神田川探訪
井の頭公園を源流として、淀橋、お茶の水、秋葉原などの都心を経て隅田川と合流
◆
第1日目・前半(2008年1月15日)
隅田川合流地点
(東京都墨田区)
〜
高田馬場駅
(新宿区高田馬場)
今日は、神奈川県内の川ではない。日本の首都、大都会東京の真ん中を流れる川、神田川である。
実は、この川を知ったのは、中学生の頃、かぐや姫のヒット曲によってである。ちなみに、著者は当時から、フォークソングというものが大嫌いであった。何で、こんな暗くて女々しい曲がヒットするのか理解できなかったが、とにかく神田川を全国的に有名にしたのは間違いない。まあ、若い年代の人には関係のないことであるが。
話を元に戻すと、この川は都心を流れているが、水源はこれも有名な
井の頭公園
である。はたして武蔵野台地から流れ出した川がどんな流れを経て都心までつながっているのか。全面コンクリートで固められているのだろうか。これは現地へ飛んで自分の目で見る価値があるだろう。
というわけで、
浅草橋駅
に降り立つ。
1 浅草橋駅 2 上流側から望む柳橋
下流に向かって歩いていくと、柳橋である。このすぐ下流側で、神田川は隅田川に注いでいる。
3 柳橋から隅田川合流地点を望む 4 柳橋から上流を望む
柳橋付近は、現在はビル街だが、昔の花街の雰囲気が何となく残っているところだ。
5 柳橋 6 両国橋から隅田川上流を望む
現在でも船宿が数件残っている。昔は、若旦那と芸者さんが舟遊びに高じたことだろう。川には屋形船がたくさん浮かんでいる。隅田川の花火の時など大活躍しそうだ。
7 両国橋から神田川を望む 8 柳橋袂の舟宿
9 浅草見附跡 10 浅草橋から上流を望む
11 浅草橋 12 左衛門橋から上流を望む
13 美倉橋 14 美倉橋から下流を望む
ここの公衆トイレは、江戸風である。
15 美倉橋袂の公衆トイレ 16 和泉橋から下流を望む
和泉橋につくともうそこは世界的に有名な
秋葉原
である。橋の横には船着き場があるが、これは防災用だそうだ。普段は、ホームレスのたまり場になっている。
17 和泉橋からから上流を望む 18 和泉橋防災船着場
19 秋葉原電気街 20 山手線歩道橋から下流を望む
山手線、京浜東北線、新幹線の高架の下を川は流れている。
21 山手線の橋梁下 22 秋葉原石丸電気前
やがて、秋葉原の喧噪が聞こえる大きな交差点にでる。国道17号線、万世橋である。ちょっと前まで、交通博物館があったところだ。この橋は、なかなか歴史があるらしく、なんと昭和5年の架橋である。そういえば、こんな立派な欄干は今の橋には見られない。
23 万世橋 24 万世橋から下流を望む
25 万世橋側面
26 昌平橋解説板
その上流にあるのが、昌平橋である。これは、解説板を読んでいただいた方が早いだろう。こちらも昭和3年である。これを読んでいる人で、そのころに生まれていた人はほとんどいないだろう。
27 昌平橋 28 昌平橋から下流の万世橋を望む
29 昌平橋から上流を望む 30 湯島聖堂
左岸側を歩くと、湯島聖堂、昌平坂学問所跡である。有名な割に、敷地は以外と狭い。
31 湯島聖堂解説板
すぐ上が聖橋、橋を渡ると
御茶ノ水駅
である。駅や線路は神田川の谷の中腹にあるため、改札と橋の方が高い位置にある。
32 聖橋から下流を望む 33 御茶ノ水駅
聖橋は写真35のとおり、美しいアーチ型の橋である。昭和2年に出来たそうだ。都内の歴史ある橋は、関東大震災の復興で昭和初期に造られているものが多い。
34 聖橋から上流を望む 35 お茶の水橋から下流を望む
神田川は、このあたりで深い谷を形成し、都心に独特の風景を形作っているが、これは江戸時代、2代将軍秀忠の時代に、台地を開削して川を通したものだそうである。つまり、この風景は人工的なものだと言うことだ。当時としては、非常に大規模な工事であっただろう。
36 お茶の水橋から上流を望む 37 順天堂前付近の谷
そして、神田川の上流から引かれた水は、下の説明のとおり、神田上水として江戸市内に配水されていた。
38 神田上水跡解説板
大きな建物があったがこれはなんと都立高校であった。そのあたりの大学よりもよほど立派な校舎である。さすが東京都だ。
39 都立工芸高校 40 お茶の水分水路の碑
水道橋の地名の由来は、神田上水の水道橋があったから、ということだそうだ。
41 水道橋を望む 42 水道橋(駅)
後楽園
は、東京ドームと遊園地であまりにも有名である。今は、ドームシティというらしい。
43 水道橋から下流を望む 44 後楽園
ここにも船着き場があった。先ほど川を遡っていったジェットスキーの集団が、ここで陸にあがっていた。みんなおじさんで、外国人もいたが、あまりの寒さにふるえているのが見ていてつらい。
45 水道橋から上流を望む 46 市兵衛河岸防災船着場
47 後楽橋から下流を望む 48 水道橋駅前交番
後楽園橋の上流には、ゴミ集積場があり、船に積み込めるようになっている。埋め立て地まで運ぶのだろう。日本橋川もここで分岐している。写真50を右に行けば、
日本橋
に出られるはずだ。
49 後楽橋から上流ゴミ運搬船を望む 50 日本橋川との分流点
このあたりは、首都高が川の上を塞いで、重苦しく、暗い雰囲気だ。
51 小石川橋から上流を望む 52 首都高5号線の下を流れる
53 船河原橋を望む 54 飯田橋
ここ飯田橋で、真っ直ぐ遡上すると、江戸城の
外堀
、神田川本流は90度曲がって北上している。相変わらず、首都高が頭上について来る。
55 飯田橋を直進して外堀に続く水路 56 飯田橋で外堀と分かれて北上する神田川
57 ?分水路 58 新隆慶橋
59 白鳥橋 60 新白鳥橋と凸版印刷ビル
61 水道橋分水路 62 中之橋
63 中之橋解説板
64 西江戸川橋から上流を望む
65 西江戸川橋解説板
66 石切橋解説板
67 石切橋から下流を望む 68 石切橋から上流を望む
69 江戸川橋から下流を望む 70 江戸川公園
江戸川橋を渡ると、
江戸川公園
である。とはいっても、写真66のとおり、本当の江戸川ではなく、神田川の別名だ。ここからは、緑に囲まれた川沿いの遊歩道が続き、歩くのに楽しい区間である。
71 江戸川橋から上流を望む 72 江戸川公園内の川沿い遊歩道
ここが、神田上水の取水口跡である。
73 大洗堰 74 大洗堰解説板
椿山荘
は、都心に残された貴重な緑である。もともと、明治の元勲、山県有朋の屋敷であり、大阪の藤田財閥が買い取ったものらしい。現在も、ワシントンホテルや小湧園で有名な藤田観光が所有している。
75 大滝橋から下流を望む 76 椿山荘
77 関口芭蕉庵解説板
78 関口芭蕉庵 79 胸突坂
80 胸突坂解説板
81 駒塚橋から下流を望む 82 豊橋から上流を望む
このあたりは、桜並木が続いている。春はたいそう美しいのだろう。ここではじめて、川らしい落差と急流を見た。やがて、川は唯一の都電である、
荒川線
にぶつかる。
83 高戸橋手前の流れ 84 都電荒川線
85 高戸橋 86 高田馬場分水路
87 高田橋から上流を望む 88 高塚橋から上流を望む
高田橋を過ぎると、
高田馬場駅
である。高田馬場といえば、
早稲田大学
のイメージが非常に強い。早稲田大学の近くを神田川が流れていたのは知らなかった。これは、都民にとっては常識なのだろうか。
89 高塚橋から下流を望む 90 高田馬場駅
都心を流れる神田川は、コンクリートで固められ、高速道路、高いビルに囲まれ、開放感はない。しかし、歩いてみると、今までまったく独立している思っていた街が、実は連続性をもっていること、そして、江戸時代からの歴史といった時間的な連続性を感じることが出来る。都会ならではの川歩きであった。次回は、いよいよい神田川の水源にせまる。
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第2日目・後半(2008年1月26日) 高田馬場駅〜源流
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