目 黒 川 探 訪 2 (北沢川)
桜並木で有名な東京を代表する都会の河川・目黒川の上流跡をたどる
◆第2日目 (2017年5月6日) 池尻大橋駅 〜 北沢川源流跡
目黒川の二日目である。前回は品川の河口から遡り、桜並木を経て、国道246号線の大橋まで到達した。今日は、いよいよ大橋より上流域に入っていく。
とはいっても、
前回
を見ていただければわかるように。ここで目黒川は地下に潜ってしまい、その先は地下排水路を経て、落合水再生センターすなわち下水処理場に繋がっているという衝撃的な結末であった。
ここより上流の目黒川はどうなっているのだろうか。早速、池尻大橋駅を降りて246号線の北側に出る。時刻は10時13分である。
1 池尻大橋駅 2 国道246号越しに下流側を見る
3 暗渠の緑道になる目黒川
地下へ潜ってしまった目黒川の上は、美しい緑道になっていた。花に囲まれた楽しげな広場が出発点だ。
4 目黒川緑道起始点
緑道の脇には、小川が流れているが、もちろん目黒川本流とは別流であり、自然の河川とも思われない。調べてみると、
ここ
に詳しく書いてあった。結論だけ先に書くと、落合水再生センター、つまり都内有数の下水処理場から送られた下水処理水が、代沢せせらぎ公園地下に設置された施設で浄化され放流されていることがわかった。
5 花と緑に囲まれた緑道のせせらぎ
せせらぎとよく手入れされた植物が目に優しく、歩くのが楽しい緑道になっている。今日はこの道をどこまでも遡っていこう。
6 緑道のせせらぎ その2
7 せせらぎ その3 8 せせらぎの正体
9の現在地の地図でもわかるように、すでに目黒区から世田谷区に入っている。まだ、ここは目黒川(の跡)である。まずは、目黒川の始まりである分岐点をめざそう。
9 現在地 10 水面
平和でおだやかな景色である。犬の散歩やジョギングにこれ以上の道はないだろう。
11 穏やかな緑道
12 烏山川緑道分岐へ その1
もし、私が思春期前の無垢の少年だったら、スキップしたくなるような道である。
13 烏山川緑道分岐へ その2
14 横断歩道を渡る 15 現在地
16 烏山川緑道分岐手前 17 烏山川緑道分岐
10時24分、烏山川緑道と北沢川緑道の分岐点に着いた。住所は世田谷区池尻3丁目と4丁目の境界である。目黒川としての名称はここまでということになるが、今日は、事実上の上流である北沢川の跡地に作られた緑道を遡っていく。烏山川の方は、機会があればまた訪れてみよう。
かつては目黒川の両支流の合流点であったこの場所は、現在はどちらに行こうか迷うような魅力的な分かれ道になっている。ここは、右の北沢川緑道に進む。
18 分岐から烏山川緑道を望む 19 分岐から北沢川緑道を望む
水源は下水処理水であるが、このせせらぎには擬似的な生態系が成立しており、網を持った子供が、偽物ではあるが自然と触れ合っている。獲物は、アメリカザリガニ、残念ながら代表的な外来種である。とはいえ、天然の湧き水を源流とする自然の小川でニホンザリガニが穫れるような我が国固有の水環境は、世田谷区に限らず、この日本には殆ど残っていないのは残念なことである。
20 子供の獲物 21 せせらぎで網を使う父と子
ザリガニ捕りに夢中な父と子を横目に見て先に進む。
22 残された欄干 23 せせらぎは続く
24 住宅街の中を続くせせらぎ
25 美しい花壇
26 ベンチ 27 水場
所々に古い橋が残っている。
28 早瀬橋 29 住宅街の中
30 大正時代の欄干
31 時計 32 深い緑
33 散歩する人々 34 横断歩道
35 古い欄干の案内板
池尻で始まった世田谷区も、このあたりは代沢になった。昔は下北沢村、代田村であったが、明治時代に世田谷区になり、昭和39年の住居表示変更で、代田と下北沢を合成して代沢という地名になったという。
36 賑わう緑道
子どもたちの漁があちこちで行われている。
37 せせらぎ
38 せせらぎ公園付近の案内板
39 獲物を狙う子供 40 橋から見下ろす
41 不思議な欄干
42 横光利一顕彰碑説明板
43 種植え
44 美しいせせらぎ
45 なくなった橋の面影 46 カフェ
いかにも世田谷の一角にありがちなオシャレカフェがある。朝のジョギングの後に立ち寄るカフェ.....おしゃれな世田谷アーバンライフである。
47 桜の木 48 重要な装置
48で、世田谷区民、いや、都民にとって非常に重要な装置を発見した。名前を聞いて驚かないでほしい。この装置の正式名は
カエル噴水装置制御盤
である。まあ、企画、設計した役所や制作した関係者も、真面目にやっているに違いないだけに、笑いがこみ上げてくるのを抑えきれないが、この画期的な装置の設置や維持にもかなりの税金がかかっていることは間違いない。そして、この制御盤によって駆動している重要な本体装置が写真49で、これが東京都が誇る斬新なエン
ターテイメント性あふれる
カエル噴水装置
である。
残念ながら、通ったときは噴水は作動していなかったが、どのようなときにこの装置が駆動するのか、非常に興味がある。
49 カエル噴水装置本体
50 美しい花壇 その1
51 美しい花壇 その2
手入れが行き届いている。役所がここまでやるとは思えないので、地域のボランティアの方の協力があるに違いない。
52 坂口安吾文学碑 53 橋場橋
碑によると坂口安吾は大正14年に、代沢小学校で1年間代用教員として勤めたそうである。
54 せせらぎとベンチ 55 交差点
56 中之島 57 木橋
58 現在地 59 北沢川緑道解説板
解説板によって、北沢川は別名北沢用水と呼ばれていたこと、昭和40年代に埋め立てられて緑道化したこと、現在は地下に下水道幹線が埋まっていることがわかる。
60 三好達治顕彰碑
三好達治は、昭和24年から39年までここに住み、亡くなっている。師である萩原朔太郎の妹で、美人で有名だった女性と結婚するが、ここに来たときにはすでに別れていたようだ。
61 住宅街を進む 62 橋の名残り
63 緑の中を流れる小川 64 周囲の住宅
ここでの子どもたちの獲物は、アメリカザリガニではなく、小魚であった。覗いてみると、ワイルドではあるが、微かに極彩色の痕跡が残っている。この小魚が、在来種のメダカだったら喜べるのであるが、残念ながらそうではない。この小さな魚は、なんとグッピーであった。ヒートアイランド現象が進む都会の気温に加え、水温の高い下水処理水のおかげで、グッピーが繁殖しているらしい。繁殖しすぎて飼い切れなくなった人が、放流してしまうのだろう。
65 本日の獲物
沿道の住宅は、日本国内では高級住宅の部類に入るかもしれないが、アメリカ人から見れば、プールもテニスコートも芝生の庭もないウサギ小屋である。
66 緩やかなカーブ
67 石碑 68 萩原朔太郎のエピソード
69 萩原朔太郎文学解説板
70 直線的な遊歩道 71 庭園風
72 澄んだ水
73 北沢川の変遷解説板
いまは、アメリカザリガニとグッピーに席巻されている北沢川の人工的なせせらぎであるが、昭和20年代までは自然河川の面影を残しており、生物多様性も保たれていたのだろう。
74 現在地 75 円乗院
時代劇に出てきそうな広い参道を持つお寺の前はちょっとした広場になっていた。そして、ここがせせらぎの起点になっていて、唐突にポンプアップられた下水処理水が湧き出ている。この先は、環状7号線なので、流石にせせらぎが越えることはできなかったらしい。人工的な源流である。
76 せせらぎの最上流地点 77 環状7号線
しかし、環7を渡っても緑道自体は続いていた。考えてみれば、北沢川自体が続いていたので当然ではあるが。
78 再び始まる緑道 79 現在地
80 三之橋 81 二之橋
82 一之橋 83 住宅街を進む
幾つかの橋と花を見ながら進むと、小田急線高架の下にでた。
84 きれいな花壇 85 小田急線高架
小田急線を過ぎて進むが、このあたりはの梅ヶ丘駅が近いはずなので、昼食休憩を取ることにする。
86 小田急線北側 87 公園橋
88 梅ヶ丘駅北側 89 梅ヶ丘駅
駅のそばのマックに入る。別に好きなわけではないが、株主優待券が余っていたのでとりあえず入った。時刻は、11時27分なので、1時間15分ほど歩いただけである。12時に再び歩きはじめる。
90 マック昼食 91 緑道歩きの再開
92 美しい歩道
駅に近いので、一段と美華やかでしい遊歩道だ。
93 花に囲まれた松竹橋
94 商店街の横を抜ける北沢川跡 95 蛇行の痕跡
高度成長期はドブ川になっていたことが想像される蛇行した川筋である。
96 橋の痕跡 97 住宅の軒先の緑道
98 豪徳寺駅北側 99 世田谷線に突き当たる
小田急線豪徳寺駅前を過ぎると、写真99の場所で遊歩道が中断する。その理由は、東急世田谷線である。
100 山下駅 101 世田谷線の電車
私鉄路線というよりは、路面電車に近い感じの可愛らしい路線だ。山下駅という名前だが、豪徳寺駅との乗り換えが可能である。わざわざ違う名称にするからには、理由がありそうだ。
102 世田谷線を挟んで反対側を望む 103 再び始まる緑道の起始点
世田谷線山下駅の横を通り抜けると反対側に北沢川跡の緑道が続いていた。世田谷線よりも北沢川のほうが先にあったので、当たり前ではあるが。
104 ユリの木通り
ユリの木通りという、直線的な美しい道路となっていた。ユリの木はユリとは異なるらしい。
105 殿山橋 106 信号を渡る
ユリの木通りはわかったが、バス停の名前は、ユリの木公園である。では、その公園とはどこか。バス停の名前になるくらいなのでかなり大きな公園だと思うが、地図で探してもそれらしき公園は見当たらない。どうも、この通り自体をユリの木公園というらしい。ユリの木通り≒ユリの木公園ということのようだ。それにしても、このバス停は、名前もいいが、ロケーションもかなりいい。ドラマでサラリーマンの主人公が朝に乗りこむバス停のイメージにぴったりで、いかにもロケ地に使われそうな場所である。
このユリの木公園も、おそらく北沢川が蛇行して流れていたところを区画整理し、暗渠化、直線化して造ったものだろう。
107 ユリの木公園バス停 108 横断歩道
109 経堂駅への分岐 110 辺房谷橋
111 皐月橋 112 宮坂三丁目
経堂駅に通じる道を宮坂3丁目の信号で渡ると、再び住宅街の中に入っていく。
113 現在地 114 赤堤付近
115 赤堤小学校南側 116 赤堤住宅付近
117 赤堤小学校北側 118 現在地
119 細い緑道へ 120 赤堤三丁目付近
住宅街を抜けて、大きくきれいな団地の遊歩道になった。昔は団地の横にドブ川が流れていたのだろうが、いまは見違えるような美しい道になっている。
121 経堂赤堤通り団地
122 団地内の緑道
123 団地北側 124 せせらぎの復活
いつのまにかせせらぎが復活している。が今回のものは小規模のようだ。
125 せせらぎの起点 126 左内弁財天へ
127 北沢川と左内弁財天の解説板
北沢川の解説があった。北沢川の源流は松沢病院というところらしい。現在はどうなっているのだろうか。楽しみである。昭和54年まではここには弁天池という池があったようだが、もちろん今は跡形もない。なんとなく広場になっているので、そう言われればという感じである。
128 左内弁財天 129 桜上水三丁目広場北
130 早苗保育園東側 131 日大桜丘高校付近
北沢川跡の東側は日本大学の土地らしく、高校や文理学部、陸上競技場が広がっている。
132 日大陸上競技場へ 133 日大陸上競技場
134 トラックの陸上選手たち 135 アルス桜上水付近
日大のグラウンドを抜けると頼りない小径になるが、今日はじめて見る畑が広がっていた。23区内の農地は貴重である。
136 畑 137 桜上水五丁目アパート付近
やがて右手に都営アパートが現れた。よく手入れされた美しい花壇がつづく。
138 アパート前の美しい緑道
139 アパート南側を西へ 140 上北沢へ
道がだいぶ狭くなった。おそらく、北沢川も源流に近づくに連れて細くなっていたのだろう。このあたりは、地形図で川筋を予測して辿らないと、旧河川路を見失いそうだ。
141 デイホーム上北沢付近 142 下水道管マンホール
老人ホームの横に出たが、下水管が入っているので、北沢川跡に間違いない。
143 上北沢一丁目第2アパート付近 144 松沢保育園付近
やがて、この道は東京都医学研究所という施設に突き当たる。おそらくこれが、旧松沢病院だろう。ということはこのあたりに北沢川の源流があったはずである。そして、右折すると公園が見えてきた。
145 東京都医学研究所 146 将軍池公園へ
そして、公園の奥の深い緑の中に、将軍池というドーナツ型の池がついに現れた。時刻は13時10分である。
147 将軍池
148 将軍池由来解説板
解説板によると、この池は北沢川の源流の池というわけではなく、大正時代に人工的に作られたもののようだ。とはいっても、湧水がなければ、池は作れないはずなので、このあたりに北沢川の源流となる湧水の一つがあり、それがこの池の水源となっていたと考えられる。現在もこの池は水をたたえているので、少量ではあるが湧水があるのかもしれない。
この見事な林にかこまれた将軍池の辺りを歩ければ最高なのだが、残念ながら立入禁止になっていた。東京都の土地であるはずなので、開放してだれもがこの池を散策できるようにしていただくことを切望する。
149 将軍池 その2
水はあまりきれいとは言えないが、この見事な緑の林があちこちに残っていたころは、まさに北沢川の源流にふさわしい環境だったのだろう。
こうして北沢川源流の現在を見届けた後は、北に向かって京王線上北沢駅から新宿に戻った。
150 上北沢駅
13時34分、京王線上北沢駅に到着。目黒川とその上流であった北沢川の跡を遡る旅は終わりを告げ、日常に戻る帰路につく。
この、上北沢という地名は、武蔵野台地の中で、特に沢が多かった地域の北側上流という意味だそうである。まさに、目黒川水系の源流にふさわしい地名である。
2日間にわたって歩いてきた、目黒川とその上流の北沢川は、現在はその水源をほとんど失い、かろうじて下水処理水によってその水量を保っている。が、かつてはその美しい清流で江戸西部ののどかな景色を形作っていたことだろう。武蔵野台地の末端の湧水を集め品川に注いでいた目黒川と北沢川は、現在は、地下を走る首都高速道や下水道幹線の埋設用地として、また、桜並木や緑道として親しまれる都市の潤いとして、人工的ながらもその姿を変えて生き続けていた。そして、もう一つ、集中豪雨の際に、都市の治水を守る雨水の排水路としても重要である。
目黒川は、その流れる場所が場所だけに、日常でも河畔を断片的に歩いている人は多いだろうが、ぜひ、北沢川跡地まで通して歩いて源流を目指すという酔狂な旅をしていただくと、目黒川に対してまた違った印象を持っていただけるだろう。
本日の所要時間 :3時間21分
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◆第1日目(2016年12月31日)河口〜池尻大橋
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