玉 川 上 水 探 訪
羽村堰で多摩川から取水し、四谷まで水を供給するために江戸時代に作られた上水道の水路で、現在でも都民の水道水源として利用されている
◆第4日目 (2009年12月25日)
浅間橋
(東京都杉並区)〜
四谷大木戸
(東京都新宿区)
ついに4回目の玉川上水であるが、前回で本来の開口している区間は終わり、今日はいよいよ暗渠になってしまった跡地を辿る。順調に行けば、終点の四谷まで辿りつけるはずである。コンテンツの性格上、どうしても海や山が多くなるこのサイトでは、神田川以来2回目、久々の都心、しかも、新宿、四谷といった日本有数のメジャーな街まで探索することになる。本当に、そんなところまでこの水路がつづいていたのだろうか。
1 富士見ヶ丘駅 2 浅間橋の開口部終点
というわけで、小田急線を下北沢で乗り換えて、今日の出発地である浅間橋の最寄駅である、井の頭線富士見ヶ丘駅に降り立つ。小さい駅だ。駅前にはコンビニがあるが、さすがに今日の行程なら、途中での食料や飲み物の調達はどこでもできるだろう、と考えスルーする。
そういえば今日はクリスマスだが、このサイトはクリスマスも正月もなく、年中無休で取材を続けるのであった。(本当は筆者が暇なだけでは? という鋭いツッコミはここでは一切受け付けないことにする。)
神田川を渡り、南下すると高速道路の下を走る甲州街道にぶつかる。
浅間橋といっても、下流側は暗渠になり、緑地になっているので、正確には浅間橋跡といった方が良いかもしれない。最後の開口部を見届けて、出発である。
3 浅間橋から下流側を望む 4 甲州街道
ここからは、玉川上水跡といっても、ただ、甲州街道の歩道を歩くだけである。
5 第六天神社 6 身代り不動尊
身代り不動尊という広い敷地を持つ真っ赤な寺院が現れた。元は、テニスコートとイタリアンレストランがあったらしいが、えらい変わり様である。景気が悪くなったせいなのか、時代を逆行しているような現象であるが、経営していた保険会社の破綻によるものらしい。
このような広い土地を買えるというのも驚きだが、宗教法人は税金を払わなくてもすむというのは大きいだろう。境内、といってもほとんどが駐車場だが、時間も早いので、閑散としている。
7 庚申堂 8 甲州街道から離れる上水跡
住宅地の中に、庚申堂があった。実はよく知らなかったのだが、江戸時代に流行した民間信仰らしい。検索してみると、全国各地に庚申堂があるようだ。
写真8のところで甲州街道から左に分岐する緑道があった。細長く伸びているが、これが昭和41年までここにあった玉川上水跡である。現在は公園になっている。地下には水道用導水管が入っているそうだ。
9 玉川上水第二公園の解説版
10 玉川上水第二公園 その1 11 玉川上水第二公園 その2
玉川上水が今にも蘇りそうな公園で、歩いても楽しい道だ。保育園児が遊んでいたり、散歩している人も多い。周りは、住宅地で、甲州街道の騒音もそれほどではない。
12 玉川上水第二公園 その3 13 玉川上水第二公園 その4
桜上水駅から伸びる都道428号線を挟んで第三公園になる。
14 玉川上水第三公園 その1 15 玉川上水第三公園 その2
足元には、写真16のように案内板が埋め込まれていたりする。前方にレンガ造りの橋が見えた。小菊橋である。まるで現役の橋のように、その存在を主張しているようだ。
16 公園内の地面の案内板 17 小菊橋
橋の両側は、橋よりも低くなっており、いつ水が流れてもおかしくないような感じである。写真19のように、ホームレスのおじさんの憩いの場になっていたりもする。
18 小菊橋から下流側を望む 19 玉川上水第三公園 その3
20 玉川上水第三公園 その4 21 玉川上水第三公園 その5
ここまで、緑の回廊を歩いてきたが、競馬場を小さくしたような遊具のところで第三公園は終わる。ここは、下高井戸橋跡である。写真23のように橋の銘板はそのままだ。このあたりの橋の前後の地形をみると、武蔵野台地の一番高い部分をこの玉川上水が流れていることがわかる。
22 玉川上水第三公園 その6 23 下高井戸橋跡
下高井戸橋跡から先は、玉川上水永泉寺緑地という名称になる。緑地の上には大きな道路が覆いかぶさっている。永福料金所である。高架道路はいつのまにか中央高速から首都高速4号線に変わっていた。玉川上水跡地はここから拡幅された甲州街道に飲み込まれてしまう。
24 玉川上水永泉寺緑地 その1 25 玉川上水永泉寺緑地 その2
甲州街道を歩く。道路のこちら側は杉並区、向こうがわは世田谷区である。
26 甲州街道と合流 27 築地本願寺
大きいお寺があるなと思ったら、解説版に書いてあるように、ここらあたりは江戸幕府の弾薬庫だったようだ。
28 塩硝蔵地跡解説版
29 明治大学和泉校舎 30 明大橋
明治大学の前にある、その名も明大橋から再び甲州街道を離れて玉川上水公園となる。
31 玉川上水公園その1 32 玉川上水公園 その2
大きな鉄管がむき出しになっていた。ここで井の頭線の上を越える。
33 玉川上水公園 その3 34 九左衛門橋跡
九左衛門橋は、名前は古臭いが、橋の欄干は新しいので、おそらく公園の整備とともに復元されたものだろう。玉川上水公園は、距離が短く、井の頭通りにぶつかって、すぐに終わってしまう。その向こうにそびえ立つのが、写真36の水道局和泉給水所の大きな水槽である。敷地の一部は、玉川上水の跡地を利用しているようだ。
35 玉川上水公園 その4 36 東京都水道局和泉給水所
和泉給水所の先では、写真37のようになんとなく斜めの中途半端な敷地として駐車場などに利用されているが、やがて、甲州街道に吸収されて、その痕跡を見失ってしまう。
37 杉並区和泉2丁目付近 38 歩道橋から上水跡を望む
ここで、甲州街道を歩道橋で反対の世田谷区側に渡ると、京王ストアの先で、南に向きを変えた水路が現れる。ここからは暗渠ではなく、本物の水路が残っているのだ。レンガの水路壁面が歴史を感じさせる。残念ながら、水の流れは殆どなく、よどんでいる。
上の地図をみると、玉川上水の流路が不自然に屈曲しているが、これはもちろん地形的な問題で、谷を避けているためである。
39 世田谷区大原2丁目付近の開口部 40 大原2丁目付近の水路
23区内とは思えない緑の深さは、貴重だ。
41 代田橋駅付近の緑道 42 暗渠入り口
写真41のように、代田橋駅の下をくぐり抜けると、2本の橋と鉄管が渡してあった。
43 玉川上水解説板
44 ゆずり橋解説版
ゆずり橋で、玉川上水はまた暗渠になってしまう。上部は児童公園になっているようだ。
45 ゆずり橋から上流を望む 46 ゆずり橋から下流側を望む
ゆずり橋はレンガ造りでなかなか良い雰囲気だが、手すりと向こうがわの水道鉄管の水色はいただけない。水道局の色使いのセンスには疑問が残る。ここは、やはり素直に茶色にするべきだろう。
公園の中には、地蔵尊が奉ってあった。
47 ゆずり橋 48 向岸地蔵
49 世田谷区立玉川上水緑道 その1 50 環七横断地下道
ここで、緑道は環七の下を地下道で横断している。地下道も玉川上水の流路跡を利用したものらしい。
51 玉川上水緑道 その2 52 世田谷区渋谷区境界付近
53 玉川上水緑道解説版
54 現在地解説版
稲荷橋で渋谷区に入ると、緑道は終わって、水路が復活する。両岸は草の生えた土手になっており、大きな樹木がある小川のような感じになる。写真55や56だけをみたら、ここが渋谷区内だとはとても信じられないだろう。水も代田橋駅付近よりもきれいで、少しだが流れもあるようだ。江戸町内の玉川上水は、こんな感じだったのだろうか。
話は変わるが、写真56の赤い屋根の建物には「たこの吸出し」と書いてあった。たこの吸出しとはなんだろうか。たこを使ったお菓子だろうか。調べてみるとその答えは
ここ
にあった。
55 稲荷橋から下流を望む 56 渋谷区笹塚1丁目付近 その1
二号橋で水路の開口部は終わってしまう。正面には、写真58のとおり、電車が停まっている。笹塚駅である。
57 二号橋 58 二号橋から下流側を望む
駅の下を突き抜けるのかと思って地図をみると、駅で反転して南に向きを変えるらしい。駅から見た玉川上水跡が写真60である。
ここで、ちょうどお昼の時間となったので、写真59の駅前のカレー屋さんでカツカレーを食べた。店の中で昼食をとることは殆どないので、今日は贅沢だ。普通は良くて公園のベンチ、場合によっては歩きながら食べることも珍しくないのである。
59 笹塚駅前 60 笹塚駅から下流側を望む
第3号橋で水路が復活し、駅にぶつかる前の雰囲気が戻る。水流はさらに細くなったような気がするが、かえってそれが自然でなかなか良い感じだ。よく残っていたものだ。
61 笹塚1丁目付近 その2 62 笹塚1丁目付近 その3
63 笹塚1丁目付近 その4 64 笹塚橋から下流を望む
笹塚橋で写真64のようにまた暗渠になってしまう。ここからまた世田谷区になる。
ここで面白いことがわかる。笹塚駅周辺を除くと、水路が残っているのはなぜか渋谷区内なのである。下の地図をご覧いただくとよくわかるだろう。
世田谷区は、暗渠にして公園にすることを選び、渋谷区はお金が無かったのか、そのままにしたわけである。当時は、前者のほうが喜ばれただろうが、今になってみると、結果的には、渋谷区の方針の方が、環境と歴史遺産の保護の観点からは良かったと思う。
65 世田谷区立玉川上水第二緑道 その1 66 玉川上水第二緑道 その2
67 中野通り 68 玉川上水第二緑道銘板
玉川上水跡は五條橋で中野通りを横切って渋谷区に入り、今度は北へ向かって反転する。
69 五條橋交差点 70 四條橋
71 四條橋から下流側を望む 72 東京消防庁施設
73 渋谷区立玉川上水旧水路緑道 その1 74 相生橋
緑道を横切る橋は、そのまま残っているものが多い。緑道の一部はバスの転回場所になっている。
75 相生橋から上流側を望む 76 幡ヶ谷折返所
77 玉川上水旧水路緑道 その2 78 玉川上水旧水路緑道 その3
緑道を歩いていると、周りの環境の移り変わりがわかりにくいが、それでも建物がだんだんと都会的になってくるのを感じる。
79 二字橋から上流側を望む 80 二字橋から下流側を望む
そしてついに、都会の象徴である高層ビルが正面に見えた。周囲も低層マンションが増えてきたようだ。
81 西代々木橋 82 西代々木橋から下流方面を望む
83 新台橋 84 新台橋から下流方面を望む
高層ビルはますます間近に迫ってくる。
85 甲州街道と合流 86 代右衛門橋
87 渋谷区初台1丁目付近 その1 88 初台1丁目付近 その2
この緑道を歩いていると、都心に近づいてもごちゃごちゃした印象はなく、むしろすっきりした感じである。玉川上水の土地のスペースのほかに、電柱や電線がないのもその大きな理由であろう。玉川上水の役割も、水を供給することから、都市に潤いと緑を与えることに変わったわけである。
89 初台1丁目付近 その3 90 初台1丁目付近 その4
地下にある初台駅の標識がある。現在、京王線はこの玉川上水跡地の地下を走っている。調べてみると以前はこの玉川上水跡地を京王線が走っていたらしい。写真91の自転車が走っている路盤などは、そのまま線路を敷いてもおかしくない感じである。このあたりの京王線は、最初は甲州街道上を軌道で走っていたが、昭和11年に玉川上水跡地を暗渠化して地上に専用線を敷設(水路と線路が並行していたと書かれているものもある)、昭和38〜39年に同じ場所で地下化したようだ。つまり、現在の京王線は昔の玉川上水の中あるいはその河床の下を走っていることになる。
91 初台駅付近 その1 92 初台駅付近 その2
現在の京王線はこの地下を走っているが、その換気口が緑道の中にあった。線路が見えるかと思って格子の隙間から覗き込むが、残念ながら見えなかった。
93 京王線換気口 94 初台駅付近 その3
橋もまだ所々にそのままの姿で残っている。
95 伊東小橋 96 初台駅付近 その4
97 初台交差点 98 三字橋
99 三字橋から下流側を望む 100 西参道口交差点から下流側を望む
ついに、玉川上水跡地からも高層ビル群がそびえ立つのを間近に見られるようになった。
101 西新宿高層ビル群
西参道口の交差点を渡ると、写真102のように間の抜けたような広い敷地が広がっている。この先が京王線天神橋駅跡地である。ここを玉川上水と京王線が並んで走っていたらしい。
102 渋谷区代々木3丁目付近 103 文化服飾学院前
玉川上水跡地に面して立派なビルが並んでいる。文化学園の学校群である。甲州街道との間に広い敷地が確保されている。そして、前方にレンガ造りの馬蹄形の構造物がみえてきた。
104 文化女子大前 105 新宿文化クイントビル前
これが、ここに玉川上水が流れていたことを現代に伝えるモニュメントである。江戸時代にはこのあたりも水路の横に木々が茂っていたのだろうか。
モニュメントの先は、写真107のとおり、跡地を利用した公園になっているが、なんとここはまだ新宿区ではなく、渋谷区であった。そして、公園の名前は代々木第三児童公園である。場所が場所だけに、名前とは裏腹に児童などひとりもいない。だいたい子供のいる家族がこのあたりに住んでいるとも思われない。どちらかというと、非合法な薬の売人がたむろしていそうな雰囲気である。
106 玉川上水モニュメント 107 渋谷区立代々木第三児童公園
108 モニュメント説明板
児童公園の先は、あおい通りという水路跡地を利用した不自然な道路になっている。橋の跡地が記されている碑があった。
109 千駄ヶ谷橋跡 110 あおい通り
千駄ヶ谷橋、葵橋跡をすぎると、通りは写真112のとおり突き当たりになってしまう。
111 葵橋 112 あおい通り突き当たり
仕方なく左折すると、甲州街道の陸橋にでる。新宿駅南口である。ついに、日本一の繁華街であり、ターミナルである新宿駅に到着したのだ。そのにぎやかさと人の多さは、普段人のいない荒野ばかり歩いている我が身にとって少しホッとする感情をおこさせる。
113 甲州街道と新宿駅 114 新宿駅
115 タイムズスクエア方面 116 新宿陸橋
南口は、線路に蓋をして整備する工事が進んでいるようだ。
117 南口整備イメージ図
118 雷電神社 119 都立新宿高校
山手線を越えると、華やかな中にも、少し落ち着いた雰囲気になった。新宿御苑である。ここで住所はやっと渋谷区から新宿区になる。
120 新宿御苑への道 121 新宿御苑インフォメーションセンター
新宿御苑のインフォメーションセンターの横に散策路が続いているが、ここが、玉川上水跡地である。
122 新宿御苑散策路 その1 123 散策路 その2
ここでは、写真125のように、玉川上水のせせらぎを復活させる工事が進んでいた。
124 散策路 その3 125 散策路整備イメージ図
126 航空写真による解説版
そして、新宿御苑の大木戸門に着く。内藤新宿の記念碑があった。上の解説写真をみると、玉川上水の余水は、このあたりから渋谷川に流れ出していたようである。
127 新宿御苑旧大木戸門 128 内藤新宿開設三百年記念碑
129 新宿御苑解説版
新宿御苑の前身である内藤家の庭園には、玉川上水の水が引かれていたというのも驚きである。
新宿御苑を過ぎると四谷区民センターがあるが、その裏側には、写真130、131のように不自然な細長い空き地がある。
130 四谷区民センター裏 その1 131 区民センター裏 その2
この通路が、大通りと合流したところにあるのが、写真132〜134の碑や解説版である。すべて解説版に書いてあるのでそれ以上のことは書かないが、その内容は、ついにこの長い玉川上水の旅が終わったことを示していた。写真の撮影記録は「2009年12月25日、14:11:54」となっていた。2009年10月18日朝に羽村取水堰を出発して以来、延べ4日間をかけてついにたどり着いた玉川上水の終末地点である。
132 四谷大木戸跡碑 133 水道碑記
134 四谷大木戸解説版
四谷大木戸跡碑の解説にあるように、本当の大木戸の位置は四谷四丁目の交差点だというので行ってみた。特に碑のようなものはなかったが、交差点の一角に写真136のような空間があったので、もしかしたら関係があるのかもしれない。ここから、玉川上水の水は、地下の水管を通って江戸市中に送られていたわけである。地図によると、この新宿通りを真っ直ぐ東進すれば、江戸城の半蔵門に突き当たるはずだ。
135 四谷四丁目交差点 136 交差点傍にある石灯籠
新宿通りを歩いて、四谷三丁目駅から、地下鉄丸ノ内線に乗って帰る。昭和34年のこの丸の内線の工事で出土した石樋を用いて、写真132の四谷大木戸跡碑が作られたのも、何かの縁だろうか。
今日のコースはその殆どの区間で水路は埋め立てられており、このシリーズとしては異例の、歴史的痕跡をたどる旅になってしまったが、それはそれで実に面白いものであった。郊外から都心の高層ビル群に迫る過程は、東京のダイナミックな発展の歴史を肌で感じられた。そして、その行程が、自然の残る緑道を歩きながら体験できるというのは、おそらくこの玉川上水跡地だけだろう。そういう意味では、是非歩いてみることをおすすめするコースである。
悪い癖で、新たに都市遺構を辿るシリーズ企画を始めたくなってしまったが、地理的にも時間的にもあまり手を広げすぎると収集がつかなくなりそうなので、今しばらくは胸の内に温めておくことにしよう。
それにしても、精密機械による測量技術や機械化された土木工事技術がない時代に、短期間にこれだけのものを作り上げた玉川兄弟をはじめとする江戸時代の日本人の知恵と実行力には、深い感銘を覚えた。そして、祖先たちの偉大な業績が、現在の東京の街にも深く刻まれ、水道や鉄道用地、貴重な公園や緑道として大いに利用されていることを、この目で直接確かめられたことは、非常に感慨深いものがあった。
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第3日目(2009年12月19日)鷹の橋〜浅間橋
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