玉 川 上 水 探 訪         

 羽村堰で多摩川から取水し、四谷まで水を供給するために江戸時代に作られた上水道の水路で、現在でも都民の水道水源として利用されている
◆第3日目 (2009年12月19日) 鷹の橋(東京都小平市)〜浅間橋(東京都杉並区) 

 玉川上水の3日目は、前回途中で挫折した鷹の橋から出発だ。国分寺から西武線に乗り換えて鷹の台駅で降りる。鷹の橋と踏切を渡って、もう一度東鷹の橋を渡ると、小平中央公園の緑が広がっている。

 1 鷹の台駅                      2 東鷹の橋から下流を望む 
   

     



 緑道は、玉川上水と新堀用水の間を、写真4のように木々に囲まれながら直線的に続いている。昔の武蔵野台地はこのような光景だったのだろう。落ち葉を踏みしめながらこの気持の良い道を歩ける幸せを噛み締める。緑と水の存在に人の心はなぜこうも穏やかになるのか。

  3 兎橋から新堀用水下流を望む             4 玉川上水と新堀用水の間の緑道
   

 5 玉川上水解説板

  6 新堀用水                       7 久右衛門橋解説板
     

 このあたりの解説にもあるように、玉川上水は、武蔵野台地の開発に大きく寄与したわけだが、それは逆にこの地域の自然破壊を招いたとも言えるだろう。ただし、武蔵野台地の地理的条件を考えると、近代水道が出来れば、どのみち現在のような都市化の運命は避けられなかったはずである。

  8 久右衛門橋から上流を望む             9 久右衛門橋から下流を望む
   

 左手には、津田塾大学の建物が見える。女子大だが、今風の軽いおしゃれな建物といった感じではない。そして、謎の小さな建物が現れた。

  10 小平市津田長町付近               11 武蔵野線玉川上水立坑
   

 玉川上水立坑と書いてある。地図の破線を見てわかるように、この地下には、武蔵野線が走っているのだ。音は聞こえないがたまたま電車が通っていなかっただけかもしれない。こんな長閑なところにも地下鉄が走っているのだとおもうと少し不思議な気がする。



  12 鎌倉橋から上流を望む              13 鎌倉橋から下流を望む
   

  14 小川水衛所跡                  15 商大橋から下流を望む
   

 商大とは、一橋大学のことである。意外なことに、玉川上水からみえる建物は津田塾大学より近代的だ。
 写真16はよく見かける犬同士の遭遇。アフガンハウンドとプードルだろうか。このような場合は体の小さい犬がエキサイトして大騒ぎするのがパターンであるが、そのとおりになった。昔の話だが、小柄だが、やたらと吠えるので、小型犬に例えられていた上司がいたことを懐かしく思い出した。

  16 犬同士の遭遇                  17 一位橋から上流を望む
   

 西武多摩湖線を越えると八左衛門橋である。このあたりには、当時、橋を架けた地元実力者の名前がついている橋がいくつかあるようだ。それにしても、21世紀の現代にまでその名が残っているのだから、費用対効果は絶大かもしれない。まだ、近くに子孫が住んでいれば、自慢の種にもなろうというものだ。

  18 八左衛門橋解説板                19 山家橋から上流を望む
   

  20 喜平橋                     21 マクドナルド五日市街道喜平橋店
   

 喜平橋は大きな橋で、写真20のように橋上で休憩できるようなっている。
 ここで、トイレに行きたくなったが、残念ながら公園や公衆トイレはなさそうなので、マクドナルドで昼食を調達してトイレも借りることにした。昼に食べようと思ったが、暖かいうちに食べた方がよいと思い直し、歩きながら食べてしまった。冷えたファーストフードはまずいことを思い出したのである。時間は、まだ10時半だ。

  22 小平市喜平町付近                23 小桜橋から下流を望む
   



  24 茜屋橋から下流を望む              25 貫井橋から下流を望む
   

  26 行幸松                     27 小金井橋から上流を望む
   

 ここは、将軍や藩主、明治天皇も見に来るほどの桜の名所だったらしい。

 28 小金井堤の解説板
 

  29 水神解説板                   30 水神様
   

  31 御成の松解説板
 

 32 陣屋橋解説板

  33 陣屋橋から上流を望む              34 小金井公園
   

 桜堤は衰退したが、代わって桜の名所になったのが、小金井公園らしい。人々の憩いの場所になっているこの広大な公園は、紀元2600年記念事業、つまり昭和15年という激動の時代に小金井大緑地として計画されたそうである。これが数年遅れていたら対米開戦後になり、この公園は存在しないか、軍事施設になっていたかもしれない。直接の関係はないが、零戦のデビューもたぶん昭和15年の中国戦線だと思う。零式艦上戦闘機の名前からわかるとおり、当時の海軍の飛行機の名称は紀元年の二桁をつけることになっていたらしい。

  35 歩道橋                     36 梶野橋から下流を望む
   



 37 武蔵野市桜堤付近                 38 桜堤歩道橋
   

 小金井公園をすぎると武蔵野市に入るが、まだ、桜堤という地名が残っている。

  39 新橋                      40 新橋から下流を望む
   

  41 紅葉橋に群れる鯉                42 境橋から上流を望む
   

 このあたりの橋では、人影をみると写真41のようにやたらとたくさんの鯉が集まってくる。楽しみで鯉に餌をやるお年寄りが多いが、もちろん自然生態系を破壊していることになり、ほめられることではない。かといって、鯉を駆除するわけにもいかないので難しい問題だ。せめて、行政や地域団体が公共水域に鯉を導入するような愚かな真似だけはやめてほしいものだ。玉川上水は人工の水路だから良いという言う事にはもちろんならない。

 43 小金井桜解説板

 ここで、千川上水が分かれる。

  44 玉川上水の碑                  45 境水衛所跡
   



  46 うど橋から上流を望む              47 独歩橋解説板
   

  48 独歩橋から上流を望む              49 独歩橋から下流を望む
   

 国木田独歩縁の地ということで、碑や橋がある。この地が好きだったそうだ。

  50 国木田独歩文学碑                51 桜橋から下流を望む
   

 桜橋に着いた。独歩の碑の向こう、交差点の反対側には、浄水場が見えた。ここの水道用原水は、残念ながらこの玉川上水の水ではない。実は、羽村取水堰から導水ポンプ所まで少しだけ玉川上水を流れ、いったん狭山湖・多摩湖に貯められてからこの浄水場まで導水されているのである。つまり、取水する場所は同じなわけで、玉川上水とは関係がないわけでもない。

  52 境浄水場                    53 武蔵野市関前付近
   



 浄水場の畔の道は、広々として気持ちが良い。対岸は鴨が遊ぶのどかな住宅地だ。

  54 松美橋から下流を望む              55 松美橋付近の鴨
   

  56 三鷹市上連雀付近                57 大橋から下流を望む
   

 不自然な工事途中の大きな道路が一部だけ玉川上水に向かって作られていた。反対側は、写真59の線路跡である。ここを利用して道路が計画されたらしい。

 58 作りかけの道路                  59 線路跡
   

 竹林があったりして、のどかである。このあたりでは、玉川上水は市境になっている。左岸(北)側は武蔵野市、南側は三鷹市だ。

  60 竹林                      61 直売場
   



 美しい緑道を抜けるとけやき橋西交差点に出た。ここでは、大きな交差点の下を暗渠になって流れている。

  62 けやき橋西交差点手前の緑道           63 けやき橋西暗渠入り口
   

 ここの玉川上水ベリの樹木は、色とりどりで美しい。

 64 けやき橋西交差点付近の紅葉

  65 けやき橋西交差点付近の歩道           66 けやき橋西交差点暗渠出口
   

 そしてすぐに欅橋に着いた。ここも大きな交差点である。

  67 欅橋への道                   68 欅橋
   

  69 石造庚申供養塔                 70 石造庚申供養塔解説板
   



 欅橋の上流側は、写真71のように、ちょっとした休憩所になっている。解説版のとおり、道が広いので橋とは気づかない人も多いだろう。

  71 欅橋から上流を望む               72 欅橋解説板
   

 橋の下流側は、道路とマンションの間を流れているが、よく整備されて公園になっていた。

 73 欅橋から下流を望む

  74 三鷹駅付近の紅葉                75 三鷹駅直前
   

 写真74などをみるととてもここが駅前だとは思えないが、れっきとした三鷹駅北口である。玉川上水は、写真76で暗渠になって、駅のホームの下に潜り込む。写真76のフェンスの向う側にあるのは、光って見にくいが、中央線の電車である。

  76 三鷹駅への暗渠入り口              77 三鷹駅前
   

 玉川上水は三鷹駅を斜めに横切っているので、駅構内を抜けて南口に行く。

  78 独歩碑                     79 三鷹駅
   



  80 三鷹駅南口                   81 南口デッキから玉川上水をみる
   

 デッキの上から東の方をみると、写真81のように玉川上水らしき緑地が確認できる。
 降りていくと、そこは三鷹橋である。中央線と橋の隙間は写真83のとおり狭く、そこからは写真82のような水路が確認できるが、実際はもっと暗い。

  82 三鷹橋から上流を望む              83 三鷹橋
   

 駅を横切った玉川上水は、また開口水路に戻って、直線的に続いている。玉川上水の緑は、駅前や駅周辺に水と緑の潤いを与えていると言えるだろう。

  84 三鷹橋から下流を望む              85 手押し井戸
   

  86 三鷹橋解説板                  87 三鷹駅から下流方面へ
   

 歩道の一角に太宰治の碑があった。戦後間もない昭和23年、太宰治が愛人と玉川上水に入水自殺したことは有名であるが、このあたりがその場所であるらしい。当時は、今と違って水量は豊富である。死体は写真102と103の間にある新橋で発見された。当時は、玉川上水もまだ都民の水道用水として使われていたはずであるから、ここに身を投げるというのは、衛生上も問題のある、迷惑な行為である。もっとも、他人に迷惑を掛けるのを知っていて電車に飛び込む人が後を絶たないことからもわかるように、自殺する人に冷静な判断を求めるのも無理な話だ。
 太宰治の家もこのあたりだったのだろうか。筆者自身は、読んだのは、教科書に載っていた走れメロスだけである。若い頃、斜陽を読んで途中で投げ出したくらいだから、文学の素養は全くないが、名を残す有名な文学者はなぜ皆自殺をするのか不思議である。常人には伺えない感受性と強烈な自我のせいだろうか。

  88 太宰治碑の一角                 89 太宰治碑
   



  90 むらさき橋から下流を望む            91 河畔の真っ直ぐな道
   

  92 芸術的な家                   93 山本有三記念館
   

 こちらは、山本有三の家である。後年政治家としても成功しただけあって、とても立派な洋館である。

  94 万助橋から上流を望む              95 万助橋
   

 やがて玉川上水は、写真95のように、万助橋で森に突き当たる。井の頭公園である。

  96 ジブリ美術館案内板               97 万助橋からみた三鷹駅方面
   

 ここからは、写真98のとおり、まだ紅葉の残る井の頭公園の林の中を通り抜けて行く。

  98 万助橋から井の頭公園へ             99 ほたる橋から下流を望む
   



  100 井の頭公園近くの街並み            101 幸橋
   

 落ち着いた街並みである。高級住宅街といってもよいだろう。

 102 三鷹市井の頭付近の緑道

 自然にあふれた素晴らしい緑道が続く。ただ、静かすぎて、夜は痴漢が出ないか心配になるほどだ。
 水の流れは少なく、その分両岸の木々による緑のベルトは見事である。

  103 松影橋から上流を望む             104 法政大中学高等学校付近
   

 ちょうど高校生の下校時刻にぶつかったので、賑やかだ。

  105 法政大学中学高等学校             106 井の頭橋から上流を望む
   



  107 井の頭水源                  108 畑
   

 水道用の井戸があったり、のどかな畑があったりして、武蔵野の田舎の雰囲気が味わえる。

  109 直売場                    110 若草橋
   

  111 若草橋から下流を望む             112 水路にはみ出した木
   

  113 宮下橋から上流を望む             114 河畔の紅葉
   

 地鶏農家があった。近寄ると、鶏が寄ってきて可愛い。餌をもらえると思っているのだろう。

  115 東橋から上流を望む              116 地鶏飼育場
   



  117 紅一点                    118 どんどん橋
   

 119 石橋建立供養之碑解説版

 解説文にあるように、ここから杉並区に入る。いよいよ23区内、都心に近づいてきた。

  120 牟礼橋から下流を望む             121 巨木の根元の石仏
   

 23区内に入ったが、まだまわりの景色はのんびりしている。

  122 久我山水衛所跡                123 兵庫橋から下流を望む
   

 岩崎橋の商店もなぜか懐かしい佇まいである。。

  124 岩崎橋袂の商店                125 岩崎橋から上流を望む
   

 玉川上水に沿って都道が計画され、用地買収も進んでいる。公共工事ではどこでも見られるが、ここも反対運動が起きているようだ。

  126 道路建設反対の看板              127 杉並区久我山付近
   



  128 道路用地                   129 浅間橋暗渠入り口
   

 そして、ついに浅間橋についた。写真129が、玉川上水開削区間の終点で、この先は暗渠になってしまう。事実上、玉川上水の見納めである。下流側には、緑地の先に高速道路が走っている。

  130 浅間橋から上流を望む             131 浅間橋から下流方向を望む
   

   132 浅間橋の案内版の一部
  

 久我山駅まで歩くと、水路があった。以前紹介した神田川である。

 133 久我山駅                    134 久我山橋から神田川上流を望む
   

     

 今日歩いた、緑深い小平中央公園から始まる区間では、大学、江戸時代の名所桜堤、文学碑、三鷹市街地、井の頭公園と変化に富んだ周囲の環境と調和した玉川上水をたっぷり堪能できた。落ち着いた住宅地と木々の緑に囲まれ、歩いていても実に楽しい道であった。
 次回は、暗渠になってしまった玉川上水の痕跡を辿る旅になりそうである。急激な都市化の中で、玉川上水がどう消滅していったのかを探る歴史ミステリーになる?........かもしれない。

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