渋 田 川 探 訪
大山東面を源流として、伊勢原市を流れ、平塚市で金目川に合流
◆第2日目(2007年7月1日)野原橋(平塚市大島)〜源流(伊勢原市日向)
水源シリーズ第7弾は、渋田川の2日目。前回は天候に恵まれなかったが、野原橋から再開する。今日中には源流にたどり着けるだろう。
1 野原橋 2 名もない農道の橋
しばらく田んぼが広がる田園地帯を行く。ありふれたこういう景色も、県央部のここまでこないと見られなくなってしまった。
3 平塚市大島付近 4 一二貫橋
一二貫橋をすぎると右岸に昔ながらの集落が現れて、川と共に暮らしている人々の生活と、どこか懐かしい風景に出会う。
5 一二貫橋から上流を望む 6 伊勢原市下谷付近その1
7 伊勢原市下谷付近その2 8 伊勢原市下谷付近その3
このような風景はもうあまり残っていないのではないだろうか。写真10にみられる老人の川に向けるまなざしには限りない川への愛情が感じられる。長い年月を川とともに過ごしてきたのだろうか。
9 中谷橋 10 伊勢原市下谷付近その4
11 筒川合流地点 12 筒川合流地点上流
ここで下谷の集落がとぎれる。蛇の脱け殻がつるしてあるのは子供のいたずらだろうか。
13 蛇の脱け殻 14 中野橋
中野橋をすぎると上谷の集落である。下谷と同じく川沿いに昔からの集落が続くが、こちらは芝桜で有名になった。
15 伊勢原市上谷付近その1 16 伊勢原市上谷付近その2
今は芝桜の季節ではないが、その雰囲気は50年前とあまり変わっていないのではないかという錯覚さえ起こさせる。水郷地帯で、昔は船が行き来していたのだろうかと想像させるほどだ。
17 伊勢原市上谷付近その3 18 伊勢原市上谷付近その4
19 伊勢原市上谷付近その5 20 伊勢原市上谷付近その6
21 伊勢原市上谷付近その7 22 伊勢原市上谷付近その8
23 伊勢原市上谷付近その9 24 伊勢原市上谷付近その10
この地域の人たちの川を愛する気持ちが雰囲気に現れている。芝桜が咲くと
こんな感じ。
25 芝桜の由来 26 伊勢原市上谷付近その11
美しい里の河畔の道もここで終了。また、田園地帯に戻る。ここで歌川への水路が分流する。歌川は大島で再び渋田川と合流する。(渋田川第1日目写真33参照)人工的な流路変更が行われたらしい。
27 歌川放水路分流地点 28 渋田川橋(小田原厚木道路)
29 菖蒲田橋から上流を望む 30 小田急線鉄橋
小田急線の鉄橋の前後はおそらく費用がかかるためか、河川改修が行われておらず、暗い感じがする。
31 木橋とロマンスカー 32 若宮橋
33 名もない木橋 34 道灌橋
その名の通り道灌橋をすぎると、太田道灌の墓がある。最近整備されたらしく、まだ新しい立派な解説板がある。詳しいことはそちらを読んでいただいた方がよいだろう。一休みするにはちょうどよい場所である。
35 道灌橋北側の桜並木 36 太田道灌の墓
37 太田道灌墓所の解説板
太田道灌の墓を過ぎると、伊勢原市街地をかすめて、国道246号線を潜る。しかし、街中の割にはなぜかのんびりとした風景である。
38 名も無い木橋その2 39 望星橋
東海大学をすぎ、せきど橋というところで、お地蔵様が出迎えてくれた。「せきど」橋と「咳止め」を引っかけたのだろうか。
40 咳止地蔵堂 41 咳止地蔵
42 咳止地蔵由来解説板
東名高速道路をすぎると、完全な田園風景になる。川幅は狭くなったが、水は心なしかきれいになっているようだ。
43 川上付近 44 東名高速道路
45 擔桶(たんご)橋より下流を望む 46 擔桶(たんご)橋より上流を望む
高部屋付近では護岸もない、自然のままの姿になる。完全に上流域といってよいだろう。子供が沢ガニをとっていそうな川の風景だ。
47 高部屋小学校付近その1 48 高部屋小学校付近その2
川は写真50の耕作放棄地の草原の縁を流れている。
49 高部屋小学校付近その3 50 高部屋小学校付近その4
ここで鎧塚というこんもりした丘に出会った。
古墳らしい
。由来はいつもどおり解説板を見ていただいた方が話が早い。
51 鎧塚全景 52 ご神体?
53 鎧塚解説板
このあたりからいよいよ源流域だ。
54 日向薬師へ向かう道沿い 55 盛徳寺
お寺の裏が源流になっているが、道はない。写真56が最後の川の様子。57の奥に源流があるはずだが、お寺の私有地のため確認できなかった。渋田川の源流は霊園の裏山であった。
56 盛徳寺裏の源流 57 盛徳寺裏山
渋田川は相模平野の田園風景を楽しむにはちょうどよい散策コースだ。見所はなんといっても下谷、上谷の川沿いの集落だが、下流の花畑も楽しめる。
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