海岸線をどこまでも          

    本州一周(になりそうもない旅) 長い時を経て、いよいよ北への道が再び開いた
◆ 第12+40日目(2018年4月29日)  J-Village 〜 富岡      


 2012年11月10日、辿り着いた福島県広野町から楢葉町に入ってすぐのJ- ヴィレッジは、本来のサッカーのナショナルセンターではなく、地獄と化していた。そこにいるのは、サッカー関係者ではなく、未曾有の原子力発電所の事故に対して命がけで戦っている人達である。カメラを向けた場違いの外来者が警備員に追い払われた場所だ。
 無理もない。当時の楢葉町は避難指示解除準備区域になったばかりで、住民と公益目的及び復興工事関係者だけが一時的な立ち入りを許されている状況であった。もちろん、公共交通機関も治安やインフラも保証されていなかった。そして、常磐線も広野駅が臨時の終着駅になっていたのである。

 したがって「海岸線をどこまでも」のプロジェクトも、これより北に行くことはできず、無期延期という名の事実上の終わりを告げたわけである。
 ◆第12+39日目(2012年11月10日) 四ツ倉 〜 j-Village    

 最終到達地点


 それから、5年半という長い歳月が過ぎ、この地にも大きな変化が訪れることとなった。

 一つは、2015年(平成27年)9月5日に、楢葉町に出されていた避難指示が解除されたことである。そして、2017年(平成29年)4月1日には、隣接する富岡町への避難指示も解除された。長くつらい日々を耐えた住民の皆さんのお喜びはいかばかりであっただろうか。
 そして、もう一つは常磐線の復旧である。私がこの地を訪れた2年後の2014年に広野 - 竜田間が復旧していたが、2017年(平成29年)10月21日、ついに竜田 - 富岡間が復旧したのである。

 それから半年余り、やっと海岸線の足跡をさらに北に伸ばす機会が訪れたのである。はっきり言って、あの道の分岐点から先に進める日がこんなに早く来るとは思っていなかった。

 早起きして、久しぶりに乗る常磐線であるが、こちらにも大きな変化があった。上野始発の特急スーパーひたちはなくなり、後を継いだ特急ひたちは、東京上野ラインの開通により、なんと品川始発になっているのだ。神奈川県民にとっては実にありがたいことである。車両も651系が引退してE657系になっていた。

651系  E657系    

 品川駅を6時45分に発車した全席指定席のひたち1号は、東京駅と上野駅にさり気なく停車して、一路北へ向かい、いわき駅に定時の9時18分に到着した。いわきで9時22分発の富岡行き普通列車に乗り換えて、広野駅には9時44分に到着である。

  1 広野駅ホーム                   2 広野駅
   

 広野駅前は当時よりも心なしか明るく、建物も増えて人も多いような気がした。時間と体力を節約し、地元にお金を落とすために、ここからJ- ヴィレッジまでタクシーに乗ったのだが、あっと言う間に到着し、3千円でお釣りがきた。
 時刻はちょうど10時、いよいよ旅の再開である。

  3 J- ヴィレッジ その1              4 J- ヴィレッジ サテライトハウス
   

 J- ヴィレッジは、サッカーの聖地として復活しつつあるという報道があったが、タクシーの運転手さんによると、現在工事中とのことだった。北側の土地にサテライトハウスと全天候型のドーム練習場ができつつある。
 また、道路を挟んで反対側のサッカー場も芝生が蘇ってもう使われているようだ。ただ、写真3のメインの建物はまだ立ち入り禁止になっている。

  5 J- ヴィレッジ 全天候型練習場          6 J- ヴィレッジのその先へ 
   

  7 災害の傷跡                    8 ついに再び開かれた北への道
   

 海岸方面に歩くと、やがて写真8の三叉路に到着した。この道こそが、2012年11月10日、これ以上先に進むことを断念した、海岸沿いを北に延びる県道391号線である。ついにその向こうに何があるかこの目で確かめる時が来たのである



 海水浴場への道は特に通行止めになっていなかったので復活しているようだ。建築中の民家があり、復興は着実に進んでいるようだ。

  9 新築中の家                     10 岩沢海水浴場入り口
   



 長屋風のきれいな新しい住宅が建っていた。被災者の方が入居しているのだろうか。

  11 復興住宅                    12 楢葉町を北へ
   

 県道391号線も工事が行われている。この工事のため、左折して迂回することになる。

  13 工事中の県道                  14 楢葉町南地区浄化センター
   



 陸側の迂回路沿いは、見渡す限りの廃棄物置き場になっていた。地図では、震災前は田んぼだったようである。その中を北に向かって歩いていると、パトカーが寄ってきて、警察官が二人降りてきた。周りを見回すが他に誰もいないので、目的は私しかいない。若い頃は忘れたが、たぶん数十年ぶりの職務質問である。時刻は10時30分だ。

 お決まりで「ここで何をしているんですか」と聞かれる。見りゃわかるように、歩いているわけだが、やはり理由を言わなくては許してくれないだろうから「歩いて日本一周をしています」と、半分本当のことを言ったが、あまり納得していないようだ。そりゃそうである。仕方がないので「いやー、そりゃ怪しいですよね。こんなところを歩いているんじゃ。自分でもそう思います。」と言い訳にならない言い訳をする。向こうからしたら、怪しいテロリストか空き家を狙う泥棒に見えないこともないだろう。

 身分証明書を見せるようにと言われて、免許証を見せると「神奈川県からですか。今日はどこまで行くのですか」と聞かれて「富岡まで歩いていきます」と答える。「歩くと相当ありますよ。(あんたのような)変な人がいるだけでなく、野生動物も出るので十分注意してください」と注意される。人のことをサルやイノシシ扱いしやがって.....とちょっとムカついたが「そのときは、連絡しますね」と一応にこやかに皮肉を言って、ついでに富岡町までは法的には立入禁止ではないことを確認しておいた。

 最後に「また警察官に呼び止められたら対応してください」と言われ、職質終了、やっとパトカーは去っていった。私の情報は、すぐに福島県警内で共有され、この後も監視されるということらしい。が、税金で今日一日ボディガードをしてくれると思えばかえって好都合かもしれない。

  15 廃棄物置き場                  16 職質後に走り去るパトカー
   

 ほとんど一面が廃棄物置き場になっているが、写真17のように農地に戻りそうなところもあって少しホッとする。

 17 山田浜




 10時38分、山田川を渡る。復興資金が有り余っているようで、川の土手まで全面コンクリートで固めており、土建屋さんの仕事も多そうである。

  18 堺橋                      19 堺橋から山田川河口方面
   

  20 廃棄された畳集積場               21 どこまでも続く廃棄物置き場
   

 白い壁に囲まれた廃棄物置き場の中をどこまでも歩く。精神的にきつい歩きである。

  22 海岸を望む                   23 廃棄物置き場
   

  24 木戸川方面通行止め               25 廃棄物の山?
   

 所々で小さな山ができている。積み上げた廃棄物を土砂で覆っているのだろうか。



 木戸川にでた。川と緑が現れて少しホッとする。川の水はとてもきれいである。下流の河口方面を見ると、地図にはない新しい橋ができていた。渡りたかったが、一般人が通れるようになるのはまだ先だろう。仕方がないので、木戸川を上流にさかのぼり、大きく迂回して橋を目指す。

  26 木戸川河口方面                 27 木戸川
   



  28 河畔のベンチ                  29 木戸川漁協
   

 川を見渡すベンチがあり、結構立派な漁協の建物も見える。漁業の対象は鮎かと思ったら、なんと鮭であった。ここが、東北地方であることを忘れていた。漁協の横には、鮭の孵化育成施設があり、産業振興に取り組んでいるようだ。秋にはここに帰ってくる鮭がたくさん見られるといいが。

  30 鮭の孵化・育成施設               31 木戸川上流を望む
   

 32 木戸川橋を望む


 遠回りをして、11時18分、やっと木戸川橋を渡る。木戸川は全長48.2 kmで、ここでも川幅は広く、かなり大きな2級河川である。源流は、内陸の阿武隈山地だ。

  33 木戸川橋                    34 木戸川橋を渡る
   

 35 木戸川橋から河口を望む




 木戸川を渡ったところには、一面の菜の花畑が広がっていた。

 36 菜の花畑


 県道の改良工事が行われていた。復興資金がかなり投入されているのが実感できる。産業と言っても、現実には公共事業関係しかないだろう。

   37 工事中の切り通し               38 常磐線を渡る
   



 11時35分に、竜田駅に着いた。駅前は酒屋があるだけだが、シャッターは閉まっていた。この駅は、2014年から昨年の10月までは、常磐線の終着駅だったはずだ。

  39 竜田駅へ                    40 竜田駅前
   

 駅舎内で休憩して、水分とエネルギーを補給する。駅舎は新しいわけではないので、津波の被害は免れたのだろう。
 駅舎からホームを見ると、写真42のようにちょうどスーパーひたちがホームに入ってきた。しかし、変である。いわきより先には特急列車は運行されていないはずだ。目の錯覚かと思ったが、間違いない。以前に上野駅から何度も乗ったあの列車である。しかし、よく見ると4両編成で、普通と表示してある。おそらく、かつてスーパーひたちとして活躍した651系が引退して余剰になったので、デラックスな普通列車として運用されているのだろう。富岡からの帰りもあれに乗れるといいのだが。

  41 竜田駅                     42 竜田駅の普通列車
   

 実は、竜田駅からのルートは悩んでいた。山越えの内陸最短ルートを行くか、海岸沿いに行くかである。このプロジェクトの趣旨から言えばもちろん後者であるが、問題点がいくつかあった。

 ひとつは、ここまで歩いてきて、海岸沿いは通行止めになっている道が多いことである。津波の被害と廃棄物置き場の確保のためだろう。万が一通行止めになっていたときの時間と体力の損失は甚大である。
 もう一つは、職務質問の時に警察官が言った言葉である。治安が悪いとのことであるが、たしかにここまで道を歩いている人は一人もいない。海岸方面はさらに厳しそうである。
 最後に決定的な理由は、海岸沿いに福島第二原発があることである。つまりそこでは海岸に近づくことは物理的に不可能なのだ。海岸沿いを歩くと遠回りになり、そこをわさわざ歩く合理的な理由はないので、テロリストと間違えられても困る。
 ここは、リスクを避けて、比較的車が通行している県道沿いに歩くことにした。

 駅からすぐのところに、楢葉北小学校の標識と二宮尊徳の銅像があった。が、肝心の校舎は、写真44のとおり見当たらない。子どもたちの姿は見えず、空虚な空間が広がっている。ここまでの被災地で何度も見てきた虚無感がここにも漂っていた。

  43 楢葉北小学校                    44 楢葉北小学校跡地
   

 後で調べると、学校は2017年に震災の被害と老朽化のため解体されたそうである。



 学校の先には神社があったが、こちらの方は健在であった。ただ、鳥居は新しい感じである。

  45 龍田神社                    46 常磐線下り方面
   

 踏切を渡って県道に出よう。

  47 県道244号線を北へ              48 井出川橋から河口を望む
   

 11時55分、井出川を渡る。ここからはゆるやかな上り坂である。谷沿いの道路の横はちょっとした渓谷になっていて、ハイキング気分である。

  49 台地上へ                    50 横を流れる渓谷
   



  51 上繁岡付近の台地                 52 上繁岡付近 その1
   

 地図の上では、この坂を登りきると広い平らな台地が広がっている。広大な畑になっているらしい。その西端を県道が通っている。



  53 上繁岡付近 その2              54 上繁岡付近 その3
   

 台地上には畑はもうなかったが、所々に林がある牧歌的な風景である。震災前は、美しい光景だっただろう。しかし、点在する家々をよく見ると、半分以上が空き家である。ここは台地上なので津波の被害はなかったらしいが、地震と避難によるダメージは、この静かな農村の生活を元に戻すことを、簡単には許さないのが現実なのだろう。

  55 空き家 その1                 56 空き家 その2
   

  57 空き家 その3                 58 復興関係工事車両基地
   

 工事関係の拠点とゴミ焼却場は機能している。そして、12時27分、山の手前で楢葉町から富岡町に入る。

  59 南部衛生センター                60 富岡町へ
   



 12時34分、写真61の再び楢葉町へ入る地点で地図を見ていると、パトカーが通りかかった。約束どおり、福島県警はこの私を監視、いや、ガードしてくれているようだ。また職務質問かな、と思ったが、パトカーは一旦スピードを緩めたものの、私の姿を確認すると、そのまま走り去っていった。先ほどと同じ警察官だったのかもしれない。

 今頃は県警本部に警察無線で「例の中年男は、現在、楢葉町と富岡町の境界付近の山の中を北上中」と報告していることだろう。県警本部は「その男の目的はなんだ」と聞くが、現場の警察官は「本人は日本一周していると言っています」と答え、本部からは「そんなバカなことあるか。怪しいから引き続き目を離すな」と命令が下ったに違いない。(想像で書きましたが、間違っていたら警察の人、ごめんなさい)

  61 再び楢葉町へ                  62 山間部を行く
   



 道路から池のようなものが見えた。地図によるとこのあたりには池がたくさんあるがため池だろうか。

  63 池?                      64 大きな鉄塔と送電線
   

 そして、写真64のとおり、正面に大きな鉄塔と送電線がみえた。たぶん、福島第二原発につながっているのだろう。ちなみに事故があったのは第一原発の方で、第二原発は無事だったが、もちろん現在は稼働していない。
 下りきると大きな交差点に出た。右へ曲がると、原発である。意外なことに、通行止めにはなっていない。が、代わりに写真65のように福島県警の大きな赤い電光警告灯が用もないのに原発に近づこうとしている者を威嚇している。

 65 福島第二原発への道路              66 富岡町上郡山付近
   

 この交差点で、再びパトカーが通りかかった。偶然にしては、あまりにもタイミングが良すぎる。私が原発に近づかないか監視しているらしい。最初に職務質問を受けたのも、地元住民かタクシードライバーから警察に通報があったからかもしれない。なにしろ、ここまで歩いている人は一人もいなかったし、一般人がわざわざここを歩く正当な理由もないのだから。

 ここで、彼らの本当の目的をやっと理解することができた。治安の維持もさることながら、警察の最大の任務はやはり原発の警備であり、だからこそ外来者に対してこれだけ厳重な監視をしているのだろう。北朝鮮の工作員は、有事にはまず原発を狙うと言われているので、当然といえば当然である。国内の過激な原発反対派もたくさんいる。

 原発より手前の広野駅からタクシーを拾い、原発に用があるなら直接行くはずなのに、わざわざ国道を外れた人気の無い海岸近くでタクシーを降り、そこから徒歩で原発に接近する不審な男、しかも、背が高く、贅肉がない引き締まった体つき、眼光鋭く、彫りが深い日本人離れした顔、途中で地図やGPSを確認したり、メモを取ったり、高級カメラで写真を撮ったりしている不可解な行動、ただ者ではないオーラが出ている正体不明の外来者.....怪しい。我ながら、怪しすぎる。背中のミレーの登山用ザックには、M16ライフルが入っているかも......とくれば、福島県警も徹底マークするのは当然である。それが国民の生命を守る彼らの仕事、いや使命なのだ。

 このゴルゴ13のような男が、国際的に暗躍する工作員ではなく、ただの放浪癖のある中年男で、背中のザックの中身は雨具とジュースとおにぎりだと知ったら、警察官もがっかりするに違いない。ちなみに、ゴルゴ13の身長は奇しくも私と同じ182cmである。
                

  67 消防団施設                   68 常磐線太田陸前浜街道踏切
   

 消防団の施設は健在だったが、団員の確保に苦労していることだろう。ちなみに、怪しい工作員の出現に対して、まだ消防団の出動命令は下っていないようだ。
 常磐線を渡り、紅葉川という美しい小さな川沿いの道に出た。国道も近い。

  69 踏切から下り方面を望む             70 紅葉川河畔
   



  71 紅葉川を渡る                  72 国道6号線
   



 国道6号線を少し歩いて、旅館のところから右折する。この旅館は、復興工事関係者の事務所か宿泊施設になっているようだ。

  73 海遊館別館                   74 常磐線十王踏切
   

 再び常磐線を横切って、海側に出る。

  75 下り富岡駅方面                 76 紅葉川
   

 工事で紅葉川河口は近づけないようだ。ここから富岡駅方面に向かって北に進もう。農地は、すっかり廃棄物の集積場になっていた。休日なので人の姿も見えず、この中を歩いていくのは精神的にきついものがある。

  77 瓦・レンガ集積場                78 コンクリ瓦礫集積場
   

 海岸線を確認したいが、写真79のとおり、ことごとく通行止めである。

  79 道路規制状況                  80 廃棄物集積場の中を行く
   



 仮設というにはあまりにも巨大な焼却施設がそびえ立っていた。

  81 荒涼とした集積場                82 仮設焼却施設
   

  83 枝・木材集積場                 84 富岡駅遠景
   

 人類が滅亡した近未来のような荒涼とした風景のなかで、真新しい富岡駅が見えてきた。海側には大きな高架の道路が建設中であった。

  85 富岡駅東側
     



 地図でわかるように、常磐線は富岡駅付近で海岸線に大きく近づいており、そのため駅は津波の直撃を受けたという。
   津波によって壊滅した旧富岡駅 (Wikiより転載) 

 86 富岡駅東側からみる海岸線


 なんとも言えない駅前から見る海岸線の光景である。ちなみに新しい富岡駅は、北に100mほど移設されたそうである。

  87 仏浜街道踏切                  88 踏切から富岡駅を望む

   

 海岸側には駅の改札はないので、踏切を渡って山側に回る。

  89 踏切から下り方面を望む             90 駅前のホテル
   

 駅前は、土地があまってガランとしているが、ホテルは存在感を放っていた。もちろん、復興、原発関係者の宿舎になっているのだろう。そして、空き地の中にぽつんと蔵が建っていた。津波の被害から唯一残ったのだろうか。

  91 駅前に残る蔵                  92 富岡駅前
   

 当然のことながら、富岡の駅舎は新しい。隣に店があったので、地域振興のため、買い物をした。ビールである。ただお前が飲みたいだけだろう、という批判は甘んじて受けるが、ここまで歩いてきた乾いた体に350mlの液体はまたたく間に吸い込まれていった。13時35分、任務もこれで終了、後は帰るだけである。

 93 富岡駅




  94 富岡駅待合室                  95 待合室からの風景
   

 ここが常磐線の現在の終着駅の内部である。天気や季節のせいもあるが、新しい駅なので、寂しい雰囲気がないのが幸いだ。乗車券といわきからの特急券を買った。
 14時4分の上り、いわき行き普通列車に間に合ってよかった。なにしろ、15時台の列車はなく、次の上りは、16時3分と2時間後なのである。もちろん下り列車の時刻表はない。

  96 富岡駅ホーム                  97 跨線橋から下り方面を望む
   

 跨線橋から見ると錆びた鉄路が北に続いている。この赤茶けた線路が再び銀色に輝いた時、また、この駅まで来て、再び歩き始めようと思う。その時ができるだけ早く来ることを祈るのみである。

 98 ホームから海岸を望む




  99 いわき行き普通列車車内             100 品川行き特急ひたち20号車内
   

 いわきからは、15時18分発品川行きの特急ひたち 20号に乗る。時間があったので駅の外に出て駅弁を買おうと思ったが、1300円の美味しそうな弁当は売り切れていた。残っているのはカツ弁当である。まあ、それでもいいかと思って、車内で食べようとした時に、やっと気がついたことがある。とんかつだと思いこんでいたら、なんとカジキのカツだったのである。
 その説明書きが泣ける。原発事故の影響で近海の魚が取れなくなった漁師が、しかたなく外海を回遊するカジキを獲って凌いだというのである。漁師さんを少しでも助けるため、この弁当が企画されたという。
 さて、味の方はというと、やっぱり豚カツのほうがうまい。こればっかりは事実なので仕方がないのだ。ビールを飲みながら、南に向かう久しぶりの列車の車窓を楽しんだ。

  101 いわき駅で買った駅弁             102 品川駅に到着したひたち20号
   

 最後に17時52分に到着した品川駅の特急ひたち20号をカメラに収めた。

  本日の歩行経路 (時間:5h35m 距離:14.6km )
  

 5年半ぶりの海岸線の旅であったが、震災や原発立地の影響でほとんど海を見ることはできず、瓦礫の山の隙間をひたすら歩いたという印象であった。
 それでも、鮭が上る美しい川や菜の花畑といった原風景には心を癒やされた。

 そして、被災地であるこの地で、公共工事や廃棄物処理に対してとてつもない巨額の税金が投入されているのが実感できた。海岸線や川は堤防や土手が全てコンクリートで固められ、雑草一つ生えない環境になっている。さらに、どこまでも続く廃棄物処理施設には驚いた。これらの施設が役割を終えた時に、ここがどうなるのか想像もつかない。再び農地に戻り、穏やかな海岸風景が蘇るのだろうか。仮ににそうなるとしてもとてつもない時間がかかるだろうし、人口が減ってしまい、高齢化が進み、一時的に公共事業で成り立っているこの地域そのものが、今後成り立っていくのだろうか。震災で失ったものは、あまりにも大きいようだ。といってもただの部外者である自分にできることもない。ただ、前回訪れたときに比べて、広野駅前はビルが建ったり少し人が増えていて明るさを取り戻しつつあり、復興が進んでいるのを実感できたのは嬉しかった。

 今日は福島県警に徹底マークされるという貴重な経験をすることができた。日本でなかったら、身柄を拘束されているか、カメラを没収されていたかもしれない。警察にとっても、民主主義とテロ対策の両立は大変だと思うが、治安の悪い土地で終日見守ってくれた警察官には感謝しなくてはならない。

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