玉 川 上 水 探 訪
羽村堰で多摩川から取水し、四谷まで水を供給するために江戸時代に作られた上水道の水路で、現在でも都民の水道水源として利用されている
◆第1日目 (2009年10月18日)
羽村取水堰
(東京都羽村市)〜
玉川上水駅
(東京都立川市・東大和市)
多摩川を遡った時
に強烈な印象をもった場所のひとつに羽村取水堰がある。江戸時代に作られたにもかかわらず、現在も利用されているというこの水路は、緑に囲まれて滔々と流れていた。いつか調査したいと思っていたが、機会に恵まれたので、行ってみることにした。
玉川上水は、1653年に羽村から四谷までの水路が開削され、江戸市中に通水を開始した。下図のとおり、羽村取水堰から羽村市、福生市、昭島市、立川市、小平市、小金井市、武蔵野市、西東京市、三鷹市、杉並区、世田谷区、渋谷区、新宿区を通り、四谷大木戸に至る約43km、高低差約100mの人工水路である。杉並区までは開削部分が残っているが、それ以降は暗渠となり、四谷までは跡地を辿ることになる。
多摩川探訪で何回も利用したおなじみの青梅線に乗り、羽村駅で降りる。多摩川への道は、駅から真っ直ぐ坂道を下ることになる。
1 羽村駅 2 多摩川への坂道
武蔵野台地と多摩川の間には、河岸段丘があるが、写真3がその崖面である。教会風の謎の建物を過ぎるといよいよ羽村堰である。
3 河岸段丘の崖面 4 公共施設?
9月14日以来、約1ヶ月ぶりの羽村取水堰だ。写真6の第2水門からの風景は、その時に、どこまでも辿って行きたいと強く思わせた景色である。
5 第一水門 6 第2水門
ここが玉川上水の起点になるわけだが、ここでご挨拶をしておかなければならない方々がいる。それはもちろん玉川兄弟である。江戸の人口が増えて生活用水が足りなくなり、幕府は新たな上水道を計画した。その工事を請け負ったのが、玉川兄弟である。兄弟は、幾多の困難を乗り越えて、1年かからずにこの偉業を成し遂げ、玉川という姓までもらったらしい。
玉川兄弟へのご挨拶の後は、いよいよ江戸までの旅の出発である。
7 羽村堰 8 玉川兄弟の像
ここから玉川上水は多摩川と平行して流れていく。堰から羽村橋にかけては、広々とした桜並木が続き、なんとも気持ちの良いところである。
9 羽村橋から下流を望む 10 桜並木と上水
11 羽村導水ポンプ所 12 堂橋から上流を望む
13 堂橋から下流を望む 14 新堀橋から下流を望む
人口流路らしい、穏やかなカーブを描いて水が流れていく。護岸はもちろん江戸時代そのままではなく、玉石やコンクリートで補強されているが、緑に囲まれた水路は江戸時代の面影を残していると思うと、タイムスリップ気分が味わえてなかなか楽しい。
ただ、現役の水道用導水路であるため、柵ごしにしか水路を見ることができないのが、少し残念なところである。
15 加美上水橋から上流を望む 16 加美上水橋から下流を望む
17 宮本橋から上流を望む 18 宮本橋から下流を望む
水質は、羽村の多摩川そのものであるため、比較的きれいに見える。たくさんの橋が架かっているが、江戸時代からありそうな、古めかしい名前の橋が多い気がする。
19 宿橋から上流を望む 20 宿橋から下流を望む
写真22の交差点は、福生駅へ続く道だ。
21 新橋から上流を望む 22 新橋から福生駅方面への道
23 清巌院橋から上流を望む 24 清巌院橋から下流を望む
水路の下に公園があった。トイレもあり、休憩するにはちょうど良い。
25 中福生公園 26 熊野橋から上流を望む
27 熊野橋 28 かやと橋から上流を望む
地図を見ると、武蔵野台地のふちを流れる玉川上水は、すこしづづ多摩川から遠ざかっていることがわかる。水面の高さも多摩川より高くなっている。
このあたりでは、緑の回廊はなくなり、河畔は直接民家の敷地になっている。
29 かやと橋から下流を望む 30 牛浜橋から上流を望む
31 牛浜橋から下流を望む 32 熊川分水取水口案内板
熊川分水
の取水口があるということで寄ってみた。明治時代に作られたらしい。
33 取水口の神社 34 熊川分水取水口
35 青梅橋から上流を望む 36 青梅橋から下流を望む
玉川上水とは関係ないが、熊牛会館という、豪快な名前の建物があった。公民館だろうか。同じ名前の公園も近くにあったので、地名らしい。
37 熊牛会館 38 福生橋から上流を望む
ここで、一時玉川上水から離れ、青梅線の踏切を渡る。
39 福生橋から下流を望む 40 七屋踏切
水草が繁茂している。
41 五丁橋から上流を望む 42 五丁橋から下流を望む
43 散策コース案内板
44 水喰土公園 45 水喰土公園解説板
水喰土公園に着いた。上水開削失敗の跡である。ここだけは、まだ武蔵野台地の雑木林が残っている。
46 水喰土公園内の開削工事解説板 47 公園内の休憩所
48 公園横の散策路 49 青梅線鉄橋下
木立に囲まれた薄暗い遊歩道は、青梅線鉄橋の下を抜けて拝島駅方面に続いている。
50 緑の散策路 51 工事中迂回路の案内板
ここは、拝島駅のすぐ近くである。
52 日光橋公園 53 どんぐり橋から上流を望む
マンションの1階にあるスタンドは初めて見た。他の業態に転用できないのではと心配になる。
54 どんぐり橋から下流を望む 55 マンションの1階にあるGS
56 日光橋から上流を望む 57 日光橋から下流を望む
玉川上水の上を線路が横切っている。横田基地への引込み線らしい。
58 横田2号踏切から横田基地方面 59 平和橋から下流を望む
拝島駅の近くにある平和橋は人通りが多いが、水はきれいではない。途中で汚れるはずはないので不思議である。光線の具合か、河床が汚いだけかもしれない。
そして、写真60のように、橋の下には魚の死骸が沈んでいた。なぜか、腹を割かれている。そして、その横には写真61のとおり、ニジマスの群れが泳いでいるではないか。なんだかワケがわからなくなってきた。
なぜ、こんなことが起こっているのか。ニジマスはどこから来たのか。多摩川か、近所の釣堀か。ニジマスは渓流に住んでいる魚のイメージが強く、拝島駅近くの雑踏とは違和感があった。
60 平和橋の魚の死骸 61 ニジマスの群れ
62 落差のある小さな堰 63 玉川上水解説板
64 こはけ橋から上流を望む 65 こはけ橋から下流を望む
謎の白い建築物が見えたので寄ってみた。なんとも不思議な建物だ。最初は、豪邸の入り口だと思った。道路に面しているのだが、後ろは木が生えた空き地になっており、豪邸はない。門だけのようにも見える。うわさでは、誰かが住んでいるらしいが、確かに空き家という感じではなかった。
66 謎の門 その1 67 謎の門 その2
玉川上水に戻ってまた歩き始める。
68 ふたみ橋から上流を望む 69 ふたみ橋から下流を望む
和風の建物があった。温泉施設らしい。
70 湯楽の里 71 拝島上水橋から上流を望む
72 拝島上水橋から下流を望む 73 玉川上水緑道のチップ舗装
河畔には遊歩道が続いている。玉川上水緑道というらしい。歩いていると足元がなんだかふわふわする。よく見ると、木のチップによる舗装が施されていた。足に優しそうだ。水は相変わらずさらさらと流れている。
74 美堀橋から上流を望む 75 美堀橋から上下流を望む
76 ゴルフ場前の広い遊歩道 77 ゴルフ場前を流れる玉川上水
ここで、初めて暗渠になる。右岸はゴルフ場、左岸は広大な空き地だ。このような土地の利用形態は、たいてい旧軍の軍事施設を米軍が接収してから返還されるというパターンが多いが、ここもそうなのだろうか。
78 暗渠入り口 79 ゴルフ練習場
空き地の向こうにはポツンと駅が見える。駅前のこれだけ広い土地が遊んでいるのはなぜだろうか。
80 空き地の向こうに西武立川駅を望む 81 一番橋から下流を望む
82 天王橋から上流を望む 83 新天王橋から下流を望む
84 スクリーンのある施設 85 残堀川下流方面
残堀川と交差するが、玉川上水の流れは消えてしまう。川の地下をサイフォンの原理で横断しているらしい。写真87の地点で、突然水流が現れており、頭ではわかっていても目の前で見ると実に不思議である。
残堀川といえば、
立日橋で多摩川と合流していた
のを思い出す。
86 残堀川上流方面 87 砂川水衛所跡付近
88 新家橋から上流を望む 89 新家橋から下流を望む
見影橋はなかなか風情のある橋である。きれいな公園も近い。
90 見影橋解説板 91 見影橋から上流を望む
92 見影橋公園 93 金毘羅橋上流の河畔
94 金毘羅橋から上流を望む 95 金毘羅橋から下流を望む
護岸の変わり目を見つけた。個人的には玉石を使った右側の古いタイプが好きだ。
96 新旧護岸 97 宮の橋から上流を望む
河畔の遊歩道は、松もあったりして、江戸時代を彷彿とさせる。
98 宮の橋から下流を望む 99 宮の橋下流側の河畔遊歩道
100 緑の河畔遊歩道 101 千手小橋
102 千手小橋から上流を望む 103 千手橋から下流を望む
ここから、左岸側を歩く。玉川上水駅が近くなり、音楽大学やマンションが出現する。歩いている人も心なしか増えたような気がした。
104 国立音楽大学 105 玉川上水駅手前の遊歩道
106 玉川上水解説板(開削の目的) 107 玉川上水解説板(経緯と沿革)
108 玉川上水解説板(環境保全) 109 玉川上水駅
玉川上水駅についた。その名前のとおり、駅前には清願院橋があり、玉川上水が流れているが、頭上にはモノレールが走る近代的な駅である。
110 清願院橋から下流を望む 111 多摩モノレール
112 玉川上水駅構内
今日はここまでとした。
人工的な水路を紹介するのははじめてであるが、江戸時代からの歴史を刻むこの水路は、すっかり武蔵野の景色の中に溶け込んでいる。むしろ、変わったのは雑木林と畑が消えた武蔵野台地のほうだ。そして、この玉川上水の水が、この多摩地区の人たちに与えた恩恵は、あちこちの解説板で感謝の気持ちとともに記されている。この水が当時の農村の姿を大きく変えたのであろう。
羽村取水堰から玉川上水駅までは、熊川駅周辺を除けば、ほぼ水路沿いに歩くことができ、かなりの区間で緑道化されている。歩く人も多い楽しい道である。
ところで、玉川上水を訪れる時には、前もってぜひごらんいただきたいサイトがある。
玉川上水散策地図
というサイトであるが、ここに載っている地図はすばらしい。完全にプロフェッショナルレベルのクオリティーと取材力である。印刷用の地図も用意されているので、カラー印刷して携行するとほかの地図はいらないだろう(実は筆者もそうしている。)
次回も、江戸に向かって水の旅を続けよう。
NEXT ◆
第2日目(2009年12月13日)玉川上水駅〜鷹の台駅
関連サイト ◆
多摩川第3+2日目(2009年9月14日)多摩大橋〜青梅駅
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玉川上水