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和泉川探訪
相模・武蔵国境の分水嶺に端を発し、瀬谷区・泉区・戸塚区を流れて、境川遊水地公園で境川に合流する、河川整備が進んだ美しい二級河川
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◆第1日目 2019年3月24日 境川遊水地公園 (横浜市泉区)〜相鉄いずみ野線橋梁(横浜市泉区)
久々の源流である。川である。番組が打ち切りになってしまったとはいえ、源流ハカセを引退したわけではない。たまには、天気の良い日に川辺をのんびり歩き、心に水気を蓄えることも人生には必要である。
というわけで、今回目をつけたのは、横浜市西部の和泉川だ。
和泉川は、横浜市瀬谷区を源流として、泉区・戸塚区を経て、境川に合流する全長9.42kmの二級河川である。最終的には、江ノ島すなわち相模湾に流れ込む水系であるが、横浜市内でも比較的開発が遅かった地域を潤しており、秘境感も味わえるかもしれないと密かに期待したりもするのだが、どうなるだろうか。まあ、どちらにしても源流が急峻な山奥というわけではないので、気楽といえば気楽である。
というわけで降り立ったのは、藤沢市の小田急江ノ島線六会日大前駅だ。時刻は、9時20分。西口には日大生物資源学部があるので降りたことはあるが、東口は初めてである。それほど賑やかというわけではなく、静かな駅前と言ってよいだろう。
1 小田急線六浦日大前駅 2 境川
平坦な台地上を東へ進み、境川が作った河岸段丘を降りると、住宅が少なくなる一方で自然が増えてくる。9時50分、境川につくと、向こう側に広い空間と立派な建物が目に入った。県立境川遊水地公園である。
3 境川遊水地橋 4 境川・和泉川合流地点
県立境川遊水地公園は、その名のとおり、遊水地として境川の氾濫を防ぎ、下流にある藤沢市街地を水害から守る重要な役割を持っているが、野球場・サッカー場やテニスコート、ビオトープがあり、水辺の野鳥や水生生物、そして人間にとっての楽園でもある。吊橋が印象的である。
そして、和泉川はここで境川に合流しているのだ。
5 境川遊水地
境川が藤沢市と横浜市の境界になっていることは、すでに嫌というほど歩いたので体で覚えている。
6 境川遊水地公園情報センター
7 境川遊水地公園案内図
案内図によると、和泉川は、下飯田遊水地と俣野遊水地の間を流れているということらしい。そして、左岸側は戸塚区俣野町、右岸側は泉区下飯田町である。統一して運用しているはずなので、一つの名称で良い気がするが、区が違うのでわざわざ別の名前にしているのだろうか。
8 新遊水地橋から下流の合流地点を望む 9 新遊水地橋
さて、現在は広大な遊水地で直線的に合流している境川と和泉川であるが、当然、改修されており、遊水地が整備される前は複雑な曲線を描いていたに違いない。そもそも遊水地はどうなっていたのだろうか。そこで、明治時代と現代の地図を比較して確認してみることにした。
出典 今昔マップ http://ktgis.net/kjmapw/index.html
少し見にくい地図だが、東から合流する和泉川は、明治時代には大きく東に回り込んで、現在よりも少し下流で境川と合流していたことがわかる。赤い矢印で示したように、現在も旧和泉川の流路が残っている。
興味深いのは、土地利用である。現在の境川遊水地公園は、明治時代には、ほぼ田んぼとして利用されていた事がわかる。低湿地なので当然だが、河川が氾濫したときは、被害を被ったであろう。天然の遊水地とも言えるし、現在は、米作が行われなくなったから、遊水地として土地を取得できたとも考えられる。
そして、台地上は、ほぼ全域が という地図記号で埋め尽くされている。桑畑である。養蚕は、明治時代の日本の外貨獲得のための主要産業であったことがよくわかる。
さて、肝心の和泉川であるが、境川の合流地点から上流はまっすぐ北に向かう。
10 新遊水地橋から和泉川上流を望む 11 新折越橋から下流を望む
そして、新折越橋を過ぎると、まだ若そうな桜並木がつづく。ちょうどこれから満開に向かうといった時期だ。
12 美しい若い桜並木
丘陵地を削ってできた低地の田園風景である。水量は多くない。
13 桜 14 河畔の広場
15 鍋屋橋から下流を望む 16 鍋屋橋から上流を望む
右岸を歩いていると鍋屋橋の先で丘陵に登る道になった。先道を登ったところが鍋屋の森である。
17 右岸の階段 18 鍋屋の森
しばらく森の中を進む。
19 鍋屋の森を上流側へ
丘から再度右岸に降りたところがいずみさくら広場である。川は相変わらず人工的な直線である。
20 いずみさくら広場
21 桜広場の親水施設 22 澄んだ水
いずみ桜という木があったがこれはやや古そうである。
23 いずみ桜
24 いずみ桜木札 25 中和田橋直下の花びら
環状4号線を渡る。写真25のように眼下の川は白い洗剤の泡で汚れている、と思ったらそれはおびただしい数の桜の花びらであった。
赤坂橋を超えると河畔は再びのんびりした散歩道になる。
26 河畔道 その1 27 河畔道 その2
28 河畔道 その3 29 四ツ谷橋
横浜市郊外の、いかにも市街化調整区域だという農地と住宅が混在した風景が広がっている。
30 四ツ谷橋から下流を望む
31 四ツ谷橋から上流を望む 32 切り株のベンチ
33 下飯田駅標識
こんなのんびりしたところであるが、なんと地下鉄の駅からたった300mしか離れていないというのも驚きである。というよりもここに地下鉄が走っていることのほうがすごいのかもしれない。
34 小河川合流地点 35 草木橋へ
36 草木橋から上流を望む 37 横浜市営地下鉄ブルーラインを望む
草木橋を超えると市営地下鉄の高架橋がみえた。地下鉄ではあるが地上を走っているのも、土地に余裕があることと、川なので周囲に比べて低地であるからだろう。
38 古そうな農家
地下鉄ブルーラインの先は、開けた広場になっていた。
39 和泉川親水広場 その1
直線的に流れる和泉川をここまで歩いてわかったように、この川は河川改修がほぼ終わった、いわば人工的に作り変えられた川と言ってもよいが、この親水広場はその整備事業でも目玉になる場所である。懐かしい里山と小川のある農村風景を再現しているという感じである。懐かしさと開放感に溢れた、天気の良い日におにぎりを食べたくなるような場所である。夏には子供が川遊びをする事もできそうである。
40 和泉川親水広場 その2
ここで休憩をとるが、100人中99人はここで同じ行動をすると思う。
41 和泉川親水広場 その3 42 和泉川親水広場でくつろぐ父子
43 和泉川親水広場から関島橋を望む 44 関島橋から下流を望む
関島橋を過ぎると、また元のコンクリートで固められた川に戻るが、河畔の道はずっと続いている。
45 関島橋から上流を望む 46 御蔵橋
47 御蔵橋から上流を望む 48 桜川雨水調整池
立入禁止のワイルドな遊水池を過ぎると、高い建物が見えてきて、雰囲気がすこしアーバンになってきた。
49 石橋
50 石橋から上流を望む 51 中村橋
田園風景というよりも、新興住宅地という感じになってきたが、これは、いずみ中央駅が近くなってきたからである。
52 中村橋から上流を望む 53 いずみ中央駅
11時2分、相鉄いずみ野線いずみ中央駅に到着である。駅のすぐ目の前を和泉川が流れている。
54 曙橋 55 曙橋から上流を望む
左岸側に渡ると、広場があった。地蔵原の水辺と名付けられている。駅前なので多くの人がくつろいでいて、バーベキューを楽しむ若い親子のグループもいた。
56 地蔵原の水辺
57 和泉川お散歩マップ
58 いずみ橋
いずみ中央駅の北側で、4車線の大きな道路を横断する。いずみ橋である。この道は長後街道とよばれるが、正式名は神奈川県道22号横浜伊勢原線だ。戸塚と長後を結んでいるが、長後から門沢橋を渡って伊勢原、厚木方面に通じていることから、戸塚みち、大山道、八王子街道とも呼ばれていたらしい。そして、敗戦時にマッカーサーが厚木飛行場に降り立ったあと横浜に入った道でもある。横浜と県央、県北地区を結ぶ重要な役割を果たしていたわけである。
と書いていたら、昭和20年代当時のいずみ側といずみ中央駅周辺がどうなっていたのか、知りたくなった。こんな感じである。
出典 今昔マップ http://ktgis.net/kjmapw/index.html
上の地図を見る限り、マッカーサーが見た風景は、小川と田んぼと何軒かの農家があるだけのありふれた農村風景だったようだ。今のいずみ中央駅周辺の発展を見たらマッカーサーはなんと言うだろうか。しかし、なにもないとはいえ、神社とお寺と学校と郵便局だけは当時から同じ場所にあるということは興味深い。
59 いずみ橋から下流を望む
60 いずみ橋から上流を望む
長後街道を過ぎて、更に北に向かうと、右手に大きな建物があるのが目に入ってくる。区役所、保健所、消防署などが入る庁舎である。ここは泉区の行政的な中心地だ。
泉区は、1986年に戸塚区から分離独立してできた区である。同時に栄区もできているので、昔の戸塚区の面積はどんだけデカかったんだよ、ということになるが、農村部だったので人口が少なかったということだろう。
ところで、泉区という名称は、和泉川の名称と関係があるのだろうか。あるとすれば、なぜ漢字が異なるのだろうか。Wikiの記載によると、区名は公募によるものらしい。とはいっても、もともとは鎌倉郡和泉村が存在し、1889年に合併して中和田村となり、1939年に横浜市に編入されたので、和泉という地名はあったようだ。
横浜市の刊行物によると、
町内に「酒池」と呼ばれる池があり、池の水を父親に勧めると酒に変わっていたという伝説から「和泉」の地名が付いたとの説がある
とのことらしい。また、川の名称も、1879年の皇国地誌に、「泉川と称す...」とあるので、和泉と泉があまり区別されずに使われてきたと考えても良さそうだ。おそらく和泉村を流れているので和泉川(泉川)と呼ばれるようになったと想像される。
この和泉(泉・いずみ)という名称は、今では区名や川の名前だけでなく、相鉄いずみ野線やいずみ中央、いずみ野駅などの名称の語源にもなっているのだから、現在このあたりは「いずみ」だらけになっているわけである。
61 泉区役所前
区役所の横の道は、区の顔でもあるためか、植生も整えられて、美しい道になっている。管理にもお金がかかるだろうが、税金なので横浜市民でない私が心配することもない。ただで通らせてもらおう。
62 区役所前の美しい河畔
区役所の先の左岸側は、野球場が広がり、少年チームの試合が行われていた。応援する父兄で賑わっているこの運動場は、実は遊水池でもある。写真63の越流堤がその証拠である。これより水位が高くなると、野球場に水が流れ込むわけである。
63 和泉第4遊水池越流堤
和泉川と遊水池を分ける堰堤は桜並木になっていた。
64 堤防の桜並木
65 神田橋
66 神田橋から上流を望む
野球場の上流はテニスコートになっている。
67 宮下橋から上流を望む 68 菜の花が咲く河畔道
69 宮下新橋から上流を望む 70 遊水池北端へ
駅から離れるにしたがって、高い建物がなくなり、養鶏場があるような長閑な雰囲気になる。
71 養鶏場 72 遊水池を利用した駐車場
73 上分橋から上流を望む 74 水位観測装置
運動公園の遊水池を過ぎて、真新しい橋を渡るとコンクリートの色が新しくなり、河川整備が最近であったことがわかる。
75 西部あやめ橋 76 西部あやめ橋から上流を望む
77 新旧法面とせせらぎ 78 新主水分橋から上流を望む
新しい流路は直線的に整備されているが、写真80のところで旧河川と分岐(合流)する。
79 旧河川 その1 80 新旧河川分岐
旧河川は、深くえぐられ、岩盤が露出しているようなワイルドな川で、いかにも野生生物が住むのには良さそうである。しかし、曲がりくねっており、大雨が降れば流域が都市化した和泉川ではたしかに氾濫しそうである。
81 旧河川 その2 82 旧河川 その3
新しい和泉川の部分は工事中で立入禁止になっていた。
83 相鉄いずみ野線橋梁 84 河川工事中
11時42分に相鉄いずみ野線の橋梁についた。時間は早いが、今日はここまでとして、右折して最寄りの駅に向かう。
和泉川から、丘を登って10分、11時52分にいずみ野駅についた。
85 いずみ野駅ホーム 86 相鉄いずみ野線いずみ野駅
久しぶりの川の探訪であったが、和泉川は河川整備により直線化されコンクリート護岸となっており、自然の河川を味わうという意味では、価値はない。
が、逆に開き直ってこれでもか、というほど徹底的に改造しているところは、ある意味で気持ちが良いほどである。道路や橋なども含めて、この川に注ぎ込まれた税金の総額は、想像するのも怖い気がするが、おそらく横浜市自身も把握していないかもしれない。水辺の公園も、実は芝生の下に札束が敷き詰められているといえなくもないが、河川整備は治水という大義名分があり、ついでに公園を作ることに反対する人はいない。また、地元の中小企業に対する経済効果もあり、土地収用の問題も道路より少ないので、行政や地元関係者にとっては美味しい仕事でもある。
もっとも、そんな穿った見方をしなくても、素直に言えば、川沿いの散歩やウォーキング、ランニング、犬の散歩などにはもってこいの、適度に田園風景が味わえる川である。今日のハイライトは、境川遊水地公園、和泉川親水広場、地蔵原の水辺だろう。和泉川親水広場はゆめが丘駅、下飯田橋駅からも近く、おにぎりを持ってわざわざ家族で行くだけの価値があるとおもう。地蔵原の水辺は、いずみ中央駅の駅前だが、駅前の川辺でバーベーキューができるところは、ちょっと他に思いつかない。それらをつなぐ河畔の道や公園もよく整備され、気持ちよく歩ける川であった。
ただ、地蔵原の水辺でたまたまバーベキューをしていたお父さんたちは、今はアルファードに乗っているが、昔はかなりヤンチャだったのかな、と想像できるちょっと怖そうな家族の集まりだったので、隣でやるのはやめておきたいと思った。
心残りは、地蔵原というからには、お地蔵様がいたはずだが、確認するのを忘れてしまったことだ。
次回は、いよいよ、いずみ野駅より上流、源流に迫ることになる。
本日の歩数 17,875歩
◆第2日目 相鉄いずみ野線橋梁(横浜市泉区)〜源流(横浜市瀬谷区)
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