神奈川県一周 

第17日目(2011年1月22日) こどもの国駅 〜 鶴川 〜 こどもの国駅

  

 前回は、寺家ふるさと村の谷戸から尾根伝いに県境を進んだが、こどもの国の敷地に阻まれてしまった。今日はその続きである。

  1 こどもの国駅                   2 こどもの国入口ゲート
   

 こどもの国駅に降り立つ。県境は残念ながらこどもの国の敷地の中を通っているので、今日はその外側の県境から再開することにしよう...
 というのが普通であるが、それはシロウトの発想である。プロの県境探検家(いつからそんな肩書きが ??? )としては、なんとしても実際にこの目と足で県境を極めなくてはならない(キリッ!!!)。

 そこで、今回は、600円という多額の費用を費やして、こどもの国に入場することにする。プロはここまでやるのだ....(だから、いつからプロになったんだ ???)。
 まあ、問題は費用ではない。こどもの国はその名のとおり、子供が自然の中でのびのびと様々な体験ができるよう、天皇陛下のご結婚を記念して造られた施設である。それなのに、子供を同伴しない、見るからに怪しげなおじさんが、果たして一人だけで入場できるのか。ただでさえ、子どもに関係した犯罪が問題になっている昨今である。

 開場時間は9時半なので、ゲートの前でしばらく待つ。もちろん、他に待っているのは親子連れか子供同士のグループしかいない。おじさんが一人で入場するまともな理由は、どう考えてもないのだ。念のため看板を確認したが、大人一人では入れないという説明は見当たらない。怪しまれないようにカメラはポケットにしまう。
 開場時間になった。おそるおそる「大人一枚....」といったら、窓口のお姉さんは怪しむ素振りも見せず、あっけなく切符を売ってくれた。ゲートも無事通過。なんとか、潜入...いや、入場することがてきてホッとする。しかし、窓口から警備会社に「怪しい入場者一名あり」という連絡が入っていないとも限らないので、園内ではなるべく目立たないように行動したほうが良いだろう。

 それにしても、園内に県境が走っているとは、こどもの国、恐るべき広さである。県境をたどるためだけに、わざわざ入場した人は、いままでにいたのだろうかと考える。ひょっとすると、こんなバカバカしい理由で入場したのは日本人、いや人類初かもしれない。



 3 こどもの国中央広場

 入り口でもらった園内の地図がわかりやすいので、これに青い線で県境をプロットしてみた。地図の茶色の道が外周道路である。まず、210地点を目指す。



 210地点から209地点に移動しながら、県境の見当をつける。日体大のグラウンドから学生の声が聞こえる。前回、県境の行き止まり地点の手前に鉄塔を確認しているので、それを目印として探すと、写真4のとおり、すぐに見つけることが出来た。予想よりもかなり低い場所にある。
 そのすぐ上、写真5の地点あたりが東から来た県境のある場所だと思われる。しかし、特に目印となるものはないようだ。
 こどもの国は元々は「東京陸軍兵器補給廠田奈部隊填薬所」というものものしい軍事施設である。昭和15年頃から軍が土地を強制収用したようなので、それ以来、写真5の県境は固く閉ざされていることになる。それ以前は、前回たどった寺家の谷戸からの尾根道が続いていたのではないだろうか。

  4 県境付近の鉄塔                   5 こどもの国外周の県境付近
   

 県境は外周道路で直角に曲がって尾根伝いに南へ下っていく。外周道路からは美しい梅林が見えた。

 6 梅林

 211地点で、県境は外周道路を離れて、園内に入り、南西に貫いている。こどもの国では、地図のポイント地点に番号がふってあり、現地には写真7のような標識が立っているので、現在地がすぐにわかり、便利である。

  7 外周道路211地点                8 211地点から県境へ
   

 園内の尾根道がそのまま県境になっているようだ。

  9 園内の県境 その1                10 園内の県境 その2
   

  11 園内の県境 その3               12 園内の県境 その4
   

 写真12の地点で、県境は今度は北に向けて反転する。



 写真12の地点からは道はないが、野外ステージの東側、写真13の左側の尾根が県境である。

  13 園内の県境 その4               14 吊り橋
   

 一度、谷に降りてきた県境は、再び写真15の尾根に登っていくのかと思いきや、スケート場と尾根の間を北上しているらしい。

  15 桜堤 その1                  16 スケート場
   

 桜堤の尾根の突き当りが、205地点である。ここから外周道路を西に向かう。

  17 桜堤 その2                  18 外周道路205地点
   

 こどもの国の北西端、写真20の203地点で県境は園外に飛び出している。

 19 外周道路の県境                  20 外周道路203地点
   



 写真21は、園内から撮った外の県境の様子だ。白い大きな建物がみえる。ここで、こどもの国の中にある県境は終りである。フェンスの向こうの県境まで迂回しなければならないので、入り口に戻る。

  21 203地点から見た園外の県境          22 園内の陸橋
   

 時間は早いが、園内のレストランで昼食を食べる。たまには食べたものを記録しておこう。800円のカツカレーだ。
 お腹を満たしてから、こどもの国を出て、大きく迂回して、写真21の地点を目指す。

  23 昼食のカツカレー                24 TBS緑山スタジオ
   

 TBS緑山スタジオがみえる。園内からも見えた、白い大きな建物である。



 写真21の外側だと思われる写真25の地点に着いた。尾根にはつきものの、東電の鉄塔と携帯電話のアンテナが建っている。県境はここから北に向かう。少し歩くと、右手の東京都側は住宅地として開発されていた。

  25 緑山付近の県境 その1             26 町田市三輪緑山住宅地
   

 この県境の尾根道は、昔は幹線道路だったようだが、新しい道ができて、現在は車が入れないようになっている。道の右側には緑の尾根が細々と残っている。

  27 緑山付近の県境 その2             28 緑山付近の県境 その3
   

 緑山スタジオの雑木林と、住宅地の間の県境の道を進むと、写真30の交差点に着いた。横浜市青葉区、川崎市麻生区、東京都町田市の境界である。この交差点を右折する。

  29 都県境石杭?                   30 緑山バス停付近の交差点
   



 写真だとわかりにくいが、道の両側は下り坂になっていることから、道が尾根の上に作られていることがわかる。当然だが眺めが良い。特に道路の左側の川崎市側は広々とした農村光景が広がっている。ちなみにここは、川崎市の飛び地麻生区岡上地区だ。岡上村は柿生村との結びつきが強かったため、昭和14年に川崎市に編入したらしい。

  31 三輪緑山住宅入口付近              32 三輪入口バス停付近
   

 途中から写真32の斜めに右に入っていく道に入る。県境沿いの道はなく、東京都側に入る。

 33 県境付近の竹林                  34 熊野神社の森
   

 熊野神社の森が見えた。県境は神社の裏を通っている。

  35 熊野神社裏の県境                36 熊野神社
   

   37 熊野神社本殿解説板
   

   38 熊野神社解説板
   



 由緒ある熊野神社を後にしてさらに進むと鶴見川に出る。精進場橋を少し上流に行くと都県境だ。

 39 精進場橋                     40 鶴見川右岸都県境標識
   

 都県境の標識を振り返ると、熊野神社から伸びた県境は、写真41のとおり、何の目印もない。しかし、写真41の左側のアパートの住所は町田市、右側の民家に貼ってある選挙ポスターは川崎市選挙区のものである。間違いなく、このブロック塀が正真正銘の県境なのである。

 41 40の標識の南側の県境              42 対岸(左岸)の都県境標識
   

 精進場橋からさらに小田急線方面、北に向かう。地図では、ここから前回訪れた麻生区上麻生の県境までは、200mしか離れていない。
 つまり、町田市三輪地区は、この200mの狭い開口部を除いて、すべて周りを神奈川県に囲まれているのである。三輪地区の都民が神奈川県を通らずに外部に出ようとした場合、地図には能ケ谷町の細い路地1本しか選択肢がないようだ。事実上、町田市三輪地区は、かつての西ベルリンのように神奈川県に完全に包囲されていると言えるだろう。

 43 真光寺川旧流路? の都県境             44 真光寺川左岸の都県境標識
   

 写真43の細い川は、前回歩いた鶴川高校付近県境の川の起点となっているようだ。この旧流路らしい細い川が、県境を決めているのである。
 標識に現在地が書いてあるように、ここで真光寺川に出る。小田急線を越えるまでしばらくはこの真光寺川が都県境である。

 45 現在地案内図                   46 対岸(右岸)の都県境標識
  

 このあたりの県境は複雑に蛇行しており、忠実にたどるのは不可能である。

 47 矢崎橋から下流を望む                48 鶴川駅東口交差点
   

 鶴川駅東口交差点から、陸橋で再び小田急線を越え、鶴見川を渡る。



 49 鶴見川右岸                    50 鶴見川右岸都県境標識 その1
   

 県境は鶴見川の旧流路を辿っているので、このように何度も川を横切ることになる。

  51 鶴見川右岸都県境標識 その2          52 小田急線
   

 都県境は、小田急線の向こう側にいったあと線路沿いに続いているが、道がないので、そのまま左折して和光大学を目指す。小田急線の沿いの田圃では、どんど焼きの準備が行われていた。
 小田急線を離れて、マンションの後ろ側に廻った県境は、和光大学のキャンパスの中に入る。地図では大学内の県境が途切れているが、都県境が確定していないのだろうか。

  53 どんど焼きの準備                54 和光大学入口
   



  
55 和光大学キャンパス その1           56 和光大学キャンパス その2
   

 和光大学のキャンパスを進んでいくと、だんだん建物が素朴になり、ついに写真58のような山道になる。

  57 和光大学キャンパス その3           58 和光大学内の尾根道
   

 さらに進むと、鉄塔で遮られてしまった。鉄塔の西側、写真60のところを県境が通っているが、フェンスに阻まれて、どうしても先に進めない。フェンスの向こう側は玉川大学の敷地であるが、大学間の壁は厚いようだ。

  59 県境に建つ鉄塔                 60 鉄塔北側の県境
   



 仕方が無いので、迂回する。岡上地区のこの谷戸は、行き止まりである。谷戸の奥左側の急斜面を登って尾根に出るのが唯一の脱出法なのだ。
 というわけで、県境から離れて、横浜と川崎の市境の写真61の尾根に出る。その尾根を進むと、いつの間にかヤギがいる牧歌的な玉川大学農学部の敷地に入っていた。

 61 横浜市と川崎市の市境の尾根道            62 玉川大学農学部
   

 63 玉川大学農学部研究室               64 横浜・川崎・町田の都県市境
   

 玉川学園の中の交差点に着いた。ここである。横浜・川崎・町田の都県市境だ。



 交差点を左折して、キャンパス内の県境をたどって南へ向かう。

  65 玉川大学キャンパス内の県境           66 玉川学園高校
   

 県境は工学部の前を通っている。

 67 玉川大学工学部前                 68 工学部からチャペル方面を望む
   



  69 玉川大学キャンパス出口             70 玉川学園高等部付近
   

 学園を出て、交差点を直進する。住宅地の中の何気ない道であるが、間違いなく尾根である。

  71 都県境(市境)標識                72 ワコーレ玉川学園西側の尾根の県境
   

  73 ワコーレ玉川学園南側の尾根の県境        74 草原の斜面が残る尾根
   

 平凡な住宅地の道が都県境である。尾根の上まで家が建っているので分かりにくいが、写真75のような未開発の斜面をみると、確かにここが県境の尾根だということがわかる。

  75 尾根から町田市側を望む             76 モアクレスト玉川学園南側の都県境
   

 写真77の県境は右手が町田市の住宅街、左手の神奈川県側はマンションの敷地の裏山になっている。その裏山の盛り上がりと緑が昔の尾根の面影を残している。
 そして、写真78の小さな峠に着いた。昔であれば、峠の樹の下で一服という感じの場所である。

  77 緑の残る尾根                  78 尾根の小さな峠
   



 峠を越えて、降りていく途中、右手の東京都側の尾根の斜面は削られて、開発の真っ最中であった。マンションの建設だろうか。この尾根も、このようにしてだんだんと消えて行く運命なのだろう。

  79 峠の先の尾根の開発               80 奈良北団地東側の県境
   

 団地の横に出た。もう、尾根といえるだけの高低差はない。写真81の地点で、北上してきた県境は道路とともに大通りの直前でUターンして、今度は南へむかう。
 写真82の地点で、県境は再び登り始める。

  81 奈良北団地交差点付近              82 尾根を登る都県境
   

 再び尾根である。なかなかいい感じの道だ。陸橋がある。よく考えると、尾根道に陸橋というのはおかしいが、もちろん尾根が最初にあったのだろう。尾根を切り崩し、切通しで道路を通した時に、分断された尾根道をつなぐために後から陸橋を作ったに違いない。

  83 都県境の尾根の陸橋               84 町田市成瀬台付近の尾根道
   

 おなじみの都県境石杭をみつけた。写真85である。これはすごい。これまでは「都県」という文字の下に「境」という文字が埋れているだろうという予測はしていたが、ここでそれが証明されたのである。

  85 尾根の都県境石杭                86 切通で途切れた尾根道

   

 右手は町田市成瀬台の住宅地、左手は横浜市青葉区のマンションの裏山である。そんな尾根道を歩いていると、写真86の地点で尾根が途切れた。切通しは、陸橋ではなく、階段になっている。
 ちょうどいい時間と疲労感だ。今日はこれくらいにしよう。最寄りの駅に向かう。

  87 こどもの国駅
  なんと、再びこどもの国駅に戻ってしまった。

 今日は、北に大きく張り出した神奈川県横浜市青葉区と川崎市麻生区岡上地区の飛び地をぐるっと一周して、元に戻ってきたことになる。

 こどもの国、TBS緑山スタジオ、熊野神社、鶴川、和光大、玉川学園と変化に富んだ尾根道と鶴見川の旅であった。このあたりは非常に複雑な県境であるが、実際に歩いてみるとそれぞれの村の歴史的、地理的事情がわかるような気がした。
 ろくな道路が通っていない昔の田舎の人々にとっては、谷戸が生活や農業の場であって、里山である後背の複雑な尾根はそのまま村境になっていたのであろう。現在は開発されて立派な道路ができ、家やマンションや大学が立ち並んで尾根筋も分かりにくくなっているが、丹念に県境をたどると、そこに暮らし、尾根道を歩いた昔の村人の姿がなんとなくわかるような気がする。

 それに対して、こどもの国は、開発前の多摩丘陵の姿をほぼそのまま残している。昔はこのあたりはどこでもこんな風景だったのだろうが、今となっては貴重な地形である。それも、戦前からの軍事施設であったがゆえに開発から逃れることが出来たというのは、これまでも各地でさんざん見てきた歴史の皮肉である。

 

 多摩丘陵の尾根と川をたどる県境の旅はもうすこし
続きそうだ。
 (本日の歩数:32637歩)

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