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蛭ヶ岳 標高1673m
自分の足で登らない山シリーズ第34弾 神奈川県の最高峰 |
◆ 2018年12月28日
神奈川県の県境と海岸線を徒歩で一周し、東・西・南・北の最端を踏み、東京湾を潜る地下歩道を歩いたが、神奈川県完全制覇とはまだおおっぴらに言えない。それは、神奈川県最高峰に足跡を残していないからである。蛭ヶ岳は標高は1673mとそれほど高くないが、かといって私のような素人が休日の午後にペットボトル1本を持って簡単に行けるところでもない。
蛭ヶ岳は、丹沢の真ん中にあり、どの登山口からアプローチしても最も奥にある、行きにくい山なんである。日帰りは、健脚でなければ無理で、時間的にも日の短い季節は、暗くなり危険も増す。
特殊能力を持たない私のような一般登山者は、一泊するのが普通で、宿泊は、塔ヶ岳、丹沢山、蛭ヶ岳の山頂の山小屋のどれかになる。
往復はつまらないので、ヤビツ峠から塔ノ岳を経由して、丹沢山に泊まり、翌日に蛭ヶ岳から焼山を経由して津久井側の西野々へ抜ける計画にした。塔ノ岳より先は丹沢主脈縦走と言われているコースである。天気予報は12月28日、29日とも晴れである。
神奈川県一周の26日目に、県境最高峰の大室山に登る途中で仰ぎ見た蛭ヶ岳は、もっと高いところがあるということを私に思い知らせるようにそびえ立っていた。
1 県境の鐘撞山〜大室山間から見えた蛭ヶ岳
(2011年10月8日撮影)
それから7年も経ってしまったが、やっと蛭ヶ岳を訪れる機会ができたことになる。
秦野駅を8時25分に発車したバスは9時過ぎにヤビツ峠に到着した。天気が良いので、バスはほぼ満員である。とはいっても、季節は冬、年末の平日なので、臨時バスがバンバン出る状況ではない。
バスを降り、9時15分にヤビツ峠を出発する。表尾根と呼ばれるここから塔ヶ岳までの区間は、すでに報告済みなので、簡単な記録と写真だけで済ませていただこう。
2 ヤビツ峠 3 二ノ塔山頂
10時42分に二ノ塔に到着した。
11時7分に三ノ塔に到着した。ここからの富士山は相変わらず素晴らしい。
4 三ノ塔山頂
5 三ノ塔から富士山、塔ノ岳を望む
三ノ塔では山小屋の工事をしていた。想像以上の寒さで機械が壊れてどうのと工事の人が話していた。資材はヘリで運ぶとしても、冬期の工事は大変だろう。
次のピークである烏尾山には、11時45分に到着した。
6 烏尾山
7 烏尾山から塔ノ岳を望む
8 大山を振り返る
9 三ノ塔を振り返る
14時24分に塔ノ岳標高1491mに到着した。ここまでどうも調子が悪く、ペースが上がらない。4年前に比べて30分以上も時間が余分にかかっており、体力的な不安を感じる。よく考えたら、夏の月山以降、山に行っていないし、普段鍛えているわけでもない。加齢による心肺能力、筋力の低下もあるだろう。
10 塔ノ岳山頂
いつも大勢の人で賑わっている塔ノ岳山頂だが、今はだれもいない。遅い時間のせいだけでなく、あまりにも風が強くて寒すぎるからだ。途中で一緒になったグループの人たちも、今日は尊仏山荘に泊まると言って、早々に山小屋に入ってしまった。
11 塔ノ岳から富士山を望む
さて、この塔ノ岳より北へ踏み入るのは、初めての体験である。天候が穏やかなら楽しそうな道だが、あまりの強風と寒さと疲労に心が挫けそうになりながら、丹沢山に向かう。途中に、プレハブの小屋があった。登山道の整備の工事関係者用らしい。登山客の少ない冬に工事をしなければならないのも大変である。
12 塔ノ岳から丹沢山方面へ 13 工事関係者宿舎
なだらかな冬枯れの稜線は、写真だけみると気持ちが良いが、現実は寒さと風と疲労でそれほど楽しんでいるわけでもない。
14 稜線のブナ林
両側が切り立った鞍部を渡るが、こんなに登りが辛いのも久しぶりだ。塔ノ岳から下ったあと、この鞍部から登りになり、日高という1461mのピークに向かう。
15 塔ノ岳・日高間の鞍部 16 日高へ
17 日高へ その1 18 日高へ その2
15時ちょうどに日高を通過する。なんとか日没前には丹沢山に辿り着けそうである。
19 日高
20 竜ヶ馬場へ その1
ブナの疎林であるが、樹勢は弱い。丹沢の一部で問題になっているいわゆるブナの立ち枯れ減少であるが、県自然環境保全センターによると、原因は、大気汚染(オゾン)、害虫(ブナハバチ)、乾燥(温暖化による積雪の減少)、鹿の増加という事になっているようだ。
21 竜ヶ馬場へ その2
22 稜線から相模平野を望む
15時19分に塔ノ岳から2つ目のピークである竜ヶ馬場に到着した。標高は塔ノ岳よりも高い1504mである。
23 竜ヶ馬場へ その3 24 竜ヶ馬場標識
25 竜ヶ馬場の休憩所
この尾根は、植生は笹に覆われ、見晴らしが良いが、ブナの墓場と言えなくもない。
26 丹沢山へ その1
まばらなブナ以外に視界を遮るものがない笹原が続く見通しの良い稜線は、疲労さえなければ、めちゃくちゃ楽しそうな道である。
27 丹沢山へ その2 28 丹沢山へ その3
29 丹沢山への稜線から富士山を望む
ギシギシと大きな音がする。なにかと思ったら、大きなブナの木が枯れて亀裂が入り、強風で擦れている音だった。写真30の木が倒れるのも時間の問題だろう。
30 亀裂が入ったブナの木 31 丹沢山へ その4
こんな強風と寒さ、そしてこの遅い時間にもかかわらず、登山道の整備が精力的に進められていた。工事関係者の皆さんも仕事とはいえ、過酷な環境での中、ご苦労さまという言葉しかない。
32 丹沢山へ その5 33 丹沢山へ その6
34 丹沢山へ その7 35 丹沢山へ その8
緩やかなピークの木々の合間に、屋根が見えた。15時53分、標高1567m、丹沢山山頂、みやま山荘に到着である。日頃のトレーニング不足のせいで、思ったより時間がかかってしまった。
が、とにかく、温かい山小屋に入れるのは嬉しい。冷え切った体を温めることができる。
36 丹沢山山頂とみやま山荘 37 丹沢山
38 丹沢山から富士山を望む
39 丹沢山山頂の案内図
山小屋の夕食は18時なので少し時間がある。16時半ころが日没なので、丹沢山山頂から富士に沈む夕日を見に行くことにした。もちろんダウンジャケットを来て外に出たが、それでも吹き荒れる強風のため、異常に寒い。
が、その強い風のおかげで雲は飛ばされ、富士山と愛鷹連峰の間に沈む、美しい冬の夕日を見ることができた。
40 富士山の南に沈む夕日
日没後も、富士の南側の裾野はオレンジ色の残照を残していた。
41 丹沢山山頂からみる夕焼け
夕食まで、500円のビールを飲んで時間を潰す。外は寒いが、山小屋の中はビールがうまいと感じるほど温かい。ちなみに、夕食はなんと鉄板の焼き肉で、一緒に食べていた家族連れは大喜びしていた。
消灯は20時30分だが、ほとんどの人はそれより前に眠りについていた。夜中も、強風が吹き荒れていたのは、夢ではなかったようだ。山小屋は、年末なのでそれほど混んでおらず、一つの布団に一人で寝ることができた。
それにしても、ここでビバークしたら確実に凍死するし、テント泊だとしても、この強風では厳しいだろう。あらためて命を守ってくれるこの小さな温かい山小屋のありがたみをしみじみと感じるのである。ちなみに1泊2食付きで8千円であるが、この過酷な条件を考えれば高いとは思えない。
◆ 2018年12月29日
翌朝は、5時ごろに起きる。風の音や隣のおじさんのいびきで、眠りは浅かったが、睡眠時間は十分である。6時に朝食を食べてゆっくり準備をしてから、外に出る。が、あまりにも寒いので、もう一度小屋に戻ってダウンジャケットを着た。ダウンジャケットは山で行動するときには着ないのが常識であるが、今日は特別である。
42 みやま山荘を出発
後から見た山小屋の記録によると、29日の山頂は、晴れにもかかわらず、最低気温は
-12℃、最高気温は -2℃で、しかも強風なので体感温度はかなり低いはずだ。
43 早朝の富士山
富士山を眺めてから、丹沢山を6時45分に出発する。
44 不動ノ峰へ その1
朝日を浴びて輝く富士を横目に、まずは、不動ノ峰というピークを目指す。
45 不動ノ峰へ その2
46 不動ノ峰へ その3
47 不動ノ峰へ その4
日が高くなって、太陽は、やっと緩やかに蛇行する登山道も照らしてくれるようになった。
48 不動ノ峰へ その5
7時36分、不動ノ峰休憩所に到着した。
49 不動ノ峰休憩所標識
50 休憩所から朝日に輝く相模湾を望む
不動ノ峰は、休憩所の先にある。
51 不動ノ峰直下
7時51分、標高1614mの不動ノ峰に到着した。坂を登ったおかげで、冷たかった手の先が少し暖かくなった。名前の由来となった不動像が現在もあるそうだが気づかなかった。
52 不動ノ峰
尾根の稜線から北を眺めると、丸い特徴的な形の蛭ヶ岳とその左側に続く西丹沢の山々がよく見えた。背景は奥秩父と南アルプスだろうか。
53 稜線から蛭ヶ岳と南アルプスを望む
54 棚沢ノ頭から富士山・愛鷹連峰と南アルプスを望む
8時4分、次のピーク(というほどではないが)、棚沢ノ頭に到着。道標をみると、ここは丹沢山と蛭ヶ岳のちょうど中間点である。
55 棚沢ノ頭標識
56 棚沢ノ頭から蛭ヶ岳を望む
蛭ヶ岳の山容がだんだん近くなってきて、迫力が出てきた。鹿よけの柵が続いている。
57 稜線から箱根山を望む
左を向くと富士、振り返ると箱根.....
58 鬼が岩へ
視界を遮るものはなく、さすがに丹沢を代表する快適な登山道である。
標高1608mの鬼が岩のピークの先が少し急坂になっていて、鎖がついた岩場を数十メートル下る。
59 鬼が岩の鎖場を見上げる
60 鬼が岩から蛭ヶ岳を望む
61 蛭ヶ岳と富士山
富士山と蛭ヶ岳がコラボする雄大な景色の中、鞍部を越えていよいよ最後の登りになる。
62 蛭ヶ岳へ その1
63 蛭ヶ岳へ その2
三角の屋根の先端らしきものが見えるので、あそこが頂上だろう。
64 蛭ヶ岳へ その3
左側には、深く大きな沢が見える。白い石が堆積しているが、その多くは関東大震災のときに崩落した岩で、それが広い河原を形作っているそうである。
65 熊木沢を見下ろす
景色に励まされながらの、最後の登りだ。
66 富士山と臼ケ岳
67 蛭ヶ岳山頂直下
お父さんとと子供が降りてきてすれ違った。「お母さん来ないね」と言いながらも、待つ様子もなくずんずん進んでいく。家族がはぐれなければいいが、と思いながら登っていくと、かなり上の方でお母さんらしき人が写真を撮っていた。「お子さんたちが気にしていましたよ」と声を掛けるが、追いつこうとする素振りもなく夢中でカメラを覗いている。
「すごいですね。こんな景色がこの世にあるなんて。初めてです。本当に来てよかった。」と息を弾ませながら、興奮が止まらない様子である。とくに「丹沢の後に朝日に輝く海が見えるのはすごい」と感動していた。家族なんて忘れさせてしまうほどの景色に魅せられたお母さんである。
地元に住むものにとっては地理的に当たり前だと思いがちだが、確かに険しい山岳地帯のすぐ先に海が見えることは、珍しいことかもしれないと、あらためて丹沢の魅力を再認識した。
68 丹沢山・塔ヶ岳へ続く稜線を振り返る
9時5分、蛭ヶ岳山頂に到着した。実に気持ちの良い天候の中、ついに念願の神奈川県最高地点、1672.7mを踏むことができて、うれしい。この時間なので、山頂にいる人はあと一人だけである。
ちなみに、この蛭ヶ岳の名前の由来はなんだろうか、ヒルが多いのだろうか。じつは諸説入り乱れている。
かつて蛭ヶ岳の山頂には薬師如来や毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)、八海山大神など多くの仏像が祀られており、これから別名の薬師岳や毘盧ヶ岳と呼ばれるようになり、毘盧ヶ岳が転じて蛭ヶ岳になったという説、山蛭(ヤマビル)が多いからという説、山の形が猟師のかぶる頭巾(ひる)に似ているからという説などがあるようだ。
69 蛭ヶ岳山頂
標識には、「丹沢最高峰」と書いてあるが、「神奈川県最高峰」でも良い気がする。
最高地点だけあって、360度全方位展望が広がっている。しかも、雲ひとつない最高の天気である。
神奈川県の最高地点であるが、神奈川県で最高の展望が得られる場所 と言っても良いと思う。ただし、天気が良ければという前提ではあるが。
なにしろ、神奈川県の山と川と海岸と県境を歩きまくってきたこのサイトが認定するのだから、間違いないのである。その素晴らしさはとても写真では伝えられないが、一応載せておこう。
70 蛭ヶ岳から宮ヶ瀬湖・関東平野を望む
71 蛭ヶ岳から丹沢山を望む
72 蛭ヶ岳から塔ヶ岳・丹沢山方面を望む
73 蛭ヶ岳から箱根山・真鶴半島・天城山方面を望む
74 蛭ヶ岳から富士山・檜洞丸・御正体山・大室山・南アルプス方面を望む
75 蛭ヶ岳から大室山・大菩薩嶺・八ヶ岳・雲取山方面を望む
76 山頂案内板 77 蛭ヶ岳山荘
帰りの1本だけのバスの時刻からみて、時間に余裕があるので、山小屋で休憩することにした。コーヒーを頼んだ。インスタントではない。うまい。砂糖をたっぷり入れると、疲労が飛んでいくようだ。
すると、熊鈴の大きな音を響かせて、30代くらいの男性が入ってきた。カレーを頼んでいる。話をしてみると、早朝に大倉を出て、ここまで4時間で来て、また大倉に戻るという。よく考えるととんでもないペースである。ここまで来ると、こういう健脚自慢の人の方が多いのかもしれない。
ちなみに、大倉・焼山間を縦走する記録は、ネット上にたくさんあり、それらは日帰り行程であることが多いが、一般登山者はそれを真に受けてはいけない。投稿するのは、体力自慢、健脚自慢の人たちであり、安易に参考にすると痛い目にあうのである。それを、私が身をもって証明してみせることになるとは.....この時はまだわからなかった。
こっちは、健脚どころか、昨日の表尾根のアップダウンが地味に効いて、右膝に違和感がある。じつは、タクシーにひかれて右膝を骨折して以来、丹沢に来ると何故か右膝が痛くなるのである。階段が多いせいだろうか。
そんな事を考えながら、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。
78 山頂から姫次方面へ
9時45分に蛭ヶ岳を出発すると、すぐに階段でどんどん高度を下げる。膝へのダメージが最悪のパターンである。
標高1400mで急坂はなくなり、緩やかなアップダウンとなる。
79 姫次へ その1 80 姫次へ その2
81 西丹沢の山々と富士山
82 忘れられたドリンク 83 姫次へ その3
姫次へ向かう道中は、多少のアップダウンがあるが、静かな丹沢を味わえる良いルートである。膝が痛くなければ......
84 姫次へ その4 85 姫次へ その5
86 姫次へ その6
10時58分に標高1373mの地蔵平に到着。
87 地蔵平 88 姫次へ その7
11時11分、原小屋平へ到着した。その名のとおり、昔は山小屋があったらしいが、現在は、その名残でテントを張りたくなるような平らな土地が残されている。
89 原小屋平
90 姫次へ その8
次のピークは、姫次というところで、そこが最後の本格的な登りになるはずである。
91 姫次へ その9
11時34分、標高1433mの姫次に到着した。山というほどのピークではないが、明るい広場になっており、休憩にはもってこいの場所であるが、蛭ヶ岳からの急な下りの階段とここまでの行程で、右膝がかなり痛むようになってしまった。情けないが、しばらくここで休むことにする。最初は階段の下りだけだったが、ついには平地でも痛むようになってしまった。これは緊急事態である。
92 姫次標識 93 姫次のベンチ
94 姫次から蛭ヶ岳を望む
蛭ヶ岳はかなり遠くに見える。樹間から見える富士山も素晴らしい。
95 姫次から富士山を望む
それにしても、右膝の状態はかなり悪いと言わざるを得ない。そこで、登山地図を見ながら考えた。予定では、地図左下の姫次から直進して焼山経由で西野々まで降りる王道コースであるが、かなり距離があり、3時間以上かかるようだ。しかも、終盤に急坂がある。右膝は持たないかもしれない。
姫次から先は、左折して国道に短絡するいくつかのエスケープルートが有る。最も手前の八丁坂ノ頭から青根に降りるルート、黍殻山の手前で左折するルート、平丸分岐から左折して平丸に降りるルートの3つである。
そのうち2番めの下山路は、標高約700mで釜立沢沿いの林道につながっている。林道なら、ストックがあれば痛む膝を引き摺りながらなんとか歩けるだろう。東野まで行けば、なんとかなりそうであるが、災害のため東野−平丸間のバスが不通であることが不安材料ではある。
直接平丸まで降りる3番目のルートは、直接バス停に出られるが、登山道で標高400mまで降りなくてはならない。
ということで、釜立川沿いのエスケープルートを選ぶことに決定した。残念ながら丹沢主脈ルートの最後、焼山は断念である。
午後に1本だけある平丸バス停の発車時刻は、16時26分なので、余裕である。この時点では、温泉に入っていこうかな、などとのんきに考えていた。
96 姫次のカラマツ林
姫次はカラマツが有名らしいが、もちろん本来の植生はブナであるはずなので、多摩川源流の笠取山と同様、カラマツは植林されたものだろう。が、雰囲気はなかなか良い。
97 姫次のカラマツ林 その2
このあたりで、一人の人とすれ違った。今から蛭ヶ岳に登るのかと心配になり、行き先を訪ねたところ、姫次までということだったので安心した。人柄の良さそうな男性で、少し話をしたが、この時は、この人が命の恩人になろうとは、まったく考えも及ばなかった。
右膝の痛みが我慢できなくなりつつある12時10分、1つ目のエスケープルートの分岐である八丁坂ノ頭についた。
98 八丁坂ノ頭分岐 99 黍殻手前の分岐へ
100 宮ヶ瀬湖と相模平野
目指すエスケープルートは、黍殻山の手前を左折である。12時30分、写真101の分岐に着いた。その先の右下には黍殻山避難小屋があった。一応、見ておきたいと思ったがが、右膝の痛みはそれを許してくれなかった。
本当は、丹沢主脈である焼山を経由した長大な尾根を歩き通したかったが、残念である。
分岐から下り坂に入るが、ここからの急な下りに膝が耐えられるかどうか、ここから地獄が始まるのでは、という不安が頭をよぎる。
101 黍殻山避難小屋手前の青根方面分岐 102 絶望の距離標識
分岐から先は、ほとんど写真がない。そんな余裕が無いからである。急な坂とはいえ、普段ならなんともない坂を降りるのに、とんでもない時間がかかる。肉体的にも辛いが、遅々として進まない、曲げるたびに痛みが走る膝に、精神的なダメージが蓄積し、心を蝕んでいく。
唯一撮ったのは、写真102であるが、分岐からたった800mしか歩いていないこと、そして、青根まであと3.9kmもあると無慈悲にも明記している標識に、絶望感だけがつのる。
そして、この急坂を降りているときに先ほどすれ違った男性に追い越された。この人は、あれから姫次まで行って、もう帰って来たらしい。自分の歩みの遅さに呆れるが、この先の林道の状態を聞いておいた。林道でタクシーを呼べますか、と尋ねたが、ゲートがあるし、そもそもこんな山奥だとタクシーも来ないのでは、という話だった。
しかし、パニックになってはいけないと自分に言い聞かせ、冷静さを取り戻そうと努力する。登山で歩けなくなったら、それは遭難である。歩きながら、もし、そうなった場合の対処法を考えてみる。
動けなくなった時点で、まず想定するのは、ビバークである。もっとも、携帯電話が通じるかどうかで状況が変わってくるが、ここは谷なので、通じる可能性は低いし、仮に通じたとしても、夜間の救助活動は原則として行わないだろうから、なんとか一晩現地で耐えれば助かるわけだ。
痛む膝に悪態をつきながら、一応それなりに準備しているはずだと、装備を思い出してみる。
まず、水は、500ccの水と清涼飲料水が残り200cc程度、非常用食糧は写真103のとおりで、カロリーはおよそ2500kcal程度なので一晩は大丈夫である。谷筋なので水があるかと思ったが、残念ながら冬なので枯れていた。
しかし、この時期の問題は水よりも気温である。氷点下10℃は覚悟しなければならない。今日の服装は、上はミレーのTシャツ、モンベルジオライン3Dサーマルロングスリーブジップシャツ、 パタゴニア・フーディニジャケット、モンベルライトシェルジャケット、ユニクロウルトラライトダウンジャケットの用意がある。下はタイツとモンベルO.D.ライニングパンツで、雨具兼ハードシェルのノースフェイスレインテックスの上下が最終兵器である。全部着こめば相当の低温にも耐えられるだろう。さらに、ヘリテイジエマージェンシーソロシェルターという超軽量ツェルトも持参しているし、ストックも2本ある。火も起こせるし、ライトも予備を含めて3つ、モバイルバッテリーも手袋もある。
103 携行非常食
極寒の丹沢だが、なんとか一晩のビバークには耐えられるはずだから、大丈夫だと自分に言い聞かせる。しかも、正月までずっと休みであるから、一晩くらい何ということはないのだ。なんなら、せっかく背負ってきたエマージェンシー装備を試してみるのも悪くないかもしれない。
でも、夜に獣たちが徘徊するのかとか、雨が降ったらやばいなとか、いろいろ不安は尽きない。とにかく、山では、歩けなくなったとか、道に迷ったとか、つまらないことでもかんたんに遭難してしまうのだと実感する。
それに、遭難騒ぎになったら、膝がダメになって歩けなくなったからというのも、あまりにも理由がマヌケで非常に世間体が悪い、などとくだらないことを考える。
それからここでもう一つ重要なことは、怪我をしないことである。滑落や怪我をしたら、生還の確率がかなり低下してしまう。遅くてもゆっくりと歩ける限りは、いつか下界にたどり着くと信じよう。
地図ロイドで現在位置を確かめながら下るが、地形図にかかれている林道の起点がわかりにくいので、半信半疑で下っていたら、左手に作業用モノレールが出現し、下の方に道路らしきものが見えた。時間は、13時47分である。安堵の瞬間である。うれしくて叫びたいくらいである。もう大丈夫だろう。救助を呼ぶにしても、車で来てもらえるので、夜になっても大丈夫だ。
分岐から林道までの登山地図の標準所要時間が、40分程度なので、ちょうど倍の1時間17分かかったことになるが、感覚的にはその何倍にも感じた。
104 林道と小屋を発見 105 林道起始部
しかも、林道は舗装されていた。2本のストックを使うと歩く速度もかなり回復した。ただ、ここからバス停までは、距離が長いので、それは少し気がかりである。しかも運悪く、現在、災害のため国道413号線が一部不通で、バスは東野まで来ていないのである。バスが来ている平丸まで国道を歩き、16時26分の三ケ木行きに乗れるかどうか、怪しくなっていた。
ただ、国道まで出れば、携帯の電波も通じるだろうし、タクシーを呼べばよい。なんならどこかに泊まってもよいのでなんとかなるはずである。
106 東野を目指して林道を歩く 107 東海自然歩道分岐
東海自然歩道分岐を13時58分に通過。しばらく行くと駐車場があった。関係者しか入れないようだが、そのうちの1台はなんと、蛭ヶ岳山荘の車であった。山小屋の人は、ここから登っているのだ。
108 関係者用駐車場 109 林道ゲート
14時30分、2つ目のゲートが見えた。その先にはちょっとした駐車場があり車が数台止まっている。ここでタクシーを呼べないかな、などと考えていると、ある男性と目があった。先ほど言葉をかわした、姫次まで登って帰ってきた人だ。
その人から耳を疑う言葉がでる。「よかったら乗っていきませんか」..... なんと、私のことを待っていてくれたらしい。地獄からの出口でみた仏である。後光がさしている。
こんな私を林道のゲート前で40分も待っていてくれたらしい(涙)。よっぽど情けない姿だったのだろう。
最寄りのバス停まで送ってくれるという言葉に甘えて車に乗っていろいろ話をさせていただいた。丹沢の絶滅しそうな希少植物の話など、興味深い話を伺うことができた。そして、なんと橋本行きのバスが出る三ケ木まで送っていただいた。
後日お礼をしたいと思って連絡先をお聞きしたが叶わなかったので、代わりにここでお礼を申し上げたい。
F市にお住まいの小川様、情けない私を 助けていただいてありがとうございました。
今回は、神奈川県最高峰の雄大な景色、丹沢の中核部の素晴らしい登山道を体験することができた。これで神奈川県も私の手に.....などと言えるような状況ではない。
自分の体や加齢、トレーニング不足と膝の古傷、季節を考えた計画にすべきだったと、反省すべき今回の企画であった。ただ、天候に恵まれ、ほぼ目的を達することができたことは不幸中の幸いである。
そして、なんと言っても、世の中には信じられないほど親切な人がいることを再認識したことが最大の収穫である。直接のお礼はできないかもしれないが、今度は、困っている人がいたら、私ができる範囲で手を差し伸べることが、感謝の証になるのかもしれない。
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