酒 匂 川 探 訪

 富士御殿場からの湧水を集め、丹沢山中に谷を刻み、足柄平野を潤し、相模湾に注ぐ
第2日目 2009年2月15日 十文字橋(神奈川県松田町)〜駿河小山駅(静岡県小山町)


 酒匂川の2日目である。素朴な松田駅に降り立つ。

 足柄平野の最北端、松田から上流では、川は東から西に流れるようになる。今までの沖積平野を流れる川から一変して、今度は箱根と丹沢の境界の谷間を流れるようになり、周囲の地形も変わっていく。

 十文字橋からは、写真2のように松田山の中腹がピンクに染まっているのが見えた。早咲きの桜らしい。お祭りをやっており、人出が多いが、時間がないので、寄るわけにもいかない。

 1 松田駅                     2 松田山ハーブガーデンを望む
   



 3 十文字橋から新十文字橋を望む          4 新十文字橋
   

 十文字橋から上流の右岸側にも、サイクリングロードが続いている。歩いたりジョギングしている人も多い。

 5 開成町側から対岸を望む             6 丹沢の山に向かう川とサイクリングコース
   

 広々とした空と、どこまでも続く川沿いの一本道。山並みをみながら歩くのは気持ちがよい。右手に丹沢に続く低い山並みが見える。写真8の松並木の向こうに見えるのは、箱根外輪山に続く足柄の山々で、左端に金時山が見える。

 7 対岸の高松方面を望む              8 松並木
   

 9 サイクリングコース              10 発電放水路
   

 写真10の地点では、大量の水が、酒匂川に流れ込んでいた。下水処理場にしては水がきれいすぎる。後で調べてみると、発電用水らしい。反対側には立派な水路が続いていた。

 11 放水路上流側                12 対岸の山北高校方面を望む
   



 やがて、桜並木が見えてきた。ちょっとした公園になっており、ベンチもあるので、サイクリングやジョギングの人たちが休憩している。

 13 河畔の小径                 14 桜並木
   

 15 大口広場                  16 見守り地蔵
   

 この公園のあたりも、酒匂川の他の例に漏れず、洪水との戦いがあったようだ。ここの堤防は二宮金次郎とは関係なく、江戸時代に作られたようだ。

    17 文命堤                18 馬頭観音群
          

 19 酒匂川に棲む魚たちの解説板


 江戸時代の堤防の隣には、小さな水力発電所があった。

 20 大口地蔵と馬頭観音の解説         21 福沢第一発電所
   

 22 福沢神社解説板 

 武士にとっては、領地は命以上に大切なものであったはずだが、それを幕府に返してしまうというのは、当時としては大変なことである。富士山の噴火はそれほどまでに深刻な影響をもたらしたのだろう。米はとれない、洪水は起こる、と大変な苦しみを味わったに違いない。餓死者や水死者がたくさん出たのだろう。

 そんな昔の苦労を横目に、今はここに立派な橋が架かっている。

 23 新大口橋                  24 新大口橋から下流を望む
   



 25 新大口橋から上流を望む           26 岩流瀬橋から下流を望む
   

 岩瀬流橋で写真を撮っていると、地元のおばあさんに話しかけられた。昔は、アユなどの魚で川が真っ黒になるほどだったのに、今ではすっかりみなくなってしまったと嘆いていた。たしかに、ダムや堰ができて、開発が進めば魚も減るだろう。おばあさんの話が無限ループになりそうだったので、挨拶をして橋を後にした。

 27 岩瀬流橋から上流を望む           28 内山発電所
   

 29 山北町岸付近


 ここから上流は、川が丘陵地帯を深く刻んでいるため、川沿いを歩くことができない。左岸の山側の岸という集落の道を歩くことになる。のんびりとした昔ながらの集落である。公民館には若い親子が集まっていた。

 30 湯坂付近の里の風景             31 畑の野焼き
   

 湯坂の集落を通り過ぎると川に降りる道があった。このあたりの川には誰も来ないのをいいことに、ミカンが捨てられていた。

 32 湯坂から下流を望む             33 捨てられたみかん
   

 34 湯坂付近の河畔の道             35 日向付近
   



 寂しい川沿いの道を遡ると、高瀬橋に出た。

 36 高瀬橋から下流を望む            37 高瀬橋から上流を望む
   

 ここから、本流をそれて、支流にある酒水の滝によってみることにした。神奈川県の地元では結構有名な滝である。

 38 東電用水路                 39 酒水の滝へ向かう歩道 その1
   

 滝への道は、写真39,40のように美しい歩道が整備されている。梅の花がきれいだ。
 ...と暢気に歩いていると、通行止めの看板が.....
 下調べをしておくべきだったと後悔する。仕方がない。本来の姿はこちらで。

 40 酒水の滝へ向かう歩道 その2        41 酒水の滝 通行止め看板
   

 気を取り直して、上流を目指す。大きな橋が見えてきた。足柄橋である。橋の上流側は写真44のようにせき止められて発電用の水がとられている。そのせいで、写真43のように下流には水が流れていない。冬の水量が少ない時季だということもあるだろうが、事実上川の流れはここでとぎれているわけで、これだけの大きな川が途中で干上がっているというのもあんまりだ、という気がする。

 42 足柄橋                   43 足柄橋から下流を望む
   

 44 足柄橋から上流を望む           45 山北発電所
   



 ここからは、本格的な山岳地帯になる。右(左岸側)が丹沢、左が箱根山地と言うことになる。

 46 安戸付近の国道246号線          47 御殿場線の廃トンネル
   

 道の横には御殿場線が走っているが、線路の手前に使われていないトンネルが写真47のように口を開けている。戦前、箱根の南側を通る丹那トンネルが開通する前は、この御殿場線が東海道本線だった。当然複線である。その後、戦争中の資材不足もあり、1943年に単線化されてしまった。そのときまで下り線に使われていたトンネルが写真47である。蒸気機関車の時代であるからだろうか、使われている石やレンガが黒ずんでいるようにも見える。
 さらに江戸時代まで遡ると、ここは関所が置かれていたらしい。

 48 川村関所跡解説板


 両側が急峻な山岳地帯になった。左岸側の山腹を川に沿って切り開いた旧国道246号線を歩く。

 49 駒の子第一橋を望む                50 駒の子第二橋
   

 現在は、バイパスが橋とトンネルで直線的に貫いているが、以前はこの道しかなく、246号線唯一の難所であった。当時であれば、危険で歩けないだろうが、今では通る車もなく、こうして快適に歩くことができる。

 この谷を、御殿場線と新旧246号と新旧東名高速道路の計5本の交通路が通っていることになる。

 51 車が走っていない旧国道246号線     52 永安橋から下流を望む
   



 このあたりの川沿いは、瀬戸という地名のわずかな集落と倉庫が在るのみである。

 53 永安橋から上流を望む            54 都夫良野付近の山々
   

 55 御殿場線と246を望む           56 下流に向かって瀬戸の集落を望む
   

 この岩を削る激しい浸食が、相模湾の砂浜を造っていると思うと不思議だ。

 57 新鞠子橋方面を望む             58 鳥手山橋から上流を望む
   

 59 鞠子橋から下流を望む            60 鞠子橋から上流を望む
   



 右岸側に移ると、写真61のようにやがて谷峨の集落と東名高速道路の赤い橋が見えてきた。川はかなり急流で、白い飛沫が見える。

 61 谷峨の集落を望む              62 谷峨付近を走る御殿場線
   

 谷峨駅は、無人駅である。勝手にトイレを使わせてもらったが、そういうときは駅員がいない方が都合がいい。ちなみに、御殿場線はJR東海の管轄であり、SUICAは使えない。前回は松田駅で、スイカが使えず、電車を1本逃してしまった。

 63 谷峨駅                   64 谷峨から対岸の嵐発電所を望む
   

 清水橋に着いた。ここで、酒匂川は河内川と合流する。河内川は、西丹沢の水を集めて、三保ダムによって堰き止められた丹沢湖から流れてくる川である。河川管理という観点からみると、酒匂川の本流は河内川であると言った方がよいかもしれない。
 前編で書いた台風時の急な増水による下流での釣り人の遭難事故は、この2本の川が合流していることに原因があったように思われる。ダムによる流量の調節は三保ダムで行われているが、事故の時は、御殿場付近で集中豪雨となったため、ダムがあまり役に立たなかったのである。酒匂川の管理は三保ダムだけで大丈夫だという先入観があったのかもしれない。また、この上流の酒匂川(鮎沢川)は静岡県の管轄になるため、神奈川県との情報交換が無かった、あるいはうまくいかなかったらしい。
 結果論であるが、御殿場方面からの鮎沢川の増水がわかれば、三保ダムからの放流を減らすことによって、酒匂川の増水を緩和できたのではないかという議論があるようだ。ただ、鮎沢川の増水が凄まじく、西丹沢でも雨が降っていないわけではないだろうから、そう簡単にいくとは思えないが。

 余談だが、丹沢湖の上流に玄倉川という渓流がある。1999年の夏、ここでキャンプをしていたグループが川に流され13名が亡くなったという事件を記憶している方も多いだろう。増水した川の中瀬でかたまっている人たちのショッキングな映像が中継されたことにより、社会に強烈なインパクトを与えた事件であった。
 流される瞬間の残酷な映像も残っているようだが、それを見ると、なにもできないのに、思わず、犠牲者を追うように走りだす救助隊員の必死な姿が胸を打つ。ちょっとでも足を滑らせれば自分も同じ運命になるにもかかわらず....。
 この時は、地元の人や警察の避難勧告を無視してキャンプを強行したうえに、救助隊に暴言を吐いた遭難者たちに非難が集まったが、死者に鞭打たないという不文律があるこの国の事件としては非常に特異な例であったと言える。

 この酒匂川は、美しい清流ではあるが、このように凶暴な一面を持つ川でもあるのだ。

 65 清水付近の流れ               66 諸渕工業団地
   

 こんな山の中に唐突に工業団地が出現した。

 67 谷戸大橋を望む               68 浸食された河床
   

 大きな諸渕トンネルがあるが、狭いながらも歩道が付いていてホッとする。

 69 透間桟道橋からみた御殿場線と東名高速    70 透間桟道橋からみた上流側
   

 71 茶畑                    72 透間橋から下流を望む
   

    

 ついに、県境を越えて静岡県の小山町に入る。川の名前も酒匂川から鮎沢川に変わった。

 ところで、ここ小山町は金太郎の生まれ故郷である。
 金太郎は、童話の中の架空の人物だと思っていたが、どうも「坂田金時」という実在の人物がいたらしい。最近では、サラリーマン金太郎も有名ではあるが、やはり足柄山の金太郎といえば、男の子の節句には無くてはならない、時空を越えた誰もが知る日本の代表的スーパースターである。
 奇しくも、酒匂川は、(二宮)金次郎と(坂田)金太郎という、2人の歴史的有名人を生み出したわけである。両方に「金」という字がつくのも偶然であろうか。

 73 白岩橋から上流を望む           74 大沢川合流地点手前から小山市街を望む
   

 75 下流の透間方面を望む            76 上流方面を望む
   

 駿河小山駅に向かうため、右折する。金太郎伝説にも出てくる古い道らしい。

 77 馬頭観音                  78 下谷大沢古道の金太郎伝説の看板
   

 高台から正面に発電所をみながら歩くと、駿河小山駅に着いた。ここまでのレポートで気づいた方も多いと思うが、酒匂川には小さな発電所がたくさんあることがわかる。
 駿河小山の駅前は写真80のように静かなところであった。

 79 生土発電所                80 駿河小山駅前
   

 駅の売店でビールとつまみを買うと、売店のおばさんが話しかけてきた。小田急線が止まっており、復旧の見込みがたたないとのことであるが、駅の雰囲気ものんびりしていて、あまり深刻な感じでもない。お客さんは?と聞かれたので、東海道線なので影響はありませんね、などと答える。ここから東京に行く場合は、松田駅で小田急線に乗り換えて新宿方面に出るのが、安いし便利なのだろう。

 81 駿河小山駅
   

 今日は、足柄平野から山岳地帯に入り、谷沿いに静岡県まで歩いた。酒匂川も、前半はゆったり平野を流れていたが、後半は急峻な山間を下るという感じになってきた。地形からみて、難所だと思われたが、歩く分にはそれほどでもなかったのが幸いである。次回は箱根・丹沢山地を抜けて、富士山麓の源流を目指すことになる。

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