和泉川探訪

 相模・武蔵国境の分水嶺に端を発し、瀬谷区・泉区・戸塚区を流れて、境川遊水地公園で境川に合流する、河川整備が進んだ美しい二級河川
第2日目 2019年11月18日   相鉄いずみ野線橋梁(横浜市泉区)〜 源流 (横浜市瀬谷区)


 前回は、境川の合流地点から、相鉄いずみ野線までの和泉川下流部分を歩いた。横浜市の西のはずれに広がる田園風景の中を流れるよく整備された川で、河畔を歩くのも気持ちの良いところだった。親水施設公園も充実していた。
 和泉川2日目の今回は、いよいよ上流域から源流に迫る。



 今日降り立ったのは、相鉄いずみ野線のいずみ野駅だ。時刻は9時48分。北口はバスターミナルが整備されて、商業施設もあり、郊外の駅前といったところだが、南口は、駅入り口だけで特になにもない。

  1 いずみ野駅北口                  2 いずみ野駅南口
   

 前回登ってきた坂道を下り、線路沿いを川へ向かう。台地の下には八幡神社と公園があり、その先が和泉川である。

  3 駅から和泉川へ                  4 八幡神社
   



 この橋は、宮西橋というが、もちろん今通った神社のすぐ西にあるからこの名前がついたに違いない。

  5 宮西橋                      6 宮西橋から下流を望む
   

 この川は、旧河川であるが、河川工事が終わっていないので、現役の川である。流れもある。工事が完成したら水量が減るのだろうか。ただ、現在のところ、治水のためのバイパスとしてこちらの旧河川の流路も残しておきそうな雰囲気である。

  7 宮西橋から上流を望む               8 新宮西橋から下流を望む
   

 新しく掘られた新河川にかかるのは、新宮西橋である。安易なネーミングではあるが、それ以外の名前をつけようがない気もする。新しい流路はすでに完成しており、水も流れている。こちらのほうが旧河川よりも流量は多いかもしれない。当たり前だが、こちらの川は、幅広で直線である。水は、工事の影響か、やや濁っている。

  9 新宮西橋から上流を望む              10 段差のある流れ
   



 この河川用地は元は農地だったわけで、珍しく田んぼがあった。

  11 田んぼ                     12 大坪橋から上流を望む
   

 日本で第2位の人口を誇る大都会の一部とは思えない。のどかだ。

  13 養鶏場                     14 旧河川
   

 工事をしていたが、これは雑草を刈ったりする管理のための作業だった。河川自体は完成している。ここでは、右岸側から旧河川が合流し、左岸側に別れている。

  15 河川管理工事                  16 旧河川合流地点
   



  17 和泉三家橋で合流する旧河川           18 和泉三家橋から上流を望む
   

 ここ、和泉三家橋より上流側の新河川は、写真19のように、まだ工事中で、河畔に立ち入ることはできない。旧河川の上流側は、写真20であるが、ほとんど水は流れていないようだ。

  19 改修工事現場                 20 上和泉人道橋から旧河川上流を望む
   



 行く手を阻まれたので、西側から回り込むことにする。坂を登って、新幹線のガードを過ぎると、高台の住宅地があり、そこから河川工事の様子を見ることができた。最後に新幹線の高架下の工事だけが残っているようだ。新幹線の高架に影響を与えないようにする必要があるので、難工事になるのだろうか。

  21 新幹線高架を潜る                22 高台からみる改修工事
   

  23 北の境橋から下流を望む             24 河畔の小径
   

  25 和泉橋から上流を望む              26 宮沢橋から上流を望む
   



 宮沢橋を過ぎると、右手に池が見えた。のんびりと釣りをしている人がいる、ほっこりとした水辺の風景だ。

  27 宮沢遊水地の池
     

 28 宮沢遊水地横を流れる和泉川


 堤防を挟んで、丘の麓を流れる和泉川と池のある遊水地が広がる。

 29 和泉川と宮沢遊水地を隔てる築堤 その1


 和泉川はコンクリートの護岸が見えなくなり、隣の森との景色の調和が素晴らしいが、直線的なので人工的な流路であることは間違いなさそうだ。

 30 和泉川と宮沢遊水地を隔てる築堤 その2


  31 宮沢遊水地多目的広場
     



 池の上流側は芝生の広場が広がり、そこから眼鏡橋が見えた。ノスタルジックな風景を醸し出している。土木工法上はアーチ橋である必要性はないと思うが、ここは、お金をかけてもこの橋を作ろうとした設計者、横浜市の職員か建築コンサルタントかは知らないが、その人の気持ちがわからないでもない。実際、この遊水地のモニュメントとしてよく機能している。贅沢を言えば、赤レンガ風にしても良かったもしれないが、好みや予算の都合もあるだろう。橋の銘をみると、橋の正式名も「めがね橋」であった。

 32 宮沢遊水地めがね橋


 33 めがね橋から宮沢遊水地下流側を望む


 34 めがね橋から宮沢遊水地上流側を望む


 このめがね橋から夕日を見たら、ふるさとに帰ったような切ない気持ちになるのでは、と思った。

 35 宮沢遊水地越流堤


 もちろん、遊水地なので越流堤があるが、思ったより低いので驚いた。水質は、見た目に限ればかなり澄んでいてきれいである。

  36 越流堤横を流れる和泉川             37 澄んだ流れ
   

 バスの終点、転回場にでた。宮沢バス停である。地図を見ると相鉄線と相鉄いずみ野線、小田急線に囲まれているが、どの線路からも遠いところにあり、まさに陸の孤島の位置にある。典型的なバスの終着点であるが、鉄道の終着駅に通じる雰囲気が好きだ。ちなみに、ここからは三ツ境駅行きのバスが出ている。

  38 宮沢バス停                   39 宮沢バス停から上流を望む
   





 宮沢バス停の上流も、ノスタルジックな川の風景が続いている。

 40 赤関おとなり橋


 41 親水施設


  42 瀬谷貉窪(むじなくぼ)公園
     

 対岸は緑の森になっている。貉窪(むじなくぼ)公園というらしい。行ってみたいが、今日は源流の調査にどれくらい時間がかかるかわからないので、あきらめよう。

 43 瀬谷貉窪公園付近


 なぜ「関ヶ原」? 地名か。

  44  関ヶ原の水辺標識                45 関ヶ原の水辺
   



 46 中橋へ その1


 都会なんだか 農村なんだか、高級住宅地なんだか 田舎なんだか、自然の川なんだか 人工的な川なんだか、全てがどっちつかずのこの中途半端さが横浜らしくて とてもいい。

 47 中橋へ その2


 48 中橋


 49 中橋から下流を望む


 この手の整備河川は、見た目は良いが、維持管理は大変そうだ。特に夏場はほっておいたら雑草だらけになるのではと心配になる。地元の人達の協力があるのだろうか。

 50 中橋から上流を望む


 犬の散歩、中年のジョギング、お年寄りの散歩道としては、最高である。

 51 東山ふれあい橋へ


 52 東山ふれあい橋


 東山ふれあい橋は凝った作りの木造の橋である。



  53 東山ふれあい橋から上流を望む           54 澄んだ水
   

  55 名もない橋
     

 外来種や背の高い雑草は景観的には厄介だろう。

 56 東山橋へ


 川沿いに住んでいる人は、水害の可能性と引き換えに、自分の家の庭代わりに川の景観を楽しめるのは最高だろう。

 57 木の橋




  58 東山橋
     

 59 東山橋から下流を望む


 ここでは川幅に余裕があるのか、川筋をわざと蛇行させている。

 60 東山橋から上流を望む


 実際に散歩している人も多い。この小川に本来の在来種、例えばメダカとかニホンタナゴとかニホンザリガニとかが群れていたら最高だろうが、まあそれは無理としてもアメリカザリガニくらいは生息しているのだろうか。ただ、水流が弱まる場所、つまり淀みが少ないので、生物の生息には少し厳しいかもしれない。

 61 東山橋上流


 62 大神橋へ


  63 大神橋から下流を望む
     



 64 大神橋から上流を望む


 ここは、川が緩やかにカーブし、右岸側が高台になっており、橋も斜めにかかっていてちょっとダイナミックな風景になっている。

 65 大神上橋


  66 大神上橋から下流を望む             67 大神上橋から上流を望む
   



  68 くつろぎ橋
     

 69 くつろぎ橋から上流を望む


  70 岩盤の河床
     

 ここでは河床の岩盤がむき出しになっていて、重機で削った痕が残っていた。

 71 やすらぎ橋へ その1


  72 やすらぎ橋へ その2
     



 73 やすらぎ橋へ その3


 公園の名前が堤防に記されていた。地域住民も、川の管理に協力していることがわかる。

  74 二ツ橋水辺公園
     

 75 やすらぎ橋


 まさに水辺公園である。ただ、「くつろぎ」とか「やすらぎ」とか、橋の名前の付け方はちょっと安易だ。このあたりは樹木が大きくなり、森の中を歩いているような感覚がなかなか良い。

 76 やすらぎ橋から上流を望む


  77 東屋                      78 飛び石
   

 79 二ツ橋


 ここは、特に河川敷が大きくなって、広々としている。この先は二ツ橋である。



  80 二ツ橋上の厚木街道
     

 二ツ橋は大きな幹線道路で厚木街道、正式名は神奈川県道40号横浜厚木線だ。

 81 二ツ橋から下流を望む


 この橋からみた和泉川の下流(写真81)と上流側(写真82)の違いは、驚くべきものがある。「ほんまに同じ川なんやろか?」と何故か関西弁で突っ込みたくなるような落差である。同じ川でも、河川敷や川岸の環境によってこれほどの違いがある、というよりも、我々は川を見ているとき、実は水の流れではなく環境を見ているのだ、ということが痛感させられる場所であった。
 これを見ると、川が排水路になってしまった都市部では、お金をかけて河川整備をやる意味があるような気もする。

  82 二ツ橋から上流を望む              83 瀬谷1丁目27番付近
   

 さて、すっかりみすぼらしい川に変わった和泉川は、厚木街道を過ぎるとすぐに中原街道とクロスする。二ツ上橋である。
 中原街道はの正式名は神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線であるが、実は古い道だ。家康が江戸から平塚の中原御殿までの鷹狩によく利用したという脇往還で、実は東海道よりも距離が短かったりする。二ツ橋という名前も、家康が「しみじみと清き流れの清水川 かけわたしたる二ツ橋かな」と和歌に詠んでいるらしい。この清き流れとは、まさにこの和泉川であったに違いない。

  84 二ツ上橋(交差点)                85 二ツ橋地名由来の碑 
   



  86 中原街道道標                  87 二ツ上橋から上流を望む
   

 橋と街道は立派だが、肝心の和泉川は家康の時代とは変わって、ありふれた都市排水路になっており、すでに存在を気に留める人もいないような川になっている。

  88 二ツ橋町市街地                 89 相鉄線北側
   

 相鉄線を過ぎると静かな住宅地になり、再び和泉川を目にすることができるが、流れは更に細くなり、川の上部の空間を利用して、木道が作られていた。

  90 東野付近の木製遊歩道              91 歩道の下を流れる和泉川
   

 この木道をしばらく北上すると、和泉川源流の名前を冠した広場があった。

  92 木製歩道を北へ                 93 和泉川源流ひろばモニュメント
   

 緑が多く、源流らしい雰囲気のある公園である。川の反対側は学校なので子どもたちの良い遊び場になっているに違いない。しかし、子どもたちもこの水がはるばる江ノ島まで流れて、まさか海水浴場の海水になっていることまでは想像が及ばないだろう。

 94 和泉川源流ひろば




 そろそろ源流を意識する地域に入ってきた。上の地形図を見ていただきたい。わかりにくいが、よく見ると和泉川の源流は3本あることがわかる。区別するために、ここでは仮に西側から源流A,B,Cと名付けることにしよう。
 そして、写真95は、ただの水路にしか見えないが、源流AとB,Cが合流する場所である。源流Aはそのまま北の白い家の方向に直進しており、源流B,Cは写真の右側つまり東側から流れてきてここで合流している。まず、一番西側の源流Aを遡ってみよう。
 写真95の上流は、写真96のように住宅地の間にまっすぐ水路が続いていた。

  95 源流AとBCの合流地点              96 源流Aを遡る
   

  97 田園地帯を流れる源流A              98 瀬谷市民の森へ
   

  99 ゴルフ練習場の脇を流れる源流A        
     

 ゴルフ練習場の脇にでた。もう河畔の道はなくなって、少し川から離れる。



 そして、ついに元米軍用地に突き当たる。上瀬谷通信施設は返還が決まっているが、残念ながらフェンスに阻まれて、まだ立ち入ることはできない。

 100 フェンス越しに源流Aを望む


 農地のような、公園のような不思議な環境の基地用地の中に続いている源流Aの最後の写真が101である。残念ながら最初の1滴を見届けることはできなかった。続いてフェンス沿いの道を東へ向かい、この未知を横切っているはずの源流Bを確認する。

  101 立入禁止警告板                 102 フェンス越しに源流Bを望む
   

 103 源流Bが流れる原野


 源流Bも元基地の敷地の中に続いているが、農地として利用されているわけではなく、かと言って放置され雑草が生い茂っているているわけでもなく、縄文時代と変わらないのではないかと錯覚するような、原始的な雰囲気を残している。急斜面ではなく、緩やかな傾斜地が源流のようだ。地図によると、正面の大きな木のあたりから源流Bが流れ出しているらしい。

  104 分水嶺に向かう
     

 ここでスマホのGPSで現在地を確認していると、通りがかりのおじさんにどこへ行くのかと聞かれた。正直に和泉川の源流を探していると答えたら、予期していなかったようで、虚を付かれたようにポカンとしていたが、そりゃそうである。というよりも源流はおろか、和泉川の存在すら知らないだろう。源流探索は改めてマニアックな分野であることを思い知らされた。
 地球上には、2種類の人間が存在する。源流にロマンを感じることができる人間とそうでない人間である。と、目の前にある源流に届きそうで届かない無念を、こんな妄想でごまかすしかない。
 もちろん、道を教えてくれようとした親切な地元のおじさんには罪はない。

 というわけで、源流A,Bを下流側から探索することは諦めて、上流側から攻めることにする。

 105 東京湾・相模湾分水嶺(旧相模国・武蔵国国境)


 写真105が源流の上部である。この景色をどこかで見たという方もいるかもしれない。そう、ここは一見するとただのただッ広い農地に見えるが、実は、東京湾と相模湾の分水嶺であり、旧相模の国と武蔵国の国境であり、現在の瀬谷区と旭区の区境であり、米軍接収地内であり、戦国時代に2度の大きな戦いがあったという、いわくつきの場所なのである。そして、相模国と武蔵国の国境を歩いて踏破するという企画のサイトでもすでに紹介していることは、ご覧になった方なら思い出していただけるに違いない。

 この旧国境線は立ち入りが可能で、こう見えても分水嶺なので、当然源流の上部に回り込むことができることは予想していた。



 が、しかし、写真106のとおり、一般人の立ち入りは禁止されており、耕作者だけが入れるようだ。実際に軽トラが入っているのが見える。あの軽トラの停まっている木の向こうあたりが、源流Bの起始部であるが、不法侵入はできないので諦めるしかなさそうだ。
 しかし、今改めて写真を見直すと、軽トラで作業している人に声をかけて、源流を見せてもらったら良かったと後悔している。

  106 源流Bの上流域の立入禁止道路          107 源流Cへ向かう
   

 というわけで、源流A,Bの最初の一滴は諦めて、源流Cに向かう。地図によるとそこは市民の森になっているので、立ち入りが可能かもしれないという最後の期待がかかる。

  108 分水嶺上の分岐                109 源流Cの起始部を探す
   

 周囲の様子とGPSから、源流Cへの入り口を慎重に探す。そして、目をつけたのが、写真108の分岐である。一見、獣道のようで踏み跡はやや不明瞭ではあるが、源流ハンターとしての鋭い嗅覚はごまかせない?
 その踏み跡を進んでいくと、写真110の怪しい窪地に出た。枝打ちされた杉の葉が散乱しているが、窪地が筋状に続いており、雨が降ったら流れができそうな地形である。源流ハカセの長年の経験から、このような地形が訴えかけるような雰囲気は、間違いなさそうである。

  110 怪しい窪地                  111 源流Cを発見
   

 そのカンは見事に的中した。窪地の下に小さな段差、そしてそこに光る一筋の流れ....、12時50分、

 ついに発見 である。

  112 源流C起始部
     

 和泉川3つ目の源流Cの最初の一滴を目にする時が来た。それは、....見えない。土がえぐれてその奥から水が湧き出しているようだ。フラッシュとズーム付きの小さなサブカメラを取り出して、その横穴の中に突っ込んで撮影する。

 113 最初の1滴


 そこには、暗くて肉眼でもよく見えない、和泉川の最初の一滴が、フラッシュのライトに照らされて鮮明に写っていた。世界で初めて撮影された和泉川源流の最初の1滴だ。
 1滴と言っても、写真を見ればわかるようにかなりの水量ですぐに太い流れが始まっている。

 ここは、分水嶺から標高差で数メートルしか下っていない場所だと思うが、すぐに川の流れが始まっているのは、感動的ですらある。

 114 源流C起始部の全景


 源流Cの全景としては、写真114のとおり、森の中の目立たない窪地で、源流の位置はリュックサックの左側の暗い部分である。森は杉の植林に一部落葉樹が混交している樹林なので、人の手が加わっていないというわけではないが、かなり本来の姿に近いと考えられる。源流A,Bは、今は広々とした開けた場所であるが、おそらく開墾された土地で元々はここと同じような森林だったのだろう。



  115 源流Cを下る その1              116 源流Cを下る その2
   

 ここからは源流Cを下っていく。ホタルが生息しているらしいが、この環境がいつまでも守られることを願うばかりである。

  117 森から果樹園へ                118 果樹園横を流れる源流C その1
   

 やがて森の小道は川とそれてしまい、川は果樹園の中を下っていく。

  119 果樹園横を流れる源流C その2        120 源流BとCの合流直後
   

 源流BとCの合流地点は、耕地内にあるため、残念ながら確認できなかった。



 以上が源流付近の探索結果であるが、立ち入りできなかった場所もあり、写真だけではわからないことも多いので、googleさんの力を借りて、上空から観察してみよう。
 分水嶺のすぐ下から流れ出すこの3つの源流は、下側、左側からは住宅地が迫り、右上からはゴルフ場が迫っている。日本が戦争に負けなかったら、この源流はコンクリートで固められるか、ゴルフ場になるか、あるいは存在していない可能性もある。米軍の通信施設があった故に開発から免れたことが、奇跡的に源流を残す結果になったことは皮肉であるが事実である。


             

 源流B,C合流後の和泉川は更に下って、住宅地の中を流れるようになり、やがてコンクリートの排水路に変わっていく。

  121 源流BとC合流後の流れ             122 右へ流れて源流Aと合流する
   

 南西にむかった川は、写真122で直角に曲がって、先ほど歩いた写真95の場所で合流するのである。これで、和泉川の3本の源流の探索は終了である。

   123 源流B・CとAの合流地点直前          124 瀬谷駅
   

 瀬谷駅と三ツ境駅のどちらに出るか迷ったが、13時32分無事に瀬谷駅にたどり着いた。

 2日間に渡る和泉川探訪であったが、非常に楽しく歩くことができた。その理由は、二ツ橋より下流は、親水施設や河畔道もよく整備され歩きやすいこと、そして、疑似の自然を取り入れた親水公園的要素が豊富にあること、周囲の環境も横浜市の田園風景を残していること、などである。
 このような河川整備は多額の予算が必要なのでどこでもできるわけではないが、土木業界ではそれなりに評価され、土木学会の賞をとったらしい。環境保全や生態系の専門家からの評価は高くないかもしれないが、和泉川が高度成長期に排水路と化して死にかけた都市河川だったとすれば、評価されるべきかもしれない。水質も見た目ではそれほど悪くなく、異臭もないので歩いていても快適であった。

 源流の探索という観点からは、3つの源流がまだ本来の姿をかなり残していることが嬉しかった。地形的には平坦であるため、都市化の圧力が強く、いつ源流が失われてもおかしくない状況であるが、米軍用地と市民の森となったおかげで、奇跡的に残っていることは、幸運としか言いようがない。しかし、A,Bの2本の源流の今後は、悲観的である。それは、この土地がアメリカ軍から返還されてしまったからである。すでに横浜市によって開発計画が策定されているようであるが、現時点では公園などに活用される予定らしい。
 横浜市の土木当局が和泉川源流とその周囲の環境に価値を認める可能性は低いと思うが、個人的には、ありふれた公園としてではなく、開発から逃れた貴重な水源環境として、源流地帯だけでも手を加えずにそのまま残していただきたいと切に願う。もしそれが実現し、コンクリートで固められていない和泉川の最初の1滴を誰でも見ることができたなら、どれほど素晴らしいだろうか。
 林市長さんも、カジノ誘致だけでなく、貴重な源流の保存にもぜひ尽力いただきたいものだ。

 とにかく、和泉川は歩いて楽しい、美しい河畔道が続いているので、機会があればぜひ歩いてみることをお薦めする川である。興味のある方は、源流Cの最初の1滴を見ていただくのも良いかもしれない。ただし、その場合は、ハイキング装備と道迷い対策をおすすめしたい。

 本日の歩数 22,048歩

 ◆第1日目 2019年3月24日 境川遊水地公園 (横浜市泉区)〜相鉄いずみ野線橋梁(横浜市泉区)

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