相 模 川 探 訪
山中湖を源流として相模平野を潤し相模湾に注ぐ神奈川県を代表する一級河川
◆
第8日目(2007年12月2日)
鐘山の滝
(富士吉田市・忍野村)〜
源流
(山中湖?)
延べ8日間という長期間の取材と総額4万円は下らないという多額?の制作費をかけて推進されてきた大プロジェクト「相模川探訪−母なる大河の素顔にせまる−」(後半のサブタイトルは今思いついたものだが...)もいよいよ最終日。感動のフィナーレ(となる予定)である。このシリーズは、従来の河川探訪とは比べものにならないほど過酷なものであったことは、これまでのレポートを読んでいただいたみなさんなら理解していただけると思う。それだけに、よくぞ今まで無事に歩いてこられたと思うが、ここは最後まで気を引き締めなくてはならない。
とは言っても、このあたりは日本でも有数の観光地であって、さほど危険な場所ではないのが救いだ。(というより、最終日ということもあり、思わず口笛を吹きたくなるくらいのお気楽さである。)
これだけ大きな川の源流で、しかも1000メートル近い標高があるにもかかわらず、これだけ開発され、交通の便がよく、なおかつ、景色が素晴らしいところはおそらく他にはないであろう。日本の大きな川の源流はたいてい登山道もない険しい山岳地帯の最深部で、素人が気軽に入れるところではないのが普通である。しかも、もう12月、季節は立派な冬である。
前置きはこれくらいにして、本題である。前日に引き続き、富士吉田市と忍野村の
境界付近
に来たが、今日は逆方向からのアプローチである。今までは、下流方面から中央線、
富士急行線
を使って来たが、今日は、反対側の
御殿場駅
からバスで
篭坂峠
を越えてきたのである。自宅からはこのルートの方が時間的にも交通費の面からも有利なのだ。
バスを降りてパノラマラインを山中湖方面にすこし戻って忍野方面に左折すると鐘山橋である。
1 富士パノラマライン(国道138号線)山中湖方面へ 2 鐘山橋付近
山の向こう、富士吉田側の山際にある忍野発電所にトンネルで水を送る施設がある。堰に貯まった川からは、もやというか湯気のようなものが立ち上っていた。気温よりも水温が高いのだろうか。
3 忍野発電所取水堰 その1 4 忍野発電所取水堰 その2
5 忍野発電所取水口 6 忍野発電所への発電用水路
7 忍野村からみる相模川と富士山 その1 8 もやがたちのぼる相模川
この河畔からは、富士山が美しい姿を見せた。
9 忍野村からみる相模川と富士山 その2
ここも、忍野発電所と同じコンセプトで、トンネルによって富士吉田側の
鐘ヶ淵発電所
に水を送っている。こんな上流の2カ所で、相模川は大半の水を発電に取られてしまう。
10 鐘ヶ淵発電所取水堰 11 臼久保橋からみた富士山
12 臼久保橋から下流を望む 13 臼久保橋から上流を望む
途中、建物の外観に惹かれてつい入ってしまった、山梨県立の淡水魚の水族館。入場料は400円だが、休日というのに誰もいない。見終わった感想としては、海水魚の水族館と比べて地味で、もう一度みたいとは思わない程度の内容であった。淡水魚を食べさせてそのおいしさをアピールするなど、企画を工夫する必要があると思う。リピーターが期待できないとすると、建物が古くなり展示が陳腐化したときの集客が課題だろう。今でもたぶん赤字だろうが、隣に淡水魚の試験場があったので、飼育技術は応用がききそうだ。人件費も多少節約できるのかもしれない。
14 さかな公園 15 さかな公園の水槽 その1
16 さかな公園水槽 その2 17 わらぶき屋根の納屋?
ここで、相模川の本流を離れて、水源として有名な忍野八海に行ってみる。相模川支流の新庄名川は大変美しい、日本昔話に出てきそうな川である。観光地なので、コンクリートで固めるわけにもいかないのだろう。この先で忍野八海からの湧水が流れる阿原川と合流する。
18 新名庄川 その1 19 新名庄川 その2
20 新名庄川 その3 21 新名庄川 その4
22 新名庄川 その5 23 八海橋
24 阿原川と新名庄川合流点 25 阿原川 その1
いよいよ、
忍野八海
に入る。昔は山中湖と一体の大きな湖だったのが、溶岩流により隔てられて、湧水口だけが残ったのが
成因
だそうだ。池毎に解説板が立っている。
26 忍野八海銚子池解説板 27 銚子池
28 阿原川 その2 29 水車
30 濁池解説板 31 濁池
湧池は解説のとおり最大の湧水量を誇っている。写真33の右奥が深い洞窟になっており、そこから青い水が大量に出ているらしい。のぞき込むと吸い込まれそうな感じである。
ここでは、1987年にテレビ関係者が取材で潜り、そのまま帰らぬ人となった事件があった。
32 湧池解説板 33 湧池
中心部
は、完全に観光地化され、土産物屋が幅を利かせている。勝手に池を掘ったり、コンクリートで固めたり、水を汲み上げたり、湧水池の上に建物を建てたりとやりたい放題である。池に鯉を飼って観光客に餌を売りつけて水を汚したり、湧水池をフェンスで囲って入場料を取るところまである。
私有地なのだろうが、富士、いや日本を代表する美しい湧水地帯がこのようなことでよいのだろうか。50年前と変わらない典型的な自然破壊型観光地である。アジアはともかく、欧米から来た外国人が見たら、ここが自然保護を標榜する国立公園内だとはとても理解できないだろう。歴史的な事情や地元観光関係者の言い分もあるだろうが、このままでは、忍野村全体の自然保護に対する意識が問われてしまう。時代は変わっているのである。
この際、思い切って行政が一帯を全て強制収用し、湧水を保全するとともに、子供たちにも誇れるような自然を学べる場に出来ないものだろうかとさえ思う。
34 忍野八海の土産物屋 35 阿原川 その3
気を取り直して、相模川本流に戻る。このあたりは、コンクリート護岸の普通の川になってしまっている。湧水池はあちこちにあるようだ。
36 膳棚橋から下流を望む 37 膳棚橋から上流を望む
出口池だけは、離れており、直接相模川に注ぐ。ここには観光客はいない。
38 出口池解説板 39 出口池
40 出口池 41 出口橋から下流を望む
42 忍野村から北方向の山を望む 43 入角丸尾岸橋から下流を望む
入角丸尾岸橋という変わった名前の橋が、相模川に架かっているが、水量は少なく、しかも写真44のとおり生活排水とゴミで悲惨な状態になっている。この地点の相模川の水質と水量からみて、忍野八海のほうが水源として重要かもしれない。ここで、川沿いの道はハリモミの原生林に遮られ、北に大きく迂回することとになる。
44 生活排水とゴミ 45 入角丸尾岸橋から上流を望む
ハリモミ林は溶岩台地の上に形成されているが、その溶岩流の末端部が林の北端にみられる。写真46の崖がそうで、人家に囲まれているが、ここだけは溶岩流の迫力がある。
46 溶岩台地の末端 47 県道717号線
48 ハリモミ林の解説板
49 ハリモミ林 50 富士山方向を望む
県道を南下すると、小さな排水路を越える。まさかと思ったが、河川標識はここが相模川(桂川という名称が付加されたため、山梨県内では上からシールで修正されている。)であることを示している。
51 県道717号線歩道の橋から上流を望む 52 橋に立つ河川標識
ところが、なんとここでは水は流れていない。となると、源流は山中湖ではなく、あの悲惨な入角丸尾岸橋とここの間ということになる。落胆してさらに数10メートル遡ると、水流が復活しているではないか。よく見ると、写真54の地点で、水は河床のコンクリートの割れ目に吸い込まれて消えているようだ。忍野八海の地下水脈に通じているのだろうか。
53 県道717号線から下流を望む 54 橋から数十メートル上流の河床
とりあえずこのことは、無かったことにして、さらに川沿いに遡上すると、
花の都公園
が左手に現れる。ここまで来ると、相模川には小さな橋がいくつも架かっているが、名前はついていない。
55 花の都公園を望む 56 花の都公園入口の橋
57 花の都公園ゲート 58 温室へのアプローチ通路
花の都公園は、昨日、すなわち12月1日から無料になっていた。ラッキーとばかりに寒さに震えながら園内にはいる。大きな温室があり、その中は暖かく、花が咲き乱れる別世界であった。係りの人に見つからないように昼食のコンビニおにぎりを食べる。楽園だ。
59 温室内 その1 60 温室内 その2
61 温室内 その3 62 温室内 その4
63 温室内 その5 64 温室内 その6
奥の公園には、水車や滝その他のアトラクションがあるが、どれも人工的で中途半端なものであまり興味をそそられない。
65 清流の里の水車 66 園内の橋と人工の滝
67 園内から北方向の山を望む 68 花の都公園・山中湖間の相模川 その1
公園を出て、山中湖に向かう。水量は少し復活して来たようだ。見た目はありふれた農村の一角を流れる水路である。
69 花の都・山中湖間の相模川 その2 70 花の都・山中湖間の相模川 その3
発電の水利権の関係で、相模川上流は東京電力に支配されているといっても過言ではない。写真71ではなんと一級河川をまたいで鉄塔を建ててしまった。東電の力は絶大である。
71 相模川を跨いで立つ鉄塔 72 下流側から水門を望む
やがて、水門に到着した。ここも東電の管理である。昔は自然の流出口であったらしい。
73 山中湖の水門 74 水門横の流れ
75 マリモライン(一周道路)と最初の河川標識 76 相模川最初の橋(自転車道)
77 最初?の相模川(山中湖からの流出路) 78 最初の解説版
長い長い道のりを経て、ついに
源流
にたどり着いた。ここが源流であることは役所の看板でも保証してくれている。旅の終わりの感動が胸にわき上がってくるが、そんなことは関係ないよと、白鳥がのんびり浮かんでいた。
山中湖の水は見た目はあまり綺麗とは言えないが、これだけ開発が進んでいるので仕方がないのかもしれない。有史以前の湖は美しかっただろうと想像するしかない。
79 山梨県の源流宣言 80 相模川と山中湖の境界
ここで、一つ疑問がわいてくる。山中湖が源流だとして、湖に流入する川は無いのだろうか。もしあるとすれば、途中がふくらんで湖になった一つの川と言えないこともないだろう。そこで
地図
を確認すると、湖の東側、平野地区に2本の流入河川がある。山伏峠から流れてきているらしいので、もし流れ込んでいれば地形的にも源流ということになる。
このサイトは、自分の目と足で現地を徹底調査することが、「ウリ」である。どんなに体が疲れていようとも、ここは行かなくてはなるまい(本当は事前に決めていたのだが...)。
というわけで、湖畔を東に向かう。
81 西方向を望む 82 湖畔に続くサイクリング道路
83 雲に隠れる富士山 84 湖畔から東方向を望む
湖畔にはサイクリングロードがあり快適だが、平野の手前だけは山が迫り、サイクリングロードが途切れている。その不動坂を越えると神社があり、
平野のワンド
(入り江)になる。釣り場としては良さそうだ。それにしても山中湖は大きい。徒歩では、1/4周するだけでもずいぶん時間がかかってしまった。
85 天神社 86 東の明神山を望む
87 平野ワンド 88 一之砂川と山中湖
ここに流入しているのは、一之砂川である。これは平野集落内を流れる小さな川であるが。写真89のとおり、現在は湖に水が流れてこんでいない。相模川の源流とするのは無理だろう。
89 湖畔から一之砂川の上流を望む 90 山中湖平野の夕景
さらに、湖畔を行くと山中湖交流プラザという施設と公園がある。ここに流れ込んでいるのが大堀川である。この川は地図によると
山伏峠
から流れ込んでいるらしい。
91 山中湖交流プラザきららの湖畔遊歩道 92 大堀川に架かる橋
期待の、大堀川の上流は...写真93のとおりで、全く水はない。このあたりは溶岩の砂地で水が浸透しやすそうだ。雨が降ったときだけ川となるのではないだろうか。というわけで、期待された大堀川も相模川の源流と判断することは難しそうである。おそらく山中湖の湖底には忍野八海と同じような地下水の湧出口があるのだろう。
定説どおり、相模川の源流は山中湖というのが、調査結果からの結論である。
しかし、途中で水流が途切れていたことを考えると、水量からみて忍野八海をはじめとする湧水群が事実上の源流と言えるかもしれない。
というわけで、ここに無事調査が終了したのである。
93 90の橋から上流を望む 94 90の橋から山中湖を望む
あとは湖をもう1/4周して、
旭が丘
からバスで御殿場に戻るだけである。もうとっくに日が暮れてしまい気温も急激に下がってきた。
95 平野から望む富士山夕景 96 夕暮れの船着き場
南岸には、夕焼けの渚と名付けられた湖畔がある。ここの景色は写真97のとおりであるが、その神秘的で雄大な雰囲気はとても写真では伝えられない。旅の終わりの充実感ととともに胸に刻まれる風景であった。
97 夕焼けの渚から望む富士山
今回、相模川を全て歩き通して感じたことは、自然の大きさと力だ。地上に湧き出て、山を削り、谷を深くし、岩や砂を運び、台地を潤す雄大なスケールを実感できた。
もう一つは相模川と人との関わりである。数多くの発電、灌漑、水道水源、鮎をはじめとする観光漁業、そしてレジャーと、源流から河口に至るまで徹底的に利用されていることがわかる。歴史的にも開発の歴史は古く、早くから発電所やダムが造られ、水力発電は日本の近代化の原動力となった。また、
横浜
、
横須賀
、
相模原
といった戦前からの軍事都市を飲料水と工業用水の両面で支えてきた事実がある。
もっとも、そんなことは知ってか知らずか、
富士山
は今日もその美しい姿を湖面に写していた。
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