箱根旧東海道 (西坂)          

        歴史を感じながら、江戸時代の旅人になったつもりで箱根を越える
◆ 2015年1月17日

 江戸時代の旅人になりきって箱根を越えるという企画の2日目である。今日の行程は、箱根山から外輪山を越えて西の斜面を下り、三島宿までである。箱根の関所で5日間ほど足止めを食らったが、出発の日、晴天の冬の一日だ。

  1 箱根関所前                    2 箱根ホテル
   

 9時半に関所を出発。2週間前に駅伝で熱気を帯びていた場所も今は静かである。



 3 芦ノ湖と駒ケ岳


  4 箱根宿の成立
     

  5 芦ノ湖から旧道入口
     

 6 芦川の旧街道解説板


 足の湖畔の道から左折すると旧道の入り口である。石仏や解説板があってすぐにわかる。

  7 向坂へ                      8 向坂解説板 
   

 向坂という坂を、登っていく。箱根外輪山を登っていることになる。

  9 向坂                       10 国道を潜る
   



  11 赤石坂                     12 赤石坂解説板
   

 坂の名前がいくつか変わるが、江戸時代と変わらない姿が保たれていて、なかなか良い感じだ。

  13 釜石坂                     14 釜石坂杉並木
   

  15 風越坂                     16 風越坂解説板
   

  17 挟石坂へ                    18 挟石坂
   

 ガードレールが見えた。挟石坂で国道1号線と合流する。

  19 挟石坂解説板
     



 20 道の駅箱根峠から芦ノ湖と箱根中央火口丘を望む


 道の駅からの眺めは相変わらず素晴らしい。
 道の駅から外輪山の頂上、すなわち箱根峠までは、車道を歩くしかないが、ここは、景観面からも、安全面からも箱根町に改善してもらいたいところである。

  21 箱根峠                     22 国道から旧街道へ
   

 10時10分に箱根峠に到着した。峠を越えて行くと、旧道の入り口があるが、やや趣が変わるのは、静岡県側が整備したからだろう。立派過ぎる石畳である。



 旧街道はゴルフ場へ向かう一般道に吸収されてしまうが、茨ヶ平という場所で再び復活する。

  23 芦ノ湖CC横を進む                24 茨ヶ平旧街道入口
   

 旧道の入り口は解説板があってすぐにわかった。

 25 旧街道茨ヶ平解説板


  26 道標                      27 道端の石仏
   

 かぶと石という物があったと書いてあるが、探しても見つからなかった。



  28 竹のタイムトンネル               29 接待茶屋へ その1
   

 タイムトンネルを抜けて、江戸時代にワープしていく。なだらかな下りの雰囲気のある道である。

  30 接待茶屋へ その2               31 国道と合流する
   

  32 国道横の石畳歩道                33 接待茶屋跡
   

 10時42分、接待茶屋跡に到着した。こういった施設がボランティアで行われていたとは驚きである。現代であれば、税金でやれと言われるに違いない。

 34  接待茶屋解説板 その1


  35 接待茶屋解説板 その2
     

 36 旧街道解説板




 かぶと石を探しても見つからなかったわけがわかった。ここに移設されていたのである。一里塚もこの辺りにあったらしいが、見過ごしてしまった。

  37 かぶと石                     38 かぶと石解説板
   

  39 明るい林間の旧街道
     

  40 接待茶屋から下る                41 明るく開けた場所
   

 林が途切れて展望が開けた。冬の穏やかな陽に包まれた箱根路である。

  42 箱根外輪山を振り返る              43 イノシシの捕獲オリ
   



  44 民家の庭先を通る                45 国道を横断
   

 数軒の民家の庭先に出てから国道を横断して、しばらく国道の歩道を歩くと三島市に入ったようだ。左手に旧道の入り口があった。

  46 三島市へ入る                  47国道から旧街道入口へ
   

 48 旧街道石畳復元解説板


  49 一本杉石橋
     

 50 一本杉石橋解説板




  51 山中城へ その1                52 山中城へ その2
   

 林道に出てしばらく歩くと、妙な石塔があった。徳利が描かれている。

  53 雲助徳利の墓 その1              54 雲助徳利の墓 その2
   

 55 雲助徳利の墓解説板




 11時25分、山中城に到着した。北条氏の小田原防衛の重要拠点だが、小田原の役で豊臣秀吉軍に攻略されてしまった城である。興味深い遺構が多く、ここに1時間以上滞在したが、写真や資料が膨大になるので、別稿にすることにした。

 
山中城址探訪 現在執筆中

 12時35分、山中城を出発する。

  56 山中城を後にする                57 国道へ合流
   

  58 国道を歩く                   59 通行止区間を見上げる
   

 非常に残念なことに、写真59の地点から下は工事中のため通行不可になっていた。しかたなく国道1号線を歩く。



  60 通行止標識                   61 通行止の区間
   

 ここも旧街道が封鎖されていた。それにしてもなだらかな下りの石畳を歩けなかったのが、返す返すも残念である。金返せ、と言いたかったが、よく考えたら通行料金は払っていなかった。

  62 通行止区間を見下ろす              63 笹原山中バイパス告知板
   

  64 通行止区間                   65 国道に合流する旧街道
   

 64の区間で、やっと通行止めがなくなった。元凶は、バイパスの工事であるが、計画は次のようになっているようだ。とにかく、バイパスが旧街道を破壊しないよう切に望むだけである。この区間を再び歩ける日が来ることを待つことにしよう。


             
国土交通省 中部地方整備局 沼津河川国道事務所ホームページより抜粋

 写真67の巨大な吊り橋はバイパスではなく、民間資本による歩行者専用の眺望用吊り橋らしい。富士山を目の前にする観光拠点とするようだ。今日は雲に覆われているが、たしかに眺望は素晴らしいだろう。

  66 笹原一里塚へ その1              67 巨大な吊り橋工事
   



 旧街道に復帰するが、このあたりは山中から、里に出てきたという感じになってきた。

  68 笹原一里塚へ その2              69 地蔵堂
   

  70 竹藪の中に続く旧街道              71 旧街道から箱根外輪山方面を望む
   

 箱根の西斜面の雄大な景色が気持ち良い。

  72 笹原一里塚へその3               73 笹原一里塚横
   

 13時10分、笹原一里塚に到着した。素朴だが、整備されすぎずに昔の雰囲気を残している一里塚である。

  74 笹原一里塚 その1               75 笹原一里塚 その2
   



 ここで国道を横断すると石畳が終り、普通の舗装道路となる。

  76 国道を横断する                 77 旧街道へ
   

 78 旧街道下長坂解説板


 舗装されてしまったのは、この旧街道が今も地元の生活道路として使われているからである。石畳のままでは、車も通れないのでしかたがないが、坂道は旧街道のままなので、坂が結構キツイ。

  79 下長坂 その1                 80 下長坂 その2
   

  81 下長坂から国道へ                82 国道を歩く その1
   

 しばらく国道1号線を歩く。

  83 国道を歩く その2               84 国道から別れる
   

 写真84の地点で国道から左に分かれて下って行く。



  85 法善寺跡                    86 坂小学校
   

 古い寺の跡と学校の裏手の間を何気ない道が下っていくが、これが旧街道である。やがて、題目坂と呼ばれる坂に差し掛かった。

  87 題目坂へ                    88 題目坂入口
   

 89 旧街道題目坂解説板


  90 題目坂                     91 題目坂市ノ山新田道標
   



 地図を見ればわかるように、この辺りは〇〇新田という地名が続いている。近世に開かれた農地なのだろう。

  92 市ノ山新田交差点                93 地蔵堂
   

  94 地蔵尊                     95 臼転坂へ
   

 国道に再び別れを告げるとそこは臼転坂である。ひっそりとして、不気味なほどである。

 96 臼転坂入口
     

 97 臼転坂解説板


  98 臼転坂 その1                 99 臼転坂 その2
   

  100 馬頭観音                   101 溶岩の石畳
   

 この辺りの石畳は江戸時代のものかどうかはわからないが、明らかに噴火物とわかる穴の空いた石が使われていた。

  102 臼転坂出口                  103 塚原新田へ
   

 臼転坂が終わるとまた国道と合流する。



  104 箱根路旧街道入口石碑             105 伊豆縦貫自動車道
   

 箱根路と書かれた大きな石を過ぎ、立派な道路の上を渡ると、初音が原である。原と名付けられているだけあって、広いゆったりした場所を国道が通っているが、松林が残っており、その横に擬似的な石畳の歩道が続いており、なかなか絵になる場所である。

  106 初音ヶ原松並木 その1            107 初音ヶ原松並木 その2
   



 108 初音ヶ原解説板


  109 初音ヶ原松並木 その3            110 錦田一里塚
   

 14時23分、錦田一里塚に到着である。一里塚が反対側にも現存しているのは凄い。当時の東海道は、現在の4車線の国道1号線とほぼ同じ幅を有していたということだろうか。ずいぶんとゆったりした配置である。

 111 錦田一里塚解説板
  

  112 反対側の一里塚                113 初音ヶ原松並木 その4
   

 初音が原はゆるやかな坂道であり、ここまで来ると江戸時代の旅人も、無事箱根を越えることができ、三島が近いことを実感しただろう。

  114 初音ヶ原松並木 その5            115 初音ヶ原松並木 その6
   



  116 初音ヶ原石畳歩道終点
     

 117 旧街道初音ヶ原松並木解説板


  118 国道から別れる                119 旧街道標識
   

 国道から別れると、石畳の坂道となる。愛宕坂だ。ここまで来ると、普通に歩いている人が多い。

  120 愛宕坂へ                   121 愛宕坂
   



  122 川原ヶ谷                   123 東海道線踏切
   

 坂を降りきって、東海道線の踏切を渡ると、最後の坂である今井坂である。もう、民家の中に続く普通の生活道路で、言われなければここが天下の旧東海道だとは誰もわからないだろう。

  124 今井坂 その1                125 今井坂 その2
   

  126 山田川を渡る                 127 新町橋で大場川を渡る
   

 市内を流れる2つの川を渡ると、三島市街である。



 14時55分、三嶋大社に到着した。伊豆の国府が置かれ、源頼朝も厚く信仰した、政治・宗教上の伊豆の中心地である。

  128 三嶋大社                   129 三嶋大社参道
   

  130 三島駅へ                   131 三島駅
   

 15時15分に三島駅に到着し、この箱根越えの旅も終わった。

 GPSによる本日の歩行経路


 箱根旧東海道を実際に歩いて感じたことは、予想外に旧道が保存されていて、実際に歩行可能なことであった。その理由として、険しい山中にあり、車の通行には適さなかったため新しく道が作られたこと、そして、忘れ去られて自然に還ることの多い他の旧道と違って、地元の自治体も観光資源として保存に力を入れていることがあげられる。さすがに、日本一有名な旧街道だけあり、そのネームバリューは大きい。そして、富士山や箱根、芦ノ湖の素晴らしい景色を堪能しながら雄大なスケールで実際に歩ける史跡であり、ハイキングコースであるといえる。

 健脚なら、朝早く出発すれば一日で越えられるかもしれない。実際に江戸時代の人々はそうしていたというのだから、驚きである。ただ、江戸時代の石を使った石畳は予想以上に凹凸があるので、スニーカーではなく、靴底が固いトレッキングシューズで歩くことを、ここでは強く推奨しておきたい。

 ◆箱根旧街道1 東坂(2015年1月12日)

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