海岸線をどこまでも西へ
海岸線を徒歩で忠実にたどり、そこに何があるかを見届けたい
◆第4日目(2013年9月21日) 伊豆海洋公園 〜 伊豆大川駅
現在地 1 城ヶ崎海岸駅
3連休ということもあって、熱海から乗ったリゾート21普通列車は、混んでいた。大きな荷物を持った若者が目立つ。若者と言っても、私から見たら、というだけで、30代、40代もいるのかもしれない。
それはともかくとして、私と同じく、彼ら、彼女らも含めかなりの数が秋晴れの城ヶ崎海岸駅で下りた。若者たちは、それぞれ迎えの車や徒歩で駅から散っていく。行き先はダイビングショップ、スクールだろう。ここ、城ヶ崎海岸は観光地としてだけでなく、伊豆を代表するダイビングスポットなのである。
時間は9時を回ったところだ。歩き始めよう。
2 海洋公園前のパームツリーの並木
パームツリー並木を突き当たったところが伊豆海洋公園である。公園といっても家族連れが遊んでいるわけではなく、ダイビングのベースとなっており、朝から沢山のダイバーで賑わっていた。海洋リゾートらしい華やかな雰囲気である。夏が終わり、海の透明度が上がり始める9月は、まだ寒さもそれほどではなく、ダイビングにはよい季節なのかもしれない。
3 伊豆海洋公園入口 4 伊豆海洋公園
5 伊豆海洋公園から相模湾を望む
前回は伊東駅から、城ヶ崎海岸の中央に位置するここまでを歩いた。東伊豆を代表する海岸風景で、観光地でもある。
富戸港から八幡野港まで、城ヶ崎海岸全域にわたって海岸を辿る遊歩道がある。ビーチならば、砂の上をどこまでも歩けるが、岩場の複雑な海岸沿いをこんなに長距離に渡って歩けるところは、おそらく日本でもそう多くないと思う。その遊歩道の前半、富戸港から伊豆海洋公園までは、前回歩いて紹介したように、城ヶ崎ピクニカルコースという名称になっている。今日は、ここ、伊豆海洋公園を始点として、後半の城ヶ崎自然研究路というコースを歩くことにしよう。
伊豆海洋公園からすこし南に行ったところに標識があった。しかし、大きなお寺があり、遊歩道というよりも寺の境内という雰囲気になる。
6 城ケ崎自然研究路標識 7 蓮着寺
このお寺の由来が書いてあったので転記してみる。
蓮着寺
鎌倉幕府によって現在の日蓮崎の沖にある俎岩に流され置き去りにされた日蓮聖人にちなみ、後の伊東庄の代官今村若狭守がこの付近の土地70町歩を寄進し、そこに祖師堂を建立したのが蓮着寺のはじまりです。広大な寺の境内の美しい自然林の中には上人ゆかりの袈裟かけまつや石食いのモチの木などがあります。また、そのほかこの附近一帯には日蓮聖人ゆかりの奥の院、俎岩、御経?祖師師送りの浜などの霊跡が点在しております。
日蓮聖人は、鎌倉時代の1260年、立正安国論を書いたが、他の宗派を邪教として批判したので、殺されそうになったうえ、禅宗を庇護していたから幕府からも断罪され、ここ、伊豆に流されたのである。それにしても、「蓮着寺」とは寺名の由来がわかりやすいこと、このうえない。
8 袈裟掛の松の解説板
9 袈裟がけの松 10 自然研究路入口
周囲は、お寺の境内そのもので、写真10の白い標識がなければ、ここが自然研究路のルートだと誰も思わないだろう。
11 石食いのモチの木 12 俎岩解説板
大きな石が木の幹に食い込んでいるのを見た後、さらに南に進むと俎岩である。
13 日蓮崎と俎岩
それにしても幕府の役人は、なぜあんな中途半端なところに日蓮を置き去りにしたのだろうか。実質的には殺そうとしたのか、よくわからない行為である。
さらに、頼朝もそうだが、当時は伊豆半島は流罪の地として使われていたわけで、現代の我々の感覚から言うと、なぜ孤島ではなく、地続きの伊豆半島に流すのだろう、と疑問に思う。いや、そんなことを考えるのは私だけかもしれないが。
陸路で簡単にここまで来られる現在とは異なり、おそらく当時は舟しか交通手段がないわけで、そういう意味では、島流しと同じことだったのだろうか。
まあ、そんな素人が考えても解決しない疑問はさておき、いよいよ山道になった自然研究路を南下する。道は登山道とかわりなく、人もいない。綺麗に整備されたピクニカルコースとは対照的である。
14 自然研究路 その1 15 灯明台 その1
16 灯明台 その2
17 灯明台から北を望む
18 灯明台から南を望む 19 だせんば
20 自然研究路 その2 21 自然研究路 その3
写真20、21をよく見ていただくとわかるのだが、古そうな石畳や階段がある。どうみても新しく拓かれた海岸遊歩道ではなく、古くからある道に見える。
22 にちょう 23 溶岩の亀裂
24 亀裂の正体解説板
「にちょう」というすこし開けた場所に着いた。大きな岩の亀裂があり、解説板が立っている。写真23のようにおそるおそる覗きこんでみるが、真下の亀裂がどうなっているのかはよく見えない。かといって、手すりがあるわけではないので、滑ったらあの世行きである。
そこで、サブのカメラを取り出し、現地で組み立てたのが、最新のハイテク兵器、写真25である。貧乏な私にとっては、高級デジカメを失うのはあまりにも痛手なので、予備の靴のヒモで二重に固定する。そして、長い枝を亀裂の上に突き出して、セルフタイマーをセットして苦労して撮影したのが、写真26である。
我が国で初めて撮影された(かもしれない)この写真により、長年謎とされていた深い亀裂の内部の状態が、科学的に明らかにされたのである。ちなみに、写真26の右端に靴ヒモのようなものが写っているのは、惑星探査機が撮った写真に、アームが写っているのと同じことなので、気にしないでいただきたい。
25 遠隔操作自動撮影装置 26 撮影結果
それにしても、こんなコントのような撮影現場を誰にも見られないですんだのは幸いであった。へっぴり腰で長い枝を突き出している怪しいオッサンを目撃されたら、爆弾を海に捨てているテロリストか、死体を捨てている殺人犯と間違えられて、ただでは済まなかったかもしれない。
27 自然研究路 その4 28 自然研究路 その5
29 自然研究路 その6 30 いがいが根
広く開けた海岸に出た。いがいが根である。
31 自然研究路道標
32 いがいが根解説板
33 溶岩の亀裂
こっちの亀裂は、道からよく見えたので写真に撮った。となると、先ほどの苦労は何だったのかということになるが、真上から撮ったことに意義があるということにしよう。
34 自然研究路 その7 35 自然研究路 その8
36 自然研究路道標 37 自然研究路 その9
38 自然研究路案内板
それにしても、ピクニカルコースと違って、この道はワイルドで距離も長い。案内板によるとやっと半分来たところである。時間は、すでに11時に近い。
39 自然研究路解説板 40 自然研究路の石畳
写真39の解説と40の石畳でもわかるように、やはりこの道は江戸時代からある古い道のようだ。街道だったのか、漁師の仕事道だったのかはわからないが、旅人が倒れたという記載もあるし、石畳が当時のものだとすれば、やはり伊豆半島を南に下る街道だったのか。あるいは蓮着寺の参道として整備されたのかもしれない。
41 ばったり 42 美しい樹木
写真41のところでばったり倒れていた江戸時代の旅人は、助かったのだろうか。
43 あかね 44 断崖を見下ろす
45 ヤマモモ 46 自然研究路道標
このあたりは、ヤマモモの群生地だとの解説板があった。
47 びゃくび 48 溶岩の亀裂
アップダウンがかなり激しく、登山と変わらない体力を要求される道である。人が少ないのもよくわかる。しかし、その分、写真49のように、高台からみる海岸の柱状節理は素晴らしいものがある。
49 柱状節理
50 自然研究路 その10 51 自然研究路道標
対島(たじま)の滝は、伊豆高原駅方面から流れてくる小川が、城ヶ崎海岸の断崖で直接海に流れ込んでいる場所だ。
52 対島の滝 53 滝の上流に掛かる橋
54 自然研究路道標
55 自然研究路案内板
吊り橋を渡る。前回訪れた門脇吊橋とは対照的な、誰もいない静かな吊り橋である。
56 橋立吊り橋
57 吊り橋から見た海 その1
58 吊り橋から見た海 その2
吊り橋から見た海の透明度と青さは、素晴らしかった。
59 八幡野側の自然研究路入口 60 地蔵尊
長かった自然研究路もここ、八幡野漁港で終点である。時刻は、12時12分だ。
61 八幡野漁港 62 漁協八幡野ダイビングサービス
ここでは、漁協がダイビングの事業をやっているらしい。漁師とダイバーは、どちらかと言うと相反するものと思っていたが、時代の流れなのか、なんでもありである。こっちのほうが儲かるということもあるのかもしれないが、まあ、若い漁師さんたちも、ダイビングインストラクターという肩書のほうが、モテそうではある。
八幡野からは細い道を上がって、国道へ出る。
63 国道へ 64 国道へ合流
65 国道脇を行く 66 浮山温泉郷正面ゲート
この辺りの海岸地帯は、浮山温泉郷という別荘地? になっていて、海岸を通る公道はないので、国道135号を歩く。
67 浮山温泉郷を南へ 68 国道135号線のパーキングエリア
69 赤沢日帰り温泉館 70 赤沢港を見下ろす
赤沢の集落の手前に、
赤沢日帰り温泉館
があった。ここには、昔来たことがある。それは、下の写真のように、海が一望できる絶景の温泉にどうしても入りたかったからである。残念ながら今日は温泉に浸かっている時間がないが、写真を使わせていただいたお礼に宣伝しておこう。
71 歩道 72 三島神社
赤沢の港と集落を抜けた海岸沿いに、赤沢の露天風呂がある。無料の露天風呂として紹介しているサイトもあるが、現地に来てみると、現在は足湯ということになっていて、裸になることを禁止しているようだ。元々は地元の方が入っていた共同風呂だったのが、観光客に知られて問題が起きたのだろうか、と心配してしまった。
73 あかざわ足湯 74 あかざわ足湯警告板
75 あかざわ足湯
訪れた時は、子供とお母さんたちががプール代わりに遊んでいて、露天風呂というよりも海の見える無料温水プールと化していた。ただし、すぐ下に波打ち際があり、海を見ながら入浴できたら素晴らしいだろうな、と思わせるものだ。
76 あかざわ足湯からみる赤沢海岸
赤沢温泉を過ぎると人家がなくなり、国道の歩道も無くなってしまった。崖下のわずかなスペースも草刈がされていないので歩き辛い。
77 伊豆大川へ その1 78 伊豆大川へ その2
大型対向車が来る度に、崖に身を寄せて、恐怖の国道を進む。
79 伊豆大川へ その3 80 赤崎橋
短い隧道を車が来ない間に走って抜けると、市町境界標識があった。東伊豆町へ入ったのである。
30分ほど歩くと、ようやく大川川の橋が見えて、助かった。大川温泉の集落に入ったので、もう大丈夫だろう。しかし、こんな道ばかりでは、命がいくつあっても足りない。安心したのか、ここで、一気に疲れがでた。前半のアップダウンの多い海岸線のトレイルでも予想外に体力を消耗したようだ。次の駅まで行く気力もなくなったので、コンビニで仕入れたビールとフランクフルトで、休憩である。いや、反省会かもしれない。それにしても、海岸沿いのコンビニの駐車場の片隅でこんなことをしている姿は、知り合いには見られたくないが、たまらなく開放的で自由な気持ちになる。放浪の旅の醍醐味である。
81 向井田橋 82 ローソンの駐車場で休憩
83 大川温泉入口の標識 84 伊豆大川駅入口
14時19分、伊豆大川駅に到着した。しかし、次の上り列車は15時19分までない。駅員さんに確認したが間違いないようだ。1時間待ちである。単線のローカル線なので仕方がない。次の駅まで歩こうかとも思ったが、やはり気力がわかない。
駅前には何もないが、唯一あるのが足湯であった。ここは、のんびりすることにして、靴を脱ぐ。贅沢なことに源泉かけ流しである。足湯どころか駅にも誰も来ないので、素足のままで、足湯のベンチに寝っ転がりながら、ぼんやりと時間をつぶす。それにしても静かな駅だ。
85 伊豆大川駅 86 伊豆大川駅駅前の足湯
87 駅前案内板
1時間待ってようやくやってきたリゾート21に乗り込んだ。
88 熱海行き普通列車
GPSによる本日の歩行経路(時間:5h13m 距離:19.8km 累積標高:+457m -529m)
今日は
城ヶ崎海岸の後半戦だった。前回はまさに観光地であったが、今日の自然研究路のほうが、城ヶ崎海岸の本当の姿を知ることができるコースである。伊豆半島がまだ未開の秘境だったころの歴史を感じながら、溶岩と海岸自然林の調和が素晴らしい海岸を歩くことができた。距離は伸びなかったが、中身の濃い海岸行だったと言える。シーサイドトレイルとして、アウトドア界でももっとメジャーになっても良いのではないだろうか。
そして、恐怖の国道をやっとの思いで通り抜けた本日の終着点の伊豆大川は、海と山に囲まれた静かな温泉地であった。
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