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◆第4日目(2006年4月22日) 林ロータリー 〜 油壺
林ロータリーから出発である。自衛隊の水兵さんがたくさんいた。
1 林ロータリー 2 富浦公園海岸
自衛隊基地の前の国道を南へ歩くとやがて荒崎入り口の交差点だ。右折したところが富浦公園である。
3 富浦公園 4 小和田湾
ここからしばらく整備された護岸が続く。小和田湾である。突端は、県営長井住宅である。
5 長井岡崎公園 6 長井港
尾形湾は長井漁港になっている。水産会社直営の店があって、水産物が安い。ここで、焼き貝を食べる。
7 水産会社
8 貝の串焼き
磯の向こうは富士山だ。
9 富士山を望む 10 水産研究所
水産研究所をすぎると荒崎公園である。
右手の階段を上ると夕日の丘だ。ここからみる富士山と夕日はすばらしいらしい。昔は軍の要塞で、夕日の丘は高射砲陣地だったそうだ。この広場で夏の夕方にバーベキューでもやったら最高だなどと考えながら丘を降りると見事な海岸美が待っていた。
11 荒崎シーサイドコース案内板 12 夕日の丘 その1
ハイキングコースが整備されていて誰でも景観を楽しめる。しばし、荒崎公園の海岸美を堪能していただこう。
13 夕日の丘 その2 14 荒磯公園 その1
15 荒崎公園解説板 16 荒崎公園 その2
17 荒崎公園 その3 18 荒崎公園 その4
19 荒崎公園 その5 20 荒崎公園 その6
やがて写真20のようなひなびた浜の寒村をすぎると海岸に写真21の別荘?が建っている。良くテレビのロケで使われているところだ。この別荘にお金持ちの犯人が逃げ込んで、最後に観念して逮捕されたりする。
栗谷浜漁港をすぎると、左手の崖下から湧水がいくつも湧いているポイントがある。
21 別荘 22 わき水
23 わき水の湧出点 24 海岸の樹林
この上は平坦な台地になっていてアメリカ軍(自衛隊?)のレーダー基地があったらしい。古い地図でこの土地を見ると細長い敷地に道路がまっすく走っている。見る人が見ればわかるようにここは長井飛行場跡地、正式名は横須賀第二飛行場というらしいが、終戦直前にできあがったそうだ。もう少し、戦争が長引いて本土決戦が行われれば、特攻機が飛び立っていったのだろうか。その後、アメリカ軍に接収され、ヘリ基地ができ墜落事故もあったそうだ。その後、米軍ハウスができて、1985年に返還され、現在長井海の手公園という施設になっているらしい。今日は時間の都合で訪れるのはやめておこう。話がそれたが、要するにその崖下からは今も懇々と清水が湧いているということだ。
海から台地を見上げると、美しい樹林と広い空があった。
岬を抜けると和田長浜だ。夏は海水浴場になるが、今はヨットが並ぶのんびりとした砂浜である。
25 台地を見上げる 26 和田長浜
怪しげな洞窟があったが日蓮聖人ゆかりの地らしい。
ここから三戸浜方面へ抜けるには、西武の買い占めた広大な土地を横断するとすぐなのだが、あいにく通行止めになっており、仕方なく国道まで迂回せざるを得なかった。西武は、ここにお得意のマリーナを中心としたリゾートを作ろうとしたのではないかと想像するが、現在はただの荒れ地である。国道沿いには潮風アリーナというものができていた。体育館だろうか。
27 海岸の洞窟 28 潮風アリーナ
黒崎ノ鼻という岬があるのだが、断崖で通れそうにない。台地の上に登り西武の土地と和田長浜方面を見下ろしたのが写真29である。台地上は平で一面のキャベツ畑である。遠くにあるオレンジ屋根の一軒家がメルヘンチックだ。
29 台地から和田長浜方面を望む 30 キャベツ畑
台地から三戸浜に降りる。海沿いのペンションでは大勢の若者が楽しそうに大騒ぎしていた。
31 台地の上から海を望む 32 海岸のペンション
33 三戸浜 その1 34 三戸浜から油壺方面を望む
35 三戸浜 その2 36 台地に上がる農道
三戸浜からまた台地上に上がる。この辺は高級別荘が並んでおり、私有地のため、下の小網代湾には近づけない。別荘越しにかろうじて小網代湾を撮ったのが写真37である。眺めは最高だろう。
台地上は工事中であった。大規模な、ほ場整備をしているとのことだが、作物の出荷額より整備にかかる土木工事費用の方が高そうな事業だ。やがて、昔ながらの農道に戻る。
37 小網代湾 38 ほ場整備
写真40のような景色のよい田舎道をあるいているとやがて唐突に地方法務局が現れる。そして国道134号線に出る。地図を見ればわかるように、このルートは海岸を大きく迂回している。このあたりは引橋という地名である。地図を見ると途中から小網代湾に降りる小径があるようだが、気がつかなかった。
39 農道 40 眺めの良い台地
国道沿いには、こんな小さな家もあるが、右手は一面の森である。
41 国道沿いの家 42 小網代の森
引橋からさらに南下すると、写真43のように国道から右に入る道がある。油壺への近道である。右手は先ほどの森だが、なにかのタワーが見える。
43 油壺方面への分岐点 44 小網代配水塔
これは水道の配水塔であった。このあたりの台地上の道は明るくて気持ちの良い景色だ。
45 配水塔近景 46 台地から南を望む
石像群があるところを見るとこの道は相当古いのだろう。たしか、油壺には戦国時代に城があったはずだ。
やがて右手に日本の近代マリーナの草分けであるシーボニアが見える。その向こうは小網代湾である。
47 石像群 48 シーボニア
左手に油壺験潮場の入り口があったので降りていく。油壺湾である。油壺湾はその名の通り波がほとんどないので潮位を測るにはもってこいの場所だ。験潮場の建物も由緒がありそうだ。
49 験潮場入り口 50 油壺験潮場
登り返して、マリンパーク前に立つ。はやりの海洋深層水の設備があった。どのように利用しているのだろうか。
51 油壺湾 52 海洋深層水処理装置
さらに奥が新井城跡である。鎌倉期以降この地を支配した三浦氏の居城であったが、かの北条早雲に攻め滅ぼされている。確かに断崖にかこまれているので、防御に優れていた城だったろう。先ほど通ってきた引橋が前線の防衛ラインだったそうだ。
53 油壺マリンパーク 54 新井城跡
この下には写真のようにちょっとした穴場のビーチがある。
ここから、バスで京急三崎口駅まで出て帰った。三崎口からの京急快速特急は、始発でもあり写真このように空いていたが、この車両はいつ乗っても快適である。JRだったら必ず特別料金を取るだろう。
55 マリンパーク下のビーチ 56 京急線快速特急車内
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