|
海岸線をどこまでも 本州一周 (になるかもしれない旅) 震災後再び鹿島灘を北へ |
◆第12+30日目(2012年2月11日) 大洋駅 〜 大洗駅
2011年3月5日、海岸線の旅も茨城県鉾田市大洋駅まで来たが、その6日後に起こった未曾有の東日本大震災により、日本は大混乱に陥った。
ところで、「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだ総理大臣がいたが、正しい読みは「みぞう」だとされている。しかし、私は「みぞうう」と習ったような気がして、ずっとそう読んできた。正確な発音は「みぞーう」かもしれないがすくなくとも、「みぞー」ではないような気がする。まあ、どちらでも良いが漢字の読み方がどうのというくだらないレベルの議論で国会の貴重な時間を浪費するのはやめてもらいたいものだ。
冒頭からこんなつまらないことを書くのも、大震災のあまりの被害の大きさに深刻になりがちな日本国民の心を少しでも和らげたいという筆者の思いやりであるが、こういうのを単なるひとりよがり、または思い込みとも云う。
冗談はさておき、かなり時間が経ってしまったけれども、海岸線の旅を再開することにしよう。現地にはまだ傷跡が残っているかもしれないが、それも含めてこの目と足で歩いてみたい。津波がくるのも500年後だと思えば、怖くはない。また、放射線量が高い地域に向かうわけであるが、その測定値は命に関わるような数字では無いことも明らかである。
1 上野駅のスーパーひたち 2 水戸駅の鹿島臨海鉄道線列車
というわけで、上野駅から7時発のスーパーひたち3号に乗り、水戸駅で鹿島臨海鉄道に乗り換える。上野−水戸間は1時間12分しかかからないのには驚いた。新幹線とまではいかないが、在来線としては結構スピードを出すらしい。
3 鹿島臨海鉄道車内 4 車窓から見える北浦
車窓右手に北浦を見ながら、列車に揺られて9時13分に大洋駅に着く。11ヶ月ぶりだ。
5 大洋駅 6 海へ出る
海岸にある、見覚えのあるゲートに近づくが、津波の傷跡はよくわからない。果たしてこのゲートを超えたのだろうか。そもそも津波の時にこのゲートは閉められたのだろうか。
7 防波堤ゲート 8 上沢海岸 その1
海岸には普通に人がいて何かを採っている。防波堤をよく見ると、写真10のように、防波堤に少し被害が出ているようだ。津波と云うよりも地震の被害といった壊れ方である。
9 上沢海岸 その2 10 破損した防波堤
11 汲上海岸 その1 12 後背台地
13 汲上海岸 その2 14 汲上・別所海水浴場 その1
冬晴れの気持ちのよい海岸を少し歩くと、海の家のような建物があるが、通年営業のようだ。サーファーも海に戻っている。津波の被害はなかったのだろうか。しかし、トレーラーの骨組みが砂浜に残されているのが見えた。どこから流されてきたのだろう。
15 汲上・別所海水浴場 その2 16 トレーラーの残骸
17 汲上・別所海水浴場 その3 18 破損した防波堤 その1
19 汲上・別所海水浴場 その4 20 破損した防波堤 その2
写真19は冬の間閉めているようなので、本当の海の家だろう。写真21のラブラドールは、砂を掘るのに夢中になっている。ちなみに、ここ茨城県では、都会の海岸と違って、海岸を散歩させている犬は全てリードをつけていない。「海岸では犬を放す」のが常識らしい。人が少ない海岸なので事故も起こらないのだろう。
21 砂を掘る犬 22 汲上・別所海水浴場から北を望む
排水パイプが切断されている。以前はおそらく砂に埋まっていたのだろう。津波で砂浜が削られて露出、切断されたということだろうか。
23 破損した排水パイプ 24 台濁沢海岸
25 蛤の海岸 26 海岸のシトロエン
シトロエンの横で昼寝をしている人がいた。ボンネットを開けているのはなぜだろう。
なんとなく人が多くなってきたが、鹿島灘海浜公園に到着である。11時ちょうどだ。ここまで、8kmほど歩いたことになる。
今回のルート選定で迷ったのは、どこを目的地にするかということである。鹿島臨海鉄道は大洗駅と大洋駅の間は内陸部を走るので、非常に使いにくい。しかも、驚いたことに海岸線を走る国道51号線には路線バスは走っていないのである。大洋−大洗間の海岸線は直線距離で24km以上、まっすぐ歩けるわけではないし、駅から海岸までの距離も含めると30km近く歩くことになる。冬の短い日にこれだけの長距離を歩けるか、不安が無いこともない。途中で宿泊することも考えたが、最悪の場合、鉾田あたりのタクシーを呼べばいいと思って、見切り発車で行けるところまで行ってみることにしたのである。ところが、今日はそのタクシーの電話番号のメモを忘れてきてしまったというドジを踏んでいた。大洗まで行くとすると、まだ、1/3の行程である。ここで11時という時間は、微妙なところだ。あまり長い休憩はとれないだろう。
27 鹿島灘海浜公園 その1 28 鹿島灘海浜公園 その2
展望台から北方向の海岸を見ると、木製のデッキが続いている。同じ海浜公園でも、たくさんの人がいる辻堂海浜公園とは大違いである。
29 鹿島灘海浜公園 その3
30 鹿島灘海浜公園 その4 31 鹿島灘海浜公園 その5
このあたりは大竹という地名で、夏は海水浴場になるらしい。
32 大竹海水浴場 その1 33 大竹海水浴場 その2
鹿島灘の特徴として、海から陸へ向かって高度差があり、段丘面に緑が広がっているおかげで、内陸の民家がほとんど見えないことがあげられる。
34 大竹海岸の砂丘 35 大竹集落への道
36 工事標識
災害復旧工事が行われている。
37 北方向の大洗方面を望む
ちょっと見では津波の影響など微塵も感じさせない美しい海岸である。
38 砂丘と青い空 39 柏熊の小河川
海の家らしい海岸施設、流れこむ小さな川が、どこまでも続く素朴な海岸にアクセントを加えている。普通の人にとっては、どこまでも果てしなく続く海岸を歩くのは苦痛なのかもしれないが、私は、この虚無感と無力感がとても好きだ。肉体の疲労に比例して脳の中まで空っぽになる感覚がまたいい。海岸をここまで歩き続けることが出来たのも、この妙な嗜癖のおかげかも知れない。
40 柏熊海岸 41 湯坪海岸 その1
ここにも津波の爪痕が残っていた。
42 打ち上げられた漁船 43 滝浜の小河川
44 勝下海岸 45 通行止めゲート
テトラポッドが目立ち始めていた海岸も、通行止になってしまった。津波による災害復旧工事と云うよりも、海岸侵食の工事といった感じである。幸い車両通行止めで、歩行者は進入禁止とは書いていないので、強引に海岸を歩くことにする。
46 玉田海岸 その1 47 とちぎ海浜自然の家
ちょうど、とちぎ海浜自然の家の真下にあたる。
48 玉田海岸 その2
台地上には、写真50のようにリゾートっぽい家が立ち並んでいる。
49 玉田海岸 その3 50 荒地の住宅街を見上げる
工事現場の中を道は続いている。浸食が酷く、砂浜はコンクリートに置き換わっている。
51 荒地海浜 52 ホテル?
リゾートっぽい建物があった。地図では、ジャパンエアリゾートインターナショナルと書いてある。
正面で工事をしていたので、左の防砂林の林の中を歩く。
53 沢尻海岸 54 防砂林 その1
林の中を歩くのは、かなりきつい。漸く工事現場を過ぎて海岸に出ると、そこには衝撃的な光景があった。
55 防砂林 その2 56 沢尻海岸のヘッドランド
埼玉県の番号が書いてある船がその残骸を晒していた。下半分は砂に埋まっている。人類が滅びた近未来の地球のような、ふしぎな光景である。
57 レジャーボートの残骸 その1 58 レジャーボートの残骸 その2
清掃工場の煙突が見えた。鉾田市から大洗町に入ったようだ。
59 上釜海岸 60 大洗鉾田水戸環境組合クリーンセンター
正面にクレーンが見える。もう海岸線を歩くのは、無理だと判断し、上の国道に出ることにした。
61 大洗町成田町海岸 62 国道51号線に出る
国道には歩道がなく、路肩を歩く。なんとかここまで来たからには、覚悟を決めて大洗駅まで行くしかなさそうだ。
63 国道51号線 64 日本原子力研究開発機構
65 距離標識 66 鹿島灘を望む
海岸が工事で立入禁止になってしまったので、もう釣り客はいない。釣具店の廃墟が2つもあった。ラブホテルは工事とは関係無いようだ。
67 釣具店の廃墟 68 ホテルセブンシーズ
やっと海岸への道があった。工事区間が終わったのだろう。大洗海岸である。
69 大洗サンビーチ入口看板 70 大洗サンビーチ入口
なかなかアメリカンな風景であるが、ここは西海岸ではなく、鹿島灘、大洗海岸である。
71 鹿島灘とトレーラーハウス
この海岸は、大洗サンビーチという今ひとつの名前がついているようだ。そういえば、鹿島灘の始まりもサンサンパークとかいう名前だったことを思い出す。サンで始まりサンで終わる鹿島灘である。
72 大洗サンビーチ その1 73 風紋
やたらと大きな貝殻がたくさん落ちている。
74 大きなカキ? 75 大きな貝殻
76 ハングライダー 77 はまぐり保護区域境界柱
大きな貝殻が多い理由がわかった。ここでは、ハマグリを保護しているようだ。海と空の色に似た青い貨物船がゆっくりと大湊港に入っていく。
78 青い貨物船 79 大洗サンビーチ その2
防波堤に突き当たって、海岸を後に駅方面へ向かう。ここが鹿島灘の最北端である。2012年2月11日15時10分、ついに鹿島灘を踏破した。
80 大洗わくわく科学館 81 大洗マリーナ
アウトレットがあったので寄ってみる。
82 大洗リゾートアウトレット その1 83 大洗リゾートアウトレット その2
首都圏にある大きなアウトレットとは違って、小ぢんまりとしているが、久々に見る都会のテイストである。大洗港はフェリー乗り場になっているので、時間が空いた人が寄ることも多そうだ。
海岸から10数分で大洗駅に着いた。鹿島臨海鉄道は、大洋駅から海岸を遠く離れるが、ここ大洗駅で再び海岸近くに復帰するのである。
84 大洗リゾートアウトレット その3 85 大洗駅
来た時と同じ水戸駅経由で帰途に着く。
86 大洗駅の鹿島臨海鉄道列車 87 水戸駅のスーパーひたち
GPSによる本日の歩行経路 (時間:6h30m 距離:32.5km)
今日はよく歩いた。おそらく、これまででも最長距離だろう。が、思ったより、疲労感は少ない。交通事情により、一気に大洗まで行くしかなかったということもあるが、県境の山に登って足腰が少し丈夫になったせいかもしれない。とにかく、銚子から続く広く雄大な鹿島灘を歩ききったことに満足感を覚えた。
震災後の鹿島灘には、やはりところどころに爪痕が残っていた。特に、鉾田市北部から大洗町南部にかけての海岸は工事で立入禁止となっている。砂浜の侵食によりコンクリートで固めた海岸が、地震と津波に対して脆弱だったことが証明されてしまったようだ。人災といっても良いだろう。自然の砂浜が防災対策としても有効であることの裏返しでもある。そういう意味でも海岸を守るためには、コンクリートではなく、自然の砂の供給を阻害しない環境を守るという視点の必要性を改めて感じる。が、震災関係予算に乗じて相変わらずの工事が行われており、このままでは将来、鹿島灘の砂浜はテトラポッドとコンクリート護岸に置き換わってしまうだろう。そして、地震や波浪によりまた破壊され、それを補修するために更なる莫大な財政負担を伴う工事が行われるという地獄のような輪廻が、人類が滅びるまで続くのである。もちろん、その前にハマグリなどの貝や魚類、海鳥やウミガメ等数えきれないほどの砂浜を必要とする生物が絶滅するだろう。これは、湘南海岸、九十九里浜も歩いて共通して感じた危機感だ。
今日は久しぶりの海岸線であり、鹿島灘を踏破した記念すべき日でもある。帰りの特急列車の中で、よく歩いた一日を振り返りながら、そんなことをつらつらと考えていると、ロング缶のビールをすぐに飲み干してしまい、あっという間に東京に戻っていた。
(本日の歩数:45299歩)
NEXT ◆第12+31日目(2012年3月20日)大洗駅 〜 阿字ヶ浦
PREV ◆第12+29日目(2011年3月5日)はまなす公園前駅
〜 大洋駅
ご意見・ご感想はこちらまで
|
|
|