への坂道を登る。地図によると、反対側、つまりの南側の尾根に道が残っているようなので、行ってみることにした。それが写真64の道で、その最北端が写真65である。写真61の分水嶺の切通し崖のすぐ上がここである。

  65 写真61の南側                 66 区境/国境分岐点
   

 ふたたび尾根を戻るが、写真66で左手、東へ別れる細道がある。知らなければ気にもとめずに通り過ぎてしまう小径であるが、ここが、南区と港南区の区境が国境と別れる重要な地点だ。
 前にも書いたが、相模・武蔵国境は概ね現在の区境と重なっているが、例外は港南区で、国境つまり分水嶺が区の真ん中を通っており、それにより区が東西に二分されているのだ。もともと違う国がひとつになったのだから、双方の国の住民による争いが絶えず、区長も大変だと思う。が、実はそんなこともないらしい。なぜなら、元々港南区自体が未開の山で、ほとんど人が住んでいなかったからである。つまり、現在港南区に住んでいる20万人以上の人たちは、ほとんどが国境が無くなってから移り住んだ人たちだからである。
(面白くするために、多少話を盛っておりますので、港南区にお住まいの方はごめんなさい。)

 その港南区を分ける国境がここからはじまるわけである。区が作ったわかりやすい図があるので、それをみていただいたほうが話が早い。


                   
広報横浜港南区板 2007年4月号より抜粋

 区境ではなくなったが、元々分水嶺なので、国境の道はなんの問題もなく南に続いている。やがて、右手に学校が見えてきた。

  67 環状2号線へ その1              68 下永谷小学校
   

 これ以降は区境を外れるので、国境が判るように古地図を元に地図に黄色で線を入れておこう。



 この小学校の校門で、飛鳥時代からの国境の悠久の歴史を証明する生徒たちの手作りモニュメントを発見した。

  69 下永谷小学校門                 70 東側の門柱
   

 国境を守る小学生達には、相模・武蔵国境警備隊の称号を与えてもいいだろう。この場合隊長は、校長なのか児童会長なのかをはっきりさせる必要があるかもしれない。しかし、校長は港南区に住んでいるとは限らないので、やはり子どもたちだけの警備隊にしたほうが良いと思う。

  71 西側の門柱                   72 環状2号線へ その2
   

 国境尾根からは、ベイブリッジが見えた。

  73 国境から東の横浜中心部を望む          74 バス通りへ出る
   

 バス通りに出て右折、南高校の前を左折する。

  75 横浜市立南高校                 76 南高校前交差点を左折
   



 商店街のような道になった。喉が渇いたので、ドラッグストアでスポーツドリンクを買う。

  77 環状2号線へその3               78 相武山小学校横の尾根
   

 相武山小学校が右手に現れた。この小学校の子供達が調べたところによると、校名の由来は「相模と武蔵の国は、昔一本の杉の木でわかれていました。その国境上に学校が建てられたため相武山小学校といいます。」だそうである。

  79 相武山小学校                  80 環状2号線
   



 相武山を降りてくると、大きな道に出た。環状二号線である。朝、東戸塚駅から国境に出て最初に横断した道だ。

  81 環状2号線を渡る                82 環2南側から見た国境尾根
   

 次の目標は尾根にあるゴルフ練習場である。

  83 再び国境尾根に登る               84 港南ゴルフセンターへ その1
   

  85 港南ゴルフセンターへ その2          86 港南ゴルフセンターへ その3
   



 この辺りは住宅地になっていて地形が改変されており、尾根がわかりにくい。とりあえずゴルフ練習場をめざす。

  87 港南ゴルフセンターへ その4          88 港南ゴルフセンターへ その5
   

  89 港南ゴルフセンター               90 港南ゴルフセンター南の尾根
   

 ゴルフ練習場に着いた。確かに尾根である。その南には写真90のように尾根の痕跡が残っていた。尾根の反対側にでるとわずかな緑が残っていた。

  91 緑の残る尾根                  92 尾根の断面を南側から見る
   



 再び尾根の形態がわからなくなった。団地の造成である。公務員住宅らしい。それにしてもこの日野辺り一帯は相当大規模な開発が行われたらしい。

  93 港南台公務員住宅                94 尾根上のグラウンド
   

 しかし、東側には崖が残っており、武蔵国の眺めが良い。

 95 国境から南東を望む


 団地の片隅には写真96のような古道を彷彿とさせる場所も残っている。

  96 尾根道の名残                  97 港南台公務員住宅東側
   



 98 国境から北東を望む


 武蔵の国の空は晴れていた。遠くにランドマークタワーも見える。

  99 公務員住宅入口                 100 横浜横須賀道路へ
   

 団地を抜けると、国境は再び横浜横須賀道路を越える。

  101 横浜横須賀道路を越える            102 横浜横須賀道路
   

 横浜横須賀道路を越えてすぐに左折し、一番高い所を右折すると、尾根上にある日野八丁目公園である。

  103 左折して尾根へ                104 日野八丁目公園
   



  105 すずかけ通りを左折              106 野庭市営住宅へ
   

 このあたりも開発が著しく、尾根筋がわかりにくい住宅地である。しかし、写真108の地点で、緑の尾根が復活した。

  107 野庭市営住宅                 108 市営住宅南端
   



 尾根の下を貫通しているのが、迎陽トンネルである。トンネルの上には、昔からの国境の尾根と尾根道が少しだけ残っていた。

  109 迎陽トンネル                 110 迎陽トンネル上の尾根道入口
   

  111 迎陽トンネル上の尾根道            112 尾根から東を望む
   

 ほんの少しの距離であるが、江戸時代の旅人に戻った気分である。

  113 尾根道をさらに南へ              114 境界杭
   

 港南区の西側、つまり相模国側には、明治22年に永谷村と上野庭村、下野庭村などが合併して出来た永野村があったが、資料によるとこの村に車が入れるようになったのは、昭和になってからだという。鉄道ではない、車道つまり車が入れなかったのである。この辺りがいかに未開の地であったかがわかる。ここが横浜市と合併したのは昭和初期であるが、便利になるのは、市営地下鉄が開業する昭和50年代まで待たなければならない。迎陽トンネルを車で通行できるようになったのも昭和53年である。
 昭和の時代まで、写真113のような尾根道が唯一の交通手段だったのである。逆に言うとここだけに昔の尾根道が奇跡的に残されているとも言える。

  115 尾根緑地から畑へ               116 畑から日野南住宅地へ
   



  117 野庭表町公園                 118 日野南住宅地 その1
   

 昔ながらの尾根道を通り抜けると再び住宅地になり、尾根の上には野庭表町公園が作られていた。

  119 国境の高台から迎陽トンネル方面を振り返る   120 日野南住宅地 その2
   

 この辺りも尾根筋がわかりにくく、少し西寄りを歩いてしまったが、住宅地なので景色に大差はないだろう。環状三号線を超えて、次の目標は標高97.9mの三角点のある小学校である。

  121 環状三号線                  122 日野南小学校
   



 三角点は小学校の中にあるらしく確認はできなかったが、さらに南に進むと写真123のようなチョット間の抜けた様な、不思議な場所に出る。この雰囲気こそが境界の証だ。国境が港南区内を貫通し、栄区と港南区の区境と合流する地点である。ここから国境は区境と一緒になって東へ進路を変える。この国境尾根にもやはりマンションが出来ている。境なので開発しにくく、分水嶺なので眺めが良いということもあるのかもしれない。

  123 国境・栄区/港南区境合流地点         124 神奈川県道21号横浜鎌倉線へ
   

 マンションの横を降りて行くと県道21号線である。ここの切通しも国境尾根の分水嶺の断面がよく見える。

  125 神奈川県道21号国境尾根切通し         126 切通し北側から再び尾根へ
   

 当然切通しには道がないので北に向かって再び尾根をめざす。写真128が尾根道である。

  127 港南台住宅地                 128 尾根道へ復帰
   

  129 国境尾根から南東を望む            130 港南台の国境尾根 その1
   

 古道があったのだろう。国境尾根道が残っており、東に向かって戻るとやはりこの眺めの良さに着目して写真131の斜面マンションがあった。さらに進むと、写真132の地点で行き止まりとなるが、ここが写真125から見上げる尾根の上である。

  131 港南台の国境尾根 その2           132 国境尾根行止まり地点
   



 今日はここまでにしよう。国境を離れて駅に向かう。

  133 行止り地点から北を望む            134 港南台駅
   

 14時47分、港南台駅に着き、今日の国境をたどる放浪も終わりを告げた。

    GPSによる本日の歩行経路 (時間:5h3m 距離:21.4km 歩数:28378歩)
    

 今日の行程は、国境をたどる旅の醍醐味を存分に感じることができるものであった。重要な東西の交通路によりいくつにも分断されている分水嶺をどこまでも歩くことができた。開発により尾根がなくなっているところと、昔ながらの尾根が残っているところの対比は、そのまま日本の高度経済成長と開発の歴史でもある。しかし、形を変えても港南区を二つに分ける脊梁の分水嶺が、そこに降る雨を相模湾と東京湾に分けていることは、今も昔も変わらない事実である。


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