自由貿易

   

 少年時代には、牛肉は、日常の食材ではなかった。ハレの日の食べ物である。我が家は、裕福ではないが極貧というわけでもない、ごく普通の家庭であったが、今日は、すき焼きだという日に、母親が「でも今日のお肉は豚肉ね」と申し訳なさそうに言い、自分も少しがっかりしたことを思い出す。
 高校生のときに地元にマックができたが、ビーフ100%というのがCMでも強調されていた。ビーフカレーを意識せずに食べられるようになったのは、大人になってからのような気がする。

 東京オリンピックが開催された1964年以降、牛肉が段階的に自由化され、私のような庶民が自由に牛肉を食べられるようになった時、自由貿易のありがたさを実感した。それ以来、牛肉のおかげで、私は自由貿易論者になった。平清盛や織田信長や坂本竜馬は、貿易が国を富ませ、人々の目を開かせ、生活を豊かにすることを直感的にわかっていたのである。そして、戦後の日本は、自由貿易によって全世界に工業製品を輸出し豊かになった。
 今、その豊かな日本の時代が終わろうとしている。将来、米が自由化され、牛肉の関税が完全に撤廃されたときが、日本が真に豊かな国になるための再スタート時点だと思う。

 好物の100g110円のオーストラリア産の牛肉をたくさん入れたビーフシチューを作りながら、自由貿易の味を噛み締める。

 ちなみに、私の父の場合は、牛肉ではなくバナナだそうだ。世の中にこんなうまいものがあったのか、と思ったそうである。私の子供の場合は、バナナにもビーフシチューにも特別な感慨を示すことはなく、食べ物によるパラダイムシフトはないようだ。

落書き帳の目次へ戻る    ご意見・感想はこちらまで      平成25年1月10日