乞田川(こったがわ) 探訪

 唐木田付近を源流とし、多摩ニュータウンの中心部を流れて、大栗川に合流し、多摩川へ
2011年9月10日  大栗川合流地点 〜 源流(多摩市鶴牧)

 多摩ニュータウンの中心部を流れている乞田川という珍しい名前の川は知らなかったが、読者の方から情報をいただいたので、訪れることにした。
 この川は多摩川水系であるが、正確には多摩川支流の大栗川に合流している。そこで、まず、その大栗川合流地点に行ってみることにした。
小田急多摩線永山駅から、聖蹟桜ヶ丘駅行きのバスに乗って現地入りする。

  1 向ノ岡仮橋                     2 大栗川合流地点

   

 合流地点のすぐ上流の橋は工事中で仮設であったが、青い鉄骨のなかなか立派な橋である。



 水量、水質はざっと見たところ豊富で綺麗というほどでもない。よくある都市河川である。多摩ニュータウンという日本有数の大規模開発が行われただけに、当然のことながら無機質なコンクリートによって直線化されている。開発前の古き良き多摩の農村の痕跡が見いだせるだろうか。

  3 向ノ岡仮橋から上流を望む              4  行幸橋から下流を望む
   

 両岸ともに整備されて、歩くのは気持ちがいい。

  5 行幸橋上流左岸                  6 車橋から下流を望む
   



  7 熊野橋付近                  
  8 左岸の緑地
   

 両岸とも比較的緑が多い。

  9 馬引沢橋から上流を望む              10 永山橋遠景
   

  11 空き缶を自主的に回収する人           12 11の人の商売道具
   



  13 永山橋から上流を望む            
  14 人を恐れない鴨
   

 多摩ニュータウンの鴨は人を恐れない。いつも餌をもらい、いじめる人もいないのだろう。

  15 河畔の道                   
 16 永山小橋から下流を望む
   

 もう少し水量があれば良いのに、と思うが、下水道が普及し、谷戸や湧水地が徹底的に破壊されてしまったこの地域にそれを求めるのも酷な気がする。

 
 17 永山小橋から上流を望む             18 乞田川人道橋
   

  19 乞田川人道橋から下流を望む         
  20 乞田川人道橋から上流を望む
   

 乞田川人道橋から上流は綺麗なレンガ風舗装の河畔道があるがすぐに終わってしまう。

  21 堰堤                      22 ひらとこはしから上流を望む
   

 このあたりの川の水は比較的綺麗にみえる。

 
 23 きれいな水                   24 平戸橋から上流を望む
   



 この川は、橋が多い。このであい橋はなかなか立派で、お金がかかっていそうだ。バブルの頃の架橋だろうか。

  25 であい橋                    26 であい橋上
   

 9月にもかかわらず、暑い。30℃を越えている。

  27 であい橋から上流を望む             28 現在の気温
   

  29 除草作業 その1                30 除草作業 その2
   

 土曜日だが、除草作業をしている。あの円盤のこぎりできられるのは嫌なので、作業からできるだけ離れて通りすぎる。

 31 上之根小橋から上流を望む             32 河畔の黄色い花
   

  33 桜並木                     34 下落合橋
   

 桜並木はなかなかいい雰囲気。



 両岸のマンションが高級になってきた。駅が近い証拠である。

  35 下落合橋から落合橋へ              36 落合橋から下流を望む
   

 落合橋に着いた。多摩センター駅の東側にあたる。単調な人工河川にも飽きたので、ここで、多摩センター駅周辺に寄り道してみよう。

  37 多摩センター その1              38 ベネッセビル前
   

 多摩センターといえば、サンリオピューロランドである。TDLが小学生から大人まで幅広い世代に圧倒的な支持を得ているのに対して、ここ、サンリオピューロランドは2,3歳から幼稚園の年代の子供にとっては、むしろTDLよりも楽しいはずである。少なくとも我が家ではそうだった。彼女たちの興奮状態は今でも忘れられない。屋内なので天候に左右されることがないのもポイントである。キャラクターたちも幼児にとってはミッキーより親しみやすく魅力的だと思う。

  39 多摩センターからサンリオピューロランドへ    40 サンリオピューロランド
   

 多摩センターのもう一つのランドマークが、ベネッセの高層ビルである。

  41 ベネッセビル                  42 多摩センター その2
   

 駅前商店街も、テーマパークのようでなかなか楽しい。

  43 多摩センター その3




 多摩センター駅の正面に出た。北の突き当りは多摩センター駅だ。南側正面には、多摩センターの3番目のランドマークであるパルテノン多摩、南側右手は4番目の三越デパートだ。

  44 多摩センター駅を望む               45 パルテノン多摩を望む
   

 パルテノン多摩は、丘の上に建つ宮殿のイメージがあり、昔から気になっていたのだが、実はどうなっているのか、何があるのかよく知らない。この機会にしっかり見ておこう。

  
46 パルテノン多摩                 47 パルテノン多摩入口
   

 というわけで、右側の入口から中に入ってみる。建物は斜面を利用して、階段を挟んで左右にわかれているようにみえる。中は、要するに市民ホールや会議室などの多目的公共施設になっているようだ。歴史ミュージアムという施設があったのでさっそく入ってみる。入場無料だ。

  48 歴史ミュージアム
  係の人に写真撮影の許可をもらったので紹介しよう。

 49 昭和37年(1962)の多摩ニュータウン予定地模型


 50 平成11年(1999)の多摩ニュータウン模型


 開発前後のジオラマがあった。開発前は、大栗川と乞田川を背骨として肋骨のように伸びるたくさんの谷戸が発達していたことがわかる。その谷戸を埋立てて、丘を削ってできたのが、多摩ニュータウンである。比べてみると、凄まじい地形の改変がよくわかる。当然、乞田川も原型を留めないほど変わってしまったようだ。

  51 開発前の多摩丘陵 その1            52 開発前の多摩丘陵 その2
   

 昔の風景の展示も多いので、いくつか載せておこう。多摩ニュータウンには、1971年から入居が始まっている。

  53 入居初日の風景               
  54 入居後最初の夏
   

  55 交通の整備                 
  56 尾根幹線道路反対運動資料
   

 3年間、鉄道が開通しなかったというのも信じられない。
 写真56は尾根幹線の反対運動の印刷物である。これを見て違和感を感じた。谷戸を埋め、緑の丘を削って造られた土地に住み始めたのに、そのことを棚にあげて、今度は自然破壊がけしからんというのは、ずいぶん身勝手な考えではないだろうか。人が増えれば車も増え、道路が必要になるのは当たり前のことである。自然破壊の代償として、開発や発展の恩恵を一番受けている張本人が正反対のことを主張するのは理にかなっていないと思う。

  57 パルテノン多摩最上部              58 多摩中央公園
   

 写真57が神殿である。神殿の背後には、神々が憩う緑の多摩中央公園が広がっている。神々はこの高みから写真59のように人間たちの住む下界を眺めるのである。

  59 パルテノン多摩からセンター駅を望む       60 京王プラザホテル多摩
   

 しばし、ギリシャ神話の主人公になった妄想から我に返り、神殿の階段を降りて下界へ戻る。



 センター駅前から落合橋に戻る。

  61 小田急多摩センター駅              62 落合橋から上流を望む
   

 落合橋から乞田川遡上を再開する。

  63 親水歩道 その1                64 ヘルメット
   

 なぜか川にヘルメットが....

  65 親水歩道 その2                66 山王橋から下流を望む
   

 多摩センター駅の近くだからか、乞田川にも都会的な雰囲気が漂う。

 67 京王多摩センター駅                68 山王橋から上流を望む
   



 桜並木を過ぎて、稲荷橋から再び川が郊外の雰囲気に戻った。

  69 桜並木                   
  70 稲荷橋から上流を望む
   

  71 終点の暗渠?                  72 南に向かう乞田川
   

 突き当りが土管の暗渠になっていたが、写真72のとおり、乞田川はここから向きを変えて続いていた。コンクリート3面張りの、あまり好んで歩きたいとは思わない川になってしまった。水流も細い。

  73 京王相模原線                  74 小田急多摩線
   



 小田急と京王線を過ぎると右岸側に緑の丘が見えてきた。しかし、緑の清流を期待したのは見事に裏切られる。なんと乞田川は写真76で唐突に暗渠になり、その姿を消してしまった。

  75 多摩市鶴牧2丁目付近            
  76 暗渠へ
   

 さらに上流は写真78のとおり、川の流れは見当たらない。

  77 76の地点から下流を望む            78 76の地点から上流を望む
   

 右岸側に公園があったので、入ってみる。鶴牧西公園である。隣接して古くからあるらしい民家が残っていた。枝垂れ桜が有名らしい。

  79 川井家枝垂れ桜解説               80 鶴牧西公園入口
   

  81 公園内の農家風の建物              82 枝垂れ桜
   

 公園案内図を見ると、水流のようなものがあるようだ。

 83 公園案内図


  84 公園内源流 その1               85 公園内源流 その2
   

 その水流を辿ってみる。公園になっているが、明らかに昔は田圃だったのだろう。その横を水流が続く。谷戸の湧水を利用した典型的な小規模水田跡である。

  86 公園内源流 その3               87 公園内源流 その4
   

 やがて傾斜がきつくなり、半人工的な沢のような感じになってきた。その最上部が、写真88である。細いが明らかに湧水が流れ出ている。この水流はおそらく乞田川の暗渠につながっていると思われるので、ここが乞田川の源流のひとつといって良いかもしれない。公園整備に伴って、明らかに手を加えられているが、地形は昔の谷戸をそのまま利用していることは間違い無いだろう。
 乞田川の谷戸の源流のひとつが開発から免れて、何とか保存されていたことに感激を覚え、思わずその上の緑の丘に感謝した。

  88 公園内源流上端                 89 源流から上を見上げる
   



 谷戸の上の丘は、公園として整備されてしまい、昔の多摩丘陵の面影はない。しかし、公園になったことであの湧水が枯れずにすんだのだろう。

  90 水の広場
   丘の上は整地され、芝生の広場になっていた。

 91 みどりの広場


 かなりの面積がある。ここに沁み込んだ雨水が湧水となっているのだろう。

 92 みどりの家


 さて、先ほど確認した湧水が源流であるというためには、乞田川とつながっていることを確かめなければならない。丘を降りて、公園の入口方向に戻る。

  93 源流から乞田川暗渠へ その1          94 源流から乞田川暗渠へ その2
   

 水流は、写真93の地点で途切れそうになりながらも、写真94の池に繋がっていた。現在は枯れているが、池から溢れた水は、方向から見て写真95のパイプから乞田川の暗渠に向かって繋がっているようだ。つまり、あの湧水は、乞田川源流のひとつと言ってよいだろう。

  95 源流から乞田川暗渠へ その3          96 鶴牧西公園西側の水路 その1
   

 一方、暗渠になった乞田川の延長線上にも、写真96のような降水時には源流となるような溝があった。公園の西側である。



 その水路は、途中で水流の痕跡を残しながら、結構続いている。

  97 鶴牧西公園西側の水路 その2          98 鶴牧西公園西側の水路 その3
   

 そして、ついに、写真99の地点で溝は終わりになっていた。

  99 鶴牧西公園西側の水路終末地点           100 長坂橋地蔵尊
   

 この溝の終末点、つまり最上流端の道路を挟んで反対側には、お地蔵様が祀られており、その横には興味深い文章が書いてあったので、載せておこう。

 
「この地蔵尊は江戸時代の元禄十三年霜月に建立す。八王子往還の昔より長坂橋の川向うにありて橋や道行く人々の無事を見守り霊験あらたかなりし所以に身代り地蔵と代々伝え来り現在に至る。都市開発に伴い、清水の流れ橋の姿は失うも慈悲の笠地蔵尊昔の所に在り。」

 昔は、ここに長坂橋が架かっており、乞田川源流が流れていたのである。

  101 唐木田駅
  ここから唐木田駅は歩いてもすぐである。

 乞田川源流は、鶴牧西公園にその原型を残してはいるものの、本流の源流は多摩ニュータウンという高度成長の代名詞とも言うべき大規模開発により暗渠化され、跡形もない。そこで、本来の源流はどこだったのだろうか、という疑問がわく。それは、開発前の地形図を見ればわかるはずである。従来、それは大きな図書館に行って調べる必要があった。
 しかし、さすがに21世紀の高度情報社会、大抵の事はウェブ上でできるのだ。ここである。現在、過去の地図がネット上で比較参照できるという画期的なフリーソフトである。作者の埼玉大学人文地理学教室の谷先生に感謝しながら、早速多摩ニュータウン、乞田川源流の開発前の姿を見てみよう。

 下の地図が1960年代の乞田川源流域である。地蔵尊のあった長坂橋は、この地図で「長坂」の表示があるあたりである。ここに橋があったということは、立派な流れがあったということだ。解像度が低いのでわかりにくいが、地形から見て、源流は「唐木田」の表記の西側あたりだろう。



 次の地図は、現在の同じ場所である。目印となるゴルフ場は変わっていない。これを見ると、源流は現在の唐木田一丁目の西側あたりだったと推定される。現在の乞田川源流の暗渠も、おそらく唐木田一丁目や大妻女子大学辺りの雨水を集めているはずである。そういう意味では、源流の形は変わっても、水の流れは変わっていないということであろう。整地はされても、地形の基本的な高低差は変わらないということである。



 乞田川を通じて、多摩ニュータウンの現在、そして過去の姿を垣間見ることが出来た。自然が残る昔ながらの農村が、国家的な大規模開発により、どう変わったのか、いわば高度成長期の日本の国土がどう変貌していったのかをこの目と足で直接に感じることが出来た、貴重な経験だった。サイトのポリシーとして、本流から支流へと探索することにしているので、近く大栗川を訪れたい。

 最後に定番のGPSログを載せておこう。


 高度のログは、川がちゃんと高い方から低い方へ流れていることを、寄り道も含めて表現していた。



 (本日の歩数:19904歩)

 
関連サイト 大栗川
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