愛鷹山(越前岳)  標高1504m 登山開始地点標高880m     

  自分の足で登らない山シリーズ第11弾   富士山と駿河湾の間に位置する眺望の有名な火山
 
◆ 2013年4月27日

  今日は、富士山と駿河湾の間に敢然とそびえる山々、愛鷹山である。愛鷹山という山もあるらしいが、普通は複数のピークを持つ山塊全体をさして愛鷹山、あるいは愛鷹連峰というらしい。最高峰は、1504mの越前岳である。



 百聞は一見に如かずということで、箱根外輪山からみた愛鷹山が下の写真だ。右側が富士山である。特徴は、この山々が、駿河湾に斜めに落ち込む富士山の裾野の途中に南北非対称の形で存在しているということだ。下の写真の愛鷹連峰の右端(北端)と富士の裾野が接しているところが、十里木という場所である。そして、ここの標高はなんと870mもあるということが、このシリーズの趣旨どおりのイージーな登山を可能としている。越前岳までの標高差はわずか600mちょっとである。これが南の駿河湾側からだと倍以上になるだろう。

 神奈川県一周 第32日目(2011年12月4日) 箱根スカイラインからみた愛鷹山


 さて、この愛鷹連峰であるが、古い火山である。以前は富士山のような美しい成層火山で、標高も2000m以上あったとされている。上の写真の左右の稜線をそのまま上に伸ばせば、そのころの姿が容易に想像できると思う。長い間に侵食が進みこのようなギザギザの山になってしまったらしい。今まで、富士山の斜面から愛鷹山が側火山のように噴火してできたと思っていたが、実はとんでもない勘違いだったようだ。

 数十万年前の最盛期には、なんとまだ富士山はなく、愛鷹山箱根山小御岳山という3つのライバル火山が盛んに噴煙を上げていた。小御岳山は、現在の富士吉田口5合目小御岳神社付近である。
 そして、10万年前にライバルたちに転機が訪れる。愛鷹山の噴火は収まり、小御岳山と愛鷹山の間に新しい火山が生まれる。それが、現在の富士山である。1万年前になると、箱根火山は時々噴火するもそれほど大きくならない一方で、富士山はガンガン噴火して3776mの巨大火山に成長したわけである。こうして明暗が分かれた3つのライバル火山のうち、すっかりおとなしくなった愛鷹山は、現在、立場が逆転して、まるで富士山の子分のように、その老いて崩れた姿を今にさらしているわけである。
 つまり、愛鷹山はあとから出来た富士山によって北側の裾野が「埋まってしまった」というのが正しいのである。
 このストーリーは、もちろん私が考えたわけではなく、学者の考えをわかりやすく描いた絵があるこのサイトのパクリであるのだが。

 しかし、最近、世界遺産に決まって今や絶頂期にある富士山も、いつまでもこの秀麗な姿を見せるわけではない。数十万年後には火山活動を終えて、大沢崩れから開析が進んでこの愛鷹連峰のようになるのである。「おごれる富士も久しからず」という言葉もあるではないか。だからと言って、今すぐ富士山に登らなくても良いとは思う。時間はたっぷりあるので...ただし、中年以上の人は、富士山の崩壊よりも自分の体力の衰えの心配をすべきである。

  1 御殿場駅                     2 駅前のそば屋

   

 というわけで、今日は十里木から越前岳を目指すことにする。その十里木までは、御殿場駅から朝は8時30分発のバスが出ている。駅で30分ほど時間があったので、立食いそば屋で天ぷらそばを食べ、体内にグリコーゲンを貯めておく。



 バスは、ほとんど停まらずに、1時間かからないで終点の十里木に着いた。降りたのは、全員登山客である。この辺りは別荘が多い。標高が高くて涼しいため、避暑にも良さそうなところである。バス停から西に少し歩くと、関所跡があった。

  3 十里木バス停                   4 十里木関所跡
   

 関所跡の解説板が汚かったので、清書したのが下である。

 
  十里木関所跡

 静岡、山梨、神奈川の各県をつなぐ重要な交通路の一つであり、古来より使われている街道があります。この街道を私たちは「十里木街道」と呼んでいます。
 十里木街道は、富士宮と箱根竹之下とを結ぶおよそ十里の道のりで、竹之下より足柄峠を越え、相模へと通ずる街道です。
 富士郡から甲斐(山梨)方面や御殿場方面へ物資を運ぶときには、十里木街道がよく使われ。十里木街道も何時の時代までか東西を結ぶ主要道であったと考えられます。
 十里木村は寛文年間、御殿場市内印野境「春木村」に須山新田として居住していた村人を寛文九年(1669年)の富士郡と駿東郡との郡界争いが起こった際。これを機会に寛文年十三(1673年)に現在の位置に移り住んだのが起源とされております。
 その後、十里木村は郡界を守るとともに、十里木街道の人々の往来と郡界を通る荷物の管理を行う村という役目を担う村と推測されます。
 この事は当地に「問屋」、「元問屋」と呼ばれる屋号が残されている点から伺われます。   裾野市

 ここ、十里木は、富士山と愛鷹連峰に挟まれた峠という見方もできるだろう。すでに北には大きな富士の姿が...

  5 十里木から見る富士山               6 十里木高原駐車場
   

 7 十里木高原案内図


  8 越前岳までの行程                 9 登山口
   

 登山口にはトイレと案内図があり、広い駐車場もあるが、すでにほぼ満杯である。連休でしかも天気がよいので当然だが。 標識では、ここの標高が880m、越前岳の標高は1507mと、地形図とは数mの違いがあるが、江戸っ子に「このさいこまけぇこたぁいいんだよっ」と言われれば、この広い草原の雄大な景色の中ではそれもそうだという気持ちになるから不思議である。9時半、十里木高原登山口を出発する。



  10 展望台へ
      

 まず、最初の目標である展望台を目指して階段を登り始める。

 11 展望台から富士山を望む

 展望台からみる富士は....絶景である。雲一つないとはこのようなことを言うのだろう。
 10万年前には正面の富士山はなく、愛鷹山の裾野がもっと向こうまで広がっていたわけであるが、1万年前から噴火し始めた富士山から押し寄せた溶岩や火砕流が何百メートルも堆積して標高が高くなり、おかげで十里木からこうして楽に登れるようになったわけだ。そして、愛鷹山自身も侵食によって1000m近く低くなったのである。もし、10万年前だったら、愛鷹山の頂上まで2000m以上登らなくてはならなかったことになる。

  12 電波塔                     13 上の電波塔へ
   

 峠でもあるここには、大きな電波中継塔があり、またその上にも、もう一つタワーがあった。

  14 上の電波塔と越前岳               15 富士宮・身延方面を望む
   

  16 上の電波塔と富士山               17 馬の背へ
   



 最高の天気の中、開放的で明るく広い道をまっすぐ登っていく。疲れるが、楽しい。

  18 馬の背 その1                 19 馬の背 その2
   

 この辺りを馬の背というらしい。ご夫婦があまりの富士山の大きさに感動して、立ち止まっていた。シャッターを押してくれと頼まれたが、富士山が大きすぎて二人の全身が写らない。

  20 馬の背の展望ベンチ
      

 21 馬の背のベンチから富士山を望む


 ベンチで休む。さっきまで無かった雲が出てきた。標高1099mから真正面に望む世界遺産、富士山南面の勇姿である。宝永火口が右側にくっきりと浮かんでいる。
 まだ、200m登っただけであるが、山頂まであと400mなので、もう1/3来たことになる。

 22 鈴なりの花




 溶岩が目立つ灌木帯に入り、道がやや急になった。さらに標高を上げると、ブナのような美しい樹林帯になり頂上が近づいていることを感じさせる。

  23 越前岳山頂へ その1              24 越前岳山頂へ その2
   

  25 越前岳山頂へ その3              26 越前岳山頂へ その4
   



  27 越前岳山頂直下                 28 越前岳山頂標識
   

 11時15分、標高1504mの越前岳山頂に到着した。若者もいて賑やかである。若者グループの女性が、わりと簡単についたね、と言っているのが聞こえる。
 山頂から富士山は見えないわけではないが、樹木がじゃまになり、裾野までは見えない。やはり、途中からの方が、富士山の眺めは良いようだ。しかし、南に目を向けると富士市街や駿河湾、伊豆半島方面の景色が広がっている。

 29 山頂から富士山を望む


 30 山頂から富士市街と駿河湾を望む


 31 山頂から沼津市街と伊豆半島を望む


  32 山頂でくつろぐ人たち              33 三角点
   

 三角点がせり上がっているのが気になる。登山者によって山頂が踏み固められたり、削られたりしてしまったのかもしれない。

  34 地蔵                      35 山頂から東へ富士見台方面
   

 山頂では、あちこちでお湯を沸かしたり、料理が始まったりしているが、その片隅で冷たいピザパンをかじる。ここから東へ向かって愛鷹登山口に降りようと思っていたので地図を確認すると、標準時間は90分となっていた。これなら13時39分のバスに間に合うかもしれないと気がついて、11時40分、急いで山頂を後にする。



  36 富士見台へ
   

 37 樹間の左手に見える富士山


  38 富士見台                   39 富士見台解説板
  

 このお札には見覚えがある。たしか家にも古銭や古い札と一緒に1枚あったはずだ。

 40 富士見台から富士山を望む

 撮影スポットとして有名らしい富士見台付近で、カメラを持った人に会う。ここから先は右手が崩壊しており、登山者が入り込まないようにロープと標識がある。10万年前から続く開析の現場である。あと50万年後には、なだらかな丘になってしまうのだろう。

  41 尾根北側の崩壊                 42 鋸岳を望む
   

 富士見台より先は右側が崩壊して危険な崖になっていた。ここから鋸岳方面を見ると岩稜が切り立っていて恐ろしいほどだ。実際に越前岳から南への縦走は禁止されているらしい。

  43 崖注意の標識                  44 北側の崖
   



  45 樹間の富士山                  46 愛鷹山荘へ その1
   

 次の目標は愛鷹山荘だが、今までの標識はみんな黒岳になっていた。写真47で初めて目的地の愛鷹登山口の道標があり、ホッとする。

  47 登山道標識                   48 愛鷹山荘へ その2
   



 平坦な尾根の鞍部に出た。富士見峠の標識があるが、残念ながら北側は植林地になってしまっており、富士山は見えない。先行者につられて思わず直進するが、もしやと思って標識のところに戻って地図を確認する。地図上ではここが愛鷹山荘のはずであるが、それらしき建物は見えない。しかし、地図と現在地の地形からみても、ここで右折するのが正しいように思える。右は愛鷹山神社と書いてあるが、それがどこかわからない。目的地の名称は統一してほしいものだ。

  49 富士見峠分岐                  50 水場
   

 右折して下るとすぐに水場と愛鷹登山口の道標があり、道が正しいことを知った。愛鷹山荘もここにあった。

  51 水場の標識                   52 愛鷹山荘
   

 時刻は12時54分。越前岳から、登山地図標準時間40分のところ、70分もかかっている。何かの間違いだろうか。とにかく急がなければならない。

  53 愛鷹山登山口へ その1             54 落石注意標識
   

 落石注意の場所を早足で通過する。しかし、このように焦っている時ほど怪我やルート間違いなどアクシデントが起きやすいので、冷静さを失わないよう自分に言い聞かせた。

  55 落石地帯                    56 愛鷹山登山口へ その2
   



  57 愛鷹山登山口へ その3             58 松永塚
   

 13時16分、愛鷹登山口に着いた。ここから林道を20分歩くので、39分のバスにはギリギリ間に合いそうである。

 59 松永塚解説板


 60 登山案内図


 上の地図を見ると、黒岳へは行き止まりで富士見峠からのピストンのようだ。ちなみに、黒岳は愛鷹連峰では一番新しい溶岩ドームだそうだ。黒岳が出来て、愛鷹山はその活動を終えたわけである。
 この案内図では、越前岳から富士見峠まで75分になっているので、正しいようだ。もう売っていない会社の古い登山地図を使ったのが間違いだった。
 林道を急いで、13時30分に愛鷹登山口バス停に着いた。なぜか、道路のこちら側にしかバス停がない。バスを待っているらしい人に聞くと、上り下りの両方向に歩いてみたがバス停はなかったと言う。時刻表は両方向書いてあるので、上下兼用のバス停なのだろう。
 しかし、御殿場行きのバス停時刻表は、13時54分と書いてある。何度見なおしても39分ではない。古い時刻表を印刷してそのまま持ってきたのが間違いだったようだ。アセって損してしまった。
 今日は終盤でミスが多いが、まあ、結果オーライである。

  61 国道469線へ                  62 愛鷹山登山口バス停
   

 愛鷹山は、富士の絶景ポイントとして有名である。至近距離から富士の南側正面を望む場所としては、十里木からの登山道が日本一だろう。
 西丹沢や箱根外輪山から、圧倒的存在感を感じながらいつも眺めていた愛鷹山に、こうして自分の足で登れたことにとても満足した。

(本日の歩数:18346歩)        
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