海岸線をどこまでも 本州一周 (になるかもしれない旅)  いよいよ茨城県へ 現在鹿島灘を踏破中
 ◆第12+26日目(2010年10月15日)銚子大橋鹿島ポートホテル


 10ヶ月前、37日目にしてやっと千葉県を制覇したが、その達成感と虚脱感、そしてその先も続く海岸のあまりの遠さに、なかなか銚子大橋を渡り切ることができなかった。幸いなことというか、残念なことというか、期待されていないというべきか「いつまでもたもたしているんだ!」とか「早く茨城県に来てください」とか「資金不足なら100万円寄付してやるから先に進め」というような、やる気の出るメールはいっさいないが、大口のスポンサーが現れないからといって放置していいわけがない。
 他のプロジェクトも同時並行で進める中で、いろいろ机上調査をしていたが、一泊すればその先に進めそうなことが判ったので、仕事と天気の兼ね合いを見計らいながら時期を待っていた。10月15日と16日の茨城県南部の天気予報は曇りまたは晴、仕事も何とか都合をつけて決行することにした。銚子大橋を渡り、いよいよ茨城県内、鹿島灘に入るのである。

  本日の気象衛星写真 (日本気象協会 tenki.jp)      1 東京駅で発車を待つ特急しおさい
   

 銚子駅へは、いつもの特急しおさい1号で朝9時半に到着した。もうおなじみの広い駅前通りを真っ直ぐ利根川に向かう。

  2 銚子駅前
      



 川というよりも海に近いスケールの利根川に突き当たり左折する。プロペラ屋さんがあった。プロパンではない。何度読んでも確かにプロペラである。長く生きてきたが、プロペラの専門店ははじめて見た。飛行機のプロペラを売っているのではなく、漁船のスクリューの製造か修理をやっているのかもしれない。さすが全国有数の港、銚子漁港である。

 3 駅前通りのつき当り                 4 プロペラ屋さん
   

 銚子大橋を渡る。空は曇っており、利根川の水も鉛色だが、相変わらず大きい。

  5 銚子大橋から利根川河口を望む           6 銚子大橋 その1
   

 新橋の架橋工事の真っ最中である。写真7のように、川の上で橋の鉄骨を溶接していた。現地で作って組み立てるのは合理的ではある。

  7 銚子大橋の工事                  8 茨派県側の旧橋末端
   

 橋の中央部だけが新しく、歩道が下流側についている。茨城県側に近づいて、また、狭い旧道を歩かされる。正面から大型トラックが来ると逃げ場がなく、非常に危険だ。誰も歩いていないが、それも当然で、むしろよく歩行者通行可になっているとさえ思う。昔は有料道路だったらしい。
 こんな歩行者泣かせのひどい橋だが、もうしばらくすると新橋が全面開通して、歩行者や自転車が安心して通行できるようになるだろう。

  9 茨城県側の新橋(左)と旧橋             10 茨城県神栖市に入る
   

 やっとの思いで無事茨城県側に抜けることが出来た。旧波崎町、現在は神栖市である。



 左岸は対岸の銚子市街よりものんびりした雰囲気だが、思いのほか人家が多い。

  11 利根川左岸から銚子大橋を望む          12 利根川左岸神栖市側
   

 銚子大橋を渡る人はほとんどいないが、では、茨城県側に住む人が銚子に行く場合はどうするのだろうか。車かバスであろう。しかし、車社会になる前、あるいは銚子大橋が出来る昭和37年以前はどうしていたのか。その答えは誰もが予想するとおり、渡し船である。

  13 展望台                     14 渡船跡
   

 15 利根川左岸波崎地区案内板


  16 展望台から渡し跡と対岸を見る          17 しののめ坂通り
   

 ここには由緒ある名前のついた坂道が何本かあって、風情がある。昔は、多くの人が、渡し船に乗るためにこの坂道を下って来たのだろう。
 ところで、その土地がいい意味で田舎かどうかは、犬が当然のように放し飼いされているかどうかで決まる、というのがこれまでの経験から言えると思う。神経質な都会であれば住民が黙っていないだろう。

  18 もうひとつの坂道                19 自由な犬
   

  20 川沿いのペンション               21 対岸の銚子市街を望む
   

 公園を過ぎると、海からの0キロポストがあった。つまり、埋め立て前はここが海岸線だったことになる。

  22 はさきかもめ公園                23 河口の海から0.00km表示
   



 この先は埋立地ということになるが、その埋め立てによって作られたのが、波崎新港である。

  24 はさき漁協                   25 波崎漁港の市場
   

 広々とした敷地に漁港が作られているが、なんだか様子がおかしい。市場らしき建物は在るのだが、写真26のとおり何もなく、魚が並べられた形跡もないのだ。その先にある写真27の港に眼をやると、何と漁船が一隻もいない。この新しい漁港が機能しているのかどうか、少し心配になるような光景である。港には釣り人だけがいた。
 取り返しのつかない自然破壊と莫大な税金を投入した結果が、大きな釣り堀を作っただけ、というようなことになっていなければ良いと余計な心配をしてしまう。

  26 市場内                     27 波崎漁港
   

 新港の埋め立てで出現した荒涼とした土地を過ぎると、自然海岸が復活した。サンサンパーク、波崎海水浴場である。おそらく、太陽が「燦燦」と「SUN」をかけた役所のネーミングだろうが、はっきり言って「ダサい」。しかし、最近は「ダサい」という言葉もあまり使われないので、お相子か。

  28 サンサンパーク                 29 砂の広場
   

 展望台のあるレストハウスがあったので入ってみる。早い昼食を食べようとして、管理人の方にあいさつするとミカンをくれた。親切な人だ。夏は賑わうそうだが、今は釣り人しかいない。イシモチなどが釣れる良い場所だそうで、素人でもハマグリが採れるそうだ。今日は波が悪く、サーファーはいないと言っていた。
 ここが鹿島灘の最南端ですねと言ったら、虚を突かれたようにそういえばそうだなというような顔をしていた。多分そんなことは考えたこともなかったのだろう。

  30 展望台                     31 もらったミカン
   

  32 波崎海水浴場 その1              33 波崎海水浴場 その2
   

 砂浜にはハマグリの貝殻がたくさんある。写真34のようになかなかの大きさである。鹿島灘はハマグリの国内最大の産地らしい。湘南海岸でも昔は取れたが現在は絶滅してしまった。貝塚でみられる代表的な貝であるハマグリも現在ではほとんど食卓にのぼることはなくなってしまった。実は、ハマグリは埋め立てなどの海岸の破壊と乱獲で、すでに国内ではほとんど絶滅してしまったのである。鹿島灘にいるのは、在来種のハマグリではなく、チョウセンハマグリらしい。稚貝の放流と資源管理でなんとか持続的な生産を維持しているようだ。

  34 ハマグリの貝殻                 35 鹿島灘最南端
   

 鹿島灘の最南端が写真35のここである。この消波ブロックからまさに鹿島灘が始まるのだ。ところで、鹿島灘とは通常、海域のことを指すと思う。ではこの長い砂浜はなんというのかと調べても、やはり鹿島灘という地名しかないようだ。鹿島灘海岸というべきかもしれない。ここ、波崎から大洗まで全長約72kmの砂浜である。九十九里浜が66kmなのでそれよりも長い。遠州灘が115kmで日本一だとすると、第2位は九十九里浜ではなく鹿島灘海岸になるのだろうか。しかし、残念ながら現在は鹿島港と周囲の埋立地によって南北に分断されているので、連続した砂浜海岸とはいえないのかもしれない。

 鹿島灘海岸の最南端は本来利根川河口であったはずだが、波崎新港の埋め立てによりここが最南端になっている。ここからまた長い長い砂浜が続くのである。

  36 最南端から北を望む               37 風力発電
   

 この鹿島灘海岸も、九十九里浜と同様、侵食に悩まされているらしい。突堤が作られていた。本来ならば利根川から供給される土砂が、河川開発や波崎新港の建設によって妨げられてしまったのが理由だろうか。
 ここまで来ると、管理が行き届かないというか、地方のおおらかさというか、砂浜に車が入ってもお構いなしである。

  38 突堤                      39 砂浜を走る4WD
   



 前方に煙突のある工場のような建物が見える。

  40 遠い煙突                    41 砂丘
   



  42 大きな海鳥                   43 波打ち際に打ち捨てられた冷蔵庫
   

 鹿島灘海岸の特徴として、ゴミが多いことが挙げられる。東京湾側の木更津と並んでとにかくゴミが多い。それも一箇所に固まっているというよりも全体的に散乱しているという状況だ。過疎地であり、海岸線が長すぎて、ボランティアもおらず、行政予算もないといった悪条件が重なっているのだろう。そもそも海岸を綺麗にしようという意識が無いような感じである。その先にゴミ処理場があるのは皮肉である。

  44 T字型突堤                   45 ゴミだらけの砂浜
   



  46 大小の貝殻                   47 海岸付近
   

 波打ち際はゴミを波が運んでいってくれるので綺麗であるが、時々波の手に負えない物が落ちている。海鳥の楽園でもある。

  48 中くらいの海鳥                 49 丸太
   



 テトラポッドはあるが、海岸侵食は九十九里浜程深刻ではない気がする。
 話はかわるが、写真51のように自分の足跡を振り返るのはなかなか印象的な体験である。この足跡は、もし風雨で消されることがなければ、神奈川県までつづいていると思うと、少し感傷的な気分になる。

  50 テトラポッド                  51 足跡を振り返る
   

 52 風力発電の風車群


 風車のある美しい海岸になった。このあたりは風力発電の盛んな土地らしい。

  53 砂丘に建つ風車                 54 釣り人
   



 鹿島灘海岸はまた砂丘も有名らしく、その盛り上がりがどこまでもつづいている。

  55 砂丘                      56 砂浜の轍
   

 砂丘の上は植物が生えていて、このまま砂が堆積し続けて、内陸部になれば遠い未来には森になりそうな感じだ。

  57 小さな川                    58 砂丘の上から北を望む
   

 このあたりは、鹿島灘と利根川に挟まれた細長い地形であるため、大きな川はない。しかし、徒歩で渡れない川も多く、その場合は砂丘の上まで迂回しなければならない。

  59 木製のベンチ                  60 流れこむ川
   



 砂丘の中腹に家が立っていた。縄文時代の住居のようなユニークな家である。漁師の小屋か、あるいはホームレスが住んでいるのだろうか。都会の公園や河川敷のブルーシートの家に比べて、なかなか個性的である。家の中心を貫いて土台となっているのが巨大な流木で、茅葺き風の屋根は、風情さえ漂っている。

  61 砂浜に建つ住居 その1             62 砂浜に建つ住居 その2
   

 韓国語のペットボトルが落ちていた。韓国から流れ着いたのか、それとも韓国人の船員が捨てたのだろうか。

  63 韓国語のペットボトル              64 どこまでも続く風車群
   

  65 やや大きな川                  66 砂丘と風車
   

  67 風車の近景                   68 広い砂浜
   

 轍のある広い砂浜と風車がどこまでも続く。

  69 錆びたドラム缶                 70 まだ続く風力発電の風車
   



 砂浜にはキノコが生えていた。こんなところに生えているのは初めて見る。今年はキノコの当たり年らしい。

  71 砂浜に生えるキノコ              72 運輸省港湾技術研究所波崎海洋研究施設
   

 73 研究施設の桟橋


 未だに運輸省の看板を掲げているこの桟橋の研究施設も、今はあまり使われている様子はない。開放すれば釣り人がたくさんきそうな感じである。

  74 砂丘から望む海                 75 桟橋を振り返る
   

 おじさんがひとりで空を飛んでいた。海に落ちたときに溺れないのか心配になる。

  76 モーターパラグライダー             77 やや大きな川
   



 78 日川浜の風力発電

 正面に風車に囲まれた大きな建物と埋立地が見えてきた。鹿島臨海工業地帯である。

  79 日川浜海水浴場 その1             80 日川浜海水浴場 その2
   

 埋立地の手前が日川浜で、美しい砂浜だった。自然海岸は日川浜で終わる。この先は鹿島港があり、海岸沿いに進むことはできないため、内陸部に迂回しなければならない。
 海岸沿いには宿泊施設はなく、予約しているホテルはまだ先である。予定ではバスでホテルまで行こうと思っていたが、一日数本のバスしか走っていないので、ここまで来たら歩いたほうが早そうである。

  81 日川浜海水浴場 その3             82 日川浜海水浴場 その3
   



 日川浜から内陸に入り、工業地帯を歩く。更に内陸部に行くと印象的な建物の老人福祉施設があった。

  83 JFE条鋼前                   84 高齢者福祉施設 むつみ荘
   

  85 神栖市柳川付近の旧道              86 土地改良事業記念碑
   

 土地改良区の記念碑があった。それ自体はそんなに珍しいものではないが、碑文が印象的だったので、下に抜粋してみる。

 鹿島臨海工業地帯の造成と云う世紀の大事業が日夜の別なく完成に近づきつつ在るとき、当地域の現況は人間生活の環境とは全く掛け離れた地形と時代遅れの農業経営とを考慮した結果、昭和43年7月地域住民協議の上、基盤整備事業を計画し、且つ野口光雄殿より公共減歩壱町五反歩の寄贈を受け鹿島土地改良事業所の指導の下に約2ヵ年の歳月を経て完成した事は誠に受益者一同慶びに耐えざる次第である。ここに記念碑を建立しこの事業を後世に伝えんとす。
 
 碑文は大げさでなく、このあたりは茨城県でも特に貧しい地域だったという。鹿島臨海工業地帯の開発は、当時の地元の人たちにとって、まさに希望であり、一筋の光であったのだろう。高度成長期の日本の社会の激変が濃縮された地域だったのである。



 87 鹿島臨海工業地帯の夕空

 物悲しい工業地帯の夕景の中を歩いて、やっと今日の宿に着いた。今日は約30km歩いたことになる。時速4kmとして7時間半である。9時30分に銚子駅について、現在17時過ぎなので、ちょうど7時間半かかった。小さな休憩を除いてほぼ歩き続けたことになる。肉体的にも精神的にも限界である。目的地についてもう歩かなくてすむという安堵感は何者にも代えがたい。こんな時は、ビジネスホテルが天国に見えるのである。

 このホテルの部屋は写真のとおり清潔でなかなか広い。しかも、1泊2食付きで7千円とリーズナブルである。ここでは、夕食を食べに行くとお帰りなさい、朝食を食べに行くと今日はお休みですかと、声をかけられた。つまり、客は仕事で来ていると思い込んでいるのである。観光客はいないのだろう。事実、客は連泊しているらしい単身の男ばかりである。工業地帯の真ん中に建つという立地上、当然のことかもしれない。夕食は天ぷらと海鮮丼だったが、地元のアジやキスがたくさん出てきて満足だった。夕食が宴会料理でないのが嬉しい。広い風呂でゆっくりと湯につかり、疲れ切った体をベッドに横たえたが、筋肉痛で夜中に何度か目が覚めた。

  88 鹿島ポートホテル                89 ホテルの室内
   

 今日はついに茨城県に入り、鹿島灘海岸を歩いた。湘南海岸や九十九里浜とはすこし違った、砂丘と風力発電が特徴的な荒削りでワイルドな海岸である。明日は、鹿島臨海工業地帯の核心部を歩くことになるだろう。

 (本日の歩数:44030歩)

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