海岸線をどこまでも            
◆第12+6日目(2008年6月1日) 蘇我駅 〜 長浦駅


 今日のスタートは千葉市の蘇我駅である。湘南海岸を出発したのは、2006年3月。大師橋を渡って東京都に入ったのが今年の3月16日で、そのころ橋の上の風はまだ冷たかったが、すでに季節はもう初夏。天気がよいと暑くて辛い時期になってしまった。
 蘇我駅は総武線(正確には外房線)と京葉線が合流し、内房線と外房線が分岐する交通の要所である。臨海鉄道の起点でもある。蘇我は元々は川崎製鉄の企業城下町だったらしいが、前回、訪れたハーバーシティ蘇我をはじめとして、再開発が進んでいるらしい。
 駅舎そのものはそれほど大きくもなく、どこにでもあるようなものだが、特徴はなんといっても駅全体が黄色いことである。その理由は、写真1と3を見ていただければわかるはずだ。なんといってもJRはジェフ千葉の親会社であり、駅全体を黄色にするくらいは、わけないことだろう。
 駅からまっすぐ海岸方面に進むと、大きな歩道橋があり、そこから見た景色が写真2である。区画整理された新しい道の向こうには、対照的に、茶色の大きな廃墟のような工場がオブジェのように浮かんでいる。なかなか、インパクトのある光景だ。

 1 蘇我駅                  2 歩道橋から見るJFEの工場
   



 歩道橋から左手に見えるのは、写真3のサッカー場である。ジェフユナイテッドのホームは、昔は、市原だったような気がするが、とにかく現在はここがホームらしい。まだ、周囲は空き地であるが、蘇我駅から徒歩でいけるアクセスは、Jリーグの競技場としては良い方だろう。スタジアムの名前はもう少し何とかならないだろうか。

 3 フクダ電子アリーナ               4 かわさき橋から東方向を望む
   

 道路沿いを市原市を目指して南へ下る。

 5 蘇我陸橋北の排水場               6 蘇我陸橋
   



 国道375号線は、陸橋で臨海鉄道を超える。海岸は相変わらず遠くJFEの存在感が周囲を圧倒している。

 7 蘇我陸橋下の京葉臨海鉄道踏切          8 JFE鋼板
   

 9 塩田橋から東方面を望む            10 臨海鉄道千葉貨物駅
   

 貨物駅といっても、写真10のようにホームがあるわけではない。このあたりは、単調な埋立地が続くが、なぜか廃業した施設が目につき、余計に荒廃した雰囲気が強調されている。

 11 廃業したパチンコ屋             12 廃業した温泉
   

 橋をこえると千葉市に別れを告げて、市原市内に入る。しばらく歩くと突然左手にヘドロのたまった川が現れた。なぜか海岸線と平行に走っている。後で調べてみると川ではなく運河であることがわかった。なぜ運河があるのかは歩いているときはわからなかったが、後でその理由が明らかになる。

 13 五十谷橋から東京湾方面を望む        14 八幡運河 その1
   



 老朽化した橋が架かっていた。運河の水は綺麗とは言えないが、サギがいたり、運河沿いに緑があったりして、単調な埋立地よりずっと潤いがある風景である。

 15 八幡運河に架かる老朽橋           16 八幡運河 その2
   

 17 八幡橋から東京湾方面を望む         18 八幡運河 その3
   

 19 市原橋                   20 八幡運河 その4
   

 21 八幡運河 その5              22 八幡運河の芦原
   

 このあたりは見事な芦原がある。昔は当たり前の光景だったが、今では首都圏では貴重な空間だ。運河の水量は少なく、船は満潮時にボートしか通れないだろう。写真23の地点で運河は終わりになるが、川につながっているようだ。

 23 八幡運河末端部               24 汐見橋から上流を望む
   



 ここは市原市であるが、千葉港の一部らしい。緑や青の船が楽しい。それにしても久々の海である。が、それも一瞬ですぐに埋立地に戻る。

 25 千葉港(市原地区) その1         26 千葉港の船
   

 もう、運河はないが、その代わりに緑地帯が始まり、その中を歩く。道路が近い割には静かで、人は全くいない。

 27 旭硝子                   28 市原緑地 その1
   

 緑地の遊歩道は墓地に突き当たった。なぜか、ピラミッドのような大きな塔がある。

 29 市原緑地 その2              30 墓石の塔?
   

 さらに緑地帯を進むと、橋の袂に出た。養老川である。橋を渡るが、かなり大きな川だ。

 31 市原緑地 その3              32 養老大橋
   

 橋を渡ると、突然、たくさんの人々が楽しそうに歩く光景が広がる。市原緑地公園である。人が多い原因は後でわかった。

 33 養老大橋から上流を望む           34 市原緑地運動公園入口
   

      

 しばらく行くとスタジアムがあった。市原臨海競技場である。臨海といっても海に面しているわけではない。
 ここは、かつては、ジェフのホームであった。過去形になってしまったのは、朝、蘇我で見たスタジアムが出来たからである。このスタジアムは、アクセスや設備が悪く、評判が良くなかったらしいが、プロサッカーが見られるところがあることは、市民の誇りではないだろうか。財政問題もあるのだろうが、千葉市にとられて、少し、もったいない気がする。これも都市間競争だろう。余談だが、最初は、ジェフは習志野市の秋津公園サッカー場をホームにしようとしたらしい。どこかで聞いた名前だと思ったら、4月29日にちゃんと訪れていることがわかった。ここの写真35である。
 で、この公園で現在やっているのは、サッカーではなく、お祭りである。体育館の中では演芸会が行われていたが、祭り自体は、興味を引くものではなかったので、通り過ぎる。

 35 臨海競技場                 36 五井臨海まつり
   

 37 臨海公園                  38 弁天橋から姉ヶ崎方面を望む
   

 再び、運河沿いを歩いていると、不思議なことに気が付いた。こちら側だけが、護岸が古くてカーブしているのである。写真38をみると、左側、つまり内陸側の護岸がカーブしているのがわかると思う。場所によっては、古いコンクリートが浸食されて、小石がむき出しになっている。ここで初めてわかった。これは昔は、海岸線の護岸だったのではないだろうか。

 39 玉前緑地 その1                  40 運河に架かる橋脚跡
   

 41 甲子川                   42 舟溜まり跡?
   

 写真42の地点は、地図では入り江になっているが現在は埋め立てられて、水門だけが残っていた。昔の漁港か舟溜まりの跡ではないだろうか。写真44でも運河の護岸がカーブしていることがわかる。

 43 玉前緑地 その2             44 運河の終点
   

 ここで、昔の海岸線を航空写真で確認しよう。
 45は1948年の米軍の撮影、46は現在の状況である。埋め立てによって海岸線は全く変わってしまった。A−Gが過去の海岸線、FとGの間が現在地である。運河の形と昔の海岸線の形がピッタリ一致していることがわかる。1948年当時の唯一の埋立地は写真45のEとFの間、Hの北にある白い部分である。ここは、旧軍が軍事施設建設のため埋め立てた場所だ。それ以外は広大な干潟のある自然海岸線が続いているのがわかる。これまで歩いてきた運河沿いの道は、昔の海岸線だったのである。
 過去の海岸線を残して、埋立地との間になぜ運河を造ったのだろうか。河川の氾濫を防ぐためか、海運による輸送路を確保しようとしたのか、理由はわからないが、運河が昔の海岸線の面影を残していることだけは事実である。
 それにしても、埋め立てによる土地の改変は空から見るとすさまじいもので、漁民から仕事場を、市民から海を、自然から干潟を、完全に取り上げてしまったことがわかる。引き替えに、日本経済は高度成長を遂げたわけであるが、土地の少ない日本の、やむを得ない選択だったのかもしれない。

   45 
   46 

 47は公園内にある池であるが、どちらかというと、昔の水路か川がとり残されたという感じである。

 47 玉前緑地の池                48 玉前緑地 その3             
   

 ここからまた、旧海岸線の水路が始まるが、流れ込む前川の一部ということになっているらしい。

 49 青松公園緑地付近の前川           50 青松公園緑地 その1
   



 青松という地名が残る昔の海岸線は、今も公園として緑の回廊を形成している。昔の美しい海岸が偲ばれる。

 51 青松公園緑地 その2            52 青松公園緑地 その3
   

 ここで、橋を渡るため、水辺を離れて埋立地の国道に戻る。相変わらず、大企業が構えている。

 53 千種海岸付近国道16号線          54 東レ工場
   

 55 前川橋から内陸方面を望む          56 前川橋付近の緑地
   

 写真55は、昔ならば海から見た陸の風景であったはずだ。昔の海岸線を対岸に見ながら南に向かう。

 57 前川橋付近の椎津川             58 金比羅橋から北方向を望む
   

 このあたりは埋立地ではあるが、椎津川と川沿いの緑のおかげで潤いがある。

 59 朝汐橋付近の椎津川 その1         60 朝汐橋付近の椎津川 その2
   

 61 朝汐橋から北方面を望む           62 朝汐橋から今津川合流地点を望む
   

 63 朝汐橋から北方向を望む           64 新田橋
   



 65 新田橋から北方向を望む           66 新田橋から南方向を望む
   

 川ぞいの並木は一部で切り倒されていたが、写真67のように、新たな生命の息吹がみられるのは心強い。相変わらず、内陸側の護岸は、昔は海岸であったことを証明するように、コンクリートで耐波仕様のカーブを描いている。

 67 切り倒された刈り株からの新芽        68 中河岸橋から北方向を望む
   

 姉崎公園には、サッカーグラウンドがあり、ジェフ千葉が練習に使用しているそうだ。オシム監督もここで声を張り上げたのだろうか。偶然だが、これでジェフ関係の施設は秋津公園、フクダ電子アリーナ、市原臨海競技場、姉崎公園と、全てチェックしたことになる。

 69 中河岸橋から南方向を望む          70 姉崎公園付近
   

 71 公園橋から北方向を望む           72 公園橋から南方向を望む
   

 写真73でついにこのラインが海岸線であった決定的な証拠を見つける。昔は風光明媚な海岸であったことをアピールする碑群である。たが、普通の碑に比べて、字体が稚拙なのが不思議である。
 解説版をみると次のように書いてあった。

 
「昔、ここは八反甫といい、白砂青松の海岸が連なり、西は富士、東ははるかに姉崎神社の鬱蒼とした森が見える風光明媚なところでした。姉崎、斉藤孝(1887-1967)は、ふる里を愛し文化の高揚を願う心から、ここに数々の碑を建て八反甫を姉崎の名勝地として、世に広めました。」

 碑は斉藤さん本人の自筆なのだろう。

 73 八反甫の碑                 74 ふじね橋から北方向を望む
   

 ここからは、川の埋立地側に緑道がついているので、ここを通る。

 75 ふじね橋から南方向を望む          76 姉崎海岸付近の河畔の緑道 
   

 芦原が現れて、懐かしい風景になってきた。

 77 河畔の草原と芦原              78 椎津川と芦原
   



 79 住友化学前の水門              80 椎津橋
   

 81 椎津第一公園付近の芦原風景


 椎津橋を過ぎると景色はますます長閑になってきた。対岸を内房線が走っている。

 82 椎津橋から北東方向をのぞむ         83 椎津橋から南西方向をのぞむ
   

 写真84とは対照的に、国道側は写真85、86のとおり大工場が建ち並ぶが、なぜか、千葉市内のような暗い雰囲気はない。

 84 椎津第一公園側から対岸を望む        85 日本板硝子・住友化学工場
   

 86 JFE鋼管工場               87 16号線から対岸を望む
   

 境橋を渡ると、もう袖ヶ浦市である。車のナンバーで名前は知っていたが、訪れたのは初めてである。市の名前はのんびりしているが、海岸はまだまだ京葉工業地帯が続いている。しかし、内陸側は丘陵地帯になり、民家も田舎の雰囲気を漂わせるようになってきた。

 88 境橋                    89 袖ヶ浦市北袖付近の国道16号線
    

    

 旧海岸線の水路は、まだ延々と続いている。今日の行程は結構長く、すでに足が鉛のように重い。

 90 浜宿橋から内陸方面総武線を望む       91 久保田橋から内陸方面を望む
   

 92 久保田橋横の水路末端(旧海岸線?)     93 長浦駅
   

 ついに、長浦駅が見えてきた。駅前は整備されて小綺麗になっている。駅の南側は、新興住宅地になっているようだ。電車に乗ろうとして駅に行くと、一気に神奈川県まで運んでくれる横須賀線直通列車が出たばかりで、次の快速まで1時間近く待たされることがわかった。普通列車は千葉止まりで、さすがにここまでくると、交通が不便になってくる。仕方なく、駅前のダイエーに入りマクドナルドで時間をつぶした後、食品売り場でビールとつまみを買い、グリーン車でくつろいで帰ることにした。

 94 長浦駅前                  95 総武線横須賀線直通列車グリーン車
   

 千葉市から袖ヶ浦市まで、海岸は工業地帯になっており、一般人は全く入れないので、今日は、結果的には埋め立て前の旧海岸線を歩くことになった。旧海岸線は、そのほとんどが水路か緑地帯になっており、歩いてもそれなりに楽しいルートであった。特に、昔のひなびた海岸線を想像することが出来るのは、予想外の収穫であった。しかし、地元では、これを歴史的財産として生かそうという発想はないようで、よそ者の目でみると少しもったいない気がする。ハードを整備しなくても、解説板をたててルート設定をし、パンフレットでも造ったらどうだろうか。市域を超えるので、県が企画しても良いだろう。

 知らない間に房総半島に足を踏み入れて、すでに内房の1/3の地点には到達しただろうか。まだ海岸の埋立地は続いているが、次回は房総半島の半ばまで進出したいものだ。本当の東京湾、内房の海を見ることが出来るだろうか。
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