箱根旧東海道 (東坂)          

        歴史を感じながら、江戸時代の旅人になったつもりで箱根を越える
◆ 2015年1月12日

 よくありがちな企画である。が、やはり自分の足で、江戸時代の旅人になりきってみたいという欲望が抑えきれなくなったある冬の日、気がつけば箱根湯本駅に降りていた。

 大井川と並ぶ東海道の難所中の難所、箱根の山越えである。今のように、鉄道や道路があり、電気や電話がある時代の感覚で捉えてはいけないだろう。現代に比べると、箱根越えははるかに危険だったに違いない。箱根は降水量が多いが、冬に雪や雨が降れば、相当厳しかったはずである。なにしろワラジを履き、ろくな雨具も防寒着もないのである。
 東海道と言っても、山中では現代の登山道とそう変わらない状況で、治安も悪かっただろう。

  1 箱根湯本駅                    2 早川を渡る
   

 8時40分、箱根湯本駅を出発する。



 早川をわたって正面にさっそく箱根旧街道の解説がある。後ろの山には湯本富士屋ホテルが建っている。

 3 旧街道案内図


 崖にはエレベーターの出入口があり、湯本駅から歩いてくる人には便利だが、VIP用の秘密の出入口としても使用されているらしいというのは、地元民の間でささやかれている秘密である。(ここに書いた時点で秘密ではないわけで、どんだけ口が軽いんだ...)

  4 富士屋ホテル前                  5 ホテルエレベーター
   

 6 落合橋跡解説板
      

 鉄道の跡だが、なぜ開通が明治21年で、国府津発かというと、東海道線が明治20年に国府津まで開業したからだろう。明治22年には神戸まで開通しているが、その時は国府津経由の現在の御殿場線ルートで、丹那トンネルができるのは昭和9年まで待たなくてはならない。
 が、とにかく明治中期には東京からここまで鉄路で繋がったわけで、すでにリゾートとして発展しつつあったわけである。

  7 落合橋跡                     8 早雲寺へ
   

 早川の南側の鬱蒼とした山を登っていく。

 9 早雲寺林解説板 


 山を越えると早雲寺である。言わずと知れた小田原北条氏の菩提寺で、有名な北条早雲や氏康の肖像画の所有者である。秀吉の小田原攻めの時、この寺も焼き払われたというが、肖像画が良く残っていたものである。
 この寺の沿革をみてみると、開山した以天宗清という僧は、京都伊勢氏に被官した家の出身だと書いてある。私が学校で習った頃は、北条早雲は素浪人から知略でのし上がった、戦国時代の下克上の典型という説だったが、最近は否定され、京都伊勢氏の出身という身分の高い武士だったということになっているらしい。開山した僧の出身も、合点がいくものである。

  10 早雲寺                     11 旧街道沿いの立派な旅館
   


             広重「七湯方角略図」画像出典:国立国会図書館デジタルコレクション

 さて、湯本駅からこの早雲寺までの道が旧街道かといえばそうではない。上の絵図の左下を見ていただくと、旧東海道は三枚橋で早川を渡っている。しかし、湯本から早雲寺までの橋と道もあるので、昔から湯本温泉に寄る人が多かったのだろう。
 湯本温泉は賑わっている様子だが、「福住」という屋号が書いてあるのがわかる。Wikiによると、「福住家は代々箱根湯本で旅館業を営み、また湯本村の名主も務める名家であった。」と書いてある。しかし、9代目の福住九蔵の時代に、火災にあい、家運が傾きかけていたらしい。これを立て直したのは、あの二宮金次郎の弟子であり、福住家に養子に入った十代目福住九蔵、後の福住正兄という人物である。この人は非常に優秀だったらしく、家業はすぐに盛り返し、さらに、先ほどでてきた、国府津〜湯本間の馬車鉄道敷設にも尽力した人物である。そして、明治25年に亡くなり、早雲寺に埋葬された。
 これまででてきたピースが全部ハマって気持ちの良いストーリーである。
 ところで、福住家が江戸時代から営んできた旅館は、その名前から、福住楼だと思っていたが、福住楼のホームページを見ると、明治23年の創業と書いてあるので時代が合わない。正しくは、萬翠楼である。ここには、詳しい年表が載っているが、この旅館の開業は、関ヶ原の戦いから25年しか経っていない江戸時代初期、1625年である。福住正兄が福住家に入ったのが1850年、翌1851年に歌川(安藤)広重が滞在しており、上の「七湯方角略図」もこの頃発行されている。この絵図を描いてもらったお礼に泊まってもらったのかもしれない。
 萬翠楼と福住楼の関係はよくわからないが、もちろん福住楼も明治の文人に愛された由緒正しい旅館である。

 いつまでも湯本の旅館に滞在するわけにもいかないので、先に進もう。

  12 正眼寺                     13 湯本を上へ
   



 県道を右に入る目立たない道に石畳が残っている。

  14 石畳入り口                   15 旧街道入口解説板
   

  16 石畳                      17 さるはし
   

 川を渡った旧街道は再び県道に合流する。

  18 石畳から県道へ                 19 湯本温泉街
   

 かなり高度を上げて湯本の温泉街が見下ろせる。

  20 葛原坂解説板                  21 葛原坂
   

 このあたりは、県道を歩くことになる。

  22 ホテルはつはな                 23 鎖雲寺
   



  24 トイレ
      

 トイレの先に、須雲川自然探勝歩道の入口がある。畑宿の道標があるので入ってみよう。

  25 須雲川自然探勝歩道入口             26 道標
   

  27 木橋                      28 転がる石
   

 石畳に使われていたような石が転がっていたり、古そうな石垣があったりするので、てっきり旧街道だと思っていたが、ここはそうではないらしい。旧街道は関東大震災で崩れ、県道ができて消滅したようだ。

  29 石垣                      30 気持ちの良い探勝路
   



  31 東電三枚橋発電所沈砂池             32 須雲川を渡る
   

 発電所で折り返して、須雲川を渡る。階段を上がっていくと、発電所用の車道に出る。この三枚橋発電所は、大正7年の完成だが、作ったのは小田原電気鉄道、すなわち現在の箱根登山鉄道である。登山電車のために作られたのである。
 ちなみに、箱根は日本の水力発電発祥の地らしく、ホテルや旅館には明治の半ばには電灯が灯ったらしい。火災を防ぐ意味もあったようだ。そのあたりはここに詳しい。

  33 須雲川から上の道路へ              34 畑宿道標
   

  35 発電所道路                   36 割石坂入口
   

 割石坂で旧街道に復帰する。いよいよ、江戸時代を彷彿とさせる本格的な石畳の東海道になってきたようだ。

  37 割石坂解説板                  38 割石坂
   

  39 江戸時代の石畳標識               40 江戸時代の石畳
   

 割石坂には、なんと江戸時代のままの石畳が残っている。



 41 須雲川自然探勝歩道解説板             42 石畳が続く
  

 山道になって、旧街道らしくなってきた。

 43 箱根路のうつりかわり解説板


  44 発電所送水管                 45 接待茶屋解説板
  

  46 旧街道標識柱                  47 木橋
   

  48 石畳を畑宿へ向かう               49 石畳の構造解説板
   



 谷側の左手には、並木と土手がほぼそのまま残っている。感動モノである。

  50 大澤坂 その1                 51 大澤坂解説板
   

  52 大澤坂 その2
     

 石畳を登っていく。トレッキングシューズを履いても、石の凹凸がかなり激しく足の裏を突き上げる。しかし、考えてみれば、江戸時代の人はここをワラジで登ったのである。おそろくべき足の裏の丈夫さである。

 53 美しい石畳


  54 畑宿入口                    55 畑宿 その1
   

 10時45分、畑宿に着いた。

  56 畑宿 その2                  57 本陣跡バス停
   



  58 明治時代の畑宿解説板
     

 59 寄木の里畑宿 解説板


  60 店先の寄せ木                  61 畑宿解説板
   



  62 畑宿 その3                  63 畑宿一里塚へ
   

 畑宿の南には立派な一里塚が残っている。

 64 畑宿一里塚解説板


  65 畑宿一里塚                   66 畑宿・橿木坂間の石畳 その1
   

  67 畑宿・橿木坂間の石畳 その2         68 箱根新道を越える
   

  69 斜めの排水路
     

 70 斜めの排水路解説板




  71 畑宿・橿木坂間の石畳 その3         72 県道へ出る
   

 ここで一度県道に出る。

  73 県道と箱根新道                 74 橿木坂入口
   

 つぎは橿木坂であるが、ここが箱根でも最も傾斜が急な坂だったらしい。地震などで崩れてしまい、現在は階段になっているほどである。

  75 橿木坂解説板                  76橿木坂 その1
   



 階段でさえきつい坂なので、当時の石畳の険しさは相当のものだっただろう。

  77 橿木坂 その2                 78 見晴橋
   

 橋を渡ると傾斜が緩くなり、のんびりした雰囲気に戻る。

  79 斜面をトラバースする旧街道
     

 80 須雲川自然探勝歩道案内図


 と思ったらまた急な階段である。

  81 急な階段
     



 82 雲助解説板


 雲助という言葉も最近はあまり聞かなくなってすっかり忘れていた。差別的なニュアンスのせいかもしれない。今や、こんな言葉を使うのは年配の人だけだろう。

  83 山根橋                     84 山根橋から猿滑坂へその1
   

  85 山根橋から猿滑坂へ その2           86 木橋
   



  87 猿滑坂へ                    88 猿滑坂入口
   

  89 猿滑坂解説板
     

 90 猿滑坂


 猿滑坂を過ぎて再び県道を横断する。

  91 石畳歩道解説板                92 県道を横断する
  



  93 県道に沿って歩く                94 追込坂入口
   

 旧東海道は県道によって破壊されており、歩道を歩くが、追込坂で再び山側に旧道が現れた。

  95 追込坂解説板                   96 追込坂から甘酒茶屋へ
   

  97 二子山植物群落解説板
   

 二子山の麓にある有名な場所、甘酒茶屋に着いた。11時55分である。江戸時代の旅人と同じように休憩しよう。

  98 石仏                      99 甘酒茶屋
   

 100 甘酒茶屋解説板


  101 甘酒茶屋内部
     

 中は、薄暗い。これも江戸時代そのままの臨場感である。暖房は石油ストーブだが、江戸時代は囲炉裏か、炭だったのだろうか。もちろん、甘酒を注文した。老若男女、外国人もいてかなり混んでいる。
 この甘酒茶屋の経営者は江戸時代の家系が今も続いているそうだ。



 12時20分、甘酒茶屋を出発する。

  102 甘酒茶屋から於王坂へ             103 於王坂道標
   

  104 於王坂                    105 県道を横断する
   

  106 旧街道入口
     

 107 旧街道解説板




  108 白水坂道標                  109 白水坂
   

 この辺りはそれほど急な坂ではなく、甘酒パワーもあってか、足取りも軽い。

  110 芦ノ湖へ向かう
     

  111 石畳解説板
 

 道がついに、下りになった。二子山の麓の最高地点を超えたのだろう。

  112 下る旧東海道
     

 113 二子山解説板




  114 広い旧街道
     

   115 旧東海道交差点解説板
  

  116 旧東海道交差点                117 湯坂路から芦ノ湖へ
   

 写真118のように、横断する車道にまで石畳が敷いてある。

  118 舗装路を横断する               119 権現坂 その1
   

  120 権現坂解説板                 121 権現坂 その2
   

 権現坂を下りながら、芦ノ湖が近いことを感じる。心なしか周囲も明るく開けてきたような雰囲気である。

  122 芦ノ湖へ                   123 初めて芦ノ湖が見える
   



  124 国道を渡る                  125 杉並木が始まる
   

 126 ケンペル・バーニー解説板


 13時5分、元箱根、つまり芦ノ湖畔に到着である。

  127 元箱根へ                   128 元箱根港
   

 129 元箱根から見る芦ノ湖と駒ケ岳


 130 湖畔から富士を望む


 浮世絵にあるように、江戸時代の人もこの景色に感嘆したことを想像させる、絵葉書の定番だが、感動的な景色である。難所を超えたという安心感もあったに違いない。

 131 恩賜公園越しの富士山




 おなじみの杉並木である。

  132 湖畔旧街道杉並木
     

 133 旧街道杉並木解説板


  134 杉並木 その1                135 杉並木 その2
   

 136 杉並木の保護解説板


  137 杉並木が国道に出る              138 関所へ
   

 139 杉並木解説板




 杉並木を過ぎて、国道1号線を渡り、関所へ向かう。江戸時代と同じ行動である。当時の旅人は、ここでは、別の意味で緊張しただろう。

  140 関所江戸口御門                141 足軽番所
   

  142 高札場
     

 143 関所解説板


 144 関所京口御門


  145 関所前土産物街                146 関所バス停
   

 関所を無事に通過すると、江戸時代の箱根宿、現在も箱根ホテルをはじめとする旅館ホテルがある。江戸時代の旅では、男性なら箱根に泊まらずに三島まで一日で箱根を超えたらしいが、足腰の弱った老体の現代人の私としては、今日はここまで、である。ここから簡単に帰ることができる道路や交通機関の発達がありがたく感じる。14時過ぎのバスに乗り小田原に向かった。

 GPSによる本日の歩行経路


 GPSによる今日の高度記録


 箱根旧東海道はよく知られた史跡であり、ハイキングコースであるが、よく整備されて途中にもいろいろな見どころが多く、飽きない。なかなか良くできた山岳歴史トレイルである。次回はもちろん、箱根山の西側を下ることになる。

 ◆箱根旧街道2 西坂(2015年1月17日)

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