鶴見川探訪
多摩丘陵の谷戸を源流として、主に横浜市北部を流れ、鶴見区で東京湾へ
◆特別編 河口調査(2010年12月18日)
鶴見橋
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河口(京浜運河)
2010年10月末の雨のある夜、青信号の横断歩道を渡ろうとして一歩を踏み出したその瞬間、右折してきたタクシーにはねられた体は、一回転したあと、惨めに路上に横たわっていた。
それから1ヶ月の松葉杖生活と3週間のリハビリを経て、なんとか歩けるようにはなった。まだ右ひざは痛み、長距離を歩く体力もないが、少しづつ訓練して体を元に戻す必要はあるだろう。そんなわけで今回は軽めの探索をしてみようと思う。
それは、以前から気になっていた鶴見川の河口である。2006年の
本編
では、河口ではなく、少し上流の鶴見橋から始めてしまったので、鶴見橋より下流の部分が未探索のままになっていたのである。
鶴見駅で降りて、4年ぶりの鶴見橋へ。
1 鶴見橋から下流を望む 2 芦穂橋から下流を望む
鶴見橋から下流は、いわゆる下町といった感じで、橋が多い。
芦穂橋から下流の右岸側には、写真3のように河畔の遊歩道が続き、芝生の横には鶴見川おなじみの緑色の2kmポストがあった。
3 芦穂橋付近の河畔道 4 下流側から芦穂橋を望む
5 新潮鶴橋から上流を望む 6 新潮鶴橋から下流を望む
もう流れもなく、幅広い川は運河のようで、海に近づいたことを感じさせる。渡し船が通っていたここも、川岸には高層マンションが立ち並び、立派な橋が両岸を繋いでいる。
7 潮見橋 8 塩田の渡し場跡
9 潮見橋から上流を望む 10 潮見橋から下流を望む
11 河口から1kmポスト 12 潮見橋
ついに河口まで1kmを切った。
13 臨港鶴見川橋から上流を望む
鶴見線の下を頭をぶつけないようにしながらくぐり抜ける。レジャー船が多くなってきた。
14 臨港鶴見川橋から下流右岸を望む 15 鶴見線鉄橋下
16 鶴見線 17 河口から0kmポスト
鶴見線の鉄橋を過ぎると、ついに0kmポストに着いた。ここが名目上の河口であるが、実際は海はまだ先のようだ。おそらく、本来の鶴見川、すなわち自然の海岸線はここまでで、これから先は埋立地ということなのだろう。それは、ここから広い敷地の工場が現れることでも判る。
18 鶴見大橋と高速横羽線 19 左岸から右岸を望む
左岸の歩道は、この鶴見大橋の手前で行き止まりになる。工場の並ぶ道を迂回して鶴見大橋に出た。地図ではここが鶴見川最後の橋になる。橋から先は、両岸に暗い殺風景な工業地帯が広がっていた。
ここからは川沿いの道がないので、迂回して鶴見線の踏切を渡り、内陸の道路を行くことになる。
20 鶴見大橋から下流を望む 21 鶴見線
このあたりは、横浜市大や理化学研究所の施設が並び、少しアカデミックな雰囲気になってきた。
22 理化学研究所 23 資源エネルギー館
やがて、資源エネルギー館という大きなガラス張りの建物が現れた。贅沢な空間の建物に入ってみると、何と入場料は無料である。東京ガスが運営している市民向けのPR施設らしい。エネルギーや環境問題を扱うテーマパーク的な展示施設であるが、来場者は中国人の団体と常連らしい日本人の親子連れが少しいるだけである。親子がただで過ごせる穴場といえば穴場であるが、おそらく膨大な維持運営費用がかかっているだろう。個人的には、その費用をガス料金の値下げの原資としてほしい気がした。
屋上にはビオトープがあるが、そこからは写真24のとおり、宇宙基地のような理化学研究所の施設が見えた。
24 資源エネルギー館から理研を望む 25 資源循環局鶴見工場
さらに進むと大きな煙突のあるゴミ処理場に突き当たる。
隣には、お決まりの排熱を利用した入浴施設があった。「ふれーゆ」という非常に立派な施設である。ここから川に向かっていくと、立ち入り禁止の看板が出ていたので、入り口から河口を撮った写真が27である。何の変哲もない殺風景な埋立地と水路が見えるが、ここが鶴見川の河口である。
26 ふれーゆ 27 河口
南に向かうと、釣り人がたくさんいる公園のような場所に出た。
28 河口左岸ふれーゆ前
正面の水路は京浜運河で、右側が鶴見川の河口であるが、鉄のフェンスで覆い隠されていた。河口の向こう側には煙突が見える。東電の横浜火力発電所である。左に見える橋脚はベイブリッジだろうか。
29 河口と京浜運河
正面には湾岸線の鶴見つばさ橋が、羽を広げた姿で優美に横たわっていた。
30 鶴見つばさ橋
これで4年間かかって、やっと鶴見川をすべて制覇することが出来た。そして、自分の足で歩けることがこんなにもありがたい事だと、改めて感じることができた一日だった。
(本日の歩数:17911歩)
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鶴見川本編 前半(2006年12月31日) 鶴見橋〜東急田園都市線橋梁
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