海岸線をどこまでも 本州一周 (になるかもしれない旅)  大洗から茨城県北部の海岸を北上する
◆ 第12+35日目(2012年6月24日)  高萩駅磯原駅


 本州一周の無謀な試みも、関東地方の北端が近くなってきた。バカも積み重ねるといつの間にか結果が出るということであろうか。勉強や仕事やスポーツも同じだが、目標を定めて、日々、地道な積み重ねを続けていけば、遠すぎて無理だと思う場所にもいつしかたどり着けるのである。というようなつまらない説教を、自分の子供や若い人相手にしければならないおじさんに、いつのまにか歳を重ねてたどりついてしまった。自分の若いころを思い出して、我ながらよく言うよ、というもう一人の自分と戦っている日々である。
 さて、梅雨の後には、夏が来る。真夏に年寄りが無理をして熱中症になってはいけないが、涼しいうちに何処まで行けるだろうか。

       

 いつもの上野7時発の特急に乗る。着いた高萩駅前は、写真1のようになぜか爽やかである。電柱がないからだろうか。可愛らしい駅舎を後にして、駅の東側へ出る。

  1 高萩駅前                      2 高萩駅
   



  3 有明海岸 その1                 4 有明海岸 その2
   

 有明海岸には今日も若者がいた。海岸を北へ歩くとすぐに関根川である。

  5 関根川河口                    6 新磯馴橋
   

 関根川の左岸側は、海岸が崖になっているので、内陸部を北上する。万葉坂と呼ばれる坂を登って台地の上に出ると、そこは墓地だった。

  7 万葉坂                      8 高萩霊園
   



 霊園の中を海岸方面に進むと、海へ下りていく道があった。万葉の道となっている。

  9 万葉の道入口                   10 高戸海岸を見下ろす
   

 山道を降りると、そこは高戸海岸である。

 11 高戸海岸から北を望む


 北側は、まるで房総の屏風浦を彷彿とさせる断崖となっている。いや、むしろテトラポッドがないだけこちらのほうが美しいかもしれない。しかし、残念ながらこの崖に阻まれて北へは抜けられないようだ。しかたなく、ふただび元の道に戻ると、そこは工業団地になっており、大手製薬会社の工場がある。工業団地の間隙に海浜休養地入口の看板があったが、残念ながらロープが張ってあり、立入禁止のようである。

  12 高戸海岸から南を望む              13 海浜休養地入口
   

 日本人なら誰でも食べているお茶漬けで有名な永谷園の工場を過ぎて、再び海岸へでるため右折すると、朽ちかけている写真15の標識に気がついた。これも何かの縁だろう。いや、古墳が私を呼んでいるのに違いない。

  14 永谷園茨城工場                 15 琵琶墓古墳入口
   



  16 琵琶墓古墳 その1               17 琵琶墓古墳解説板
  

 琵琶墓古墳である。前方後円墳だが、普通の人だと、解説板がなければまず古墳だとは気が付かないだろう。しかし、1500年の時を超えて、今、古墳が目の前にあるのだ。上に登ってみると、昭和5年の記念碑が建っていた。古墳の歴史に比べればつい最近である。この古墳で、当時、石碑を建てるほどの大規模なイベントが行われたに違いない。しかし、当時を知る人はもう90歳以上になっているはずで、もうほとんどいないだろう。

  18 琵琶墓古墳 その2               19 琵琶墓古墳 その3
   

 そんな歴史のオーラ漂う古墳であるが、写真20のとおり後円部は、耕作により破壊されている様だ。

  20 琵琶墓古墳 その4               21 赤浜海岸へ
   

 古墳から海岸に向かう途中は農村風景で、ハウスの花や露地の玉ねぎが目を引く。

  22 ビニールハウスの楽園              23 赤浜海岸の玉ねぎ畑
   



  24 赤浜海岸から南を望む              25 赤浜海岸から北を望む
   

 美しい赤浜海岸に出た。サーファーズパラダイスだが、さすがにここまで来るとサーファーの数も少ない。

  26 赤浜海岸の小河川                27 赤浜海岸
   



  28 コモンフグ?                  29 物干し?
   

 写真30の地点、赤い屋根の塔が印象的な養護学校の手前で高萩市に別れを告げ、ついに茨城県最北端の市、北茨城市に足を踏み入れた。

  30 高萩・北茨城市境付近              31 足洗海岸 その1
   



  32 塩田川河口手前                 33 塩田川河口
   

 塩田川を越えると足洗海岸である。天気は予報どおり、晴れ時々曇り、空も青空でもなく曇り空でもなく、なんとなく中途半端な感じである。

  34 足洗海岸 その2                35 足洗海岸 その3
   



  36 足洗海岸の小河川                37 足洗海岸 その4
   

 38 足洗海岸 その5




 足洗地区から下桜井地区へ入る。

  39 下桜井海岸                   40 下桜井海岸の小さな神社
   

  41 下桜井海岸                   42 大北川右岸河口の砂州
   

 下桜井海岸の突き当たりは、写真42、大北川の右岸河口の長大な砂州である。その向こうには緑の小山が見える。多分、天妃山だろう。



 砂州の手前で大北川を渡る。川沿いに住宅が並んでいる。庭の草むしりをしているおばさんがいたので、話を聞いてみた。ここは津波の被害があったそうである。写真44には空地があるが、ここには家があったらしい。このあたりの家の1階は全滅したそうだ。そう言われておばさんの家をみると1階の戸は板が打ち付けられていた。まだ新しく、基礎がしっかりしていたので、住み続けることができたという。古い家はダメだったそうだ。当日は、息子さんがきてくれて避難できたと話してくれた。年金ぐらしになってもやはり故郷が良いそうで、ここに住み続けるという。海と川が近くていいところですね、というと、嬉しそうに、夏はエアコンが要らないほど涼しくて、冬は暖かいと言っていた。

  43 大北橋から大北川下流を望む           44 大北川左岸の空地
   

 あじさいの咲く美しい大北川を眺めていても、津波に襲われた時の恐怖は想像できないが、一帯がすべて海になったということなのだろう。対岸の錆びたバスは何を物語っているのか、なぜかとても気になった。

 45 左岸から見た大北川と海岸

 時刻は12時、まだまだ歩ける時間と体力であるが、今日は頭の中に引っかかることがあり、先に行く事を躊躇する自分と向き合うことになる。大北川のほとりで菓子パンを食べながら、どうしようかなあ、とぼんやり考える。この旅は、ある意味で苦行である。歩き続ける意欲、気力、先に何があるのか見てみたいという好奇心がないとモチベーションは維持できないのである。ましてや、心配事があっては、とても無理である。こうして考え始めた時点で、今日は磯原駅で終わりにすることが運命づけられていたといってもよいだろう。

  46 磯原駅
  こうして、磯原駅から次の目的地に向かった。

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 さて、旅の途中の心配事とは、日本経済でも仕事でも家族のことでもない。地元サッカーチームの試合である。相変わらず、脳天気な親父だと自分でも思うのだが、自分の心のざわめきは自分でもどうにもならないのである。J2リーグ3位のベルマーレと2位ジェフ戦の行方が、サポーター以外にはどうでも良いことだという事実は、筆者も認めざるをえないのであるが。
 常磐線から総武線千葉方面へは、神奈川県からみると同じような方向に感じられるのだが、いざ行こうとすると、連絡網はないに等しい。鹿島臨海鉄道では日が暮れてしまう。武蔵野線と東武野田線があるが、あまり意味は無いだろう。急がば回れということで、特急列車で上野駅まで出て、東京駅地下ホームから京葉線に乗ることにする。といっても試合は夜なので十分時間はある。黄色のジェフカラーで埋め尽くされた蘇我駅に降りてファミレスで戦いに必要な栄養を補給してから、単身、敵の本拠地、フクダ電子アリーナに乗り込んだ。19時3分、戦闘開始である。

  47 フクダ電子アリーナ               48 試合前
   

 試合は白熱し互角のまま1−1のドロー。勝てなかったがなかなか面白い試合であった。

  49 試合終了後
  夜中に帰宅。今日は疲れたが充実した一日だった。

 GPSによる本日の歩行経路 (時間:3h18m 距離:14.1km)


 今日は、精神面での落ち着きがなく、磯原までの行程となったが、さすがにここまで来ると美しい海岸線である。次回はいよいよ東北地方に足を踏み入れることが出来るだろうか。

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