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馬籠宿〜妻籠宿 (旧中山道) 中山道の宿場の往時の姿と江戸時代の旅の体験
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◆ 2018年10月7日
江戸時代の宿場町から発展した街は数多いが、当然のことながら現在ではその姿や町並みは大きく変わっている。しかし、鉄道などの主要交通路から外れた山間の宿場町は、時代に取り残されてしまったのが幸いして、ほぼそのままの姿が残っているところがある。このサイトでも、宿場町を復元して今や貴重な文化遺産、観光地となっている南会津の大内宿を訪ねたことがある。
そのような現代に蘇った宿場町を紹介するときによく使われる有名な風景がある。下のような坂道と古い建物....
よく見るこの写真の撮影場所は、中山道の木曽路にある馬籠宿と妻籠宿である。名前が似ているので混同しがちであったが、調べてみると、この二つの宿場町は、歩いていける距離に位置し、しかも、その間の旧中山道は江戸時代とほぼ同じ状態で残っていることがわかった。中山道の碓氷峠を歩いて江戸時代へタイムスリップした経験に味をしめたので、こっちも実際に行ってみたくなった。
まず位置を確認しよう。馬籠宿に行くには、まず名古屋から中津川に行き、そこからバスに乗るようだ。
そんなわけで秋晴れの10月の休日に、早起きして新幹線に乗り、名古屋で中央西線の特急ワイドビューしなのに乗り換えて中津川に着いた。
中津川駅前は、喧騒はなく、落ち着いた地方都市の駅前といった感じだ。ここから馬籠行きのバスに乗って、馬籠宿を目指す。バスの乗客は、欧米系(白人)の外国人が目立っていた。
1 中津川駅 2 馬籠宿 その1
バスは坂を登って行き、10時5分に馬籠宿に着いた。馬籠宿の交差点は、観光客で賑わっていた。日本人も結構いるが、中国語や韓国語の会話が響き渡っている。なかなか賑やかな観光地だ。
3 馬籠宿 その2 4 馬籠宿 その3
桝形と呼ばれるクランクから道が急坂になる。
5 馬籠宿解説板
建物は情緒があって、しかもきれいである。江戸時代の建物とは思えないほどだ。上の解説を読むと、この宿場は、明治28年と大正4年に火災で焼けているので、建物はそれ以降に再建されたものであることがわかる。つまり、比較的新しい大正・昭和の建物なので、きれいなのは当たり前なのである。
それにしても、ガイドブックで見たことのある木曽路の宿場町そのもののフォトジェニックな光景である。
6 馬籠宿 その4
7 馬籠宿 その5
この宿場の美しさは、なんと行ってもこの坂道がポイントのような気がする。平面的な宿場町と違って、立体感があり、木曽路らしい独特の雰囲気がある。
8 馬籠宿 その6
9 馬籠宿 その7
10 馬籠宿 その8
途中から中山道は直線的になり、坂も緩やかになる。道端の用水路も往時の雰囲気を出している。石畳は新しくて江戸時代のものではなさそうだが、歩きやすく、雰囲気を盛り上げている。
11 馬籠宿 その9 12 馬籠宿 その10
13 馬籠宿 その11
郵便局まで江戸時代風である。
殆どの建物は土産物屋、飲食店であるが、少し大きな建物は旅館になっている事が多い。
14 馬籠宿 その12
15 馬籠宿本陣跡・藤村記念館
左手に宿場町の中心である本陣跡があった。藤村記念館も併設されている。「ふじむら」さんとは誰かと思ったが、読み方は「とうそん」である。なぜ、島崎藤村の記念館が本陣跡にあるのか。
Wikipediaによると
島崎家の祖は相模国三浦半島津久井発祥の三浦氏の一族で、島崎重綱の代に木曾義在に仕えて木曽谷に入り、その長男重通が郷士として馬籠を開拓して中山道の宿駅として整備し、代々本陣や庄屋、問屋を務めた。
とある。
おおっ、島崎さんはなんと、神奈川県出身ではないか。いや、感心するのはそこではない。島崎家がこの馬籠宿を作って、代々支配していたということである。島崎藤村は、この島崎家に生を受けたわけで、地方の有力者の子息、つまりお坊ちゃまであったわけである。後に著名な小説家になったわけであるが、本人はもちろん、父親の正樹をはじめとする一族の多くは、良く言えば波乱万丈、悪く言えばハチャメチャな人生を送ったようで、それが小説の題材にもなっているようだ。
ちなみに、藤村は晩年は大磯に住み、そこでなくなっている。島崎家は、神奈川県と縁が深いのである。
しかし、残念ながら今日はこれから中山道の峠越えがあるので、記念館はパスして、先を急ぐ。
16 馬籠宿 その13
17 馬籠宿 その14
18 馬籠宿本陣資料館
19 馬籠宿 その15
20 馬籠宿 その16
21 馬籠宿 その17
感心するのは、復元されたにもかかわらず、町並みが統一されて、無粋な看板や装飾も最小限になっているところで、観光地としての価値をよくわかっている。
22 馬籠宿 その18
23 馬籠宿の中山道解説板
24 馬籠宿 その19
道路を横断する。
25 馬籠宿 その20
高札場をすぎると、広々とした展望広場があった。
26 馬籠宿高札場 27 展望広場へ
28 展望広場 その2
29 展望広場から馬籠宿を見下ろす
30 越県合併記念碑
ところで、この馬籠宿は、信濃国か美濃国か? 長野県かそれとも岐阜県なのか。実は因縁深い微妙な問題である。
この馬籠宿、木曾義仲の時代は、美濃に属していたが、やがて信州に属するようになり、そのまま明治維新を経て最近まで長野県山口村となっていた。碑文によると、信州に帰属したのは400年前と書かれているので、江戸時代初期だろうか。戦国の世が終わり、平和になって中山道が整備されたことと関係がありそうである。しかし、北に峠があり、その先も山深い木曽谷がつづく一方で、南側には中津川、そして古くは尾張から京都へ、現在は名古屋都市圏に続くので、地政学的にも生活圏から考えても、岐阜県が妥当だというのは誰でもわかることで、そんな事情から珍しい越県合併が実現したようだ。
31 馬籠宿保存決議
上記によると景観保存の動きは意外と古く、昭和40年台には決議されていたようだ。
32 展望広場から中津川方面を望む
この展望台にもかなりの観光客がいるが、その多くはここから下に戻っている。つまり、ここまでが観光地馬籠宿の範囲である。
しかし、今日の目的はここから北に続く中山道なので、さらに、写真33の道を進んで行く。時刻は10時45分、馬籠宿をあとにして妻籠宿を目指そう。
33 馬籠峠へ その1 34 案山子猟師バージョン
中山道に入ると不思議な事に気がついた。あれほどたくさんいた、アジア系の観光客は一人もいない。ほとんどが、欧米系の白人観光客で、ちゃんとハイキング装備で歩いている。すこしだけ日本人もいるが、馬籠宿にいた人たちとは服装が違う。
とは言っても、ここから峠を超えて妻籠宿まで7km以上あるのだから、当たり前ではある。
35 馬籠峠へ その2 36 馬籠峠へ その3
過度に整備されておらず、かと言って荒れているわけでもなく、自然体のなかなか良い雰囲気である。江戸時代には船に乗らなくてはならなかった東海道とは異なり、江戸と京都を結ぶ唯一の陸路だったこの中山道を、大名から農民まで、多くの人が歩いたと思うと感慨深い。
37 馬籠峠へ その4
38 馬籠峠へ その5
39 馬籠峠へ その6
少しずつ登っていくが、息が切れるほどの急坂ではない。
40 馬籠峠へ その7
41 馬籠峠へ その8
42 馬籠峠へ その9
青空の元、穏やかでのんびりしたおそろしく気持ちの良い道である。
43 馬籠峠へ その10 44 馬籠峠へ その11
やがて、小さな集落に着いた。馬籠宿ほど整備されておらず、喧騒もない、江戸時代から時が止まったような静かな峠の集落である。
45 峠の集落 その1
46 峠の集落 その2 47 峠の集落 その3
48 峠の集落 その4
江戸時代には、この集落に住んでいた多くの人々が、牛を使った荷物の運搬を業としていたそうである。
49 峠の集落 その5 50 馬籠峠へ その6
51 馬籠峠へ その7 52 馬籠峠へ その8
県道7号線に出て、暫く歩くと、馬籠峠のバス停、そして、大きな案内板と休憩茶屋があった。
53 馬籠峠へ その
11時35分、無事馬籠峠へ到着した。馬籠宿から1時間弱である。峠の標高は801mと書いてあるが、馬籠宿の標高が600mなので、ちょうど200m登ってきたわけで、ちょうどよいハイキングである。
54 馬籠峠の妻籠宿解説板
先ほど書いたとおり、平成17年以降は、この峠が長野県木曽郡南木曽町と岐阜県中津川市の境界、県境となっているわけだ。
55 馬籠峠の中山道解説板 その1
56 馬籠峠の中山道解説板 その2
峠の休憩所の前のベンチで休憩したり、ビールを飲んでいるのはすべて白人観光客だ。馬籠宿にあれほどたくさんいたアジア系観光客と日本人観光客はどこへ行ってしまったのだろうか。たぶん今頃は土産物を買い終わって、観光バスに戻って別の観光地かホテルに向かっているに違いない。観光のスタイルが、アジア系と欧米系観光客では全く違うことがよくわかる光景である。
体験型のアクティビティを通じて、自分の足で歩き、時間をかけてその土地の文化や歴史を知り、個人旅行を楽しむ欧米人と、せっかちな物見遊山と買い物に終始するアジア人と、一概にどちらがいいとは言えないが、ここに日本人があまりいないということは、多くの日本人は後者に属することを物語っており、個人的には文化の成熟度の違いに劣等感を感じる。
ただし、欧米系といっても、アフリカ系の人(黒人)は一人も見かけなかった。そこには、白人が支配する国々の諸事情を感じないこともない。日本や日本の歴史文化に興味があり、旅行するほどの時間と経済的余裕と知的好奇心を持つ非有色人種の人たちは、ある意味で恵まれた、特殊な人たちであると言えるかもしれない。
話が硬くなったが、実をいうと、このルートが外国人に人気なのは、Lonely Planet Japanというガイドブックに紹介されているかららしい。歴史のある中山道は欧米系外国人にとって人気のトレイルなのである。
この状況を受けて、地元での対応も行われている。例えば、中津川駅で配布されている外国人向けパンフレットは、とても立派かつ実用的、具体的で驚いたので一部を掲載しておこう。標高や距離もちゃんと載っているのはさすがである。
57 外国人向けルートマップ その1
58 外国人向けルートマップ その2
59 外国人向けルートマップ その3
11時45分、次の目的地である立場茶屋に向かって出発する。
61 立場茶屋へ その1
道も周囲の森も江戸時代とあまり変わっていないのではないか、と思わせる環境である。
62 立場茶屋へ その2
63 立場茶屋へ その3
山間に小さな人里のようなものが見えた。
64 立場茶屋へ その4
65 立場茶屋へ その5 66 立場茶屋へ その7
12時ちょうど、立場茶屋に到着である。茶屋の中は、写真67のとおり、もはや日本でも時代劇でしかお目にかかれない、囲炉裏のある茶屋スタイルにご満悦の外国人で賑わっている。
江戸時代、京から来た旅人にとって、ここは無事峠を越えてホッとした休憩所であったことだろう。そして、これから歩く山深い難路である木曽路の情報をいろいろ仕入れていたに違いない。
67 立場茶屋へ その8 68 立場茶屋へ その9
69 立場茶屋解説板 70 白木改番所跡解説板
写真70の解説をみると、ここは信濃国にもかかわらず、財政の豊かな尾張藩の領地であったことがわかる。御三家筆頭尾張徳川家の重要な財源だったらしい。
木曽も尾張藩の領地であったことから、馬籠が信濃か美濃かは当時はあまり関係なかったのかもしれない。
71 白木改番所跡 72 妻籠宿へ その1
73 妻籠宿へ その2 74 妻籠宿へ その3
75 樹木解説板
76 大樹 その1 77 大樹 その2
78 妻籠宿へ その4 79 峠入口
12時20分、県道を横切るバス停を通過する。
80 妻籠宿へ その5 81 妻籠宿へ その6
82 妻籠宿へ その7 83 妻籠宿へ その8
橋を渡って、一度県道に出てから右に入って再び旧中山道に入る。
84 妻籠宿へ その9 85 国有林解説板
86 妻籠宿へ その10 87 妻籠宿へ その 11
88 男滝女滝への分岐
12時39分、滝への分岐に着いた。遠くなさそうなので滝に寄っていこう。
89 男滝 その1
90 男滝 その2
91 男滝女滝解説板
92 女滝へ
93 女滝
この滝は、昔から中山道を行く人々の涼となったことだろう。
94 倉科祖霊社
95 倉科祖霊社解説板
戦国時代は、武士といえどもここを通るのは命がけであったようだ。
96 妻籠宿へ その12 97 妻籠宿へ その13
98 妻籠宿へ その14 99 妻籠宿へ その15
100 妻籠宿へ その16 101 牛頭観音
102 牛頭観音解説板 103 下り谷の一里塚解説板
104 下り谷の一里塚 105 妻籠宿へ その17
一里塚をすぎると、家がいくつかあった。大妻籠という集落らしい。
106 妻籠宿へ その18 107 妻籠宿へ その19
108 妻籠宿へ その20 109 妻籠宿へ その21
このあたりも風情のある歴史街道そのものの雰囲気である。
110 妻籠宿へ その22
111 妻籠宿へ その23
まだ人が住んでいるのが奇跡である。
112 妻籠宿へ その24 113 妻籠宿へ その25
114 妻籠宿へ その26 115 妻籠宿へ その27
116 妻籠宿へ その28 117 妻籠宿へ その29
蘭川を渡る。
118 蘭川 119 大妻橋
橋を渡ると、そこは妻籠宿の入り口だった。
120 妻籠宿入り口
13時30分、いよいよ妻籠宿に入った。再び観光客が多くなる。
121 妻籠宿 その1
122 妻籠宿 その2
123 妻籠宿 その3
124 妻籠宿 その4
125 妻籠宿 その5 126 妻籠発電所
127 妻籠宿 その6 128 妻籠宿 その7
129 妻籠宿 その8 130 妻籠宿 その9
宿場の中心部に近づいたらしく、建物と人の数が多くなってきた。馬籠宿から山道をたどってきたが、山賊に襲われることもなく無事妻籠宿にたどり着くと、江戸時代の旅人と同じように少しホッとする。
131 妻籠宿 その10
同じ中山道の宿場なのに、妻籠宿が馬籠宿とは違う雰囲気であることに気がついた。そう、建物が古びていて、色や木材の痛み具合、建築の精度が明らかに違う。それもそのはずで、妻籠宿は火災の被害を受けなかったため、江戸時代の建物が数多く残っているのである。大正・昭和の建物が立ち並ぶ馬籠宿とは、明らかに建築技術の差を感じるが、華やかさがないかわりに、妻籠の文化的、歴史的な価値は馬籠とは比べ物にならない。
132 妻籠宿 その11 133 妻籠宿 その12
134 妻籠宿 その13
庶民的な旅籠もまさに時代劇に出てくるあのままである。
135 妻籠宿 その14
江戸時代の建物を解体復元するといっても、新しい建物を立てるよりもずっと費用がかかっていることは明らかである。まさに、江戸にタイムスリップしたアミューズメント施設だと言える。
136 妻籠宿 その15 137 妻籠宿 その16
写真137は厩である。
138 妻籠宿 その17
139 妻籠宿 その18
140 妻籠宿 その19
141 延命地蔵堂 142 延命地蔵堂解説板
143 妻籠宿 その22 144 石仏
144 石仏解説板
146 妻籠宿 その23
建物の景観からみると、そこにいる現代の服装をした人たちのほうが不自然で、ちょんまげの人たちのほうが似合うことは間違いない。
147 妻籠宿 その24 148 妻籠宿 その25
149 妻籠宿 その26 150 妻籠宿 その27
それにしても、江戸時代の建物がよく昭和まで残っていたものだ。
151 妻籠宿 その28
152 妻籠宿 その29
153 妻籠宿 その30
154 妻籠宿の桝形
155 桝形解説板 156 妻籠宿 その31
157 妻籠宿解説板
158 妻籠宿 その32 159 妻籠宿観光案内所
観光案内所だけは、明治時代テイストの洋風建築である。
160 妻籠宿 その33
161 妻籠宿 その34
162 妻籠宿 その35
着物を着た人が案内やアトラクションをしたら似合いそうな町並みである。
163 妻籠宿本陣解説板 164 妻籠宿本陣跡
本陣は流石に立派である。
165 妻籠宿人馬会所跡
166 妻籠宿人馬解説板
このあたりが、妻籠宿の中心地らしい。
167 妻籠宿 その36 168 妻籠宿脇本陣跡
169 妻籠宿 その37
170 妻籠宿案内図
171 妻籠宿 その38
172 妻籠宿 その39
再び坂を登っていくと、高札場が現れた。宿場の信州側の入り口である。
173 妻籠宿高札場 その1
174 妻籠宿 その40
175 妻籠宿高札場 その2 176 妻籠宿 その41
177 鯉ケ岩
178 鯉ケ岩解説板
179 妻籠宿 その42 180 南木曽駅へ その1
14時4分、妻籠宿の外に出る。妻籠宿からはバスやタクシーも出ているが、まだ時間と体力に余裕があるので、南木曽駅まで歩くことにしよう。
いきなり、老夫婦が稲刈りをしている田園風景になった。
181 南木曽駅へ その2 182 南木曽駅へ その3
14時12分、妻籠城址に到着した。宿場を出た途端、中山道を歩く人は全く見かけなくなった。馬籠から歩いてきた外国人の人達も、この先はいなくなってしまったようだ。体力的にも、一般の人にはこれ以上はちょっときついかもしれない。
183 妻籠城址
184 妻籠城址解説板
誰もいない、中山道だが、歴史の軌跡はしっかり残っている。
185 南木曽駅へ その4 186 南木曽駅へ その5
187 南木曽駅へ その6 188 上久保一里塚 その1
189 上久保一里塚解説板 190 上久保一里塚 その2
191 南木曽駅へ その7 192 南木曽駅へ その8
一人でのんびりと歩くのも良いものである。
193 南木曽駅へ その9
14時30分、木曽義仲縁の地、かぶと観音に到着した。
194 かぶと観音解説板
195 かぶと観音 196 袖振りの松水舟
197 袖振りの松解説板 198 南木曽駅へ その10
199 南木曽駅へ その11 200 南木曽駅へ その12
201 中山道地図
坂を下ると、中央線の横に出た。ここはおそらく中山道ではないだろう。
202 南木曽駅へ その13 203 南木曽駅前
14時46分、旅の終着点、南木曽駅に到着した。駅前の広場や待合室にいるのは、欧米系の白人ばかりで、華やかでインターナショナルな雰囲気である。妻籠宿まで歩き、そこからバスでこの駅に来るのが、ガイドブックに載っている定番コースなのだろう。
のどが渇いたが、飲食店は見当たらない。向かいの土産物屋に入り、外人さんと一緒に缶ビールを買う。疲れた体に、染み渡るポップと麦が快感である。服装から土産物屋のご主人に登山者と間違えられて、南木曽岳に登ったのかと聞かれてしまった。良い山なのでぜひ登って、ということであった。
ちなみに、自宅近くの駅で乗車券を買うときに「みなみきそ」駅と言ってしまったが、正しくは、「なぎそ」駅である。しかし、若い女性のJR職員も読み方を知らなかったらしく、マルスに打ち込むのに駅名が出てこなくて時刻表の地図を調べていたくらいなので、関東地方ではこの読み間違いはそれほど恥ではないのかもしれない。
204 南木曽駅
再現された美しい二つの宿場町を見て、昔と変わらない中山道を歩き、歴史に思いを馳せ、肉体的にも精神的にもリフレッシュできた一日だった。
テレビ・映画や歴史のテーマパークなどの疑似体験は、現地に現存するホンモノには遠く及ばない。数百年の時間を越え、リアルな江戸時代の旅を生で体験でき、国際的にも有名になったこのすばらしいルートを、多くの人に歩いていただきたいと思う。
本日の歩数 26,841歩 GPSによる本日の歩行距離 12.8km
本日のルート(GPS軌跡)
GPSによる高度推移
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