十里木関所跡
静岡、山梨、神奈川の各県をつなぐ重要な交通路の一つであり、古来より使われている街道があります。この街道を私たちは「十里木街道」と呼んでいます。
十里木街道は、富士宮と箱根竹之下とを結ぶおよそ十里の道のりで、竹之下より足柄峠を越え、相模へと通ずる街道です。
富士郡から甲斐(山梨)方面や御殿場方面へ物資を運ぶときには、十里木街道がよく使われ。十里木街道も何時の時代までか東西を結ぶ主要道であったと考えられます。
十里木村は寛文年間、御殿場市内印野境「春木村」に須山新田として居住していた村人を寛文九年(1669年)の富士郡と駿東郡との郡界争いが起こった際。これを機会に寛文年十三(1673年)に現在の位置に移り住んだのが起源とされております。
その後、十里木村は郡界を守るとともに、十里木街道の人々の往来と郡界を通る荷物の管理を行う村という役目を担う村と推測されます。
この事は当地に「問屋」、「元問屋」と呼ばれる屋号が残されている点から伺われます。 裾野市 |