日金山(十国峠)(ひがねさん・じゅっこくとうげ)/岩戸山(いわとやま)  標高771m

        伊豆の国の死者が集まる地獄 鬼がいるといわれる山からは本当に十カ国が展望できるのか
◆ 2014年12月21日

 湯河原と熱海の県境は、千歳川であるが、その静岡県側には、熱海市泉地区という、非常に特殊な場所がある。



 上の地図を見ていただければわかるように、この泉地区から湯河原へ行くには、沢に毛が生えた程度の千歳川を渡るだけであるが、熱海に行こうとすると、断崖絶壁の海岸線か、難儀な山越えの道を行くしかない。距離的にはもちろん、鉄道・バスなどの交通機関、観光産業、電話などのインフラも湯河原に依存しており、テレビも関東地区である。つまり、ここは、実質的には神奈川県の一部なのである。では、なぜこの泉地区が湯河原町にならなかったのか、その歴史的な謎を解くサイトがあったので紹介しよう。詳しくは読んでいただければわかるが要点だけを記しておく。

・鎌倉時代以降は伊豆山権現の領地であり、国境は曖昧であった
・秀吉の時代には相模の国と認められた
・元禄時代に伊豆山権現と小田原領の境界争いが起り、千歳川が境界になった
・廃藩置県では、新たに相模国と伊豆国が一緒になって足柄県ができ、足柄下郡宮上村飛地字泉となった
・明治9年足柄県が廃止され、伊豆国は静岡県となり、賀茂郡泉村となった
・明治22年に熱海、伊豆山などと合併し、熱海村となった
・昭和になってから、何度も湯河原町との合併運動が起こった
・昭和28年の町村合併促進時にも運動が起こり、住民の多くが賛成した
・しかし、静岡県側は認めず、逆にそれまでの無策を謝罪し、開発をエサに懐柔
・昭和36年に総理大臣裁定により、現状維持とされ、現在に至る
このサイトの著者は、神奈川県帰属派であり、住民の意思や生活の実体を尊重すべきだと主張している

 つまり、秀吉の時代と明治の前半には、泉地区は相模国または実質的な神奈川県(足柄下郡宮上村は現在の神奈川県湯河原町宮上)に属していることがわかる。しかし、曖昧だった境界線を決めることになった江戸時代の領地争いでは、譜代大名である小田原藩でも伊豆山神社の権威と既得権には勝てなかったわけで、この宗教勢力と武家勢力との力関係が現在の泉地区の悲劇を招いたルーツといえるだろう。徳川家康も(たぶんインチキではあるが)一応武家の棟梁としての清和源氏の末裔を名乗っているわけで、源頼朝をかくまったという伊豆山神社の権威の前には江戸幕府も黙らざるを得なかったのであろう。
 ちなみに、頼朝が伊豆山神社に逃げ込んだのは、伊東を本拠地とする伊東祐親という豪族が京都に行っている間に、その娘である八重姫とデキて子供まで生まれてしまい、激怒した祐親に殺されそうになったのが理由である。その後、頼朝は韮山の北条時政を頼り、その娘の政子と結婚して鎌倉幕府を作るが、そのデートの場所もこの伊豆山神社だったらしい。その後は、領地の寄進を受けるなど鎌倉幕府の手厚い庇護を受けた。つまり、頼朝がプレイボーイでなかったならば、こんなことにはならなかったわけで、泉地区の人々は頼朝の女好きと歴史の偶然を恨むしかないのである。

 前振りが長くなりすぎたて本題を忘れてしまった。えーと....そうだった。その泉地区の南側にある、本来ならば神奈川県と静岡県の県境となったはずの尾根を辿ってみよう、というのが今回の企画である。なにしろ、その行き着くところにはたくさんの霊や鬼が住む魔界があるという。その地獄へ無事辿り着くことができるのだろうか。今日は、その死霊に招かれて、長い領地争いにおける人々の怨念を乗り越えていく放浪の旅になりそうである。

  1 湯河原駅                     2 千歳橋
   

 8時24分、神奈川・静岡県境の千歳橋に着いた。



 ここ、千歳橋が県境であり、尾根の始まりであり、登山口である。入り口すぐにお寺があり、これからの霊験を暗示しているようだ。

  3 千歳川                      4 尾根の入り口
   

 石仏があるので、おそらくかなり古い道だと思われる。日金山への参拝道だったのかもしれない。

  5 石仏                       6 農道を登る
   

 急坂の舗装路で高度を上げる。なにしろ海岸線からの出発なので、標高ほぼゼロからの始まりだ。

  7 尾根へ                      8 尾根から望む湯河原の街
   



  9 みかん畑                     10 七尾峠へ その1
   

 このあたり一帯はみかん畑になっているところが多い。まず最初に目指すのは、七尾峠、別名泉越峠で、湯河原と伊豆山を結ぶ道が、この尾根を超える標高約400mの峠である。

  11 七尾峠へ その2                12 温州ミカンではない種類?
   

  13 地蔵尊                     14 七尾峠へ その3
   

 標高250mを過ぎると、舗装路が途絶えて完全な登山道になった。

  15 舗装がなくなる                 16 七尾峠へ その4
   



  17 七尾峠へ その5                18 ウルシガ窪第一配水地
   

 ところどころに大きな倒木があるが、歩きやすい道で、順調に高度を上げていく。山中の水道配水池を過ぎると、未舗装ではあるが、車が通れそうな道幅になってきた。おそらく水道施設の管理用に車が入れるようになっているのだろう。

  19 七尾峠へ その6                20 七尾峠へ その7
   

  21 七尾峠へ その8                22 七尾峠へ その9
   

 ナンバーがついていない車が置いてあった。おそらくこの道を走るのは、水道施設維持のためのこの車だけなのだろう。

  23 水道施設用の車?                24 七尾峠へ その10
   



 山中を抜けて急に空が開けたと思ったら、瀟洒な建物が右手に現れた。

  25 七尾峠へ その11               26 七尾峠
   

 豪華なペンションや企業の保養施設が立ち並ぶ七尾峠、別名泉越峠である。地図では、この下を東海道線と新幹線がトンネルで抜けている。
 時刻は、9時35分だ。峠の道端で休憩する。自動販売機があったので缶コーヒーを飲んで休憩である。本来ならばここが神奈川と静岡の県境になっていてもおかしくない峠である。
 この峠には次の目的地である岩戸山へのコース案内があった。保養所がある立派な道を抜けていくと、ハイキングコースがあるらしい。

 27 岩戸山ハイキングコース案内図


  28 沖電気健保前バス停               29 車両通行止め
   



 車両通行止めとなり、さらにしばらく歩くと登山口である。

  30 岩戸山登山口                  31 岩戸山へ その1
   

 人には全然会わないが、道は良く整備されて快適である。途中の岩戸観音への分岐は、危険なため通行止めになっていた。

  32 岩戸山へ その2                33 岩戸観音分岐
   



  34 岩戸山へ その3                35 岩戸山へ その4
   

 暗い植林地もなく、なかなか爽快な道であるが、天気予報に反して、少し曇り空なのが残念である。平地は晴れていても、伊豆箱根の山岳部は、雲がかかることが多いせいだろうか。 

  36 岩戸山へ その5                37 岩戸山へ その6
   

 10時44分、標高734mの岩戸山に到着した。出発点は海抜ゼロなので、まるまる700m以上登ってきたはずだが、あまり疲れはない。だらだらと登ってきた尾根道のせいかもしれない。

  38 岩戸山山頂                   39 岩戸山山頂標識
   

 ここで、今日はじめての二組の人に会う。高齢男性の3人組は三島から来たといい、結構地元の地理に詳しいようだ。熱海市街と伊豆半島の景色を解説している。伊豆山への道を聞かれたので教えてあげた。地図を持っていないようだが、まあ、この道なら道標もあるので大丈夫だろう。むしろ、伊豆山神社の階段の方を心配していた。

  40 岩戸山から熱海市街を望む            41 日金山へ その1
   



 次の目的地はいよいよ霊山日金山である。道は平坦だ。

  42 日金山へ その2                43 日金山へ その3
   

 開けた草原に出る。熱海からのハイキングコースとの合流地点だ。

  44 日金山ハンキングコース分岐            45 日金山へ その4
   

 ここからいよいよ霊山らしくなってくる。末代上人は平安時代の人だが、江戸時代に隆盛を誇った「富士山開山の祖」とされる人らしい。

  46 末代上人宝篋印塔                47 末代上人宝篋印塔解説板
     

 山間に佇むたくさんの石仏群。何百年もの時を超えてそこにある。

 48 石仏群                      49 湯河原温泉街方面分岐
   

 石仏がある分岐点に着いた。湯河原の藤木橋方面から登ってくる道である。伊豆・相模の広範囲からの信仰を集めた日金山には、湯河原、熱海、函南など各地からこの霊山を目指す道があったらしい。



  50 日金山へ その5                51 日金山へ その6
   

 木製の橋を渡る。昔は、三途の川に模されたのだろうか。そしてその先にあったのは圧倒的な霊気漂う、いかにも古そうな石の階段だった。日金山頂上とある。11時30分の到着、千歳橋から約3時間の行程だ。

 52 日金山東光寺へ


 53 日金山東光寺由来


 開山は273年と書いてあるが、これが本当ならばものすごく古い寺である。卑弥呼の邪馬台国の後、大和朝廷が成立する前という日本書紀の神話の時代である。伊豆で最も古い寺、神社だといわれているらしい。

 54 日金山ゆかりの人々


  55 日金山東光寺 その1              56 日金山東光寺 その2
   

 境内には誰もおらずしんと静まり返っている。が、たくさんの視線、見られているような不思議な感覚を覚える。鈍いこの私でもひしひしと感じるのだから恐ろしいほどの霊気である。



 昔の伊豆、相模の人たちは死者はここ日金山に集まると考えていたらしい。つまり、ものすごい数の死者の霊が集まっているのだから、この異様な霊気も当然である。昔の人は、春と秋のお彼岸には、日金山へお参りして死者に会いに行くという風習があったそうだ。青森の恐山と同じである。そして、彼岸の日金山に集まる人達の中に会いたい人の後ろ姿を見ることができると言われているのである。
 そして、ここは、地獄である。生前の行いを訴え、地蔵菩薩にお願いして、なんとか地獄から救ってもらえる、というのが地蔵信仰である。では、極楽はどこにあるのだろうか。

  57 日金山石仏群 その1              58 日金山東光寺 その2
   

 また、ここには、地獄で死者を迎える鬼がいるという伝説がある。戦国時代に、朝比奈弥太郎という人が、家康の命をうけ韮山の北条氏規を訪ねるため、十国峠を越え日金の山を下る途中に、亡者を迎える鬼に出会ったという話が伝わっているらしい。

 59 日金山東光寺石仏群 その3


 60 日金山東光寺石仏群 その4


 昔の人達の鬼気迫る信仰がそのまま残るこの日金山、こんな場所が山頂にあったとは、思いもよらぬことであった。地蔵尊がたくさん安置されている暗い地獄を抜けたのは、写真61の地点である。突然明るい光が指した。

  61 日金山東光寺から十国峠へ            62 熱海日金山霊園
   

 左手は明るい公園、右手は明るい現代の公園墓地である。この日金山に墓地を作ったのは、伊豆の人たちの古くからの信仰とは無関係ではあるまい。

  63 姫の沢公園入り口                64 姫の沢公園
   



  65 十国峠入り口
     

 日金山と十国峠は同じ意味である。というよりも、十国峠は、後年、西武が道路やケーブルカーを作った時につけた名前である。その頂上に行ってみよう。

 66 十国峠へ その1


  67 十国峠へ その2
     

 広い芝生と笹原が続くとても気持ちの良い道である。ただ、稜線上なので風が強く、ウインドジャケットを着る。
 やがて、前方に頂上に立つ円形の建物と富士山が姿を現した。天国とはこのような景色なのかもしれない。さっきまで暗かった空も、いつのまにか晴れ間が出ている。まさに地獄から極楽へと足を踏み入れることができたのだ。普段から善行を重ねてきたことが、ここでこんな形で報われるとは、私の人生も捨てたものではないと、ポジティブな気分になるおめでたい中年男である。

 68 十国峠へ その3




  69 十国峠駅(十国峠・日金山山頂)          70 十国峠ケーブルカーを見下ろす
   

 11時53分に到着した円形の建物は、ケーブルカーの頂上駅である十国峠駅である。そして、日金山、別名十国峠の頂上である。標高は、771m。観光客もいて、その展望に嬉々としながら記念写真を撮っていた。



 71 十国峠から富士山、箱根を望む


 冨士を見ていると、日金山信仰と富士信仰の繋がりに頷けるものがある。昔の人もここから冨士を眺めたのだろうか。

 72 十国峠から富士山、愛鷹連峰を望む


 ここからの360度の展望は素晴らしいが、特に、箱根と愛鷹連峰、伊豆半島、相模湾と駿河湾の関係がよくわかる俯瞰図である。そして、ここから見える範囲は世界有数の火山地帯で、噴煙が見られることも多かっただろう。

 73 十国峠から沼津、駿河湾、伊豆半島方面を望む


 74 十国峠から湯河原、真鶴半島を望む


 十国峠というからには、十国ってどこだよ、という当然の疑問をだれでも持つらしく、駅にはその答えとなる立派なパンフレットが置いてある。三国峠や七国峠というのはあちこちにありそうだが、十国となると全国最多かもしれない。確かにぼんやりと房総半島や御前崎が見え、信濃国の境界にある南アルプスもはっきりと見えるので、そうなのだろう。

 十国峠から見える十の国パンフレット


 観光客は、箱根と伊豆半島を結ぶ稜線の道の駐車場に車をおいて、このケーブルカーで登ってくる。

  75 十国峠駅                    76 十国峠ケーブルカー
   

  77 源実朝歌碑
   源実朝     

  78 歌碑解説板
   

 お父さんの頼朝の命を救った箱根権現と伊豆山権現への参拝は、欠かせなかったのだろう。実朝の歌碑をみてから、山を降りることにする。天気が悪かったのでここからバスで熱海に降りるつもりだったが、晴れたので、途中まで戻って、熱海への石仏の道を降りることにした。この道は草原の道だと地図に書いてあったのが決め手である。



  79 日金山(石仏の道)ハイキングコース分岐      80 石仏の道 その1
   

 12時40分、分岐点に戻って、石仏の道を熱海に向かって降りていこう。

 81 石仏の道 その2


 確かに草原が広がり青い海に向かって降りて行くというロケーションだ。素晴らしい。

  82 石仏の道 その3
     



 83 石仏の道 その4


 もちろん、石仏がずっと見守っているので、トイレに行きたくなってそのへんで用をたすというような妙なマネはできないことだけは、ちゃんと書いておく。しかし、よく考えれば、熱海で亡くなった人の霊は、この草原の道を通って日金山に向かうのである。そして、お彼岸には麓の人が死者に出会うために通う信仰の道でもあるのだ。

 84 石仏の道 その5                 85 石仏の道 その6
   



  86 石仏の道 その7                87 石仏の道 その8
   

 そんな信仰の道でも、イノシシだけは空気を読まずに、道を掘り起こして暴れまくっている。畑のようになっていて歩きにくい。たぶんイノシシが体当たりか、毛を擦りつけたのだろう、石仏が倒されていた。この野生の暴れん坊にはお地蔵様も手を焼いているようだ。

  88 イノシシの爪痕                 89 倒れた石仏
   

 13時20分、里の道に出た。

  90 舗装道路へ出る                 91 山道最後の石仏
   



 舗装路となった石仏の道を熱海駅目指して下っていく。

  92 石仏の道 その9                93 石仏の道 その10
   



 直接、来宮に降りても良いが、山を越えて熱海駅の西側にでる。

  94 東海道線、新幹線を潜る             95 熱海海岸へ
   

 まだ、14時20分なので、たまには温泉によっていくことにしよう。

  96 KKRホテル熱海                 97 ホテル玄関
   

 事前に海が見えるお風呂だということを確認しておいたホテルに行ってみよう。玄関は、ベンツばかりなのでお金持ち専用のホテルかと思ったが、フロントの人は登山姿でも普通に接してくれた。エレベーターに乗って上の方にある浴場に向かう。
 日帰り温泉入浴は、1600円で安いが、クーポン券を利用すると 1300円というさらに破格の安さで、しかも、タオル付きである。

  98 温泉                      99 風呂からの絶景
   

 相模湾を望む絶景風呂である。素晴らしい眺めの中でリラックスしすぎである。今日は山頂で地獄と極楽を見たが、ここは本当の極楽である。
           ホテルのホームページから 

 風呂からあがって入口付近で自動販売機を探したが、ビールは見当たらない。しかたがないので、フロントに降り、ビールを飲めるレストランがないか聞いてみるが、今の時間はやっておりませんとのこと、失意の中でホテルを後にする。風呂の出口に自動販売機を置けば、日帰り客には飛ぶように売れると思うのだが....



 ある種の欲求不満を抱えたまま、熱海駅に向かうが、まだ時間も早い。駅前の居酒屋が営業していたので、反省会を行うことを急遽決定する。

  100 反省会
     

 反省会は残念ながらビールだけではすまなかったが、生酒は1本だけにしたところは我ながら我慢強い性格だと思いながら、東海道線東京行きの電車に乗り込んだ。

 GPSによる本日の歩行経路 (歩数:32375歩)


 GPSによる今日の高度記録


 今日は、極楽と地獄、山と海と温泉、そして歴史と信仰と多彩なキーワードで楽しめるコースだった。海から出発して海に降りてくるコースなので累積で1000m近く登り降りしているが、その疲れを感じなかったのは、温泉のせいだろうか。昔の人も案外日金山の帰りに温泉と酒を楽しんでいたのではないかと思う。なぜなら、私達自身が彼らの子孫であることは間違いないのだから。

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