恩 田 川 探 訪            

 多摩丘陵の谷戸から流れ出て、横浜市緑区で本川へ合流する鶴見川の支流
◆2009年5月22日 鶴見川合流点(横浜市緑区)源流(町田市)


 さて、この「水の旅」の記念すべき第一弾は2006年12月に訪れた鶴見川だったが、それから早くも2年半の月日が流れてしまった。何とかここまで続けてこられたのも、アクセスしていただく読者のみなさんの励ましがあってのことである。また、こうして歩き続けられる幸せは、何より健康であることの幸せと同義でもある。
 というわけで、今日はその鶴見川の支流の恩田川を調査しようと思う。支流といっても、全長13.1kmもある結構大きな川である。鶴見川との合流点は、横浜線の鴨居駅と中山駅の中間地点である。そんなわけで、鴨居駅に降り立った。天気は晴れたり曇ったりだが暑くなりそうだ。

 1 鴨居駅                     2 鴨池橋から上流を望む
   

 まずは、以前に歩いた鴨池橋から、鶴見川との再会を果たす。前回と変わった点は、対岸にららぽーと横浜という大きなショッピングセンターができたことだろうか。



 3 鴨居西河内第二公園               4 鶴見川・恩田川合流地点
   

 やがて、合流地点に着く。西側から流れてくるのが恩田川だが、川の大きさでは鶴見川本流に負けていない。

5 合流地点案内板


 6 合流地点上流の河畔                 7 河畔の彩り
   

 中山駅が近いが、川沿いは以外とのんびりとした雰囲気だ。

 8 中山駅を望む                  9 中山大橋から上流を望む
   

 10 畑                      11 小山橋から下流を望む
   

 マンションが目立つが、まだ、畑も残っており、昔の横浜近郊の農村地帯の面影を残している。堤防の改修記念碑があった。このあたりも、その昔は水害に悩まされたのだろうか。

 12 緑区小山町付近                13 萬代堤改修記念碑
   



 地図を見ても判るように、この川を中心として農地が広がっているようだ。このあたりは、基本的に生産性の低い丘陵地帯であり、恩田川の両岸に広がる平地は、貴重な水田だったのだろう。おかげで、今でも広々とした景色が楽しめる。

 14 新良橋を望む                 15 梅田川合流地点
   

 16 新良橋から上流を望む             17 阪下橋から上流を望む
   

 恩田川は、横浜線と平行して、緩やかに蛇行しながら流れていく。

 18 河畔の園芸店                 19 東名高速道路
   



 河川の護岸は、どこにでもあるコンクリートブロックで美しくないが、一部破損して応急的な措置がなされている。今後の改修では、もっと環境や親水性を考慮してほしいものだ。

 20 恩田川大橋から上流を望む           21 ネットによる護岸の応急措置
   

 周囲の丘陵の湧水を集めて、何本か支流が流れ込んでいる。

 22 山谷川合流地点                23 岩川合流地点
   

 このあたりでは、川が緑区と青葉区の境界になっている。

 24 青葉区しらとり台付近             25 恩田大橋から上流を望む
   

 川にも少しずつ自然が増えていることが判る。

 26 芦原                     27 東急田園都市線
   

 ここで、東急田園都市線と交差する。たな駅が近い。風景はまさに田園である。

 28 浅山下橋                   29 浅山下橋から上流を望む
   



 30 水を張った田?                31 畑
   

 河川境界の掲示板があった。要するに、恩田川本流は県が管理するが、支流の奈良川は市が管理するということらしい。わざわざ解説板を立てるのも、自ら見事な縦割り行政を宣言しているようで可笑しい。この手の掲示板は、川ではよく見るので、河川行政共通の嗜好だろうか。

 32 河川管理境界掲示板               33 日影橋から下流を望む
   

 34 日影橋から上流を望む             35 横浜高速鉄道こどもの国線
   

 こどもの国線の下を潜る。この鉄道橋には思い出がある。おそらく1965年のことだと思われるが、当時6歳だった筆者はこの橋を徒歩で渡ったのである。
 こどもの国は、現在は、テーマパーク的児童公園、教育施設として有名であるが、戦前は東京陸軍兵器補給廠という広大な軍事施設であった。敗戦後は田奈弾薬庫として米軍に接収されたが、返還され、1959年の天皇陛下の結婚を記念して、1965年に開園したそうである。当時としては、大規模なレジャー施設として結構話題になったのだろう。現代に例えると、東京ディズニーランドが開園したようなものである。そこで、筆者の親も早速行ってみようということになったらしいが、何しろ当時の横浜市北部は、大変な田舎である。ちなみに、田園都市線はまだ開通していない。溝の口 - 長津田間の開業は翌1966年である。
 道路も満足にない中で、当時の親子連れはどうしたかというと、なんと長津田駅からこどもの国まで、廃線跡を歩いたのである。弾薬庫への引き込み線跡があったのだ。なんでこんなところを大勢で列をなして歩かなければいけないのか、子供心にも不思議であった。やがて、鉄橋に差し掛かった時の恐怖は一生忘れない。当時の6歳の子供にとって、鉄橋の高さは絶望的であった。線路の枕木の隙間から川の流れがはっきり見える。もちろん、吹きさらしの鉄橋であり、手すりも何もない、ただ、枕木を踏み外さないよう必死に渡った。今でも、クワイ川の鉄橋を渡る捕虜のような自分の姿を思い出す。もちろんこれは6歳の子供のデフォルメされた記憶であって、細部は違ったのかもしれないが。
 この時、下を流れていた川が恩田川であったのだ。今、下から見る橋はそれほどの高さはないが、子供心には100mくらいの高さに思えた、思い出の橋である。おかげで、この時の楽しい記憶はなく、ただ、長津田からの長い歩きと恐怖の鉄橋だけが記憶に残ってしまった。
 さすがに、当時の常識でも、この交通アクセスではまずいと思ったのだろう。この線路を改修したこどもの国線が、1967年に開通している。

 36 畑の奇妙な資材                37 田から流入する湧き水?
   

 数カ所から湧き水が流れ込んでいる。

 38 柳橋から上流を望む              39 親水施設
   



 やがて、下水処理場が見えてくる。東京都町田市に入ったのだ。

 40 成瀬クリーンセンター             41 河川管理境界掲示板(都県境)
   

 町田市に入ると、これまでの田園風景から一変して、住宅地に囲まれた桜並木と落ち着いた遊歩道のある川になる。川の両側に広がっていた田(おそらく昔の氾濫原)が無くなったせいだろう。河床の岩も見える。水質は、清流とは言えないが、見た目ではそれほど汚い感じはない。

 42 クリーンセンター付近             43 河床
   

 44 東光寺公園付近                45 都橋から上流を望む
   

 この道は、本当に落ち着く。哲学をしながら歩く散歩道として最高の環境だ。

 46 町田市南成瀬7丁目付近            47 吹上橋から上流を望む
   

 48 向橋から上流を望む              49 町田市立総合体育館
   

 立派な体育館があった。



 50 南成瀬四丁目付近               51 西山橋から上流を望む
   

 52 二反田橋から上流を望む            53 城山公園付近
   

 54 ユニークな幼稚園バス             55 扇橋から下流を望む
   

 56 扇橋から上流を望む              57 弁天橋から上流を望む
   

 58 河床の岩場                  59 河畔の高校生
   

 高校生が川でデートをしていたが、なぜか話もせずに、互いに携帯に没頭している。不思議な光景だ。



 合流地点から10km遡ったことになる。

 60 10キロポスト                61 町田市 高ケ坂付近
   

 62 高瀬橋から上流を望む             63 旧高瀬橋から下流を望む
   

 桜並木が途切れて、明るくなってきた。相変わらず快適な河畔の遊歩道である。

 64 三蔵寺橋から上流を望む            65 河畔の緑道
   

 66 河畔の花畑                  67 坂下橋から上流を望む
   



 68 町田市南大谷付近               69 小田急線
   

 小田急線を過ぎる。

 70 親水施設                   71 桜橋から上流を望む
   

 団地の中を流れるようになった。

 72 大谷一号橋から上流を望む           73 大谷二号橋から上流を望む
   

 74 大きな桜の木                 75 稲荷坂橋から上流を望む
   



 やがて、恩田川は鶴川街道に突き当たる。なぜか写真76の標識があった。確かに河川法上は、ここが上端かもしれないが、実際の河川は、法律に基づいて流れているわけではない。当然、川はさらに上流から流れてくるのであって、このような自然現象を無視した標識は河川行政当局の独りよがりに過ぎない。小学生が川の調査をしたら不思議に思うだろう。

 76 恩田川上流端の解説板              77 鶴川街道からから上流を望む
   

 78 わさび沢川(左)と今井川(右)合流地点    79 日向台団地付近
   

 法律上は河川ではなく、雨水排水溝であるためか、がっちりとコンクリートで固められている。なお、写真78から上流は今井川と呼ばれるようになるらしい。

 80 恩田雨水幹線(左)と今井川(右)合流地点   81 ひなた村へ向かう
   

 ひなた村という青少年施設が自然の中にあった。

 82 ひなた村                   83 東小学校下
   

 84 なかよし散歩道 その1            85 なかよし散歩道 その2
   

 さすがに、源流を完全に破壊してしまった後で、失ったものの大きさに気がついたのだろうか。ここでは擬似的な源流を再現することにしたようだ。

 86 なかよし散歩道掲示板


 87 なかよしトンネル               88 なかよし散歩道 その3
   



 89 なかよし散歩道 その4            90 なかよし散歩道 その5
   

 91 なかよし散歩道 その6            92 なかよし散歩道 その7
   

 93 なかよし散歩道 その8             94 なかよし散歩道 その9
   

 擬似的な源流は写真95のここから始まっているらしい。水源をどのように確保しているのか判らないが、上流の湧水をここに引き込んでいるのかもしれない。

 95 なかよし散歩道 その10           96 鎌倉街道から上流を望む
   

 鎌倉街道を渡ると、コンクリートで固められた水路が再び現れ、住宅地と丘陵の間を流れるようになる。さすがに水量は少なくなったが水はきれいである。このあたりは今井谷戸と呼ばれており、バス停の名前にもなっている。

 97 水量は少ないが澄んだ流れ           98 松が丘住宅地裏
   



 暗渠になった雨水排水溝は、道路の反対側で写真100のとおり、U字溝になって谷戸の中の住宅の裏を流れている。

 99 生活道路下で暗渠へ              100 住宅地の中を流れる源流
   

 家が途切れると今度は写真101の様に畑と栗林の中を流れるようになる。水流は細いが流れは確認できる。

 101 畑の中を流れる源流             102 流れを確認した最終地点
   

 最後の流れは、写真102の地点まで確認できた。写真103の角や写真104のあたりからじわじわと水がしみ出している感じである。ここが、恩田川源流と考えて良いだろう。
 それにしても、水源地をしっかりと確認できたのは周りが開けた土地だったおかげであり、ラッキーであった。無事目的を達成することができ、自己満足した。

 103 102地点の拡大写真            104 103の横の湧水地
   

 源流地帯は、写真105,106のとおり谷戸の最深部でいかにもそれらしい雰囲気である。かなり自然が残っており、なんとウグイスの声まで聞こえたので、動画に撮っておいた。  源流周囲の 動画1 動画2

 105 源流の風景 その1             106 源流の風景 その2
   

 こうして首尾良く目的を達成したわけだが、最後にちょっとしたトラブルがあったので記しておこう。
 筆者は、記録写真を撮る際に、後で地図と照合できるよう、住居表示や目立った建物、道路標識、橋の銘板なども同時に撮影しておく方法をとっている。デジカメだと枚数の制限が事実上ないので、便利である。
 この日も、番地がでている家があったのでその部分だけを撮影したのだが、2階から奥さんに「なにをしているんですか。何かの調査ですか。今、うちの写真を撮ったでしょう。」と怒られてしまった。必死に弁解して許してもらったが、たしかに、挙動不審な中年男にカメラを持ってうろうろされては迷惑だろう。今後は誤解を受けないよう注意しなければならない。警察でも呼ばれたら、面倒である。警視総監と友達というわけでもないし...。

 107 薬師池公園解説板 

 まだ、多少時間があるので、鎌倉街道に戻り、薬師池公園まで足を延ばすことにした。
 後で地図を見て判ったことだが、源流と薬師池は山を越えてすぐ隣だったことが判明。ずいぶん遠回りしてしまった。

 108 薬師池公園 その1             109 薬師池公園 その2
   

 110 水車解説板                 111 水車
   

 112 水車小屋内部                113 釣瓶井戸
   

 114 釣瓶井戸解説板               115 薬師池公園 その3
   

 多摩地区の山里の雰囲気が残る公園である。

 116 薬医門                   117 薬医門解説板
   

 118 旧荻野家                  119 旧荻野家内部
   

  120 旧荻野家解説板 その1
   

  121 旧荻野家 その2
   

 旧荻野家という古い藁葺き屋根の家があったので行ってみる。門の中では、ケージに犬がいて、若い人がまな板でリンゴを切っていた。動物の新しい飼い主を見つけるボランティアの活動かと思い、さらに奥に進むと、人だかりがあった。小さなシカがばらまかれたリンゴを食べている。テレビカメラがあったので、ここで初めてロケだったのかと理解した。ちょうど本番中で、小柄な女の子がしゃべっていたのでよく見ると、どこかで見たことのあるハーフのタレントであった。たしか動物好きだと聞いたことがある。
 進行役の男性はタレントらしいが、だれだか、知らない。この二人で動物の話題で必死に盛り上げていたが、なかなか大変な仕事である。どうも動物関係のテレビ番組らしい。見たことはないが、たぶんコレだろう。
 もう一人、黒い服を着た、細い男性がいたが、ほとんど会話に参加していない。それどころか、カメラが止まると、欠伸をするやる気のなさである。誰だろうと思ってよく見たら、元首相の孫ということで有名になった、タレントであった。ミュージシャンらしいが、残念ながら彼の演奏を聞いたことがないのでよくわからない。やる気のないキャラは、テレビでみるまんまであった。
 早速写真を撮ろうとしたら、隣にいたベッキーのマネージャーに制止されてしまったので、写真はない。タレントの肖像権は守らなくてはならないのでしかたがない。122はロケ終了後の写真である。
 というわけで、珍しい体験をした後、また、園内を散策することにした。

 122 ロケ終了後                 123 薬師池公園茶屋
   

 124 薬師池公園 その4             125 薬師池公園 その5
   

 126 薬師池公園 その6             127 薬師池公園 その7
   

 公園の花がきれいな広場では、クローバーの花輪を作ったりして、こどもとお母さんが幸せそうな時間を過ごしていた。

 128 薬師池公園 その8
     

 この後、バスに乗って町田駅に帰着した。

 今日は、恩田川を素材にして、横浜北部の広々とした田園風景、町田市内の緑あふれる落ち着いた河畔の遊歩道、そして谷戸から流れ出る源流と周囲の自然を十分に堪能することができた。
 全部を歩き通すのは大変だが、部分的に歩くのには楽しい川である。特筆すべきは、ほぼ全川にわたって川沿いに歩けることである。特に町田市内は、遊歩道がよく整備されていて、お奨めである。
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