海岸線をどこまでも 本州一周 (になるかもしれない旅)  大洗から茨城県北部の海岸を北上する

第12+32日目(2012年4月1日)  阿字ヶ浦大甕駅



 
おなじみのスーパーひたちは、もう3回目の乗車になるだろうか。しかし、今日の下車駅は水戸ではなく、勝田である。勝田駅でひたちなか海浜鉄道に乗りかえだが、連絡が悪く、30分ほど時間があったので、駅構内のパン屋さんで朝食を食べる。朝からなかなか優雅な旅だ。ひたちなか海浜鉄道線の列車は、前回のピンクとはうってかわって、写真1のようにクリームと緑の落ち着いた色である。8時48分発だ。
 途中の那珂湊駅では、懐かしい旧国鉄色の赤い気動車と行き交う。

  1 勝田駅のひたちなか海浜鉄道気動車         2 那珂湊駅
   

     

 ディーゼルエンジンの唸りを響かせて海に向かって走る1両編成の小さな列車は、9時15分、今日の出発地である阿字ヶ浦駅に着いた。この駅に降り立つのは、相変わらず鉄道マニアばかりであるが、そういいながら写真を撮っている自分も、仲間だと思われているに違いない。どちらにしても、ダサい服装とリュックサックは、私も含めてこの駅に降り立つ男たちの共通項である。しかし、その休日の乗車だけでも、赤字解消と地域の活性化に少しは役だっているかもしれない。夏は賑わうのだろうか。

  3 阿字ヶ浦駅に到着した列車             4 阿字ヶ浦駅
   



 5 阿字ヶ浦海岸


 阿字ヶ浦海岸である。海水浴場として有名なこの海岸も、エイプリルフールの今日は散歩する人が数人いるだけの静けさである。北へ進むと海岸が立入禁止になっていた。なんだか、きな臭いイヤな感じがする立入禁止措置である。この先の海岸は殺風景ではあるものの、立入禁止にするほど危険とも思えないのだが。

  6 阿字ヶ浦海岸の海の家               7 阿字ヶ浦海岸北端
   



 仕方なく、上の広い道路にでる。綺麗な歩道が整備されているが、誰も歩いていない。観光地である阿字ヶ浦のすぐ近くなのに何か違和感がある。よく考えてみると工業地帯の寂寥感に近い。しかし、工場が建っているわけでもないので不思議な感じである。

  8 常陸那珂港へ                   9 立入禁止の海岸
   

 西側、つまり内陸側は、ひたち海浜公園という大きな公園になっているらしい。海側の駐車場入口があったが、広くて何もなさすぎて、公園特有の華やかさが無いのが不思議である。

  10 ひたち海浜公園海岸入口             11 謎のコンクリート遺構
   

 歩いていると丸いコンクリートの土台が放置されていた。古そうである。ここで、ピンと来た。そういえば、ひたち海浜公園の広さも尋常では無い。しかも国立だというではないか。これはなにかありそうである。
 調べてみると予想どおりであった。この一帯は、旧日本軍の水戸飛行場、米軍の水戸射爆撃場として使われていたのである。公園としての整備が始まったのが1970年代だが、現在も整備中ということなので、それほど昔のことではない。これで今までの謎が解けた。謎のコンクリート遺構は高射砲の台座だったのだろう、そして、観光地とは異なる空気の違和感は、この土地の数奇な歴史が原因だったのである。

  12 常陸那珂港インター遠景             13 常陸那珂港 その1
   

 正面にはインターチェンジの高架が見える。常陸那珂港はフェンスで立入禁止になっているようだ。



  14 常陸那珂港 その2               15 行き止り地点
   

 常陸那珂港には入れないが、フェンス越しにみる港は閑散としている。はたしてこの港が本当に必要だったのだろうか。茨城県の海岸は活気のない工業港が乱立しており、行き過ぎた開発志向がこの無残な結果と貴重な自然海岸である鹿島灘の破壊に繋がっているような感想を持った。
 さらに誰もいない港の外側の歩道を歩く。例えは悪いが、核戦争やウイルスの蔓延で人類が滅亡し、たった一人生き残った地球を歩くような感じである。やがて、写真15のとおり、行手が工事中で通行止めになってしまった。津波の影響だろうか。仕方なく、道路に出て引き返すことにする。車は一台も走っておらず、広い道路は静まり返っている。

  16 常陸那珂港インター               17 道路標識
   

 かなり無理をして道路を横断し、公園側の歩道に出るが、写真18のとおり、震災の影響で通行止めになっている。進退窮まってしまったので、ここは強行突破し、公園に向かうことにする。

  18 ひたち海浜公園への歩道             19 ひたち海浜公園を横断する
   

 公園に入る道を探すが、高いフェンスに囲まれて入れない。もう、軍事施設ではないはずなのに、厳重である。おそらく、有料施設なのだろう。それでも、橋の上に人影が見えたので、人類が滅んでいないことがわかりホッとする。



 やっとひたち海浜公園の西端に着いた。国道247号線である。

  20 ひたち海浜公園インター付近           21 ひたち海浜公園西側を北へ
   

 道路も公園も建物の敷地もやけに広々としている。理由は言うまでもない。10時40分、公園ゲートに着いた。中に入るかどうか迷うが、おそらくこの広さでは相当の時間がかかるだろうと思い、先を急ぐことにする。

  22 ひたちなかテクノセンター            23 ひたち海浜公園西側入口
   

  24 国道247号線を北上する
  華やかな雰囲気のショッピングセンターが現れた。

 25 TOHOシネマズひたちなか その1

 広い敷地に映画館を始め、ユニクロやスポーツオーソリティー等の大型店が並んでいる。まるでアメリカのショッピングモールのような雰囲気である。軍事施設跡地がこうなったことは、平和の果実というものだろう。



  26 TOHOシネマズひたちなか その2        27 ユニクロとスポーツオーソリティー
   

 土地が広いことはやはり気分も開放的になる。買い物も楽しいだろう。まあ、これが、駅前のごみごみした商店街が廃れる原因でもあるわけだが。

  28 COCO`S                     29 国道247号線の並木
   

 再び国道に戻り、恐ろしく整然とした、しかし、誰一人歩く人のいない歩道を北へ向かう。途中にまだ開発されていない写真30の遊休地がみえた。返還前はこんな土地だったのだろう。

  30 遊休地                     31 調整池
   



 地図によると海岸線沿いは、港と火力発電所があって歩けないようだ。雨水調整池の先を左折して、国道245号線に出ることにする。周りは、ただっぴろい公園があるなど基地跡らしく相変わらず茫洋としている。

  32 公園                      33 国道245号線
   

 国道245線からは、畑の向こうに発電所と煙突、そして送電線が見える。発電所は工事中である。電力不足を補うため、急遽能力を向上させているのだろうか。

  34 常陸那珂火力発電所遠景             35 発電所からの送電線
   



  36 ひたちなか市・東海村境界            37 送電線鉄塔
   

 東海村に入った。日本の原子力利用発祥の地である。

  38 東海村照沼付近の古い民家 その1        39 古い民家 その2
   

 江戸時代のままのような民家があったので写真を撮った。

  40 古い民家その3                 41 茨城東病院前台地上からの風景
   



  42 日本原子力研究開発機構             43 核燃料サイクル工学研究所
   

 海岸には全く近づけない。国道の右側には、巨大な原子力関係施設が並んでいる。いま、ここで働いている技術者たちはどんな気持ちで、何のために、どんな仕事をしているのだろうか。日本のエネルギーを支えてきた超エリートたちが、3.11を境に一転して国賊のように非難されていないだろうかと少し心が痛む。
 公民館らしき建物があったが、ものすごく立派である。理由は言うまでもない。東海村は国策により人口も増え、豊かになったのだろう。もし、原子力関係施設がなかったら、東海村は海辺の過疎の半農半漁の寒村で、美しい海岸はそのままだったかもしれない。村の人達にとってどちらが良かったのか。どちらにしても豊かになる道を選んだのは彼らである。これは福島県にも当てはまることである。

  44 村松コミュニティーセンター            45 新川橋から新川上流を望む
   

 新川付近は、昔ながらの風景が残っている。このあたりに有名な虚空堂があるらしいので、おばあさんに道を尋ねると、そっちに行くからと親切に案内してくれた。



 一本海側の参道に出た。おばあさんの指差す方向には、大きな寺の屋根が見える。村松山虚空蔵堂だ。

  46 村松山虚空蔵堂参道               47 村松山虚空蔵堂 その1
   

 門前は、京都か鎌倉の有名な仏閣と見紛うほどの賑わいである。虚空堂という名前から、簡素なお堂が残っているだけかと思っていた。まさか、これほどの観光地だとは思わなかったので少しびっくりである。



  48 村松山虚空蔵堂 その2             49 村松山虚空蔵堂 その3
   

 50 村松山虚空蔵堂由来解説板


  
51 村松山虚空蔵堂 その4             52 村松山虚空蔵堂三重之塔
   

  53 村松山虚空蔵堂多宝塔
  原子力とお寺のコントラストが強くて頭が混乱する。

          54 村松海岸解説板
 海岸があるらしい。行ってみよう。



 虚空堂の奥に大きな神社がある。明治時代の神仏分離で出来たのだろう。その横に海岸への道の入口がある。

  55 村松海岸への道入口               56 村松海岸への道
   

  57 砂丘を越える
  林を抜けると砂丘に出た。 

 58 村松海岸砂防林造成の碑文


 広大な砂丘が松林となり、そして今原子力関連施設となった経過が記されている。砂丘だった頃に歩いてみたかったと思う。

     59 研究施設解説板
   



 60 村松海岸へ その1

 砂丘というだけあって、起伏があり、行けども行けども松林が続いている。

  61 村松海岸へ その2               62 村松海岸へ その3
   

 米軍基地によくあるようなゲートを出ると、久々の海岸に出た。阿字ヶ浦以来である。

  63 村松海岸ゲート                 64 村松海岸から南を望む
   

 埋め立てと発電所の建設によってすっかり変わってしまったであろうかつての白砂青松の村松海岸であるが、まだその名残を残している風景である。ただ、ここまでのアプローチは遠く、寂しいためだろうか、人はだれもいない。犬の散歩も釣り人もいない、開発の谷間のエアポケットに残された異次元空間のような印象である。
 しかし、この一本道以外は、民間人が海岸に立ち入ることが出来る場所はなく、貴重な場所だ。
 ここから、砂浜沿いに北へ行けないかと思って地図を見るが、原子力関係施設の埠頭があり、無理なようだ。

 65 村松海岸


  66 村松海岸から北を望む              67 子供たちの奉納太鼓
   

 村松山虚空蔵堂に戻ると、子供たちの奉納太鼓の音が鳴り響いていた。人が多いのはこのためだったのだろう。親御さんだろうか、ビデオカメラで撮る人が多い。

     68 霊験木解説板
   



 虚空堂の裏から斜めにショートカットする道を歩く。原子力関連施設の社員宿舎の裏手である。

  69 国道へ戻る                   70 地震により地形が変わったテニスコート
   

 国道に復帰すると、平だったはずのテニスコートが、恐ろしいほどの段差になり放置されている。地震の地殻変動の激しさを物語っている。ここを利用していた原子力関係者は、おそらくテニスどころではないだろうから、直す必要もないだろうが。

  71 原子力科学研究所                72 原子力科学館
   

  73 東海村駅標識                  74 日本原子力研究開発機構
   

 原子力関係施設がこれでもかというほど並んでいる。東海村に入る固定資産税だけでも膨大なものになるだろう。

  75 いばらき量子ビーム研究センター         76 高エネルギー加速器研究機構
   



  77 東大大学院原子力専攻研究施設          78 文科省保障措置分析所
   

 これから東大で原子力を研究しようとする若者がいるのだろうか。ちょっと心配になる。
 原子力村を過ぎると、農村風景が戻って、久慈川を渡ることになる。

  79 古い民家                    80 久慈大橋
   



 久慈川を渡ると、東海村から日立市に入る。

  81 久慈大橋から久慈川河口を望む          82 久慈大橋上
   

  83 久慈大橋から上流を望む             84 日立港標識
   

 工業地帯という感じの風景が広がっている。この日立港も関係者立入禁止である。なぜか茨城県の工業港は閉鎖的なようだ。震災のせいかもしれないが。自動車輸送船らしき船が停泊していた。津波の時は大変だったらしい。
 新聞記事によると、「2011年3月12日(土)日産自動車が栃木工場で生産し、米国へ輸出するために日立港(茨城県日立市)に保管していた高級車インフィニティ約1300台が、津波で損壊した。国内の販売会社へ出荷するために、宮城サービスセンター(宮城県多賀城市)で保管していた新車約千台も同じく津波で損壊した。」とのことだ。

  85 輸送船                     86 日立港入口
   



 茂宮川を渡ると、市街地になる。お腹がすいたので、道沿いの焼き鳥屋さんで、ネギ間とつくねを2本ずつ食べる。昼食だ。普段はカレーパンをかじりながら歩くので、今日はちょっと贅沢である。ビールがほしくなるが、ここはじっと我慢である。

  87 国道沿いの焼き鳥屋さん             88 昼食
   

  89 河川地震災害復旧工事              90 久慈サンピア日立
   

 地震の爪痕は残っているが、レジャー施設には誇らしげに「復活」の文字が。日立港の津波の高さは6〜7mあったらしい。

  91 地震の被害                   92 横浜税関鹿島税関支所日立出張所
   



 漁港は一般人立入可である。当然ここの魚市場も真新しい。

  93 久慈漁港                    94 久慈漁港魚市場
   

  95 久慈浜                     96 久慈浜と古房地鼻
   

 久慈浜は海水浴場らしいが、国道の路肩が崩れ、現在まだ復旧工事が続いていた。久慈浜の先に、灯台が見える。
 海沿いの脇道に入って灯台を目指す。写真97のカフェ(レストラン?)は、なぜか混んでいた。海が見えるカフェというのは意外と少ないのかもしれない。

  97 海の見えるカフェ                98 古房地鼻に建つ日立灯台
   

 14時40分、日立灯台に着いた。この灯台は古房地鼻という岬の上に建っている。



 99 日立灯台

 灯台の周りは、公園になっていて、子供たちの歓声が響いている。歩き続けてやっと着いた、ホッとする場所である。

  100 日立灯台解説板
   

  101 古房地鼻から田楽鼻を望む           102 松並木
   

 時間も時間だし、足が痛いし、この先の特急列車停車駅などの交通事情を考えると今日はここまでとしよう。大甕駅へ帰路をとる。それにしても大甕とは難しい漢字である。自慢ではないが、絶対に書けない。

  103 大甕駅
  高架道の下の階段を登ると大甕駅である。

 15時8分大甕発のスーパーひたち42号は意外と混んでいた。

 GPSによる本日の歩行経路 (時間:5h42m 距離:28.5km)


 今日は、阿字ヶ浦から旧陸軍の跡地、東海村の原子力施設を経て日立市南部に入った。最初と最後の自然海岸を除いて、埋立地の港湾地区、工業地帯、原子力施設である。その間、海岸に出られるところは村松海岸1箇所だけであった。豊かさと引換に海は住民のものではなくなっていた。そんな中で、村松山虚空蔵堂だけは、原子力開発や海岸の埋め立てとは関係なく、昔からそこに存在していた。
 時空を越え、歴史の流れに翻弄され変わってきた、ひたちなか市、東海村、そして日立市の姿をみてきたことになる。次回は日立市内を北上する。

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