海岸線をどこまでも西へ 伊豆半島の旅もいよいよ下田から伊豆半島最南端をめざす 
◆第8日目 (2014年2月1日) 伊豆急下田駅 〜 多々戸浜

 1 酒に溺れる日々


 11月初めに断裂した左足の腓腹筋は、なんとか繋がったものの、足首の浮腫と痛みは長引いていた。リハビリのため歩きはじめると今度はアキレス腱炎になってしまい、足も体力もなかなか回復しないまま、3ヶ月の無為な時間が流れてしまった。体が動かせないストレスはいつしか心を蝕み、紛らわすことのできないいらだちがつのる。写真のように酒浸りによってその日々を送るしかないという言い訳とともに、酒瓶が並ぶ光景が現実になっていた。年齢による回復力の喪失はしかたがないこととはいえ、老いの悲哀を体で実感する。
 話は変わるが、ハートランドというビールは旨い。緑の瓶もキレイだ。

 そんな鬱鬱とした日々に別れを告げるべく、リハビリも兼ねて思い切って伊豆の放浪の歩みを少しだけ進めることにした。
 2月1日、9時22分に下田駅に着く。GPSの電池が切れており、コンビニで乾電池を飼ったりしてもたついてしまったが、いよいよ下田駅から南へ向かおう。



  2 伊豆急下田駅                    3 新下田橋

   



 稲生沢川の河口は、下田港の一部になっていて、漁船やレジャーボートが係留されていた。下田内港というらしい。

  4 南国の蔵                     5 下田内港である稲生沢川右岸を下る
   

 川沿いに下っていく。港と山の対比、そして、先入観かも知れないが異国情緒と終着駅の哀愁が漂うような雰囲気である。

  6 下田内港 その1                 7 下田内港 その2
    

  8 舵のオブジェ
     

 9 下田内港から寝姿山を望む



 10 別れの汽船のりば跡
     

 11 別れの汽船のりば跡解説板


 小説を読んで想像していた船着場はここだったのか、と思うと懐かしいような気持ちになる。現在は、下田と大島・東京間の定期航路はないようだ。東京・下田間は車や電車があるし、大島に行くには、熱海や伊東からのほうがどうみても便利である。

  12 下田内港 その3                13 下田内港 その4
   

 下田内港、すなわち稲生沢川がL字で東に向かう場所を回りこむ。

  14 ペリー上陸地点へ その1               15 豪華なボート乗り場
   

  16 ペリー上陸地点へ その2
     



 ちょっとした公園のようになっている場所があった。ペリー上陸地点である。

 17 ペリー上陸地点から下田市街を望む


 18 下田の街と火山の根解説板

 19 ペリー上陸の碑
     

 20 ペリー上陸の碑解説板 その1


 21 ペリー上陸の碑解説板 その2


 ここから西に向かう通りはペリーロードという風情あふれる道らしいが、この時は知らずにそのまま東へ下田公園方面に進む。



 下田城址の石碑があったが、今日はリハビリなので先を急ぐことにする。この下田城を築いたのは、小田原北条氏だそうである。この下田城があった半島は鵜島と呼ばれていた。
 そして、このあたりが、下田城の小田原北条水軍の根拠地だったのである。山に囲まれて陸地から攻めにくく、波の静かなこの下田は、戦国時代の水軍の拠点として最高の立地条件だったのだろう。ここから、房総半島の里見氏を攻めたのだろうか。それとも、駿河湾に出て、今川軍や武田軍と対峙したのだろうか。最後は、豊臣の配下の水軍に攻め滅ぼされたのだろうが、いずれにせよ、陸路が整備されていない時代に、北条氏がこの伊豆半島全域を支配するためには不可欠の軍事拠点だったに違いない。

  22 下田城址                    23 下田海上保安部
   

 さらに回りこんでいくと、海上保安部の大きな建物の向かいに、こじんまりとしたターミナルがある。普通の民家のような地味な建物で、ターミナル特有の華やかさのかけらもないが、ここからは、神津島、新島、式根島、利島へ船が出ているようだ。しかし、下田駅からはかなり離れており、お客さんはここまでどうやって来るのか不思議である。

  24 神津島、新島方面船のりば            25 船の航路案内板
   

 船はあぜりあ丸という客船だ。

  26 岸壁                      27 寝姿山を望む
   

 船着場の先には、防波堤が沖合いの島に向かって伸びていた。犬走島である。立入禁止という看板はあるが、釣り人がたくさんいて、有名無実になっている。さっそく島に渡ってみよう。

  28 犬走島への防波堤                29 侵食の進む防波堤コンクリート
   



 30 犬走島への防波堤から下田市街を望む

 釣人が多い。よほど良い釣り場なのだろう。小舟で磯漁をしている漁師さんがいる。サザエかアワビだろうか。それとも伊勢海老か。
 今歩いているこの防波堤は地図を見ればわかるように、下田港を波浪から守る大切な役割を果たしている。湾内を回航する黒船がよく見える。

  31 犬走島近景                   32 港内を走る黒船
   

 犬走島に上陸した。防波堤は道路のようになって島の中央部にある隧道に続いていた。

  33 犬走島 その1                 34 犬走島 その2
   

 島に平地はなく、この防波堤に続く道のようなところが唯一の平坦地である。この隧道はわざわざ掘ったものには見えないが、コンクリートで巻いてあり、自然のものというわけでもない。この防波堤と隧道の向う側にある灯台の建設時に資材搬入路として自然の侵食地形を利用して作られたものではないだろうか。

  35 犬走島の海蝕洞                 36 島の東側へ
   

 短い隧道をぬけて、島の東側に出る。防波堤は灯台で終わっていた。

  37 下田犬走灯台                  38 島で何かを採る人
   

 地元の人らしき男性が磯で何かを採っている。魚ではなく岩についている海藻か何からしい。

  39 犬走島から西を望む               40 犬走島東側
   

  41 犬走島から見る寝姿山              42 犬走島から陸地に戻る
   



 犬走島を後にして、海岸線沿いを西に向かおう。一応ベイサイドプロムナードという名前がついているらしい。

  43 雁島へ その1                 44  雁島へ その2
   

 正面に吊り橋と小さな島が見えてきた。

 45 雁島

 雁島と書いて「かねしま」と読む島らしい。その姿を見たら絶対に渡ってみたくなるような見事な吊り橋と島である。

 46 雁島の吊り橋                   47 雁島石室神社
   

 島には小さな神社があった。石室神社である。渡ってくる観光客が何人かいる。

 48 雁島から犬走島を望む
     

 49 雁島を後にする



 さらに西に進むと、円形のドームが見えてきた。水族館になっているらしい。

  50 下田海中水族館へ                51 下田海中水族館の海との仕切り
   

 ここは、静かな湾になっており、外海と仕切られているようだ。堤防の内側は下田海中水族館である。

  52 和歌の浦のイルカ飼育場             53 下田海中水族館入口
   

  54 カメのプール                  55 ウミガメの顔アップ
   

  56 下田海中水族館レストラン            57 和歌の浦(下田海中水族館) その1
   

 現在、水族館になっているこの湾が、和歌の浦である。水族館ができる前は、和歌に詠まれるほどの美しい入江だったのだろうと想像できる。南にあるのが赤根島であるが、現在は埋め立てられて地続きになってしまったらしい。

  58 和歌の浦(下田海中水族館)その2         59 和歌の浦遊歩道 その1
   



 和歌の浦遊歩道と呼ばれている西に続く道を歩こう。

 60 和歌の浦遊歩道 その2
     

 61 和歌の浦遊歩道 その3


  62和歌の浦遊歩道 その3              63 和歌の浦遊歩道 その4
   

  64  和歌の浦遊歩道 その5
     

 このあたりの海は、志太ヶ浦と呼ばれている。美しい岩と海の風景が続いている。

 65 和歌の浦遊歩道 その6


 66 和歌の浦遊歩道 その7




 67 和歌の浦遊歩道 その8

 小さな岬を回り込むと、大浦が見えてきた。断崖の丘の上に立つのは、下田東急ホテルである。

  68 和歌の浦遊歩道 その9             69 大浦
   

  70 下田番所跡
     

 71 下田番所跡解説板


 72 大浦 その1

 大浦に着いた。緑深い半島に囲まれた、歴史を秘める静かな入江だ。

  73 下田東急ホテル入口               74 大浦 その2
   

 下田東急ホテルの入口があった。この丘の上に立つホテルのロケーションは最高だろうと想像していたが、ホテルのサイトをみるとそのとおりであった。

 
                 
(下田東急ホテルオフィシャルサイトより転載)

  75 大浦 その3                  76 大浦 その4
   



  77 鍋田隧道
     

 大浦から短い隧道を抜けると鍋田浜である。

 78 鍋田浜


 下田の市街地からそう遠くないところに、こんな砂浜があるのはさすがに南伊豆である。

 79 鍋田浜


  80 鍋田浜


 ここは、夏は海水浴場になるようだ。

 81 鍋田浜



 鍋田浜から先には、海岸沿いの道はなく、岬を横断する山道もないので、いったん国道に出るため北に向かう。

  82 筑波大学下田臨海実験センター          83 国道136号線に出る
   

 国道に出ると行く手を阻んだ岬の向こうに通じる隧道であるが、幸いな事に国道の横に歩行者用の小トンネルが掘ってあったので助かった。

  84 下田第2隧道                  85 多々戸浜へ
   



 次の目的地は、多々戸浜である。

  86 多々戸浜入口                  87 多々戸浜のペンション
   

 国道を左折して海に向かうと、宿泊施設やサーフショップが現れて、海岸独特のひなびた華やかさとでもいうのか、矛盾しているがそんな雰囲気で周りの空気が充満してきた。

  88 多々戸浜の民宿
     



 11時47分、多々戸浜に到着である。夏の海水浴だけでなく、サーフポイントとしても有名である。レストハウスには、30代のサングラスをかけた、ちょいワル風お父さんサーファーたちが海を眺めているが、その横には、小さな子供を連れたお母さんたちがいて、ほのぼのとしたロコ達のコミュニティになっている。20代の若者も含めて、みんな知り合いらしく、楽しそうである。
 小学生の男の子二人を連れたお母さんがやってきて、子どもたちに海に入るように言っている。男の子たちは、あまり気乗りがしないようだが、サーフィンの英才教育なのかもしれない。だいたい親というものは、自分の趣味というか果たせなかった夢を子供に託すものである。それは、サッカーであったり、バレエであったり、ピアノであったり、一流大学だったりするわけだが、この親にとってはその対象がサーフィンであっても不思議はない。私には、子どもたちがサーフィンよりもゲームをしたそうにみえたが、多くの子供達の中からサーフィンが好きで好きでたまらない、そして一握りの才能のある子がプロになるのだろう。それ以外の普通の子どもたちは、おとなになってペンションを継ぐのかもしれない。
 まあ、海を見ながらそんなどうでもよいことを考えるが、こんな無責任な感想も自分の子育てが終わった気楽さのゆえだろう。

 89 多々戸浜 その1


 90 多々戸浜 その2


 91 多々戸浜 その3


 それにしても、静かな素晴らしいビーチである。

 92 多々戸浜 その3


 大した距離は歩けなかったが、左足が痛むので、今日はこれくらいにして引き上げることにしよう。12時30分に多々戸浜を後にする。

  93 多々戸浜のサーフショップ            94 多々戸バス停
   

 国道に出て、多々戸バス停から下田駅に向かう。

  95 伊豆急下田駅
     

 GPSによる本日の歩行経路 (時間:3h14m 距離:10.8km )


 今日は、下田駅から情緒あふれる下田港を下って、市街地の南側にある海岸を巡った。複雑な岬と島と入江が連続する変化のある楽しい道のりだった。下田は、歴史のある場所だけに、もっといろいろな場所をじっくり見たくなる街である。
 そして、市街地からすぐ近くにある海岸線の美しさは、久々に歩いた筆者の記憶に強く残った。歩みは遅いが、これから先の放浪でも南伊豆の真髄が見られることだろう。

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