目久尻川探訪
相模原台地末端からの湧水を集め、座間市、海老名市、綾瀬市、寒川町を経て、相模川と合流する
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第1日目 2008年12月27日 相模川合流地点 (寒川町一之宮)〜目久尻橋(海老名市国分南)
目久尻川は、座間市の相模原台地の末端の谷から流れ出て、寒川町で相模川の左岸に合流する全長19.2kmの一級河川である。一級河川とはいっても大きな川ではなく、単に相模川の支流だから指定されたのだろう。
ところで、目久尻(めくじり)川とは、なんとも奇妙な名前である。なぜこのような名前がついたのだろうか。地元の古老しか知らないこの名前に秘められた驚愕の事実は...後ほど明らかになる?として、冬晴れの中、早速、相模川の合流地点へ向かうため、湘南銀河大橋で相模川を渡る。この美しい橋は、交通量も少なく、相模川下流では一番のリバービューポイントである。
写真2のとおり、橋の上から合流点がはっきりと俯瞰できる。赤白の鉄塔の方から流れてくるのが目久尻川である。
1 湘南銀河大橋 2 銀河大橋から合流地点を望む
土手からは、富士山と丹沢山地の景色が見事である。
3 銀河大橋と富士山 4 大山・丹沢の山々
さて、肝心の合流点だが、橋の上からあんなにはっきり見えたものの、ものすごいブッシュのため、現地に近づくことは出来ない。土手の上から見るのみである。
やがて土手の道は、目久尻川の河畔になり、その先には工事中の道路がその巨大な姿を晒している。
5 相模川左岸の土手から合流地点を望む 6 工事中の相模縦貫道
水質はというと、見た目はかなり綺麗で、カモが群れて、水草も繁茂している。
7 河原橋から上流を望む 8 のんびり泳ぐカモたち
9 水草(エビモ?)の繁茂 10 鷹匠橋から上流を望む
工業地帯を抜けると、相模線で河畔の道は途切れるが、強引に下を突破する。ちなみに、良い子のみなさんは、決しておじさんのまねをして柵を乗り越えたりしないように。
11 相模線橋梁行き止まり地点 12 相模線橋梁下部
ここは、神奈川県営水道の寒川浄水場の敷地である。水道施設なので、導管の上の橋は立入禁止だ。
テニスコートがあるが、そこを少し戻ると、水道記念館がある。
13 立入禁止の橋 14 水道記念館解説板
ちょっとした公園になっており、記念館の中は水道の仕組みを子供向けに展示してある。
建物は、クラシックな水道施設で、その保存の意味もあるのだろう。
15 水道記念館前の公園 16 水道記念館全景
17 水道記念館玄関 18 水道記念館の横顔
19 水道記念館内部 20 水道記念館の展示
水道記念館を後にして、川に戻る。端午橋を渡ると、道祖神のある寒川神社の参道になる。寒川神社は、相模の国の一之宮すなわち、もっとも格上の神社であり、神奈川県では、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮と並んで有名な神社である。
21 端午橋から上流を望む 22 道祖神
団子茶屋が良い雰囲気を出している。
23 寒川神社参道 24 門前の茶屋
境内では、クレーン車が入ってお正月の照明の準備をしていた。ものすごい人が押し寄せるはずだが、今はまだご覧のとおり人は少ない。正月の混雑緩和のために、選挙のように年末から事前お参りが出来ないものかなどとバカなことを考える。
そういえば、子供の頃は鹿がいたような記憶があるが今もいるのだろうか。
25 境内の正月準備 26 門
27 本殿 28 宮山橋
寒川大橋からは、綺麗な河畔の道が続く。それも、写真30のような地域の方の努力のおかげであることを忘れてはならない。
29 寒川大橋から上流を望む 30 草むしりをする女性
宮山大橋の横には、大きなマンションが建っている。
31 宮山大橋から上流を望む 32 寒川橋手前の水路の合流
ここから上流は、水田が広がる中を川が一直線に流れており、相模平野を代表するような、見事な田園風景である。このような広々とした光景は、神奈川県内では、相模平野と足柄平野の一部でしか見ることが出来ない。
33 上落合橋付近の河畔の道 34 富士山と丹沢を望む
旭橋から上流に綺麗な橋が架かっていると思って近づくと、それは橋ではなく掛樋(かけひ)であった。川を跨ぐ水路である。立派な農業用水が通っていた。
35 旭橋から上流を望む 36 寒川掛樋
クリーンセンターの横は、ふるさと緑道という名前の付いた町道で、親水施設があり、カモが群れていた。
37 寒川クリーンセンター 38 目久尻川ふるさと緑道の浸水施設
ここで、初めての明確な川の段差を見る。このあたりでもまだ、標高は10mに満たない。
39 カモたち 40 初めての段差
41 鷹匠橋から上流を望む 42 河畔のベンチ
農地の中に、大きな焼却場が建っていて、その横にはお決まりの廃熱利用温水プールがあった。
43 戸中橋から上流を望む 44 清掃処理場
45 温水プール 46 東海道新幹線橋梁
恵まれた環境から、サギ類はよく見かける。立ち入り禁止といわれると橋を渡ってみたくなるものであるが、やめておく。
47 コサギ?とアオサギ 48 立入禁止の小橋
用田橋に到着した。おなかが空いたので、コンビニを探すが、見あたらないので、諦めて、また川を遡上する。
49 用田橋から下流を望む 50 用田橋から上流を望む
51 広域水道企業団目久尻川水道橋 52 藤沢市用田付近の田園風景
川の駅という変わった場所があった。地域の人が運営しているのだろうか。この趣味から見て、お年寄りの憩いの場になっているのかもしれない。ちなみに、説明板によると
中将姫
というのは、藤原鎌足の孫、豊成の娘で、継母に殺されそうになって放浪した美しい姫らしい。その姫とこの地がどのような関係にあるのかよくわからないが、近くに祠があるらしい。
53 川の駅中将姫 54 横須賀市営水道橋
用田橋からは、サイクリングロードが続いており、歩くのには最高の環境だ。
55 道庵橋橋から上流を望む 56 目久尻川サイクリングロード
57 村野橋から上流を望む 58 堀之内橋から上流を望む
田園風景が続く。このあたりは、高座豚が有名で、養豚が盛んな地域である。まだ、住宅が周囲にそれほどなく、思う存分おいしい豚肉を作っていただいていることだろう。ただ、排水が目久尻川の水質汚染の原因とならなければ良いが、と心配してしまう。
59 綾瀬市吉岡付近の養豚場 60 群れる鯉
養豚場ではないが、写真61のように生活排水による水質汚濁がまだ認められる。このあたりはまだ公共下水道が入っていないのだろうか。
61 汚染源となる排水 62 「はしもとや」菓子店
吉野橋というところで、大判焼きの看板が目に入った。その視覚情報は先ほどからさかんに空腹を訴える脳にすぐ伝えられて、脳からの指令を受けた足はすぐにその菓子店へと向かう。地元でも有名なお店らしく、狭い店内には先客がいた。人の良さそうなご主人がいて、話が弾んでいる。
たこ焼きと大判焼きを買って橋の横で食べる。通りかかった3人組の中学生らしい女の子は、不審な中年男が、道端でたこ焼きをパクつくのをじろじろ見ていたが、気にせず食べる。空腹による低血糖で倒れるよりはましである。
大判焼きは評判通りあんこが詰まっていてうまい。写真を見ていただきたいが、食べかけの汚い写真しかないのでやめておく。
空腹が満たされ、歩き始めると、せせらぎ広場という場所に出る。広場というよりは遊水池そのものである。
63 せせらぎ広場 その1 64 せせらぎ広場 その2
65 せせらぎ広場 その3 66 新武者寄橋から上流を望む
大きな橋に出る。武者寄という地名らしい。
67 綾瀬市早川付近 68 綾瀬西高校
高校の前を通り過ぎ、東名高速道路の下をくぐる。周囲は住宅開発が進んでいるが、川に至る斜面には多少の緑が残っている。
69 内藤橋上流 70 親水施設で遊ぶ女の子
71 地元の大きな家 72 ナンテン?の赤い実
73 目久尻橋から下流を望む 74 目久尻橋から下流を望む
その名もズバリ、目久尻橋に到着した。今日中に源流まで行くのは不可能なので、余力を残し海老名駅へ向かう。
75 目久尻橋横のファミリーレストラン 76 伊勢山付近の住宅地
地図を見ると、駅に向かう途中に、歴史を感じさせるようなアイテムが散見される。時間も体力も余裕があるので、寄り道をすることにする。
まずは、伊勢山であるが、川を見下ろす位置に本当に小さな山がある。
伊勢山大神宮という神社があるらしいということで、すごい神社を想像したが、入り口はさび付いた鉄の階段があるだけである。山の上にあった神社も、完全に名前負けしている。どうやら、後年有志により再建されたらしい。
77 伊勢山大神宮登り口 78 伊勢山大神宮社殿
山を降りて、今度は自然公園へ向かう。
79 伊勢山自然公園 その1 80 伊勢山自然公園 その2
山の上にベンチがあるが自然公園というには、これも名前負けしているように気がした。しかし、公園ならば、この小さな山は開発の波からは守られることだろう。
今度は、国分寺跡へ向かう。
81 伊勢山自然公園 その3 82 相模国分寺遺蹟碑
時は、奈良時代。ここに巨大な相模国の国分寺が建てられたそうである。当時、庶民は、竪穴式住居に住んでいたくらいであるから、高さ65mの七重の塔は、今でいえばランドマークタワー以上のインパクトである。
海老名市の資料
によれば、遺蹟そのものは江戸時代から知られていたが、明治時代に海老名小学校の中山校長先生が研究と保存に尽力したそうである。中山先生がいなければ、昭和の時代には間違いなく畑が開発されて、住宅やマンションが建っていたに違いない。そんなわけで、この遺蹟は住宅に囲まれた中にも広々とした空間を維持しており、奈良時代の権威ある場所は、今では子供達の貴重な遊び場になっている。
83 礎石 84 遺跡の中の柿ノ木
解説板は老朽化しており読みにくいが、一応載せておく。
85 中門跡 86 中門跡解説版
87 塔跡解説版 その1 88 塔跡解説板 その2
89 塔跡 90 塔跡全景
ここに七重の塔が建っていた。
91 全体解説板
解説板に江戸時代の絵図があったので興味を持った。左の方に国分寺跡、伽藍礎石とあるので、当時から遺蹟が認識されていたことがわかる。江戸時代の国分寺は、その右側の崖の上にある。そのさらに右には八幡神社がある。おもしろそうなので後ほど行ってみることにする。
92 解説板の拡大図
国分寺へ向かう途中に、大ケヤキがあった。
93 大ケヤキ解説板
94 大ケヤキ
95 国分寺入り口 95−2 江戸時代の同じ場所の絵図
江戸自体の絵図のとおり、現在の国分寺は、崖の上にあった。絵図と異なり、崖がコンクリートで固められているのは残念だが、まさしく寺は当時の場所に現存していたのである。感激だ。写真95を撮った私は、95−2の絵図の人物とまさに同じ場所に、170年後の今、こうして立っているのである。しかも、写真95の階段上に写っているのと同じ木らしいものが絵図にもあるではないか。
ちなみに大ケヤキは絵図には載っていない。すでにかなり大きな木であったはずだが...。
八幡社は見あたらなかった。国分寺の南側は大きな道路の切り通しになっており、そこか、あるいは海老名小学校あたりにあったものと思われる。
国分寺を跡に、さらに、南に向かう。なんと、古墳があるらしい。
96 国分寺全景 97 ひさご塚古墳上部
98 ひさご塚古墳解説板
確かに古墳があった。周りは住宅で埋め尽くされ、周囲を削られコンクリートで固められており、昭和25年の面影はない。しかし、大正時代に村が買い取らなければ、やはり跡形もなく破壊されていただろうから、まだ幸運であった。
99 ひさご塚古墳後円部頂上 100 頂上の三角点?
古墳の後円部分の頂上に登ってみると、結構高くて、景色がよい。この古墳を作った豪族もここに登って、自分の領土を見渡したのだろうか。
101 ひさご塚古墳からみた海老名市街 102 ひさご塚古墳から北東方面を望む
奈良時代、江戸時代、古墳時代と時空を越えた忙しい旅であったが、そろそろ終わりが近づいた。21世紀の商業文化の象徴のようなビナウォークを通って海老名駅に向かう。この中央広場には、7重の塔が再現されているが、個人的には周囲との違和感がありすぎるような気がしていまいちである。
さて、この巨大なショッピングモールも、1000年後には、未来人に巨大な鉄とコンクリートの遺跡として発掘されるのだろうか。それとも人類はもう存在しないのであろうか。見てみたいものである。
103 ビナウォーク その1 104 ビナウォーク その2
105 ビナウォーク その3 106 ビナウォーク その4
相模平野の東側を流れる目久尻川は、平坦で河畔の道も整備されている。相模野の自然と田園風景を満喫するにはなかなか良いコースだ。交通の便を考えると寒川神社を起点にするのがよいかもしれない。
このレポートは途中から、川を離れて遺跡巡りになってしまったが、これはこれで結構楽しめた。歴史に興味のない方には申し訳ないが、たぶん読み飛ばしていただいただろう。
次回は、いよいよ、源流に迫ることになる。
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第2日目 目久尻橋(海老名市国分南)〜源流(座間市栗原)
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