目久尻川探訪
相模原台地末端からの湧水を集め、座間市、海老名市、綾瀬市、寒川町を経て、相模川と合流する
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第2日目 2008年12月28日
目久尻橋
(海老名市国分南)〜源流(座間市栗原)
目久尻川の2日目である。川へ向かうと、途中に古そうな建物が建っていた。温古館というらしいが、耐震性がないため、現在は閉鎖されているようだ。昔の村役場だそうだ。
1 ビナウォーク 2 海老名市温古館
またまた途中に歴史関係の遺蹟があった。逆川という古代の運河らしいが、詳細は解説板を読んでいただくことにする。
3 逆川の碑 4 逆川解説板
5 逆川史跡図
目久尻橋から北上すると、伊勢下村橋に着く。ここにはなぜか服を着た河童が2匹いた。外見から勝手にオスとメスだと決めつけたが解剖学的に確かめたわけではない。どうして河童かというと、これは前回予告した目久尻川の名前の由来に関係があるらしい。詳しくは
ここ
を読んでいただきたいが、これで妙な川の名前の謎が一応解けた...ということにしよう。
河童の頭はどうなっているのだろうかと思って、帽子を取ろうとしたら、ちゃんと針金で固定してあった。たぶん同じようなことを考える人が多いのだろう。
6 目久尻橋から上流を望む 7 伊勢下村橋の河童♀
8 河童♂ 9 相模鉄道橋梁
相鉄線を越える。
10 海老名市柏ヶ谷付近の河畔 11 弥生橋から上下流を望む
やがて、右岸に学校や公園が見えてきた。
12 杉っこ橋 13 杉本小学校付近
高層マンションと公園の組み合わせは、一挙に都会的な雰囲気を醸し出す。地図を見るとかしわ台駅がすぐ近くにあるのでそのせいだろう。
14 北部公園の親水施設 15 北部公園河畔の道
なぜか、公園の中にお墓がある。公園用地の買収に苦労したのがわかる、不思議な光景である。
16 北部公園の中の墓地 17 北部公園
18 北部公園内の人工のせせらぎ 19 産川橋付近
産川橋からは、また、快適な河畔道が続いている。
20 産川橋の河床 21 流れに近づく
22 かしわ台駅の北側の河畔 23 段差
24 寒川橋から下流を望む 25 寒川橋から上流を望む
26 湧水の流入 27 カモの群
水はかなり澄んでいて、カモも気持ちよさそうである。湧水がかなり流れ込んでいるのだろうか。
28 湧水が流入する親水公園 29 湧水
左岸に湧水のある親水公園が現れた。右側からは写真29のように湧水が湧いている。左側は瀧になっているが、水路から流れ落ちている。かなりの水量だ。この奥に、「いっぺい窪」という有名な湧水地があるらしい。ホタルも飛ぶらしいが、残念ながら民有地で入れない。
30 湧水が流れ落ちる瀧 31 いっぺい窪湧水からの水路?
湧水は写真32の谷戸から流れてきているが、いかにもという感じの地形である。
32 座間市南栗原付近の谷戸 33 巡礼橋から上流を望む
34 龍蔵神社 35 龍蔵橋から上流を望む
ここで、芹沢川が合流する。芹沢川の源流がどんなところか確かめたい気持ちが押さえきれなくなったので、源流地域に分け入ることにした。そのレポートは次のとおりだが、なかなかおもしろかった。興味がある方はぜひご覧いただきたい。
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芹沢川 三叉橋(座間市南栗原)〜源流(座間市栗原)
36 橋馬橋から上流、芹沢川合流地点を望む 37 若宮橋から上流を望む
国道の高架があり、ここで川が地下に潜る。再び地上に出たところに目久尻川の碑があった。
38 246号線高架下の目久尻川由来の碑 39 藪根橋から下流を望む
40 藪根橋から上流を望む 41 下の向橋から上流を望む
42 上栗原中橋から上流を望む 43 米軍水源地?
44 生活排水溝 45 立野橋から上流を望む
写真46のベッドでは、本当にカモが寝ていた。実に気持ちよさそうである。
46 カモの寝床 47 上谷橋から上流を望む
やがて、大規模な遊水池に到着した。無秩序な宅地開発の代償である。
48 栗原遊水池テニスコート 49 栗原遊水池解説板
先ほどから見てきたようにこのあたりは相模原台地の南端で地下水が豊富であることから、米軍や座間市の水道水源地になっている。
50 栗原遊水池の池 51 座間市市営水道第3水源
遊水池の近くを犬を連れて散歩するおじさんに会う。ちゃんと糞を処理する道具を持っていて感心だなと思って見ていたら、取った糞を目久尻川に投げ捨てた上に、道具を振り回して周りに糞をまき散らしていた。マナーの悪い飼い主だ。神様はきっとどこかで見ているはずで、彼にバチが(例えば頭に...)当たらないかと余計な心配をしてしまう。
52 犬と散歩するおじさん 53 栗原遊水池グラウンド
このあたりは、遊水池のせいか、広々していて、牧場がよく似合う。
54 牧場 55 湧水
56 前田橋から下流を望む 57 前田橋から上流を望む
川は、コンクリートで固められて道路沿いに続く。そして、小池仲橋で写真58のような標識が現れた。ここから上流は河川法上は目久尻川ではないらしい。ここから、上流は写真60のように暗渠になってしまった。水量は減り、再び汚れてきた。
58 一級河川境界標 59 小池仲橋から下流を望む
再び流れが顔を出すが、写真61のように鉄とコンクリートで固められた排水路になってしまったのは悲しい。
60 小池仲橋から上流を望む 61 相武台東小学校手前遊水池付近
小学校の手前で、流れは再び地下に潜る。
62 道端の井戸 63 相武台東小学校の地下に入る
位置的には、校庭の真ん中を暗渠になって流れているらしい。学校の反対側で再び流れを見つけて、推論が正しかったことを知る。
64 相武台東小学校校庭 65 小学校の北から再び地上に出る
66 小池跡地近くの橋 67 66の橋から上流を望む
川沿いのところどころにある解説板によると、昔、小池谷に小池という湧水池がありそこから目久尻川が流れ出ていたという。その池が埋め立てられた場所が写真68の児童公園である。隣には小さな神社がある。
68 小池跡 69 白髭弁財天両社
碑文を読むと、昭和33年までは、自然の渓谷と池が残っていたようだ。過去に、ここが源流であったと思うとその無惨な変わり様に胸が痛くなる。
70 白髭弁財天両社の碑
現在の目久尻川(法律的には河川ではないが.....)は谷底をさらに流れ続ける。
71 住宅地の中を流れる 72 相武台北バス停付近
谷の斜面も写真73のようにマンションになってしまった。
73 谷の斜面に建つマンション 74 ホーユーパレス付近
最後に水の流れを見たのは写真76が最後であった。
75 県営エコハイム付近の橋 76 75の橋から上流を望む
写真77の右側の林の中を流れる川は、小田急線の下に潜ってしまう。踏切を渡り、反対側を検索すると写真78のとおり、県道が谷に向かって下っていることが、地形から推測できる。
77 小田急線堰堤 78 県道町田厚木線の小池谷
県道の谷の部分から南に降りる道がある。幹線道路は土盛りしてあるのだ。そして、小田急線の北側の谷底には、住宅が密集して建ち並んでいる。しばらく探索するが、水路は見あたらない。きょろきょろしていると、住んでいるおばさんに声をかけられる。目久尻川はどうなっているのかと聞くと、「線路からこちら側は、土管になって見えないのよ。地下の相当深いところにあるらしいわ。」とのこと。この谷の雨水が流れるのだからたしかに深い場所にあるのだろう。というわけで、おばさんの証言により、ここに、源流を追い求める旅に終止符が打たれたのであった。
しかし、ここで疑問が湧いてくる。あれだけの深い水路を地下に作るのであれば、地上から深く掘ることになり、工事にもそれなりのスペースが必要である。
そして見つけたのが、写真79の道である。明らかに不自然なほど広く、両側にスペースが余っている。この下に地下水路があると睨んだ。地形図ではわかりにくいので、下の地図を見ていただきたい。
写真79の道路はここである。南側の水路とラインが一致しているので間違いないだろう。写真79の地下を目久尻川の源流が流れているのである。そして、県道をくぐった水路は、写真80のレストランの横を通って、相武台団地の雨水集水溝につながっていると推測された。昔は、このあたりが、小池谷の最深部だったのである。
79 県道から座間市広野台の谷底へ向かう道 80 広野台1丁目の谷底
目久尻川はかつては、相模原台地の豊富な湧水を集めて、相模平野を潤していた。その後の急激な開発により、見る影もなくなったが、下水道の普及により水質の改善が見られた川である。湧水の枯渇により、その水量や魚の種類は往時から比べれば少ないのだろうが、歩いてみるとまだまだ、自然を楽しめる川である。
残念なことに、源流域が小田急線の駅に近かったために、急速な開発が進み、元の地形や水源が跡形もなく破壊されていた。むしろ、中流域の方が交通が不便なために、水質も環境も良いという珍しい川である。
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第1日目 2008年12月27日 相模川合流地点 〜目久尻橋
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