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霧ヶ峰(車山) 標高1925m 登山開始地点標高1920m
自分の足で登らない山シリーズ第25弾 リフトで最高峰の車山山頂へ もはや登山ではない |
◆ 2014年8月3日
前回の八海山と同様、正直に白状しよう。霧ヶ峰という山があることを知らずに半世紀以上も生きてきたことを...
ずっとエアコンの名前だと思っていた。三菱電機から感謝状を貰いたいくらいである。しかし、うちのエアコンのメーカーを調べたところ、ナショナル1台と東芝2台だったので、霧ヶ峰は高級ブランドなのかもしれない。まあ、山は専門ではないのでしかたがないというか、霧ヶ峰の場所も知らなかったのだが、何の事はない、要するに車山のあるところであった。
車山ならよく知っている。昔初めてスキーをやったところだ。その後も、スキーやバイクでも何回か行ったが、そのスキー場のリフトが車山山頂まで通じているのである。車山は意外と標高が高く、1925mもあるが、文字どおり自分の足で登らなくて良いのだ。
移動手段に迷ったが、圏央道も開通したことだし、時間に融通の聞く車で行くことにした。天気予報は晴れのはずだが、中央高速を走りながらも何故か雲が多いのが気になる。早朝5時半に家を出て、車山高原スキー場についたのが9時ちょっと前であった。休憩を入れて3時間半である。
1 車山高原スキー場 その1 2 車山高原スキー場 その2
車山を訪れる場合は、車山肩まで車で行くのが普通らしいが、駐車場がいっぱいになるというウワサなので、車山高原スキー場から登ることにした。それにここからだとリフトで山頂までまさにこのサイトのコンセプトどおりなのはすでに書いた。(人間はどこまで怠惰になるのか...) さっそくチケットを買おう。リフトは片道千円で、途中で乗り継ぎがある。
ここが標高1570m程度なので、リフトで350mほど稼ぐことになる。
3 リフト乗り場 その1 4 リフトを乗り継ぐ
スキー場そのままの地形を見ながらリフトで登っていく。冬にあそこを何度滑り降りたんだろうか。
5 リフト乗り場 その2 6 リフトで山頂へ
7 山頂駅 8 山頂へ
リフトを降りると山頂は写真8のとおりすぐそこである。
9 車山山頂 その1 10 車山神社
9時30分、疲れるまもなく山頂に着いた。これを登山とよんでは神様に叱られるが、紛れもなく、標高1925mの山頂である。標高約2000mでほとんど同じ高さの雲取山に登るのは、結構大変だったのに比べて、なんでこれほどまでに違うのか、といった感じである。しかし、さすがにこの標高だけあって山頂は風が強く、寒い。思わずTシャツの上にライトシェルジャケットを着る。軽装の人もたくさんいて、この標高とは思えない賑やかさである。
11 車山神社解説板 12 山頂から南を望む
13 山頂から北を望む
天気予報ははずれて、残念な雲行きである。わずかに北に青空が見えるが、風上の南西方面からは次々と雲がわき出してくるので、天候の方はあまり期待できそうにない。西日本は大雨らしいので仕方が無いだろう。
14 北側のわずかな青空
山頂は広く、レーダードームがあり、どこからでも目立ちそうだ。
15 車山気象レーダー 16 車山気象レーダー解説板
17 車山山頂 その2 18 北側に降りる
今日のルートは、車山山頂から北側に降りて、蝶々深山(ちょうちょうみやま)を経て、八島ヶ原湿原へ向かう、高原満喫コースである。スキー場やレーダードームの管理用に車が入れるようになっているらしく、道が広い。
19 車山乗越へ その1 20 電気柵
7月はニッコウキスゲで高原が黄色く染まるらしいが、すでにシーズンは終わっている。まあ、そのほうが空いていて良いかもしれない。
21 スノーマシン? 22 合流地点
21は多分スキー場の人工降雪機だと思うが、水はどこから供給されているのだろうか。地下水をポンプアップしているのだろうか。
スキー場から続く道にぶつかり、左折する。
23 車山乗越へ その2 24 殿城山
25 車山乗越分岐 26 蝶々深山へ その1
正面に見える山、というよりも丘を目指そう。
27 車山肩方面分岐 28 分岐案内板
まあ、それにしても、これぞ高原という景色である。広々として素晴らしい。しかし、標高から見て、確かに厳しい気候だとは思うが、2000m以下なので森林限界という標高でもないと思う。なぜこれだけ広範囲にわたって森林がないのか、よく考えてみると不思議ではある。
29 蝶々深山へ その2
30 北側の僅かな晴れ間
傾斜がゆるく、登山というよりもハイキング、トレッキングといったほうが良い感じで、普段鍛えていない私でも、心拍数も足の筋肉の乳酸も余裕である。この辺りは、車山湿原の最北端であるが、傾斜があり、地形的にも湿原という感じではない。
31 沢渡方面分岐 32 沢渡方面への道と車山湿原
33 蝶々深山へ その3 34 蝶々深山山頂
蝶々深山についた。「ちょうちょうみやま」と呼ぶらしいが変わった名前である。蝶々に似た石があったからと書かれているものもあるが、根拠はよくわからなかった。山頂というよりなだらかな丘の上である。
35 蝶々深山山頂 その2 36 山頂から車山を望む
北側、つまり小諸・浅間山方面だけは夏の青空で羨ましい。
37 山頂から北側を望む
それにしても、ゆるやかな丘が続く雄大な景色で、地図を見ても等高線の間隔が広いので、なんとなくホッとする。
38 物見石へ その1 39 沢渡方面分岐
40 南側の1792mピーク 41 物見石 その1
10時53分、物見石に到着。名前のとおりで、眺めが良い。ハイキングコースは、ここから八島ヶ原湿原へ向かって下っていく。
42 物見石 その2
43 物見石から八島ヶ原湿原を望む
湿原が見えた。おそらく数万年前は湖だったのだろう。上から見てもいかにも湖という形をしているのがわかる。霧ヶ峰の噴火は、130万年前から60万年前にかけてという古いものらしい。楯状火山という説が否定され、成層火山が侵食されたということらしいが、なぜこんなになだらかな地形になったのか、不思議である。
44 男女倉山(ゼブラ山)を望む
ジグザグのなだらかな道を下りきると公衆トイレと広場があって、人がたくさんいた。
45 八島ヶ原湿原へ 46 鹿よけ柵
47 八島ヶ原湿原前の牧場? その1
48 八島ヶ原湿原前の牧場? その2
牧場のような場所に出た。〇〇牧野農業協同組合と書いてあったので、そもそも牧野なのだろう。
49 奥霧小屋
11時35分、奥霧小屋に到着した。湿原と山小屋という絵に描いたような場所で、歩いている人たちも楽しそうである。これは、急峻な山とちがって、体力を消耗している人がいないということも大きいと思う。平和である。そして、おそらく暑い下界と違って、涼しい。今日は曇りであるが、それでも時々日が射すとそれなりに暑いが、それでも爽やかである。
50 八島ヶ原湿原の空
休憩しながら、帰り道を考える。車なので、車山高原スキー場まで帰らなくてはならない。湿原からスキー場までは、バスもあるが、14時25分発なのでまだ時間がある。それに、午後奇跡的に青空が見えてきれいな写真が撮れるかもしれない。ここまでの行程から体力は全然問題ないが、アキレス腱が痛むのが少し気になるだけだ。
ということで、沢渡から車山湿原を通って、スキー場に戻ることにした。このコースなら、それほど体力もいらないだろう。
湿原の中には入れないので、縁から眺める。
51 八島ヶ原湿原 52 御射山遺跡方面分岐
御射山遺跡の解説板が建っている分岐に着いた。観光客はみんな遺跡の方に向かっていく。車の音が聞こえて、ビーナスラインも近いので駐車場があるのだろう。
ビーナスラインといえば、1960年代にこの観光有料道路が計画された時に、この御射山遺跡と八島ヶ原湿原を通ることになり、地元の反対運動が起こったそうだ。地元出身の新田次郎が小説にしている。
53 御射山遺跡解説板
御射山では、神事の他に、流鏑馬や相撲も行われたというから、要するに武士の大運動会のようなものらしい。鎌倉時代には、将軍も来たというのだから、凄い。全国大会である。つまり、現代の国体のようなものか。そして、今でもその宿泊施設跡が階段状に残っているそうだ。ここに詳しく書いてあるので興味のある方はどうぞ。
それにしても、平安時代からここは森林ではなく、草原だったのだろうか。
54 沢渡へ 55 沢渡
56 霧ヶ峰湿原植物群落解説板
沢渡についた。名前のとおりである。そして、その沢は、車山湿原から流れ出していることが地図から読み取れる。ところで、この沢はどこへ流れていくんだろうかと地図をたどってみると諏訪湖であった。やっぱりね。ところで諏訪湖の水はどこへ流れ出すのか。天竜川になって浜松で遠州灘に注ぐ長い旅である。
57 車山肩への道 58 車山湿原へ その1
沢渡から車山肩への道は写真57だが、急坂と書いてある。車山湿原へは舗装路をそのまま登っていく道である。ペンションを過ぎると再び草原が現れる。
59 車山湿原へ その2
車山湿原が見えてきた。この湿原は八島ヶ原湿原と異なり、平坦ではない。なだらかな斜面という感じで、少しずつ登っていく。
60 車山湿原 その1 61 車山湿原 その2
62 車山湿原 その3
木道になってますます高原気分であるが、これで青空だったらきれいな写真が撮れるのになあ、と思ったりもする。ここは霧ヶ峰という地名のとおり、年間の大半で霧が発生するらしいので、青空をバックにする緑の霧ヶ峰の写真は、案外難しいのかもしれない。冬は青空もあるだろうが、白一色だろうし。そういえば、ここなら冬に来ても安全に雪原を楽しめるかも。スキー場もあるから、交通の便も良いし。
湿原の向こうには、ドームがある車山がよく見える。
63 車山湿原と車山
64 車山湿原最北端 65 蝶々深山からの道と合流
午前中に歩いた八島ヶ原湿原への道と合流し、スキー場方面へ戻る。
66 車山乗越へ 67 車山乗越
68 車山高原スキー場へ その1
69 車山高原スキー場へ その2
さわやかな風に吹かれながら、リフトを横目に車山高原スキー場の駐車場を目指して下っていく。
70 車山高原スキー場へ その3
14時に、車山高原スキー場レストハウスに戻ってきた。
GPSによる本日の歩行経路
GPSによる今日の高度記録
霧ヶ峰は、これぞ高原というなだらかな草原と湿原が織りなす素晴らしい風景を見せてくれる。ビーナスラインと観光開発のお陰で、登山というよりも、ハイキングという言葉がぴったりで、暑い夏を忘れさせてくれた一日だった。
さて、途中でも書いたが、なぜ森林限界でもないのに草原が広がっているのだろうか。御射山で流鏑馬が行われていたということは、平安時代からここが草原だったということだろうか。答えは、奥霧小屋の横にある牧野農業協同組合の看板にあった。多分入会地だったのだろう。
ここは、古くからの茅場であり、おそらく千年以上にわたって火入れにより、森林化が防がれていたのである。馬の産地として使われていた時代もあったかもしれない。現在も牧草地として利用され、火入れが行われていることがこの資料からもわかる。20ヘクタールを400人でおこなうという大変な作業らしい。これでも一部だろうから、霧ヶ峰全体となると、ものすごい面積である。
霧ヶ峰は、火入れをしなければ、森林になってしまうのである。つまり、この風景は、自然でもなんでもなく、人工的に作られたものだというのが、衝撃的ではあるが事実である。これほど広範囲な草原が維持されてきたのは、おそらく、この霧ヶ峰が、なだらかな地形で古くから開発されていたことが大きな要因だと思う。武士が馬で駆けまわり、民衆の家の屋根を葺く萱を刈っていたこの草原を、いまはハイキングにきた人たちが、自然の風景だと勘違いして歓声をあげているのもなんだか可笑しい現実である。
だからと言って、もちろん霧ヶ峰の価値が下がる訳でもなく、むしろ、萱を採る必要がなくなった現代だからこそ、このような風景が貴重なのかもしれない。
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