海岸線をどこまでも 本州一周 (になるかもしれない旅)  いよいよ関東地方から東北地方へ
◆ 第12+37日目(2012年9月22日)  勿来駅 〜 小名浜



 海岸線をどこまでも歩いてきたら、いつの間にか東北地方だった、というわけではないが、今日は福島県勿来駅からさらに北に足を伸ばそうと思う。今日の天気予報は、関東地方は曇だが、福島県浜通南部は日中は晴れるらしい。いつものように、早起きしてスーパーひたちに乗るが、茨城県を通過中についに雨が降り出す。今日はちょっと楽観的すぎたかもしれない。


  1 スーパーひたち3号の車窓              2 勿来駅前
   

 9時に着いた勿来駅は、雨こそ降っていないが、どんよりとした曇り空である。駅前には、源氏の英雄の像があるところをみると、この地方の人は、昔の先住民族と中央政権との戦争を恨みに思っているわけではないらしい。縄文人と弥生人は混血が進み、日本人という単一民族として完全に同化したということだろう。



  3 勿来駅                      4 勿来海岸
   

  5 勿来海岸から南を望む
  サーファーが今日も津波の見張りをしてくれている。

 6 勿来海岸 護岸工事説明板


 せっかくの台風災害復旧事業は、津波の前には無駄遣いに終わってしまったようだ。

  7 いわき市南部衛生センター             8 蛭田川河口付近
   

 河口にあるのはごみ処理施設だろうか。ゴミが放置され、荒廃した雰囲気が漂う。海岸沿いの道はなくなり、草むらの中を川沿いに遡る。衛生センターの前に出て、道路に復帰し、橋に向かった。



 蛭田橋をわたって、再び川沿いに河口に向かう。陸側にも水が溜まっていて、何やら不穏な雰囲気である。

  9 蛭田橋から河口を望む               10 蛭田川河口 その1
   

 予感はあたった。堤防の道は破壊された河口の堤防とともに、そこで終わっていた。

  11 蛭田川河口 その2               12 蛭田川河口 その3
   

 下の写真は、震災前のものだが、左岸の堤防はちゃんとつながっていることが分かる。津波により、海岸防潮堤が破壊され、堤防の外側にも水が溜まってしまったようだ。

     

 海岸沿いには進めないので、仕方なく内陸部の道をたどる。左岸側河口にある下水処理場の敷地には、瓦礫置き場が設置されていた。津波の爪痕がいたるところに残り、どんよりとしたこの曇り空のような心をさらに重くさせる。そして、この後、さらに衝撃的な光景を目にすることになる。テレビ番組なら「衝撃の映像まであと60秒」のテロップが入り、CMになるところだ。

  13 南部浄化センター                14 破壊された道路
   

 写真14。この仕業は津波ではない。地震の地殻変動そのものである。道路の半分は盛り上がり、いやそれとも半分が陥没したのだろうか、もはや道路の体をなしていない。写真15をみると道路の半分が約1mほど隆起したようだ。側溝との段差が尋常では無い。もはや完全に地形が変わってしまい、完全復旧には時間がかかりそうである。

  15 道路の段差                   16 鮫川大橋へ
   



 道路の状態にショックを受けながらも、鮎川大橋に差し掛かった。橋は無事だったようだ。

  17 鮫川大橋から対岸の火力発電所を望む       18 鮫川大橋から上流を望む
   

 橋の上からみると、対岸に海岸から見えていた発電所が見える。

  19 鮫川大橋から植田町市街地へ           20 植田橋から渋川河口を望む
   

 植田駅の市街地を過ぎて、再び海沿いに向かうと、やがて遠くから見えていた発電所がいよいよその巨大な姿を目前に現す。常磐共同火力株式会社の勿来発電所である。原子力ではない。調べてみるとその歴史は意外に古く、常磐炭鉱の石炭を有効利用し、高度成長期の電力需要に応えようと、1955年に東京電力、東北電力と炭鉱会社により作られた火力発電所だ。皮肉なことに、常磐炭鉱はその後衰退し、現在は小名浜港からの重油や輸入石炭により発電し、電気を両電力会社に売っている。

  21 常磐共同火力株式会社勿来発電所         22 勿来発電所の巨大なパイプ
   

 道路を挟んで反対側には、飼料プラントのような建物があり、写真22の巨大なパイプが道路を横切って発電所へと続いている。木材バイオマス燃料も使用しているらしい。

  23 常磐共同火力株式会社勿来発電所         24 県道239号泉岩間植田線を岩間町地区へ
   

 発電所は海岸沿いにあるので、津波の被害を受け停止したが、6月30日には一部運転を再開している。必死で夏に間に合わせたのだろう。このへんは原子力発電と違って小回りの効くところである。
 発電所からさらに海岸沿いに県道を進むと、車両通行止めになっていた。



 さらにその先には墓地があり、未だに横たわっている墓石も散見される。

  25 海沿いのお墓                  26 常磐林業跡地
   

 そして、道路の左側には空虚な広い空間が広がっている。工場らしき錆びた標識だけがぽつんと立っている。

  27 防潮堤の残骸                  28 残ったベンチ
   

 そこは、かろうじて人が住んでいたことがわかる白いコンクリートの基礎だけが残る奇妙な風景が広がっていた。津波が破壊し尽くした、静寂が支配する荒野であった。

  29 県道239号泉岩間植田線             30 岩間地区の惨状
   

 ここで、この海岸に面した岩間地区の航空写真 Before & After を見ていただこう。津波前は、Yahooの地図、後はGoogleの地図である。

震災前 
震災後 

 美しい集落が、所々に残る住宅を除いて、跡形もなくなっている。常磐林業の大きな建物はただ白い空き地が広がるだけである。流された家の敷地には、地元のロータリークラブが植えたクローバー畑が広がっていた。
 所々に残っている住宅に近づいてみると、その惨状は心を砕くものであった。かろうじて遠目の外観は保っているものの、1階部分は破壊しつくされ、人は住んでいない。新しい家なので基礎がしっかりしており流されずにすんだのであろう。逆に、他の家は危険なので取り壊したのかもしれない。

  31 幸せのクローバー                32 岩間地区に残る住宅
   

 堤防があったと思われる海岸には、コンクリートのがれきが並べられ、階段だけがポツンと残っている異様な光景である。海岸には、犠牲者を弔うためだろうか、卒塔婆が立っている。

  33 海岸に建つ卒塔婆                34 残った階段
   

 立派であっただろう県道は、がれきに囲まれた砂利道に変わり果て、通る車の無い死の道である。もちろんこれでも瓦礫を片付けたのだろうから、被災直後の惨状は想像もできないほどだったのだろう。この地区の被害を伝える貴重な動画があったので紹介しよう。コレである。

  35 県道239号泉岩間植田線             36 県道239号泉岩間植田線
   

 この県道は小名浜方面へ抜けられるが、津波の被害がない高さになり、舗装が復活すると通行止めになっていた。しかし、他に道はなく、徒歩なら行けそうだったのでそのまま進む。高台から低地の住宅地を見るが、所々に空き家が立っているだけでほとんど人が住む気配がない。ゴーストタウンになっていた。

  37 県道からみる岩間地区被災地           38 県道239号泉岩間植田線
   

 道路は路肩に不安はあるが崩れてはおらず、徒歩なら通行可能であった。



  39 県道から勿来発電所を望む            40 県道239号泉岩間植田線
   

 峠を超えて、反対側の通行止め標識になっているパワーショベルを通過する。



 高台のため無傷の人家があり、子供の笑い声が響く。しかし、道を進んでいくと再び空き地の目立つ地区に出た。

  41 小浜町公民館                  42 小浜地区 その1
   

 下り坂を降りて、いつの間にかまた低地に戻ったらしい。小浜地区である。

  43 小浜地区 その2                44 小浜海水浴場
   

 海水浴場の砂浜が広がっているが、公衆トイレは閉鎖され、荒廃している雰囲気が漂っている。

  45 小浜心の駅 その1               46 小浜心の駅 その2
   

 海岸には心の駅という施設ができていた。そこに書かれた言葉の数々がなんとも言えない。
 2012年12月14日、この心の駅を開設された特定非営利活動法人おぢや元気プロジェクトの代表の若林さんから、ここを読んだとわさわざご連絡をいただいた。こんな泡沫サイトで十分な紹介もできず申し訳ないが、詳しくはこちらをぜひご覧頂きたいと思う。3月11日には復興祭が行われるそうである。

  47 小浜心の駅 その3               48 小浜地区 その3
   

 家がなくなってひまわりや草が広がる荒地の中に、何故か真新しい自動販売機だけが並んで立っていた。

  49 小浜地区 その4                50 打ち上げられた漁船
   

 流された家の土台は、かなりしっかりしている。漁港には漁船が打ち上げられたままだ。

 被災前の小浜地区  出典 yahoo地図航空写真

 高台にあって難を逃れた家は、全くの無傷で、対照的だ。

  51 高台の家                    52 県道239号泉岩間植田線
   



 津波の甚大な被害地を見たあとなので、なぜか、ラブホテル群でさえ、人の営みや活力を感じて嬉しくなってしまう。

  53 ホテル群                    54 補修された道路
   

 このあたりの道路は地震の被害があったようで、補修されていた。その先にはリゾートホテルがある。トイレに行きたくなったので、寄ってみることにした。

  55 小名浜オーシャンホテル             56 ホテルへの歩道
   

 ホテルへ降りていく坂道には写真56のように多少の被害があるようだが、ホテルとゴルフ場は通常どおり営業している。

  57 小名浜ゴルフクラブ               58 小名浜オーシャンホテル入口 
   

 フロントにお願いすると、汚い格好にもかかわらず笑顔でトイレを貸してくれた。シーサイドのゴルフ場が最大のウリの豪華ホテルである。レストランも立派だ。是非皆さんもこのホテルに泊まって海風を受けながら爽快なコースでゴルフをしてみませんか。復興支援も兼ねて。
(親切のお礼にここで宣伝しておこう。)         

  59 小名浜オーシャンホテルからゴルフコースをみる  60 災害木くず集積場
   

 お礼を言って、ホテルからさらに東に向かうと、木くずの集積場があった。ものすごい量の木くずである。



 その先には、巨大なおびただしい数のタンクが並んでいた。小名浜石油である。勿来火力発電所にパイプラインで重油を供給すると共に、石油の国家備蓄も行なっているらしい。津波の被害があったはずだが、もうそれを感じさせない。火力発電所もそうだが、こういう国家の基幹産業がの立ち上がりが早いのは心強いことだ。

  61 小名浜石油株式会社               62 小名浜石油株式会社
   

 埋立地の工業地帯が続く。工場は何事もなかったように操業しているが、野球グラウンドやテニスコートはまだ悲惨な状況だ。これらの施設が復旧した時が本当の完全復活だろう。

  63 荒れ果てた野球グラウンド            64 小名浜港の広い道を東へ
   



  65 小名浜港のがれき置き場             66 藤原川河口
   

 藤原川を渡る。さっきから、産業廃棄物を運搬するトラックの数が異様に多い。震災の瓦礫を運んでいるのだろう。

  67 サミット小名浜エスパワー株式会社小名浜発電所  68 産廃運搬車列
   



 道路が突き当ったので、右折して海岸に向かうと、道が黒ずんでいた。左を見上げると敷地いっぱいに黒い山が広がり、塀を圧迫している。コークスらしい。

  69 黒ずむ道路脇                  70 小名浜製錬所コークス置き場
   

  71 広い道路                    72 小名浜製錬所内部
   

  73 小名浜製錬所排水溝               74 小名浜製錬所南門
   

 75 小名浜製錬所の建物                76 宇部三菱セメント小名浜Sステーション
   



 工業地帯を抜けると、人がたくさんいて賑やかな雰囲気になった。アクアマリンふくしまである。

 77 福島臨海鉄道                  78 大漁旗デザイン展解説板
  

 79 大漁旗デザイン展


  80 進化と退化の関係                81 巡視船 あぶくま
   

 写真80は震災の瓦礫ではなく、芸術作品である。しかし、これだけ瓦礫を見過ぎると、作品には全くインパクトがない。自然の力は、所詮人が作り出すものをはるかに超えていることを実感する。

  82 アクアマリンふくしま              83 ら・ら・ミュウからアクアマリンを望む
   

 84 小名浜さんかく倉庫 SHOP & RESTRAURANT


 この一帯は一大観光地になっており、華やかな施設が並んでいる。ら・ら・ミュウというのは、要するに大きな土産物屋だ。

 85 いわきら・ら・ミュウ


  86 いわきら・ら・ミュウ西口             87 いわきら・ら・ミュウ東口
   

 88 小名浜港アクアマリンパーク案内板




 休憩した後、ら・ら・ミュウを出発するとすぐに魚市場だが、まだ被害が残っているようだ。

  89 放置自動車                   90 小名浜魚市場
   

  91 魚市場仮設事務所                92 小名浜港隧道
   

 魚市場を過ぎると立派なトンネルに突き当たる。小名浜港トンネルである。その手前を右折して海岸沿いに進む。



 トンネルの手前に三崎公園入口の石標があった。

  93 三崎公園入口                  94 松下海岸
   

 トンネルを抜けると右が松下海岸である。左側には芝生が広がり、いわきマリンタワーがそびえ立っていた。災害を忘れさせてくれるような明るい公園である。そういえば、いつの間にか青空が広がっており、前半の暗い気持ちも晴れていくようだ。

 95 いわきマリンタワー


 96 三崎公園案内図


  97 潮見台
  まず、公園最南端の潮見台に向かおう。

 98 潮見台からいわきマリンタワーを望む

 99 潮見台から東を望む


 100 潮見台から西を望む


 101 潮見台から小名浜港方面を望む


  102 潮見台直下の海                103 遊歩道
   

 潮見台から見える景色は素晴らしかった。
 次に灯台へ向かう。海岸の旅と謳っている以上、灯台だけはどんなことがあっても必ず寄らなければならないのだ。



 しかし、残念ながら灯台への道は閉ざされていた。その先のホテルも休業中である。

  104 番所灯台立入禁止標識             105 みさきプレステージリゾート
   

  106 潮見台の断崖                 107 ブレステージリゾート越しにみる海
   

 108 いわきマリンタワーを見上げる


 海岸沿いの遊歩道を歩き、マリンタワーのところに出た。地震でも大丈夫だったのだろう。逆光の夕空にシルエットとなって黒くそびえるタワーを見上げながら、これがこの地の復興を象徴するオブジェになってくれることを願う。

  109 下神白橋から河口を望む            110 いわき海星高校
   

 公園を後にして、ふたたび海岸沿いの道に出る。高校を過ぎて、海辺の住宅地を秋風を感じながら歩く。

 111 永崎付近の海辺の住宅




 今日の旅も終わりの時が近づいてきた。泉駅からのバス通りが海岸沿いの道路と合流する地点、橋出バス停がきょうの最終目的地である。ここは、さすがにいわき市街地に近いだけあって、1時間に1本のバス便があり安心できる。

  112 永崎付近の海岸線               113 橋出バス停
   

 夕日に照らされた海沿いのバス停で、バスを待つ間は、今日も無事に目的地までたどり着いた安堵の念がこみ上げてきて、いつもながらホッとする時間である。
 泉駅に着くと、タイミングが悪く、次の電車は1時間待ちだった。しかし、上野駅まで乗り換えなしで快適に運んでくれる特急列車はありがたいものである。

  114 泉駅                     115 スーパーひたち54号
   

 17時30分発のスーパーひたちは新型車両であった。まだ新しい空いている車内で、今日も反省会を行う。今日は待ち時間がたっぷりあったため、飲み物とつまみは持ち込みである。いつもビールでは芸がないので、今日は生酒にしてみた。ツマミは前回に比べるとショボい。

  116 新型スーパーひたち車内            117 本日の反省会
   

          現在地
       

 GPSによる本日の歩行経路 (時間:6h47m 距離:31.4km)


 さすがに福島県に入ると、想像以上に地震と津波の被害が深刻になってきた。頭ではなんとなくわかっていても、現実を目の前にすると、全く異なる強烈な印象を残す海岸線であった。しかし、自然の脅威も含めて、ありのままの海岸線を歩き、自分の目で見るというこのサイトの目的はむしろ達せられているのかもしれない。平穏な美しい景色だけでなく、これも日本の海岸線の現実なのである。

 前半は天気も悪く、重い気分だったが、午後は天気も回復し、三崎公園の美しい光景を楽しむことができた一日であった。

 さて、次回は、小名浜からいわき市の東北方面の海岸を進むことになる。いわき市はものすごく広いので、歩き切るのに数日かかりそうである。

 (本日の歩数:41793歩)

NEXT ◆第12+38日目(2012年10月20日) 小名浜 〜 四ツ倉

PREV 第12+36日目(2012年9月9日) 磯原駅 〜 勿来駅

     ご意見・ご感想はこちらまで