酒 匂 川 探 訪          

 富士御殿場からの湧水を集め、丹沢山中に谷を刻み、足柄平野を潤し、相模湾に注ぐ
◆第1日目 2009年2月8日 河口(小田原市西酒匂)〜十文字橋(松田町)


 神奈川県を流れる川のうち、重要度、貢献度 No.1はもちろん相模川であるが、No.2はといえば、やはり県西部を流れる酒匂川であろう。全長約46km、富士山東麓の御殿場市付近を源流として、相模湾まで流れる2級河川だ。No.2は多摩川ではないか、という意見もあるもしれないが、県境を流れている上に、神奈川県の水道水源として使われておらず、県内にダムもないので、神奈川県への貢献という意味では、No.2だとは評価できない。
 首都圏が渇水に悩んでいても、神奈川県が涼しい顔をして、さらに東京に水を分けてあげられるほどの余裕があるのは、相模川とこの酒匂川のおかげである。   空からみた酒匂川

 Wikiで「平野」と検索すると日本の平野一覧という項目があり、関東地方では4つの平野があげられている。それは、九十九里平野、関東平野、相模平野、そして酒匂川が形成した足柄平野である。
 富士、箱根、丹沢という日本最大級の規模と知名度を誇る山々が酒匂川により浸食され、関東4大平野の一つに数えられるこの足柄平野を作ったのである。これほどの酒匂川を攻略しようというのであるから、相模川以来の大プロジェクトになることは避けられず、その責任の大きさに思わず武者震いがするほどである。(やや誇張気味)
 そんなわけで、まずは、河口のある小田原海岸に向かう。最寄り駅は、鴨宮駅である。

 1 鴨宮駅                     2 シカに注意の看板
   

 駅南口を降りると、海を目指して南へ向かう。最近、丹沢から降りてきたシカがここ酒匂川の河口付近に出没しているらしい。道路にも写真2のとおり看板が立っていたが、残念ながらシカは確認できなかった。



 3 酒匂橋                    4 酒匂橋と富士山
   

 河口付近は、広々としており、橋も長大である。河口付近の酒匂川は、砂州により海と隔てられ、写真6のように湖のような水面が広がっている。

 5 河口をまたぐ西湘バイパス           6 河口から酒匂橋を望む
   

 その砂州の一角が切れて、写真7のように流れとなって相模湾に注いでいる。酒匂川にいるおびただしい数のアユやウナギも必ずこの狭いゲートを通るのである。
 せっかくなので、動画で海に流れ込む酒匂川のリアルな映像をごらんいただこう。

 7 河口の相模湾流入口              8 河口と箱根連山
   

 9 河口から東を望む               10 酒匂橋から北へ向かう歩道
   

 河口付近の海岸から西は箱根、東は湘南海岸が見渡せる。

 11 緑道                    12 流域下水道酒匂管理センター
   

 酒匂橋にもどり、川を遡上する。左岸側には、気持ちのよい緑道がある。下水処理場があるので、一緒に整備されたのであろう。しばらく歩くと松並木が見えてくる。江戸時代にタイムスリップしたようで風情がある。ここからだと、富士山は下の方を箱根外輪山に遮られ、頭の部分だけがきれいに浮かび上がっている。

 13 小田原大橋と富士山             14 小田原大橋と松
   



 15 小田原大橋と松と富士山           16 小田原大橋から下流を望む
   

 このあたりは、まだまだ河川敷も広々している。東海道線の鉄橋が見えてきた。
 いまはこのように一瞬で川を渡れるが、江戸時代には橋が無く渡し舟である。当時の苦労は想像以上だったはずだ。

 17 小田原大橋から上流を望む          18 東海道線鉄橋
   

 19 東海道線ガード               20 飯泉取水堰 その1
   

 東海道線の鉄橋を過ぎると、飯泉の取水堰が現れる。ここで酒匂川の水が取水され、はるばる伊勢原、相模原、川崎まで運ばれて水道水となるのである。水質も澄んでいると言うほどではないが、比較的きれいだ。野鳥の楽園でもある。

 21 飯泉取水堰上の取水施設           22 飯泉取水管理事務所施設
   



 23 飯泉橋                   24 つり場
   

 飯泉橋の横には釣り場があり、のんびりとした雰囲気。ここから少し入ったところに飯泉観音があるので、寄り道してみることにした。

 25 飯泉観音(勝福時)仁王門          26 仁王門解説板
   

 飯泉観音については、解説板を読んでいたただければわかるが、古くから信仰を集めているらしい。

 27 飯泉観音解説板

 28 本堂                   29 鐘楼
   

 30 大イチョウ                 31 大イチョウ解説板
   

 写真32の水鉢や写真34の鐘は、太平洋戦争の時によく供出されずに残ったものだと感心する。

 32 水鉢                    33 水鉢解説板
   

 34 鐘                     35 鐘の解説板
    

 36 本堂内部                  37 本堂近景
   



 休憩後、観音様を後に川に戻る。

 38 飯泉観音西側の支流             39 酒匂川橋(小田原厚木道路)
   

 箱根外輪山である明神ヶ岳の斜面から顔を出す富士山も少し大きくなったような気がする。酒匂橋から北には、写真41のとおり、すばらしい松並木が続いている。これまでみてきたいくつかの川にも桜並木があることはあったが、これほどの松並木は神奈川県随一ではないだろうか。歴史の重みが違うような気がした。

 40 酒匂川橋付近から富士山を望む        41 酒匂川橋北の松並木
   



 緩やかなカーブを描く美しい橋が見えてきた。近づいてみるとまだ工事中である。

 42(仮称)酒匂川1号橋             43(仮称)酒匂川1号橋近影
   

 44 富士道橋                  45 富士道橋橋から下流を望む
   

 富士道橋についた。ここから右岸に渡ってみることにした。橋からみる川面は非常に美しい。相模川よりもきれいな気がする。

 46 富士道橋から上流を望む           47 富士道橋から富士山を望む
   

 48 川面                    49 富士道橋を渡り右岸へ
   

 右岸は写真50、51のようにさらに歴史を感じさせる景色が広がっている。舗装がなければ、江戸時代と変わらぬ道のような気がする。ちなみにここはサイクリングコースになっているので自転車で走るのも気持ちが良さそうだ。
 このようなのどかな川でも、時に人命を奪うこともある。このあたりでも、静岡県で局地的に雨が降ったため、釣り人が急な増水に気づくのが遅れて事故が起こっている。

 50 富士道橋北の松並木             51 サイクリングコース
   

 52 富士山を望む                53 東栢山付近
   



 54 河畔の公園                   55 二宮尊徳の碑
     

 ちょっとした公園があり、二宮尊徳関係の碑や解説板がある。二宮尊徳(金治郎または金次郎)は、ここ栢山の生まれである。金次郎が植えたかもしれない江戸時代の松が残っているらしい。
 二宮金次郎は日本でもっとも銅像が多く造られた人物であり、超有名人である。彼を悪く言う人はいない。銅像は政府の意図的な政策の結果かもしれないが、身分制度のある時代に農民から幕府に仕えるまでになった、日本のスーパースターといえるだろう。
 金次郎が薪を背負って歩いたのは、この坂口堤のあたりだったのだろうか。そう思うと、ここは、日本人にとっての心のふるさと、聖地なのかもしれない。

 56 二宮尊徳の解説板                57 報徳橋
   

 58 報徳橋袂のケーキ屋さん           59 報徳橋から上流側堤防を望む
   

 東の対岸は、大井町である。大きなビルが見える。大手生命保険会社が本社を建てたが、諸事情によりビルだけが残っている。

 60 旧第一生命本社ビルと丹沢          61 栢山付近
   



 62 霞提解説板 その1             63 霞提解説板 その2
       

 霞堤の解説板があった。武田信玄が考案したという治水技術らしい。その原理はここに詳しい。
 写真64がその現場だが、左側の松並木が外側の堤防、畑を挟んで中央右にあるのが内側の堤防である。素人目には、堤防に隙間があるので、田畑が水浸しになるような気がするが、遊水池としての役割を農地が担うという逆転の発想である。

 64 霞提                    65 富士山と重なる矢倉岳
   

 霞堤を反対側からみたのが、写真66である。

 66 上流側からみた霞提             67 対岸の大井町を望む
   

 写真68のように、現代の二宮金次郎のような人もいた。松が植林されているが、確かに今の松は数百年後には枯れてしまうので、松並木を保つためには、今から苗木を植えておく必要があるかもしれない。

 68 堤防の草刈り                69 松の植林
   

 ここでも新しい橋の工事をしていた。写真71では橋脚が何本か写っているが、向こう側から順に完成していくのがわかる。一番手前の橋脚はまだ骨組みだけだ。

 70 小田原市と開成町の境界付近         71 (仮称)酒匂川2号橋
   



 のどかな田園風景が続いていたが、突然マンションが出現する。1985年に田んぼの真ん中に開成駅ができたため、新たに開発された地区なので、周囲とは異質な雰囲気である。

 72 河畔のマンション             73 開成堰
   

 74 松並木解説板                  75 松並木
 

 76 祖師堂解説板             77 祖師堂
     



 78 足柄大橋                  79 酒匂川ふれあい館 その1
   

 酒匂川ふれあい館という施設があったので入ってみる。外にも水防技術の展示があった。

 80 酒匂川ふれあい館 その2          81 九十間堤防解説板
   

 82 木工沈床解説板               83 木工沈床
   

 84 聖牛解説板                 85 聖牛 
   

 86 釜段工解説板                 87 釜段工
   

  88 治水碑解説板               89 治水碑
         

 それにしても、酒匂川の氾濫はよほど昔の人を苦しめたらしい。米ができなければ飢え死にし、家が流されれば住むところもなくなるのだから当たり前である。二宮金次郎も、子供の頃水害によって貧困生活を送ったらしい。
 現代日本の一般人は、水害がないのが当たり前と思って無関心であり、逆に河川管理を担当する行政や土建業者は、治水のためという大義名分で、川という川をすべてコンクリートで固めて徹底的に自然を破壊してしまう。両極端である。この酒匂川は、治水と環境と歴史のバランスが非常によくとれている感じを受けた。二宮尊徳の教えがこの地に根付いているからだろうか。

 90 河川敷サッカーグラウンド          91 開成水辺フォレストスプリングス
   

 このあたりは、ルアーフィッシング場や公園、グラウンドがあり、住民の憩いの場となっている。
 ここで、酒匂川は秦野盆地から流れてくる川音川と合流する。

 92 水門                    93 小田急線鉄橋 その1
   



 94 小田急線鉄橋 その2            95 十文字橋から下流を望む
   

 十文字橋に到着した。この橋は、数年前の台風により落ちたことで有名である。真ん中からV字型に墜ちたが、奇跡的にけが人はなかったようだ。現在は復旧しており、写真96や98のように、墜ちた部分だけ歩道のコンクリートが新しくなっている。

 96 十文字橋補修部分境界 その1        97 十文字橋から上流を望む
   

 新しくなった1本の橋脚は、写真99のように従来のものより細くなった。

 98 十文字橋補修部分境界 その2        99 十文字橋補修部分の橋脚
   

 100 松田駅                  101 駅前のレトロな建築
   

 本日の終点、松田駅についた。

 102 松田駅のあさぎり号
         

 今日は、酒匂川の河口から下流部分を歩いた。酒匂川の沖積平野である足柄平野を縦断したことになる。
 この区間は、平坦で川沿いの道もほぼ整備されており、歩くのには大変すばらしいコースであった。雄大な河口、富士山、箱根、丹沢の山並、美しい川面と見事な松並木、歴史を感じさせる史跡や治水技術など見所は尽きない。
 そして、なんと言っても偉人、二宮尊徳のふるさとである。そこには、日本人の心の原風景ともいえる景色が広がっている。
 次回は、いよいよ足柄平野を抜けて、富士山麓を目指して、丹沢と箱根の間の谷を遡ることになる。

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