新河岸川探訪

 川越から江戸まで、水運のために開かれ、明治時代に鉄道が開通するまで繁栄した半人工河川。現在は、直線化され隅田川に注ぐ。
◆第5日目 2010年12月29日  霞川 〜 源流

 数日前に屈辱的な敗退をした、赤間川の源流探索のリベンジである。



 入間市駅で下車して、大きな洋館の横を通り、霞川に向かう。西洋館という、なんだか当たり前の名前だが、大正時代に建てられた製紙会社の迎賓館だったらしい。


  1 西洋館                      2 万年橋から下流を望む
   

 霞川に架かる万年橋からいよいよ赤間川に向かう。



 前回の反対側、すなわち西側から見た赤間川が写真3である。もちろん、霞川の上には水路はない。だとすれば地下に潜っている他には考えられない。そして。後ろを振り向くと、写真4のようにちゃんと赤間川の水が吸い込まれている。
 前回はなんで気がつかなかったのか。サイフォンの原理で川の下を流れているのだろうが、まさかこんなトリックがあるとは.....。

  3 霞川左岸から見た赤間川              4 霞川左岸の赤間川暗渠入口
   

 川の下に流れこんでいる赤間川の上流側は、何事もなかったようにサラサラと続いている。

  5 霞川左岸から赤間川上流を望む           6 入間ビレジ付近 その1
   

 さて、この川、というか水路の名称だが、写真7のように、赤間川、赤間川用水路、入間第二用水といくつかの名前が混在しているようだ。
 不思議なのは、この水路にはなぜか写真8のようなタイヤがぶら下がっていることだ。狭山市からずっとである。なんのためだろうか。人が落ちて流されたときに掴まるためだろうか。謎である。

  7 入間ビレジ付近の看板               8 入間ビレジ付近 その2
   

 赤間川は、豊水橋の地下を流れる。

  9 豊水橋付近                    10 豊水橋
   



  11 黒須市民運動場付近               12 水神様?
   

 野球場の横を流れた赤間川は、水神様の下で、ついに土管の中を流れるようになる。

  13 暗渠(土管)入口                 14 土管の中を流れる赤間川
   

 入間川より一段高いところに半分埋め込まれた土管は、写真15の建物に突き当たる。反対側に回って、取水口であることを確かめた。ついに赤間川の最初の一滴をこの目で見ることが出来たのである。それは、入間川から取り入れられていた。おそらく、自然の河川であった赤間川を利用して、入間川の水を流す農業用水が作られたのであろう。農業用水になったのと新河岸川につながったのは、どちらが先だったのだろうか。
 それにしても、こうして目的地にたどり着いてみると、夕暮れに見知らぬ町をとぼとぼと歩いたことや、最後のどんでん返しがあったことが今は懐かしいとさえ感じる。

  15 赤間川取水口 その1              16 赤間川取水口 その2
   

 この水が、赤間川、新河岸川、隅田川を流れてベイブリッジの架かる東京湾に注ぐことになるのだ。新河岸川もなかなかスケールが大きい。そして、これほど多彩な歴史を持つ川も珍しい。事前に少し歴史を勉強してから歩くとより楽しめそうである。

  17 笹井堰下流側
   赤間川の水を取水するための堰は、笹井堰という。

 入間川の水をたたえた笹井堰の水面は穏やかに冬の陽を反射していた。こうして、新河岸川の長い旅は終わった。

 18 笹井堰上流側




 入間市駅に向かう途中、霞橋から見る霞川の風景が美しかったので、写真に撮った。いつの日か霞川を遡る日が来ることを予感しながら橋を渡る。

 19 霞橋から下流を望む

 (本日の歩数:24069歩)            

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