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海岸線をどこまでも 本州一周 (になるかもしれない旅) 千葉県の最終局面 |
◆第12+25日目(2010年1月10日)外川駅 〜 銚子大橋
新しい年に突入したこの長い旅も、九十九里浜を縦断して、すでに千葉県の東端、銚子市に入った。今日も、すっかりおなじみになったいつもの特急しおさいで銚子駅に着いた。
1 銚子駅に到着した特急しおさい 2 銚子電鉄の車両
そのまま銚子電鉄線に乗り換える。出迎えてくれたのは、前回も乗った、このデハ801である。
Wikiによると、
「元は1950年に製造された伊予鉄道クハ400形405→モハ100形106。銚子電鉄には1985年に譲渡された。(中略) 営業運転としては2010年3月下旬にさよなら運転を行う予定で、その後は動態もしくは静態保存車両とする計画である。」
とのことだ。読者の多くはまだ生まれていなかったであろう昭和25年に製造され、四国からやって来たこのレトロな車両も、刻一刻と引退の日が近づいているということになる。
3 車内の案内版
車内は写真4のとおり結構賑わっていて、漁師の格好をしたした観光案内のおばさんがなにか言っているが、あまり聞き取れない。ジャージを着た学生が途中で降りていくが、なぜか駅ごとに数人ずつ降りていくのが不思議である。20分ほどで終点の外川だ。
4 観光案内のおばさん 5 外川駅に到着
外川駅には、このデハ801が引退した後に使われるのか、緑の電車が止まっていた。
6 外川駅の車両 7 外川駅改札口
駅舎は、昭和の昔から変わっていないと思われる佇まい。前回とは逆に坂道を降りていくと外川漁港に着く。
8 外川駅駅舎 9 外川漁港
漁港につくと観光バスが止まっており、写真10のとおり、なんだか活気に満ちている。中学生の駅伝大会が開かれているらしい。銚子電鉄の電車から、駅ごとに数人の中学生が降りていく理由がここで初めてわかった。
10 駅伝大会の選手たち 11 銚子漁業発祥の地記念碑
漁港から、海岸沿いに東へ向かう。
12 大杉神社 13 長崎町方面を望む
14 千葉大学銚子実験場
海に突き出た半島にある長崎地区に入る。
15 海沿いの民家 16 長崎橋
途中には、妙な建物があったが何のために建てられたのだろう。
17 奇妙な建物 18 長崎鼻
長崎鼻という半島の先端を回りこむと、美しい海岸の向こうに建つ白亜の灯台が目に飛び込んできた。犬吠埼である。
19 長崎海岸から犬吠埼方面を望む
20 台地上に登る斜面 21 閉鎖になった公共保養施設
太平洋に突き出した犬吠埼の豪快な光景が眼前に広がる。海岸沿いに遊歩道が続いているが、いったんここで台地上に登る。犬吠駅に寄るためである。
22 犬吠埼に続く遊歩道
先程、電車に乗って通過した犬吠駅に着いた。
23 犬吠駅入口 24 犬吠駅
銚子電鉄は、見ての通りの地方鉄道で、経営が大変なのはもちろんであるが、社長がお金を使い込んで会社が潰れそうになったことがある。その時に、会社を救うため、社員が「ぬれせんべい」を売って凌いだというのは有名な話だが、売店ではその「ぬれせんべい」が飛ぶように売れていた。食べてみたら思ったよりうまいので、おみやげに小さい袋のやつを買う。これで、少しは赤字の穴埋めにもなっただろう。
25 駅売店 26 犬吠埼への遊歩道 その1
犬吠駅から、遊歩道へ戻る。正面に犬吠埼の灯台が見える。
遊歩道の一部がびしょびしょに濡れていた。波をかぶるらしく、前を幾人かが駆け抜けていく。
27 犬吠埼への遊歩道 その2 28 犬吠埼への遊歩道 その3
振り返ると写真29のように波しぶきが遊歩道の上までかかっていた。
29 犬吠埼への遊歩道 その4 30 遊歩道から長崎海岸を振り返る
31 犬吠埼堆積物解説版
犬吠埼に到着した。白亜紀と言えば、恐竜が跋扈していた時代である。ここは浅い海であったと書いてある。とんでもなく長い時間をかけて、隆起して陸地になり、再び波に侵食されて海に還るということになる。
32 犬吠埼の碑
地図でも特徴的な形をした、あの千葉県の東の果ての犬吠埼に、今立っていると思うと少し感慨深い気持ちになる。
余談だが、夏に天気予報を見ていると、関東地方の猛暑の中、銚子だけがやけに気温が低いのに気がついたことがある方も多いだろう。例えば、2010年8月17日に東京の最高気温は37.2℃を記録しているが、同じ日の銚子の最高気温は29.8℃で、その差はなんと7.4℃もある。これは、もちろん周りが海に囲まれているからである。しかし、夏涼しく、冬暖かいという理想の気候のわりには、避暑地や避寒地の印象がないのはなぜだろうか。じつは、銚子の気候は、夏は霧が出るほど湿度が高く、一年中、風が強いらしい。これは、風車が林立していることからもわかる。つまり、気温だけでなくトータルで見ると、快適とは言えないのがその理由ではないだろうか。
33 犬吠埼からみる太平洋 34 犬吠埼
35 土産物屋 36 犬吠埼GPS局解説版
ここは観光地だけあって、土産物が並んでいて、賑やかである。最果てという感じではない。
37 灯台とGPS局 38 犬吠埼からみえる奇岩
39 犬吠埼灯台 40 犬吠埼先端
41 犬吠埼灯台解説版
42 犬吠埼灯台近景
灯台を後にして、台地から北側を見下ろすと、美しい弧を描く砂浜が続いていた。君ヶ浜である。
43 犬吠埼から見下ろす君ヶ浜
君ヶ浜は海浜公園になっており、走る人やカップルがいて明るい雰囲気である。実に美しい海岸だが、ここも例に漏れず、侵食対策が施されている。しかし、ブロックは海中に隠れて見えないので、美観はそれほど損なわれてはいない。しかし、良く見ると弧を描いているはずの砂浜には不自然な凹凸が生じている。
44 君ヶ浜から犬吠埼灯台を望む 45 君ヶ浜しおさい公園
写真47の公園施設は、駅伝関係者が利用していた。
46 君ヶ浜 47 君ヶ浜しおさい公園施設
君ヶ浜は、写真48の岩礁で終わる。その先には、写真49のようなこんもりと盛り上がった丘があるが、なぜか多くの人が登っている。近寄ってみると、駅伝をここから見物したり、撮影しようということらしい。
48 君ヶ浜末端 49 海岸の丘から駅伝をみる人々
丘の反対側には、自然石に刻まれた句碑があった。現代だと自然破壊だ、という避難を浴びそうだが、当時はのんびりした時代である。許されたのだろう。
50 小川芋銭句碑解説版
それにしても、写真51の岩は、確かに文字を刻みたくなるような象徴的印象のある岩である。
51 小川芋銭句碑 52 句碑拡大
下には廃墟になった海の家?があった。バス停は海鹿島になっている。昔、沖の岩礁には、アシカが住んでいたのだろうか。
53 句碑の建つ丘から見た海岸 54 海鹿島バス停
海沿いの道沿いには駅伝大会の応援客がたくさんいて賑やかである。丁度先頭走者が来るところであったが、驚いたことに自衛隊のジープが先導しているではないか。
55 伊勢大神宮 56 駅伝大会を先導する自衛隊
そして、何と白バイの先導まである。箱根駅伝なみの大規模な協力体制である。沿道の応援の気合の入り方といい、単なる中学生の市内一周駅伝にしては、ずいぶん大仕掛けだな、と感心した。
57 白バイとトップランナー 58 応援の人々
細い道が、海沿いに分かれる分岐点には、写真59のような門があった。一山いけすとはなんだろうか。
59 一山いけすの門 60 美加保丸遭難碑
61 黒生浦と美加保丸遭難碑解説版
62 案内図
海岸に建つ墓碑の前には、大きな飲食店があり、人がたくさんいる。「一山いけす」とは、有名な飲食店らしい。
63 海鳥たちの楽園 64 一山いけす
中に入ってみる。とても、繁盛しているようだ。客層はどう見ても観光客である。一人で入るようなところではなさそうなのですぐに外に出る。
大きな道に戻ると、飲食店のおやじさんが腕を組みながら大声で、救急車がどうの、びりは〇〇中学だなどと話している。どうも駅伝の最後尾には救急車がついているので、全走者が通り過ぎたということのようである。写真66のように、たしかに救急車が通り過ぎていったようだ。
65 一山いけす内部 66 駅伝最後尾
殺風景な埋立地に入る。
67 川口町の埋立地 68 テトラポッドの制作現場
埋立地には、銚子ポートタワーという展望台と、海産物を中心とする土産物販売施設があった。
69 銚子ポートタワー
時間の関係で、タワーに登るのはまたの機会に譲ることにして先を急ぐ。
70 ウォツセ21 71 ポートタワー遠景
久々に海岸が見えたが、すでに、銚子港内に入っているらしい。
72 銚子港 その1 73 古銅輝石安山岩
74 古銅輝石安山岩解説版
銚子港は、利根川の河口を川の流れに沿って防波堤で区切る形になっている。かなり大型の漁船が入ってきており、利根川の河口の大きさが半端ではないことに気づく。防波堤のために、河口はよくわからない。大きすぎて、その全容は、空から見ないとわからないかも知れない。
75 銚子港 その2 76 銚子港を行く漁船
様々な漁船がいるが、どれもかなり大型である。
77 銚子港 その3 78 銚子港 その4
79 銚子港近くの「安い店」 80 銚子港 その5
写真80の場所でコンビニで買ったカップラーメンを食べていると、小柄なおじさんに話しかけられた。茨城弁のような感じでなまっているが、会話ができないほどではない。最初は漁師さんかと思ったが、どうも土木工事関係者らしい。どこから来たとか、目的はなんだなどと聞かれたので、正直に答えたが、あまり理解してもらえないようだった。たしかに、他人から見れば、好き好んでこの寒空の中を歩いている意味は理解できないはずである。銚子大橋を歩行者は渡れるのか、と聞いてみると、今ちょうど橋の架替をやっていて、新しい橋には歩道があるが、古い橋にはないという。新しい橋は途中までしかできていないようだ。おじさんの携帯電話が鳴ったので、挨拶をしてまた歩き始める。
81 銚子港 その6 82 銚子港 その7
利根川の河畔沿いには、延々と堤防と岸壁が続き、色とりどりの漁船が錨を降ろしている。船尾に書いてある船籍地はかなり広範囲に渡っている。写真81は稚内だが、その他に八戸など、北から来ている船が多いようだ。日本有数の水揚げ高を誇る銚子港は、我々が想像する並の漁港のスケールを遥かに超えている。魚市場も巨大だ。
83 銚子港 その8 84 銚子港東市場
歩いても歩いても漁港が続いている。写真86のように、タグボートまでいた。大型の船をエスコートするのだろう。ここまでくると、国際貿易港並である。
85 銚子港から利根川を望む 86 銚子港 その9
87 銚子港案内図
上の図をみると、漁港は太平洋から利根川河口を回り込んでここまでの地域に広がっているようだ。
そして、前方には大きなつり橋がある。銚子大橋である。
このあたりで、道端に1冊の冊子が置き忘れられているのを見つけた。62ページも有る立派なものだ。第61回中学校対抗銚子半島一周駅伝と書いてある。これを読んで初めて、自衛隊や白バイまで動員できる大会規模の大きさの理由が分かった。中学生の大会であるが、要するに大学生の箱根駅伝に相当する位置づけのメジャーな大会らしい。参加校は市内の中学だけだと思っていたら、関東各地から81校もの参加があり、各地の有力校が参加するようだ。ちなみに、昨年の60回記念大会では、神奈川県茅ケ崎市の松林中学が優勝しており、地元民としては少し鼻が高い。素晴らしい景色のコースと、たくさんの銚子市民が応援してくれる事も選手にとってはありがたい事だろう。
88 銚子駅に続く広い通り 89 銚子大橋遠景
市役所では、駅伝関係者がまだ残っていた。
90 銚子市役所 91 銚子大橋歩道入口
そして、銚子大橋にたどり着いた。橋に上っていく歩道が途中で2つに分かれていたので、迷わず下流側を選択する。地上からはよく見えなかった利根川河口を見る必要があるだろう。
階段を上がると、歩道はなく、大型車が行き交う狭い橋の車道を歩くハメになった。これはひどい。しかし、途中から吊り橋の新橋に移り、歩道が出現したので、ホッとする。
92 工事中の銚子大橋 93 旧橋と新橋
94 銚子大橋から利根川河口を望む
スケールが大きすぎて、河口がよく見えない。
橋からの眺めは雄大という言葉に集約されるが、あまりの幅の広さに川という実感がわかない。
95 銚子大橋上 96 銚子大橋から上流を望む
97 銚子大橋からみた利根川河口方面のパノラマ
利根川は、単純な長さでは日本で2番目だが、流域面積では日本一であり、実質的には日本で一番大きな川といってもよいだろう。しかし、利根川が銚子で海に注ぐようになったのは、実は人工的な河川改修のせいであり、もともとは鬼怒川の河口だったようだ。江戸の町を守るため、この世紀の大事業を始めたのはあの徳川家康、時は関ヶ原の戦いを10年遡る、1590年のことだという。
98 銚子大橋から銚子市街を望む 99 銚子大橋の茨城県側
千葉県と茨城県の境界である橋の中央部を超え、茨城県側に入った。2008年3月29日に旧江戸川に架かる舞浜大橋を超えて千葉県に入って以来、約1年10ヶ月、延23日間を費やして、ようやくここに千葉県の長い海岸線を踏破したことになる。今日の目的を果たした達成感を得て、ここで引き返すことにした。
100 銚子駅前通り その1 101 イカの天日干し
港に別れを告げて、駅へ向かう、気持ちの良い広い通りを歩く。メインストリートにも関わらず、道端でイカを干しているところはいかにも銚子らしい。
102 銚子駅前通り その2 103 銚子駅
銚子駅から特急に乗ろうと思ったが、残念ながら1時間以上待つようなので、先に来た成田線周りのローカル電車で帰途に着いた。
今日の前半のハイライトは、なんといっても太平洋に突き出た犬吠埼とそれに続く美しい君ヶ浜であろう。
さらに、偶然ではあるが、駅伝大会にも遭遇し、沿道で応援する銚子市民の姿を身近に感じることができた。
後半の見どころは、日本有数の水揚げ高を誇る銚子漁港と実質的には日本一の川、利根川とそれを跨ぐ銚子大橋である。そのスケールの大きさは、想像以上であり、驚いた。
そして、今日が記念すべき千葉県の最後の日になった。千葉県の長く変化に富んだ海岸線を旅した思い出はとても言葉ではいい尽くせないが、改めてこのサイトでの過去の記録を見直すと、思い出が限りなく蘇ってきて、本当に感慨深い。
さて、次回はいよいよ茨城県に入ることになる。しかし、この先の交通事情と自宅からの距離を考えると、日帰りでは踏破が困難な地域になってくる。千葉県でも何度か泊まりがけで歩いたが、今日も家から出発地まで片道4時間以上を要している。往復8時間というのは、日帰りでは限界に近づいていると言えるだろう。今後の行程を真剣に考えなければならない岐路に、筆者は今、立っていることになる。
余談だが、前日のテニスで軽く腰を痛めたのに強行したおかげで、その後数日間は重度のギックリ腰状態になってしまった。寄る年波には勝てないので、今後はあまり無理をしないようにしよう。
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