大菩薩嶺
◆2005年5月21日


 大菩薩嶺という大袈裟だが、なぜか記憶に残る名前の場所がある。戦前に「大菩薩峠」というやたらと長くて未完の時代小説があったらしいが、もはやその新聞小説をリアルタイムで読んだ世代はほとんどこの世にいない。もちろん筆者も読んだことはないが、その小説の名前だけはどこかで聞いたことがあった。
 今回はその両方に行ってみようという企画で、要するにちょっとした登山である。



 まず、中央線の塩山駅で下車し、バスで終点の大菩薩峠登山口で降りる。ここは、烈石という地名である。標高は約900m。ここから、標高約1600mの上日川峠までは車道が通じており、タクシーでも行くことができるが、もちろんそんなズルはせず、自分の足で登っていく。

 1 上日川峠への登山道




 上日川峠についた。ロッジがあって皆休んでいる。立派な車道があるため、標高が1600mもあるとは感じない。

 2 上日川峠


 ここから道はなだらかになり、急に楽になる。大菩薩峠らしき山並みも近くに見えて、余裕である。
 このロッジの上に福ちゃん荘というのんびりした名前の山小屋があった。ところが、調べてみると、1969年に赤軍派がここに潜伏して軍事訓練を行っていたところへ警察が突入した、いわゆる「大菩薩峠事件」というものがあったそうである。今ののんびりした雰囲気からは想像もできない。この事件で追い詰められた赤軍派はその後連合赤軍となり、1972年にあのあさま山荘事件を起こすことになる。



 3 富士見山荘


 雰囲気のある山小屋があった。ここは、2010年のNHK連続ドラマ「ゲゲゲの女房」で、漫画家として成功した水木しげるが買った別荘としてロケが行われていたところである。その名のとおり、ここからは富士山が見えた。

 4 富士見山荘付近から見た富士山


 5  勝緑荘


 笹に覆われた山稜がひらけた。

 6 登山道からみた山稜


 7 笹原の尾根


 開放的な景色を見ながらたどり着いたのが、標高1897mの大菩薩峠である。結構人が多い。

 8 大菩薩峠


 多摩川を遡った時に歩いた青梅街道は、現在、柳沢峠を抜けて甲府盆地に通じているが、江戸時代までの青梅街道はこの峠を越していた。正確には、その当時の大菩薩峠は、これから行く賽の河原だったようである。
 峠からの景色は写真以上に素晴らしい。峠の向こう側、東側には小菅村の谷が広がる。この谷は、奥多摩湖を経て東京に通じているのだと思うと感慨深い。

 9 大菩薩峠から小菅村方面を望む




 10 岩場


 11 大菩薩嶺を望む


 何とも見晴らしのいい、雄大な景色の尾根を歩く。最高の気分である。

 12 賽の河原と避難小屋


 雷岩に着いた。ここでも多くの人が休憩している。

 13 雷岩から大菩薩峠を望む


 14 雷岩から大菩薩湖(上日川ダム)と富士山方面を望む




 さらに行くと、大菩薩嶺の山頂に着いた。標高は結構高くて、2057mであるが、木々に阻まれて展望はない。大菩薩峠や雷岩に比べると、人もあまりいない寂しい山頂だ。ここから、丸川峠に向けて下山することにする。

 15 大菩薩嶺山頂


 16 丸川峠 その1


 17 丸川峠 その2


 丸川峠も広々として、気持ちの良いところであった。

 18 丸川峠 その3


 19 丸川峠から見上げた空


 登山口に戻って、バスで塩山駅に向かった。大菩薩峠から雷岩までの景色は素晴らしいものがある。上日川峠までタクシーで来れば、誰でも登れるだろう。
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