玉 川 (たまがわ) 探 訪
大山東山麓に端を発し、七沢を経て厚木市内を東へ横断し、相模川に注ぐ、数奇な運命をたどった川
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第1日目(2013年2月11日)
相模川合流地点
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金井橋
玉川は、大山の東斜面、厚木市と伊勢原市の市境付近の山中を源流として、広沢寺温泉、七沢を経て、厚木市南部を東に横切り、戸沢橋の北で相模川と合流している。この川については、以前から引っかかっていたことがあった。それは、この川は現在相模川水系であるが、以前は花水川水系に流れていたという事実である。河川争奪は、長い時間での地殻変動によっておこるが、おそらく玉川は人工的に流路を変えられたということだろう。読者の方からの情報もあり、この疑問の解明も併せて源流まで探索することにした。
厚木駅と平塚駅を結ぶ路線バスに乗り、相川中学校前バス停で降りる。玉川が相模川に合流する場所はすぐそこである。
1 相川中学校前バス停 2 相模川合流地点
合流地点には近づけないかと思ったが、河川敷には障害物もなく、合流している流れのほとりに立つことができた。右に見えるのは戸沢橋だ。
相模川本流の水量には敵わないが、玉川の水量も結構豊かで健闘しているといえるだろう。
3 合流地点から相模川(右)と玉川(左)の上流を望む
玉川の水は見た目が非常に綺麗なので驚いた。
4 澄んだ水 5 合流地点から玉川上流を望む
玉川は、相模川の広い河川敷の中を左にカーブして流れている。工事中の橋脚が建っていた。最初は相模縦貫道かと思ったが、位置的に第二東名高速だろう。
6 侵食 7 第二東名高速橋脚?
8 厚木市内へ向かう 9 県玉川水質監視施設
県の監視施設がある土手は、草が刈られて歩きやすい。
10 酒井橋(旧道)を望む 11 県相模川水系相川水位観測所
厚木平塚線の旧道に架かっている酒井橋を過ぎて、新道の国道129号線に向かう。
12 酒井橋から上流を望む 13 酒井橋(新道)
何故かこちらも酒井橋という同じ名称がついていた。橋の近くのコンビニで食料を調達する。最初に述べたとおり、玉川の流路は人工的に変えられたので、直線的である。
14 飯出神社 15 酒井橋(新道)から上流を望む
正面左には、源流である大山が雪をかぶって大きく見える。
16 大山 17 屯原橋から上流を望む
18 小田原厚木道路と東名厚木インターチェンジ 19 神奈川食肉センター
小田原厚木道路を過ぎると、左手に神奈川食肉センターの大きなビルがあった。有名なB-1グランプリの
厚木シロコロ
は、ここのモツがなければできなかっただろう。
20 食肉センター前の親水施設 21 恩曽川合流地点
八木間橋下流が、恩曽川との合流地点である。橋の欄干に女の子だろうか、鍵の忘れ物があった。今頃困っていなければ良いが。
22 八木間橋の忘れ物 23 八木間橋から上流を望む
ネコの鳴き声のような甲高い音が断続的に聞こえたので、なにかと思ったら、
京商のRCサーキット
であった。
24 KYOSHO CIRCUIT 25新玉川橋
26 新玉川橋から上流を望む 27 遠くに大山を望む
28 小田急小田原線鉄橋 29 鉄橋直下
小田急線にぶつかった。川沿いを歩いていて、一番厄介な障害物が鉄道である。敷設が古いので、殆どの場合、鉄橋が低い位置にあり、川沿いの道が分断されるのである。この小田急線も例外ではなかった。しかし、川まで下りて鉄橋の下を潜れば行けることも多いので、強行突破する。しかし、冬なのに藪がすごい。思わず写真30の川の縁に出たが、行けそうもない。再びヤブの中を進んでやっとのことで船子橋まで出た。
30 船子橋へ 31 藪
32 船子橋から上流を望む 33 宮の御所橋から上流を望む
船子橋で東名高速の下を過ぎると、広々とした田園風景が広がっていた。その中を玉川は直線的に続いている。左岸は工場と住宅、右岸は田んぼ、果樹園や畑だ。
34 果樹園 35 柳橋遠景
36 玉川コース案内板
市推奨のジョギング、ウォーキングコースになっていて、人も多い。カメラマンが狙っているのはカワセミだろうか。
37 バードカメラマン 38 金地橋
39 金地橋から上流を望む 40 河畔の並木
正面に見える大山、田園風景と古びた橋など、相模野の原風景が感じられる河畔の道をのんびり歩く。天気も良くて、暑くもなく最高のコンディションだ。そろそろ昼の時間である。川岸の石段でコンビニおにぎりを頬張って、自宅から持ってきた温かいコーヒーを飲んだ。川歩きは、山歩きと違って、登りの辛さと滑落の危険と遭難の心配がなく、リラックスできるので、また違う楽しさがある。
41 防風林? 42 川久保橋
43 川久保橋から上流を望む 44 籠堰橋遠景
写真43、44のように川の左右に丘が見えてきた。この丘が後に意味を持ってくる。
45 籠堰橋 46 籠堰橋から上流を望む
籠堰橋に着いた。左手には丘が迫り、その丘の麓に野球場が見える。
47 源流地帯の山々 48 籠堰
橋の名前にもなっているとおり、堰があり、右岸に写真49の用水路が別れている。事前に玉川の旧流路はどこかと地図をみておいたのだが、この用水路が怪しいと睨んでいた。
この航空写真
を見ていただくとよく分かる。籠堰橋から右下、南東に伸びている河川流路跡らしき筋がくっきりと残っている。つまり、地図上の事前検討でこの地点が新玉川と旧流路との分岐点だと予想していたのである。左右が丘になっている地形もその説を支持している。
49 右岸用水路 50 地元の老人
しかし、本当にこの用水路が旧玉川なのだろうか。現地へ行けば何か手掛かりがあると思って橋の周囲を探してみるが、確証は見当たらない。日本昔話では、こういう時は地元の古老に聞くのがお決まりである。畑にいる人に近づいて顔を拝見するとかなり年配の方だった。この人なら経緯を知っているだろうと思って、聞いてみる。
その答えは、予想外のものであった。要約すると、次の4点である。
@旧玉川は、もっと南側の丘の麓を流れていた。
Aさらに上流の新しい橋のあたりから大きく回りこむように流れていた。
B昔の水害で大きな被害が出て、この辺り一面が水浸しになり、自分の向こうの田んぼ(反対の左岸側にあるらしい)もだめになった。
C知事や地元国会議員が動いて玉川を相模川に流す河川付け替え工事が行われた。
D工事の時代がちょうど戦争中だったので、物資不足で大変だった。
しかし、図上の事前検討で自信を持っていただけに、この堰が旧玉川起点でないという答えは、ショックであった。老人にお礼を言って、さらに上流にあるという新しい橋?に行ってみよう。
51 旧玉川の痕跡を探す 52 地元の人の話を聞く
河畔を歩く初老の3人組の男性がいたので、聞いてみることにした。先ほどの老人より若いが、地元の人なら何か知っているかもしれない。運良く、そのうちの一人、写真52の右端に帽子が写っている方から話を聞くことができた。20分くらいかかっただろうか。親切に地図をみて、大まかな流路も説明してくれた。以下要約である。
@これより上流に交番と農協がある。
Aさらに上流に、木橋と忠魂碑があるが、旧玉川はそのあたりから分岐し、新玉川の北側を流れていた。
B北側の神社のところに、石碑がある。
C籠堰橋で新玉川を斜めに横断し南側に入るが、それが堰の横の用水路として残っている。
Dその後、旧玉川は、東名高速を越え、愛甲石田駅の東を抜けて、小田原厚木道路を横断する。
E途中は、暗渠や道路になっており、一見しても河川流路跡だとはわからない。
F自分は、よく知っている人に案内されていったので、辿ることができた。
G平塚市内に入ってからどうなるかはよく知らない。
H旧流路を辿って現地の人に聞いても、戦後に移り住んだので、事情を知らない人ばかりだと思う。
この方の年齢からみて、リアルタイムの経験は無さそうだが、これだけの地元情報があれば、現地を特定できそうだ。もうひとつ、私が大きな勘違いをしていたことに気がついた。地図をよく見なおしてみると、新玉川との分岐点だと思っていた写真46の籠堰橋よりも上流の玉川も直線流路である。つまり、人工河川なのだ。どうして気が付かなかったのだろう。しかし、それも、この説明で謎が解けることになる。
リアルタイム経験者である先ほどの老人が話していた、籠堰橋横の用水路は旧玉川ではないとする点は矛盾するが、かなり昔の話であり、本人の年齢から考えて、勘違いだった可能性もある。
53 宮前橋 54 小野橋
55 小河川の合流 56 あひるの里
小野橋、あひるの里を過ぎて、さらに上流に遡ると地図の符号のとおり写真58の交番を見つけた。
57 中屋橋の上流左岸 58 対岸の交番
神名橋には農協があった。地元のおじさんの言うとおりである。
59 神名橋 60 神名橋から上流を望む
61 通安橋 62 通安橋から上流を望む
通安橋に着いた。橋は古そうだが、木製には見えない。この橋の銘板を見ると昭和37年の架橋である。新玉川の開削は昭和21年頃のはずなので、旧玉川だとは断定できない。そもそも、その頃の橋はもうほとんど残っていないだろう。
しかし、通安橋の上流左岸側は山が迫っており、地元のおじさんが言うようにこのあたりから左岸、北側に流れていたのなら、ここより下流側のはずである。しかし、まだ木の橋は無い。
63 通安橋上流左岸 64 金井橋
山際を歩くと、木の橋らしき橋が見えた。金井橋である。実際はコンクリート製だが、たしかに見た目は木橋に似せている。忠魂碑もあるので間違いないだろう。聞いたとおりである。忠魂碑に旧玉川のことが書いてあるかと探してみたが、手掛かりはなかった。
64 忠魂碑 65 砲弾の碑
66 金井橋から上流を望む 67 金井橋から下流を望む
しかし、旧玉川はここより下流の何処かで左岸から分岐していたことは、地形から見てもほぼ間違いなさそうである。
GPSによる本日の歩行経路
とりあえず、玉川の探索はここまでにしよう。ここからは目的が二つに別れる。ひとつは、上流を遡って源流を探索することである。もうひとつは、下って旧玉川の流路を自分の目で確かめることだ。気持ちの良い玉川探訪だったが、一方で、興味深い展開になってきた。
NEXT
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玉川 第2日目(2013年3月16日)金井橋 〜 源流
特別編
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旧玉川(2013年2月11日)金井橋 〜 渋田川・笠張川合流地点
関連サイト
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相模川 第1日目(2007年9月16日) 相模川河口〜相模三川公園
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