神奈川県一周 多摩川に別れを告げていよいよ多摩丘陵を横断する       
第14日目(2010年12月31日) 矢野口駅 〜 はるひ野駅


  

 前回から2年が経ってしまった。サボっていたわけではないが.... とにかくその先を目指しての再開である。
 さて、現在位置は上の図のとおりだ。今までは海岸線と多摩川という自然の地形が県の境界になっていて、至極わかりやすかったわけだが、ここからはそうもいかなくなる。都県境はここから内陸部に入るが、なぜか、やたらと入り組んで複雑になっている。しかも、開発により自然の地形も大きく改変され、非常に分かりにくくなっていることが予想されるのだ。境界線上に道があるとも限らないので、地形図を読みながら、現在位置の確認と慎重なルート選択が要求される。とはいえ、このサイトのポリシーどおりに、徒歩でできるだけ忠実に都県境をトレースしていこう。

  1 矢野口駅                     2 多摩川原橋

   

 矢野口駅で降りて、多摩川原橋をめざす。



 橋から少し下流に下ると、県境である。川沿いの道路にも標識があるのですぐわかるが、地形的に特徴があるわけでもなく、なぜこんな中途半端な場所が県境なのかよくわからない。

  3 多摩川原橋から下流を望む              4 東京都側からみた都県境道路標識
    

 河川敷には、写真6のとおり県境に白い杭があるのは、前回のとおりである。写真右下流側が神奈川県川崎市麻生区、左側が東京都稲城市だ。草の狩り方まで違うのが面白い。写真に県境の青いラインを入れてみることにした。

  5 神奈川県側からみた都県境道路標識         
 6 多摩川河川敷の都県境
   

 南に向かうと、馬頭観音様があった。多摩川の渡しがあったと書いてあるので、それが昔の村の境界になったのかもしれない。ちなみに何度か触れているが、昔は、横浜、川崎市は、東京と同じ武蔵国なので、国境ではない。多摩地区は、明治のはじめは神奈川県だったので、ここが都県境になったのはその後である。

     7
 馬頭観世音塔解説板
    

  8 馬頭観世音塔                    9 境界の道路
   

 写真9のとおり、何の変哲もない道路が都県境になっている。左側が神奈川県。



 住居表示が左右違うのはもちろんであるが、車のナンバーや選挙ポスターでも分かれているのが面白い。
 写真10の駐車場は、境界の道沿い、東京都側にあるが、並んでいる車のナンバーは多摩と川崎が混在していた。左から順に、白が多摩、青が川崎、紺が川崎ナンバーである。つまり、青と紺色の車の持ち主は、川崎市民だが東京都に車を駐車していることになる。何だか、車庫証明が面倒くさそうである。
 写真11のポスターは、進行方向に向かって右の家に貼ってあるので、東京都の選挙区だ。

  10 稲城市側の駐車場                 11 稲城市側選挙ポスター
   

 南武線の下をくぐる。川崎市の井戸があるが、境界ギリギリで汲み上げるのはズルいと思う。水の半分は、東京のもののような気がしないでもない。

  12 南武線高架                    13 川崎市水道局井戸
   

 写真14は川崎側の家である。そして、府中街道に出た。

  14 川崎市側選挙ポスター               15 都県境道路標識
   

 府中街道から三沢川までは、県境が住宅地の中で入り組んでおり、必ずしも道があるわけではない。穴澤天神社を目指して、歩いていく。

  16 天神橋                      17 穴澤天神社
   

 神社に着いた。正確には、ここは東京都側である。
 三沢川の京王線側の対岸は緑深い山になっている。神社はその山の麓に鎮座しているのだが、境内には山からの湧水があり、近所の人が汲みに来ていた。都県境の水である。

  18 神社の祠                     19 神社内の湧水
   

  20 湧水説明板
   

 三沢川沿いの道を東に少し行くと、河川管理の境界標識があり、ここが県境であることが判る。川のフェンスが都県境を挟んで全く違うのが可笑しい。場所はここであるが、写真22のとおり、県境の山には道がなく、迂回するしかなさそうである。

  21 三沢川右岸都県境                 22 右岸側の河川境界標識
     

 ちゃんと対岸にも標識がある。柵だけでなく、川の法面の仕様まで異なっている。写真23に写っている京王電車は、今まさに神奈川県から東京都に入ったところである。
 さて、ここから山にのぼるわけだが、ある欲望が頭をもたげ始めた。それは、県境を空から見たいというものである。というわけで、よみうりランド駅に向かう。

  23
 左岸側の河川境界標識               24 京王よみうりランド駅
   



 そう、ここからよみうりランド行きのゴンドラにのって、上から県境を見ようというのである。徒歩が原則なので、ここでの交通機関の使用は後で落とし前をつけなくてはならないが、この時は、欲望のほうが優っていた。

  25 ゴンドラ乗り場                  
26 ゴンドラ
   

 27 ゴンドラから多摩川方面を望む


 期待に違わず素晴らしい県境の景色である。写真28の塔は廃止されたアトラクションためのものらしい。そのあたりを県境は青線のとおり複雑に走っている。

  28 謎の鉄塔                     29 仏舎利塔
   

 球場は、川崎市である。

 30 読売ジャイアンツ球場


  31 聖地公園                    
 32 慶友病院横の都県境
   

  33 
ジェットコースター                34 観覧車
   



  35 山頂ステーション                 36 チケット売り場
   

 かなり混んでいるチケット売り場をはじめ、よみうりランドの大部分は川崎市多摩区にある。
 よみうりランドを出て少し歩くと、峠のようなところに着いた。この
写真37の地点は、川崎市多摩区、麻生区、稲城市の境界になっているようだ。
 ここからゴルフ場と住宅地に挟まれた写真38の道をいく。左の住宅地側が川崎市である。
 三沢川からよみうりランドのある多摩丘陵の山を駆け上った県境は、ずっと尾根筋を辿っているようである。

  37 読売ランド前の都県境               38 よみうりゴルフ倶楽部横
   

 ここから、尾根、すなわち県境はゴルフ場の中に入ってしまうので、県境を離れて、少し南のゴルフ場との境の道路を歩いていく。

 39
 よみうりゴルフ倶楽部クラブハウス

 40 麻生区千代ヶ丘8丁目付近              41 川崎授産学園ログハウス
   

 42 七国峠解説板

 住宅地の中にある峠に着いた。今は麓からここまでびっしりと家が立ち並んでいるが、その眺めの良さは往時を彷彿とさせるようだ。ゴルフ場のおかげで緑が多い雰囲気が保たれている。

  43 七国峠から川崎市側を望む             44 向原の森公園付近
   

 住宅地の中には時々写真45のような案内板があるが、現在地の確認には便利だ。

  45 44地点の住居案内図               46 麻生区向原3丁目付近
   



 写真47の地点で、県境に復帰した。また、ゴルフ場を右に見ながら続く道である。左の川崎市側は向原の住宅地だ。

  47 都県境復帰地点                  48 ゴルフ場に沿った都県境
   

 県境の道は、ゴルフ場と向原北緑地に挟まれて、緑が急に多くなる。昔は、あたりが全てこんな山だったのだろう。

  49 向原北緑地付近                  50 謎の鉄塔
   

 非常に高い謎の鉄塔が並んでいる。なにかと思ったら、ゴルフボールが住宅地を直撃しないようにするネットをつる塔だった。写真51の東京都側の看板は稲城市が設置している。緑が多いので、ゴミが捨てられやすいのだろう。

  51 ゴルフ場フェンス                 52 新百合ヶ丘サウスヒル付近
   

 尾根筋なので相変わらず眺めが良い。とは言っても見えるのはうさぎ小屋ばかりであるが...

  53 ゴルフ場通用口付近                54 都県境の霊園
   



  55 新百合ヶ丘方面を望む               56 向原2丁目付近 その1
   

 尾根のすぐ下に建つ高台のマンションを過ぎると、フェンスと雑木林に挟まれて道が無くなりそうになるが、思い切って突入する。悪いことに、途中で犬の散歩とすれ違い、噛まれないかとひやひやした。
 住宅地に復帰したのも束の間、今度は向原南緑地に入っていく。緑が多くなかなか良い散歩道である。

  57 
向原2丁目付近 その2              58 向原南緑地入口
   

 写真60の看板に注目してほしい。川崎市と稲城市の連名になっている。

  59 
向原南緑地                   60 向原2丁目付近 その3
   



 ここで山が終り、坂道を降りていく。降り切ったところの県境である写真62の道は不自然に曲がっているのがおわかりだろうか。地形図では、この道は青い線になっている。おそらく、これは麻生川の源頭部分のようだ。住宅地の真ん中であったため、谷の一部が埋め立てられてしまったのだろう。道が曲がっているのは、川が蛇行していた名残である。
 県境は三沢川からここまで尾根をたどってきたが、ここからは麻生川の源流の谷筋が境界になったということである。

  61 向原2丁目付近 その4              62 麻生区金程と稲城市平尾の都県境道
   

 麻生川の源流は、写真63の地点で地表に顔を出すとそのままコンクリートの川となって、県境と共に写真64のように流れていく。地下からは結構な水量が流れ出している。開発される前は蛍が舞う清流だったに違いない。開発の圧力、すなわち人間の欲望は、こんな川の源流の自然さえ、徹底的に破壊してしまうほど強いものであることに、いまさらながら気付く。

  63
 麻生川源流 その1                64 麻生川源流 その2
   

 麻生川は金程交差点の地下を流れて南側にでるが、県境はそこから直角に曲がって西に向かう。再び尾根づたいにのびているようだ。

  65 麻生川源流 その3                66 金程交差点付近の都県境道路標識

   

 県境の道はないので、東京都側、稲城市平尾の住宅地の道を登っていく。写真68は住宅地の南の外れだが、東京都側が住宅地なのに対して、神奈川県側は山になっていることがわかる。

  67 稲城市平尾2丁目付近 その1          
 68 稲城市平尾2丁目付近 その2
   



 神奈川県側は麻生区古沢だが、写真69〜71のとおり開発されておらず、昔のままの畑と緑が残る多摩丘陵である。市街化調整区域なのだろうか。

  69 稲城市平尾2丁目付近 その3          
 70 古沢緑地看板
   

 緑地には冬枯れの茅が生えているが、刈り取って屋根に使う人もなく、ただ冬空に揺れているばかりだ。

 71 古沢緑地


  72 稲城市平尾2丁目付近 その4            73 稲城市平尾2丁目付近 その5
   

 丘陵の地形は連続しているはずだが、県境で土地利用がこれほどまでに違うのも、わかりやすい。向かって左側の神奈川県側がほぼ開発前の多摩丘陵であるのに対して、右の東京都側が開発後の典型的な住宅地になっており、両者の落差がそのまま首都圏郊外の里山の都市化と開発の歴史になっている。

  74 都県境から麻生区古沢を望む            75 稲城市平尾2丁目付近 その6
   

 開発される前は、両側が同じような景色だったはずなので、さぞかし寂しい道だったと思われる。

  76 稲城市平尾2丁目付近 その7           77 稲城市平尾2丁目付近 その8
   

 住宅地の外周部に残る昔ながらの道は、残念ながら写真78の地点で行き止まりになってしまった。仕方なく、稲城市側の住宅地に戻る。

  78 行き止まり地点                  79 住宅街に復帰
   

 外周道路を歩いていると、十三塚があった。市が設置した写真80の解説板があったが、残念ながらフェンスが邪魔で写真が撮れない。刻んである文章は次のようなものである。
 
 
十三塚は全国から発見されているが、東京都では、この塚が唯一のものである。平尾遺跡の調査時に、塚の一部を発掘したが、遺物は発見されず、何の目的で、いつ頃築かれたか明らかでないが、一般には中世における民間信仰の遺跡と考えられている。またこの十三塚は江戸時代の古文書の中に記録されている。馬場保雄氏が所有する貞享3年(1686年)の「裁許絵図」という古文書によると、当時この付近は馬の飼料をとる秣場(まぐさば)という共有地であったが、平尾村と片平、古沢村(現川崎市)との間で、村の境界についての争いがおこり、互いに譲ろうとしないために、幕府の裁定が下ったのである。それは、入定塚(にゅうじょうづか)と十三塚の上を境界とするもので、境界を定めるために十三塚が利用されたのである。

  80 十三塚解説板 その1               81 十三塚付近
   

 フェンスと竹やぶに阻まれて、塚は確認できない。

  82 十三塚解説板 その2
  



  83 入定塚解説板 その1               84 入定塚
   

 入定塚も解説板の前にフェンスがあって写真が撮れないが、こちらは写真84のとおり、塚は確認できる。解説板の文章は次のとおり。

 
直径20mの円噴状の塚で、昭和34年に発掘調査が行われている。塚の中心部には、2m四方の遺構があり、四隅に径25cm程の丸石が置かれていた。発見された板碑から「天文5年(1536年)丙申八月十五日長信法印入定上人」という刻名が確認され、室町時代の末期に、長信という僧侶が鎌倉から平尾に来て、生きながら塚の中に入って、経文をとなえながら入定したということが明らかになった。出土した遺物は、9基の板碑と開元通宝などの45枚の古銭、鉄釘などである。

         85 入定塚解説板 その2
   

 長信というお坊さんも、まさか500年後に塚のすぐ前までびっしりと家が立ち並ぶとは、想像もしていなかっただろう。成仏した塚の中でさぞかしびっくりしているに違いない。

  86 稲城市平尾2丁目から3丁目へ           87 平尾外周通り その1
   

 団地の外周通りに入る。その外側は小高い尾根が続いているが、一切道路が通じていない。どうなっているのか興味があるが見えない。やがて、写真88のように尾根の向こうに家の屋根が見えた。向こう側も住宅地になっているらしい。地図を見ると栗平駅が近い。そのために、住宅地として開発されたのであろう。

  88 平尾外周通り その2               89 21号棟前バス停
   

 バス停のところで、写真89の尾根に上がる階段を発見した。さっそく登ってみる。

  90 階段から都県境の尾根を望む            91 都県境尾根から稲城市側を望む
   

 尾根つまり県境を横断する車道が通じていないばかりか、景色もまるで異なる。川崎市側は斜面に一戸建てが並んでいるが、稲城市側は平坦な団地である。平尾団地に住む人はこの階段を登って尾根を越して神奈川県に来れば、栗平駅にでるのは近いだろう。

  92 都県境尾根から川崎市側を望む           93 西に続く都県境尾根
   



 この御座松塚は場所さえわかっていないらしい。これだけ乱開発が進めば、わからなくなっても不思議ではない。それにしても、県境つまり尾根にはなぜ昔から塚が多く作られているのだろうか。

  94 御座松塚解説板
   

 平尾団地を過ぎると、今度は県境を挟んで稲城市側は山、川崎市側は栗木台の住宅地となる。古沢付近とは逆のパターンである。こうしてみると、丘陵地帯の開発は、神奈川県と東京都、つまり行政区域によって全く別々に行われていることが実感できる。谷戸、谷から尾根までを階段状に切り崩して住宅にするのであろう。尾根の反対側はそのままになっているという感じである。

  95 稲城市平尾・麻生区栗平2丁目付近         96 稲城市平尾付近 その1
   

 県境の道はそのまま山道になり、やがて写真98の柵に突き当たる。これは、東京都側の道路からの車両の侵入を防ぐためのものだが、ついそのまま直進してしまい、県境を外してしまった。
 若葉総合高校まで行って気がついたのだが、現在位置が分からなくなって1時間ほど時間をロスしてしまった。

  97 稲城市平尾付近 その2              98 車通行止め柵
   

 県境の道は、写真98の地点を左に曲がるのが正解である。

  99 稲城市平尾付近 その3              100 山中の鉄塔
   

 この鉄塔付近で迷ったのだが、その理由の一つは、国土地理院の地形図が不正確であることだ。縮尺や調査時点から道路や地形が変わっていることもある。私が知る限り、一番な正確な地図は、yahooの地図サービスである。細い道や県境の境界線が非常に正確で、現状によく合致している。デジタル地図なので、拡大して細かい道や階段を確認できるし、航空写真も参照できる。欠点は、川、橋、バス停の名称が弱いことだ。これは、ちず丸が優れている。しかし、残念ながら、ちず丸は道路や地形が直線的で不正確である。グーグルは両方ともダメである。



  101 鉄塔付近                    102 稲城市坂浜付近 その1
   

 写真102の位置はここ、写真103の位置はここで、いずれも県境を外れている。写真98の地点を左折したらそのまま道なりに進めば良いのだが、この時は県境と山道ルートの位置関係が把握出来ておらず、遠回りをしてしまった。
 写真104の地点で杭を発見し、県境ルートに復帰したことを確認する。

  103 稲城市坂浜 その2               104 稲城市坂浜・麻生区黒川付近の境界
   

 黒川方面から続いている開けた農道に出る。この農道と右側に並行している東京都側の農道の間を都県境は走っている。正面に見える高層ビル群は若葉台駅周辺だろうか。畑とビルのコントラストがなんとも言えない。

  105 麻生区黒川付近の農道

 針金と木杭があるそれらしい畑の中で境界の杭を探してみたら、写真106のとおり、ちゃんとあったので感激した。写真107のように向こうの神奈川県側は一段低くなっている。

  106 畑の中の都県境杭                107 稲城市側農道から麻生区側を望む
   

 道は、県境を離れて東京都側にそれて京王線の下をくぐる。京王線のすぐ北側の高台から県境付近を見下ろしたのが写真109だ。あの低地のどこかを県境が貫いているはずなので、階段を降りてさっそく確認してみる。

  108 京王相模原線                  109 三沢川の低地を越える相模原線鉄橋
   

 ここでは歩道の街灯に着目した。写真110の住所は稲城市坂浜だが、112では川崎市麻生区黒川に変わっている。つまり、県境はこの2つの街灯の間にあることになる。それは、写真111である。県境は斜面を降りて、三沢川に向かっていた。

  110 稲城市側街路灯                 111 都県境杭
   

 しかし、そこには写真113の家が....

  112 麻生区側街路灯                 113 都県境に建つ家
   

 この家の裏に回ると、対岸に写真114のとおり三沢川の都県境標識が見えた。ちなみに、写真114の標識は、左側(上流側)が準用河川三沢川/川崎市建設局麻生土木事務所、下流側が一級河川三沢川/東京都南多摩東部建設事務所、と書いてある。
 鶴川街道に出ると115の道路標識もあった。

  114 三沢川の都県境標識                115 鶴川街道都県境標識
   



 116 若葉台入口の都県境                117 雨水流入管マンホール
   

 三沢川から斜めに伸びた県境は、写真116の斜めの道路沿いに、駅前通りに伸びている。ちなみにここのマンホールにはイチョウの葉が書いてあるので東京都のものだろう。場所はこのあたり

 118 若葉台駅前

 若葉台駅前である。ショッピングセンターが並ぶ華やかな雰囲気になってきた。駅前道路の北側は写真120のとおり、駅前広場になっているが、ここは東京都の街灯である。稲城市若葉台だ。

    119 道路北側の街路灯              120 若葉台駅前北口駅前
        

 若葉台の駅のホームは、川崎市側のようだ。写真121のあたりが県境だろう。若葉台駅北口を利用する都民は、神奈川県内の駅から電車に乗り、帰りはまた都内に戻るという、都県境を何度も越える行動を毎日繰り返していることになる。もちろんほとんどの人はそんなことを意識していないだろうが...
 南口に行くと、写真122のとおり、川崎市が立てた放置自転車の標識がある。駅の川崎市側は、稲城市側に比べると地味である。

  121 若葉台駅前                   122 若葉台駅南口
   

 県境は、線路から京王電鉄若葉台車両工場の中に伸びており、近づくことはできない。



  123 はるひ野駅
      

 小田急線はるひ野駅まで歩いて、帰宅した。


 

 今日は、久々の県境の旅で、しかも初めての内陸部である。地図とコンパスが手放せなかった。写真を撮りつつ、現在位置を確認しながら歩くので、とにかく時間がかかる。それでも、山の中で迷ってしまった。しかし、それはそれでなかなか面白い体験であった。
 また、県境には、尾根や川などそれなりの地理的な理由があることが理解できた。昔の村の境界が基礎になっているので、現在でも歴史的遺構や地形的特徴が残っている。さらに、県境を挟んで、多摩丘陵の開発が別々に行われており、尾根から見ると東京と神奈川の環境の違いを対比できるのも非常に興味深いものであった。
 長いブランクがあったが、なんとかこのままの調子で境川までたどり着きたいものである。

 (本日の歩数:31780歩)         

 神奈川県一周 NEXT ◆第15日目 (2011年1月2日) はるひ野駅〜柿生駅

        PREV ◆第13日目(2008年1月5日)丸子橋〜矢野口駅
      ご意見・感想はこちらまで