柳 瀬 川 探 訪
志木の河岸で新河岸川に合流する澄んだ川の源流は以外なところだった。
◆第2日目 (2014年10月17日) 秋津駅 〜 源流
志木で新河岸川との合流地点から遡ること1日、今日は秋津駅からの再開である。この西武池袋線の駅は、南口は東村山市、北口は埼玉県所沢市、ホーム東側半分は東京都清瀬市で、敷地は1都1県3市にまたがるという稀有な存在である。
現在地
1 秋津駅 2 日向橋
北口に降りたのでそこは埼玉県所沢市であるが、東へ進むのですぐに東京都清瀬市になる。ここでは、柳瀬川が都県境なので日向橋をわたると再び埼玉県所沢市になる。この柳瀬川上流域では、河川改修も行われておらず、蛇行している上に川沿いの道もない。
3 日向橋から下流を望む 4 上安松地蔵尊
住宅街をさまよいながら、橋を丹念に訪れるという繰り返しになる。立派な地蔵尊を過ぎると松戸橋である。
5 松戸橋 6 松戸橋から下流を望む
7 松戸橋から上流を望む 8 安松橋
西武池袋線に沿って川に向かうと左手に緑地があった。
9 安松橋から上流を望む 10 淵の森緑地
安松橋の上流に広がる小さな緑地であるが、昔の武蔵野の様子がわかる貴重な空間で、その縁を流れる柳瀬川である。
11 淵の森緑地を流れる柳瀬川 その1 12 東京都・埼玉県境
夏であれば、川の中をどこまでも歩いて行きたくなるような感じだ。
13 淵の森緑地を流れる柳瀬川 その2 14 淵の森緑地の行き止まり
15 よもぎ橋から上流を望む 16 住宅街を歩く
川沿いの道はないので、東村山市側の住宅地を西へ歩く。
秋津橋に着いた。昔の川と橋の雰囲気が少しだけ残るほっとする場所である。
17 秋津橋 18 光あまねしの記念碑
19 記念碑の由来
20 秋津橋から下流を望む 21 柳瀬橋から上流を望む
幹線道路に出る。東京都道・埼玉県道4号東京所沢線、通称所沢街道である。橋の名前は二柳橋だ。
22 二柳橋から下流を望む 23 二柳橋から上流を望む
地図では目玉のような場所が気になったので確認してみたくなった。現場は写真25のように遊水池となっていた。野鳥や野生動物の楽園になっていると良いが。
ちょっと気になるのは、この附近の水質が写真24のとおりあまり綺麗ではないということだ。柳瀬川下流域ではあれほど水量、水質共に良好だったのに、不思議である。このような現象は都市河川でよくみられる。下流域が都市化で下水道の整備が進んでいるのに対して、上流域では農村部であるがゆえに下水道の整備が遅れていることに加えて、途中で流入する湧水量も関係しているのだろう。所沢市の平成24年度現在の下水道普及率は、92.6%なので、まだ2万5千人以上の生活排水が垂れ流しになっている。
24 東村山市久米川付近 25 久米川遊水池
26 二瀬橋から下流を望む 27 二瀬橋から上流を望む
西武新宿線の西側、二瀬橋の上流で、川が合流している。写真27の右側、北上しているのが柳瀬川本流、左側の南西から合流するのが北川である。北側じゃないのに北川なんである。
28 北秋津付近から柳瀬川を望む 29 北上する柳瀬川
30 里橋から下流を望む 31 里橋から上流を望む
32 勢揃橋から上流を望む 33 吾妻橋から上流を望む
蛇行している柳瀬川を地図を頼りに懸命に追跡する。橋以外のところではなかなか川を捉えられず、以外に時間と距離を取られる。
34 共開橋 35 共開橋から上流を望む
36 住宅地の中を流れる柳瀬川 37 樋の坪橋から上流を望む
38 名称不明橋から上流を望む 39 山王橋から上流を望む
途中で建設中の道路があって迷ったりしながら、郊外の住宅地を源流目指して歩く。
40 川島田橋 41 本村橋から上流を望む
42 関地蔵尊
43 関地蔵尊解説板
44 地蔵橋 45 地蔵橋から上流を望む
46 西ヶ谷戸橋から上流を望む 47 神明橋から上流を望む
この辺りの柳瀬川は、西武狭山線と絡みあうようにして流れている。
48 児泉橋から上流を望む 49 判立橋
かなり水量が少なくなり、源流っぽくなってきた。
50 所沢市山口付近を流れる柳瀬川 51 新川橋から上流を望む
柳瀬川を横切る最後の幹線道路、埼玉県道・東京都道55号所沢武蔵村山立川線は、高橋という橋で源流を跨いでいる。もう川の流れは子供が遊んでいても安心なほどになっていた。
52 高橋から上流を望む 53 源流の様相
54 川辺橋から上流を望む 55 八生橋から上流を望む
56 細流になる柳瀬川 57 大鐘橋から上流を望む
蛇行している柳瀬川源流を追いかけて、ついに大鐘橋に到着した。14時37分である。
58 大鐘橋 59 南側のダム排水路
なぜこの橋が重要かというと、この上にある山口貯水池、別名狭山湖のダムの堰堤の基部に当たるからである。
60 名称不明橋 61 60の橋から下流を望む
ここは、すこし広い公園のようになっており、ダムからの排水、あるいは湧水かもしれないが、それを集める水路が二つある。ここから流れ出す細流が、現在の柳瀬川の水源である。
62 赤とんぼ 63 60の橋から上流を望む
つまり、写真59、63、64が柳瀬川の源流起始部である。
64 北側の排水口
65 山口貯水池ダム その1
狭山湖のダムの斜面を登る。ダム本体は立派である。狭山湖自体は昭和2年にできたものだが、とてもそんなに古そうには見えない。それもそのはずで、その後このダムは2回補強されている。1回めは、米軍の空襲を恐れて太平洋戦争中に、2回めは阪神淡路大震災の教訓から平成10年から14年にかけてである。つまり、今まで歩いてきた下流地域の住民は、このダムの決壊の危険にさらされてきたわけである。
もし、B29によりこのダムが破壊されていたら、下流の数十万人の人たちが流され、東京に住む数百万人の人達の水道水も途絶えたわけで、考えただけでも恐ろしい話である。この何気ない斜面が、これだけの人たち、いや、東京という日本の生命線を握っているのであるから、まあ、それなりにお金をかける必要があるだろう。
66 山口貯水池ダム その1
67 山口貯水池ダム その2 68 山口貯水池ダム堤防上
ダムの上に上がり、雄大な狭山湖の景色を眺める。もちろん、もうお気づきの方が多いと思うが、大正時代までこのダムの下にあったのが、柳瀬川のかつての源流である。そして、この狭山湖に流れ込む湧水の流れは湖の西側に現存しているので、そこが(かつての)柳瀬川源流であるが、調べてみると現在は立入禁止になっていることがわかった。あと数年早ければ、入ることができたようなので、残念である。源流を荒らす地元のヤンキーたちを恨むしかない。
69 山口貯水池(狭山湖)
空から見た山口貯水池(狭山湖)
この狭山湖は、ダムと言っても東京都の水道専用である。では、この水はどこから来るのか。それは以前に
多摩川を遡上した時
にリサーチ済みであるが、その時の図をもう一度見てみよう。
これを見ればわかるように、山口貯水池(狭山湖)の水は、周辺の湧水を除けばすべて多摩川の小作と羽村の2箇所から来ていることがわかる。柳瀬川の源流となっている水は、この狭山湖から浸透した余水なのだろうか。だとすると、柳瀬川の源流は多摩川だといえるかもしれない。
そして、狭山湖は埼玉県にあるのに、埼玉県民はその水を一滴も飲めないというのも変なものである。
70 山口貯水池ダム 71 村山山口貯水池管理事務所
新河岸川の支流として、その清らかな流れで武蔵野台地を潤している柳瀬川であるが、その源流は以外な形であった。自然の水を支配する人間の力は、大したものだと思う。今も湖底にはかつての柳瀬川の源流が眠っているのだろう。
そして、15時28分に西武球場前駅について、柳瀬川の旅も終わった。
72 西武球場 73 西武球場前駅
GPSによる本日の歩行経路 (時間:3h57m 距離:17.5km 歩数:24915歩)
志木から歩き始めた柳瀬川は、下流地域では、その整備された河畔を歩くのも楽しい川であった。上流域では、残念ながら忠実に辿ることはできかったが、最後に突如として出現する巨大なダム湖に、かつての狭山丘陵から流れ出て、農村を潤していた清らかな柳瀬川の源流の姿を想像するのも良いかもしれない。
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