隅 田 川 探 訪           

都心を流れる東京、いや全国レベルの知名度を持つ有名な川だが、一体どこから流れだしているのか。
◆第1日目 (2010年2月6日) 岩渕水門(東京都北区)〜南千住駅(東京都荒川区)

 今回は、隅田川である。文学や唱歌の題材としても古くから良く知られた、東京を代表する川だ。花火大会はテレビでも中継されるほどメジャーであり、歴史も長い。
 ところで、その隅田川は一体どこから流れてくるのか。それを答えられる人は都民でもそれほど多くないだろう。もちろん、筆者も、なんとなく埼玉県の方からだろうと思っていた。そこで、Wikiで調べてみると、隅田川の範囲がきちんと確定したのは、なんと1965年のことだという。そんなに最近のことなのか。筆者はとっくに生まれている。

 古い歴史のある川なのになぜそんなことになったのだろうか。詳しくは、Wikiの解説を読んでいただいた方が早いが、要するに、利根川と荒川水系の流路が変遷してきたこと、荒川の下流を隅田川とよんでいたものの地域によって川の呼び方が異なったこと、本流が確定しなかったことなどによるらしい。古隅田川も残っているのでますます訳がわからなくなっているが、少なくとも1965年以降は、役所によって隅田川の範囲が具体的に決められたわけで、とりあえず解決して良かった。「隅田川とはどこからどこまでですか?」と聞かれて答えられないと、川を研究する学者やクイズをつくるテレビ局のADが困ってしまう。

 前置きが長くなったが、その全長23.5kmの隅田川の起点は、埼玉県ではなく、東京都23区内であった。北区にある、岩渕水門である。そこで、起点がわかっている今回は、水門から下流に向かって歩いてみることにした。
 というわけで、冬晴れのある日に、赤羽駅に降り立つ。

  1 赤羽駅                            2 八雲神社
   

 川に向かうと手前に神社があった。

  3 八雲神社解説板
  



 川に出ると、目の前にどうぞ渡って下さいと言わんばかりの橋がある。岩渕橋である。この橋で渡る川は、まだ隅田川ではなく、新河岸川である。江戸時代に江戸から川越まで水運を通じた川だが、ここは後年開削された部分であるらしい。
関連サイト 新河岸川探訪        

  4 岩渕橋                         5 岩渕橋から新河岸川上流を望む
   

  6 岩渕橋から新河岸川下流を望む                 7 岩渕橋付近の遊歩道
   

 新河岸川の対岸に渡ると、その向こうにはさらに大きな荒川の流れが目前に広がる。ここは、広々とした公園になっており、風が冷たいにもかかわらず、ジョギングや散歩をする人が多い。

  8 荒川と新荒川大橋を望む                    9 荒川対岸の川口市を望む
   

  10 リバーステーション解説イラスト




 赤い水門が現れた。旧岩渕水門である。よく見ると少し傾いているのがわかる。

  11 旧岩渕水門                         12 旧岩渕水門近景
   

 この、隅田川の起点であり、洪水時には荒川から隅田川へ水を流さないようにするという重要な目的をもった岩渕水門も、今はその役割を終えて、歴史的文化財としてその威容を現在に伝えている。水門の上を渡ると、出島の公園があった。この出島は、新しい水門が出来る前は、荒川と隅田川を隔てる堤防として下流側と繋がっていたに違いない。
 そして、赤門から役割を引き継いだ青門、すなわち新岩渕水門がその先に建っていた。

  13 旧岩渕水門から水門公園の出島を望む             14 新岩渕水門
   

 15 旧岩渕水門解説板


 16 荒川の変遷解説板


 新岩渕水門より下流、すなわち、写真17と18の地点が、記念すべき隅田川の起点である。

  17 新岩渕水門から下流を望む                18 下流側から見た新岩渕水門
   

 19 新岩渕水門から上流側の旧水門と荒川を望む




 荒川と隅田川を隔てる細長い場所は現在ゴルフ場になっている。ゴルフ場の先に見える現在の荒川、昔の荒川放水路は写真15にも書いてあるように、東京の街を洪水から守るために、人工的に開削した水路である。明治から大正時代にかけて行われた工事の苦労は大変なものであったというが、今はそんなことも忘れ去られて、のんびりとおじさんたちがゴルフに興じている。

  20 東京都民ゴルフ場                     21 浚渫船?
   

 写真22が新河岸川との合流地点である。複雑だが、岩渕水門で荒川から別れた隅田川はすぐに新河岸川と合流するわけである。やがて隅田川は右にカーブを切って蛇行しながら荒川に別れを告げる。左岸側を下流に向かって歩く。

  22 下流側から新岩渕水門と新河岸川を望む         23 荒川から分かれるカーブ
   

 隅田川と周辺の土地の標高差はあまりないため、コンクリートの壁が堤防として続いている。このため、河畔の道は写真25のように、川が見えず、工場の通路のような味気ないものとなっている。

  24 隅田川標識                       25 足立区新田付近の河畔の道 
   



  26 新田のバス転回場                    27 対岸の北清掃工場の大煙突
   

  28 新神谷橋                        29 新神谷橋から上流を望む
   

 展望のない道を歩いて、ようやく、最初の橋についた。新神谷橋である。

  30 新神谷橋から下流を望む                  31 河畔の遊歩道 その1
   

 左岸側は、いわゆるカミソリ護岸であるが、対岸の一部は写真33のように親水施設が作られているようだ。

  32 河畔の遊歩道 その2                   33 対岸の船着場
   



 次の橋は新田橋だ。大きなマンションが多い。川は足立区と北区の境界線になっている。ここから右岸側に移る。

  34 新田橋から上流を望む                   35 新田橋から下流を望む
   

 新豊橋は国土地理院の地図に載っていない、2007年に開通した新しい橋である。

  36 新豊橋                         37 新豊橋から上流を望む
   

 新豊橋の両岸は、マンション開発によってりカミソリ護岸が広々とした見事な親水空間に生まれ変わっている。水質は、良くもなく悪くもなくといった感じだが、昭和40年頃には死の川になっていたことを考えるとずいぶん綺麗になったはずだ。

  38 新豊橋から下流を望む                  39 下流から新豊橋を望む
   

  40 豊島橋から上流を望む                  41 豊島橋から下流を望む 
   

 このあたりで大きく蛇行を繰り返す隅田川にかかる橋は、豊島橋と小台橋で、いずれも見事なアーチ橋である。この両橋の間で右岸側は北区から荒川区になる。

  42 豊島橋                         43 小台橋
   



 このあたりはカミソリ護岸が続くが、昭和44年頃に整備されたようだ。

  44 小台橋から上流を望む                  45 小台橋から下流を望む
   

  46 尾久橋から上流を望む                   47 尾久橋から下流を望む
   

 尾久橋には、モノレールのような路線が並行していた。日暮里・舍人ライナーという新交通システムである。
 尾久橋の下流右岸側は、下水処理場があるが、写真48のとおり、きれいに整備されている。

 48 荒川区東尾久付近の遊歩道


 そのきれいな堤防の斜面を、大きな網を載せた自転車が降りていく。あの網の大きさでは相当の大物を釣るのだろう。

  49 大物釣り師                        50 対岸から足立小台駅を望む
   



 右岸は、再び写真51のような昔のままの道になるが、尾竹橋の周辺は整備されている。

  51 荒川区町屋府近の河畔の道                 52 尾竹橋
   

 今日は天気が良いのだが、強い冬型の気圧配置のため北風が強い。そこで、風を遮ることのできる階段では、ホームレスのおじさんが昼寝をしていた。

  53 お昼寝                          54 尾竹橋から上流を望む
   

 ここまで、順調に川沿いを歩いてきたが、写真56のように京成線でその進路を完全に阻まれてしまう。

  55 尾竹橋から下流を望む                    56 京成本線
   

 線路を迂回すると、右岸に再び大規模なマンション開発地帯が現れた。

  57 アクロシティ                       58 アクロシティ付近の遊歩道
   

 ここまで、お読みいただいてわかるように、昭和40年代にカミソリ護岸になった隅田川両岸も、少しずつ再開発が進んでいる。そのコンセプトとなっているのが、下に書かれているスーパー堤防の概念だ。写真57は堤防の陸側の斜面ということになる。そう言われてみれば緩やかな坂道になっている。

 59 昭和40年代の堤防の概念


 60 スーパー堤防の概念


  61 アクロシティの高層マンション            62 スーパー堤防と旧堤防の境界
   



  63 千住大橋                        64 千住大橋から上流を望む
   

  65 千住大橋解説石標
  

 歴史ある千住大橋であるが、橋からの展望は水道管や道路によって塞がれている。

  66 千住大橋から下流を望む                  67 日枝神社
   

 日枝神社についた。それにしても歯痛で切腹するとは、現代では考えられないことである。

    68 日枝神社解説板                    69 常磐線鉄橋
        

 川沿いの道は、鉄道の橋梁にぶつかる。常磐線、つくばエクスプレス、地下鉄日比谷線の3本の路線が隅田川を渡っている。ここで、右に折れて、今日の目的地である南千住駅へ向かう。駅前には大きな貨物駅があるが、写真70のように新しい商業施設も出来ているようだ。強風のため少し遅れた常磐線の電車に乗り込み、上野駅に向かった。

  70 南千住駅前                       71 隅田川駅
    

 今日は、隅田川の起点をじっくり見ることができた。それは水門の建設と荒川の開削という、当時としては国家的な大プロジェクトが実行された結果であった。新河岸川との関係は複雑で、図を見ないと理解出来ないだろう。水門周囲は、広々とした気持ちの良い公園と遊歩道が整備されている。
 荒川と別れた隅田川は、蛇行して流れるが、川沿いの道は、2つの対照的な地区に分かれている。古い堤防の残った地域は汚れた川と下町が似合う道、スーパー堤防が整備されている再開発地域は、近代的なマンションと橋、親水公園が川を取り囲んでおり、明るく近代的な川のあり方を提示している。すべて整備が完了するのにはあと数十年かかりそうだが、もしそうなれば通して歩くのも良いだろう。サイクリングやジョギングの人気コースになるに違いない。今現在は、通しで歩くのは一般の人にとっては少し辛いかも知れない。

 次回は、いよいよテレビにも良く出てくる隅田川の姿、下流域を歩くことになる。どんな都会の川の景色が見られるのか、楽しみである。

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