鶴見川探訪              

多摩丘陵の谷戸を源流として、主に横浜市北部を流れ、鶴見区で東京湾へ

特別編(2007年12月16日)     鶴見川源流(町田市上小山田町)の追加調査

                              (+おまけの 長池公園〜南大沢駅)


 記念すべき、水源シリーズ第1弾の「鶴見川探訪」後半では、源流を紹介したが、さらに上流には、か細いながらも水の流れがあったことを確認した。また、そのレポートでも記述したが、ネット上の情報を調査してみると、源流の泉は人工的なものであり、本当の源流はもっと上であるとする見解が多い。そこで、今回は、これらの疑問点を解明するため、約1年ぶりに現地を訪れて調査を行った。以下は、その記録である。


 町田駅からバスで小山田の終点まで行く。相変わらず、のんびりした風景である。もう、多摩地区ではこのような谷戸の風景はほとんど残っていない。

 問題の源流の泉であるが、湧水口は金属製で明らかに人工的なものである。しかし、湧水そのものがたとえばポンプアップしているなど、人工的なものとは断定はできない。

 1 小山田バス停付近                    2 源流の泉 その1

   

 泉の横には水路があり、少量ながら水が流れていることから、本当の源流はもっと奥であるという可能性がある。
 調べたところ、環境省のサイトに信頼すべき資料がみつかった。これによると、この水源は付近の谷戸に自噴していた地下水が昭和20年代末の川崎水道トンネル工事により、余掘り部分に集水されてしまい、横坑からの分水が湧出したものだそうである。その後、平成元年のトンネル工事で一時水が枯れたらしい。要するに、泉は50年前の人為的な工事で偶発的に出来たものだが、泉そのものは人工的なものではないということになる。枯れた泉は、平成2年の工事終了とともに復活したそうだ。
 先ほどの資料によると、湧水の起源は深層からの被圧地下水ではないかというのである。しかし、この説明では、水道トンネルからの水道用原水の漏水ではないかという疑念は完全には拭えない気がするが....。昭和20年代のトンネル完成以前は、谷戸に大量の湧水があったのだろうか。それが枯れたという事実があればこの谷戸の湧水が集まったものといえるだろう。
 一つ言えることは、だれかがここに意図的に湧水を作ったわけではないということである。
 ここに、一応の回答が得られた水源の泉問題だが、ここが鶴見川の源流かどうかは別として、水量から見てここが主な水源となっていることは間違いないだろう。ちなみに、先ほどの環境省の資料では、この泉と周辺谷戸の絞り水をあわせて鶴見川の源流としている。個人的には、この見解に賛成したい。

 3 源流の泉 その2                  4 源流の泉の横を流れる水路
   



 ともあれ、源流の泉の横の水路がどこから来ているのかは、今回の調査の重要なテーマであるので、さらに谷戸の奥まで進むことにする。水量はいつ消えてもおかしくないほど少ない。

 5 さらに谷戸の奥に続く道                6 途中の源流
   

 やがて、源源流の案内板が現れた。「源源流」という用語があるのかどうかはわからないが、とにかくもっと奥があることだけは確からしい。

 7 源源流の道案内                    8 源源流への道
   

 9 源源流 その1                    10 源源流 その2
   

 途中、落ち葉で隠れそうになりながらも、水流は細々と続く。写真11、12が最後の湧出地点かと思うと、さらに上流にも細流が続いているという状態で、谷戸の最深部、尾根に近いところまで来てしまった。

 11 源源流 その3                   12 源源流 その4
   

 13 源源流 その5                   14 源源流 その6
   

 15 源源流 その7                   16 源源流 その8
   

 見難いが、写真17が最後の湧水地点だと思った。写真18にはもはや川らしきものはなく、谷戸の終点すなわち、尾根がすぐ上に見えるほどである。しかし、鶴見川源流は、予想以上にしぶとかった。

 17 源源流 その9                    18 谷戸最深部
   

 写真19を見ていただくとわかるが、中央部の窪みに落ち葉に隠れて水流があったのだ。その最上部が写真20である。

 19 源源流 その10                   20 源源流 その11
   

 さらにこの上の写真は21であるが、窪みはあるものの水は確認できなかった。雨が降ったときには、水流が出来るのかもしれない。
 以上の調査により、源流最上部は、写真20の地点であることが判明した。ここから上を見上げると写真22のとおり、もう尾根まで数十メートルしかない。

 21 源源流その12                    22 尾根を見上げる
   



 地図では、この源源流地区すなわち谷戸の最深部は、田んぼの記号があることに気がつく。現在は耕作放棄されているが、地形的には開けており植生から見ても頷けるものであった。湧水を利用した小規模な田圃として利用されていたのではないだろうか。 
 この現地調査と環境省のHPにあった資料により、長年、論争のあった??鶴見川の源流問題は一応の結論が出たことになる。
今回の調査はその目的を十分果たしたといえるだろう。
 この日は、まだ時間があるので、さらに分水嶺を越えて南大沢方面に遠征することにした。鶴見川編は完結したが、もし興味があれば、引き続きごらんいただきたい。

        

 最後の藪を無理矢理かき分けて登り切ると、そこは不動産会社の真新しい建物があった。昔は狸しかいなかったであろう尾根には、今や立派な道路が通っている。
廃道になっている旧道を相模原方面に進むと、米軍の通信施設があった。無人である。YuKi KPCS Siteと書いてある。Yukiの意味がよくわからなかったので、帰宅してから調べてみると、八王子市と合併する1964年までは由木という村があったそうだ。ただし、読みは「ゆぎ」なので、Yugiのほうが正しい気がする。

 23 尾根上の都道158号線               24 米軍通信施設
   



 ここは、多摩ニュータウンの南端部で、急速に開発が進んだところであるが、この長池周辺だけは、公園となり雑木林がそのまま残されている。今となっては貴重な空間である。自然観察の場となっているそうだ。尾根が分水嶺となっているので、こちら側は多摩川水系の流域になる。

 25 長池公園の丘の上                  26 長池公園の遊歩道
   

 27 長池                        28 築池 その1
   

 長池とその下の築池はもともとは農業用のため池だったらしい。

 29 築池 その2                    30 築池から見た長池見附橋
   

 やがて視界が開けて、近代的なマンションと印象的な橋が姿を現した。長池見附橋である。

 31 長池見附橋 その1                 32 長池見附橋 その2
   

 33 長池見附橋 その3                 34 長池見附橋 その4
   

 長池見附橋は、四谷にあった橋を移築したそうで、橋周辺のレトロな雰囲気の理由がわかった。

 35 長池見附橋からみた円型の建物            36 旧四谷見附橋銘板 
   

 景色は、多摩の田舎の山里から、近代的なニュータウンへと、いきなり50年の時空を飛び越えたような変貌である。

 37 結婚式場?                     38 長池見附橋 その5
   



 南大沢駅をめざす。歩道が車道と分離されており快適である。ただし、元々山だったのでアップダウンは多い。

 39 住宅地の一角                    40 南大沢駅へ向かう歩道 その1 
   

 41 南大沢駅へ向かう歩道 その2            42 マンション
   

 43 南大沢駅                      44 駅前通路
   

 駅を通り越すと、多摩から一気にスペインに来たような雰囲気になる。今日は時空の瞬間移動が多い日である。大規模なアウトレットショッピングモールだ。人も多い。その後ろの高台には旧東京都立大学の塔がそびえている。なかなか素晴らしいロケーションだ。大学ではちょうど法科大学院の試験をやっていた。

 45 ラ・フェット多摩                  46 首都大学東京入口     
   

 47 首都大学東京キャンパス
  

 多摩ニュータウン地区は、自然と開発の落差が大きく歩いていて発見の多い、なかなかおもしろいところである。


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