海岸線をどこまでも
本州一周(になるかもしれない旅) 千葉県房総半島外房を北上中
◆第12+18日目(2008年12月6日) 勝浦駅 〜 浪花駅
前回、安房天津駅へは、東京駅から「わかしお1号」に乗って行ったが、えらく早起きしなくてはならない。今日は土曜日である。一応、サラリーマンをやっている身としては、金曜日までは、夜遅くまで全力で働かなければならない。ということで、1つ電車を遅らせることにした。とは言っても5時起きに変わりはない。
この「
新宿わかしお」という
列車は名前のとおり新宿から来るらしいので、東京駅ではなく錦糸町から乗ることになる。錦糸町には申し訳ないが、やはり東京駅や新宿駅のように始発の大きな駅でないと、何となく旅立ちの気分が出ないものだ。とかなんとか言っているうちにいつものとおりゴルフ客が途中で降りて、9時過ぎに勝浦駅に着く。
1 錦糸町駅の新宿わかしお 2 勝浦駅ホーム
勝浦駅の反対側のホームには、写真2のように上りの特急が止まっていたが、よくみると顔が違うのに気がつく。上り列車のタイプは内房線でよく見た気がする。調べてみると写真1は
255系
、写真2の上り特急は
257系500番台
という形式だそうである。ちなみに、昔は
183系
であった。前回の帰りに会った臨時快速に使われていたクラシックな色の電車である。
写真1の255系が1993年登場というから、もう15年たつ。257系500番台は2004年からということで新しいはずだが、どちらかといえば255系の方が未来的な顔をしているように感じる。ちなみに、255系は、成田エクスプレスの兄弟車、257系500番台は、中央線の特急あずさの兄弟車両らしいが、一般人がたまに乗る限りでは、色や客席は似たような感じで、先頭車でしか見分けがつかないだろう。
3 勝浦駅 4 勝浦港
港に着くと天気は良いのだが、非常に風が強いのに閉口する。写真を撮るのにも、体が安定しないほどである。そんな中で、朝市が開かれていたのでちょっと寄り道してみる。地元の人も結構いるようだ。
5 朝市 6 勝浦港 その2
八幡岬を目指して、強風の中を行く。
7 千葉県栽培漁業センター 8 八幡岬公園入り口トンネル
写真9を見ていただければわかるが、あまりの強風に海に白波がたっている。この公園は、
勝浦城
址でもある。勝浦城には、正木氏という武将がいて、房総最大の水軍の根拠地であったらしい。
9 八幡岬公園から勝浦湾を見る
10 勝浦城址解説板
やがて、公園の先端、八幡岬に着く。景色の良い整備された広場だが、いかんせん風が強くて、崖から落ちないようにするだけで精一杯である。
11 八幡岬公園 その1 12 八幡岬公園 その2
13 八幡岬公園 その3 14 八幡岬公園 その4
15 お万の布さらし解説板
16 お万の方解説板
17 八幡岬から東を望む 18 お万の方像
勝浦城も、里見、北条、豊臣、徳川と時代毎の支配者によって翻弄されてきたようだ。
19 八幡岬公園 その5 20 岬の上から望む勝浦湾
八幡岬を後にする。それにしても、写真22を見ると勝浦城がとんでもないところにあることがわかる。戦国時代の城は、難攻不落の地であることが一番重要であったことが伺える。
21 遠くに見える勝浦灯台 22 八幡岬を振り返る
灯台は、観光地になっているわけではなく、密やかに立っているが、なかなか立派なものである。
23 勝浦灯台解説板 24 勝浦灯台
ここも、水軍の根拠地であったことが伺える断崖絶壁の入り江が入り組んだ地形だ。
25 灯台の絶壁 26 矢の浦付近
やがて、官軍塚というところに着く。展望台があり、そこからの眺めはすばらしい。由来は、説明文を読んでいただいた方が話が早い。今度は、戦国時代ではなく、明治維新の時代に飛ぶ。細川元首相の先祖の話らしい。
27 官軍塚 28 官軍塚から北方面を望む
29 官軍塚の碑
30 官軍塚解説板
31 官軍塚全景 32 川津漁港を見下ろす
官軍塚から、海に向かって路地を下る。
33 川津漁港近くですれ違ったおばあさん 34 漁港近くの街並み
35 漁協川津支所 36 川津漁港
漁港には、元漁師だろうか、年輩の人たちがたくさんいた。漁協の建物の一角には、居酒屋があり、朝から楽しそうな一杯が始まっているようである。写真に撮りたかったが、お年寄り達からの好奇の視線が突き刺さり、それは叶わなかった。
37 川津神社 38 川津漁港防波堤
39 蘇鉄越しに防波堤を望む 40 懐かしいポスト
港と漁協、海に向かって建立されている神社と、典型的な漁村風景である。
41 海辺の道 42 沢倉漁港
崖崩れだろうか。
43 豊浜小学校近くの入り江 44 災害復旧工事
小型だが、バスが走っている。
45 豊浜漁港 その1 46 狭い道を行くバス
やがて、少し開けた場所に出た。稲子川の河口である。大学生用のアパートがあった。
47 豊浜漁港 その2 48 大学生用アパート
49 稲子川河口
河口では、カラスが盛んに何かをつついている。スクープの予感がしたので近寄ってみたところ、カラスがついばんでいたのは、写真51の生物の死体であった(もちろん人ではないので安心してほしい。)
長さは1mを優に越える大きなものである。最初はマグロかと思ったほどだ。さすがに、この衝撃的な写真をそのまま載せるのはまずいので、もし、どうしてもみたいという方は、写真51の右側をクリックしていただくことになる。ただし、心臓の弱い方、食事中の方は避けていただいた方がよいと思う。結果について筆者は責任を持てない。
50 カラスの食事風景 51 カラスがつついていたものは?
無修正板
(グロいので注意)
この正体についてであるが、口の部分に牙らしきものが見えるので、素人判断では海獣ではないかと思う。齧歯類にしては大きすぎる。もし、鴨川シーワールドとか海洋生物環境研究所などの専門家がご覧になっていれば、ご意見をいただけるとありがたいと思う。
さて、自然界の残酷さをよそに、のんびりとした海岸線と家並みが続く。
52 部原付近の防波堤 53 民家の軒先
54 部原海岸 その1 55 部原海岸 その2
このあたりは、部原(へばら)海岸というらしいが、普通は絶対に読めないだろう。ここには、綺麗な駐車場と、レストランやマンションがあり、ちょっとした、若者好みのサーフスポットになっている。
このデニーズには、サーフィンに来た木村拓哉がいたとか、近くには酒井法子と自称プロサーファーの元夫が借りていた別荘(ドラッグハウス?)があるなど、話題には事欠かないようだ。
56 海辺のレストラン 57 デニーズ勝浦店
天気も景色もよい。ここで、デニーズに入って一休みしたいという欲望を理性で何とか抑え、駐車場の片隅でボトルから水分補給しながら、地図を広げて前方のトンネルの攻略法を考える。
58 部原海岸 その3 59 部原海岸 その4
60 青いレストラン 61 東魚見トンネル入り口
地形図ではわかりにくいが、
Yahooの地図
を見ると、この先の4本のトンネルを迂回できる細い道が山側にあるではないか。その分岐点が、写真61の左側の道である。この道を入っていくと、衛生処理場に着いた。
ここから山の方へ歩き始めると、処理場のバキュームカーの運転手さんが、何か叫んでいる。どうもこの道は抜けられないと言っているようだ。地図には明記されているので、行けるはずだと思ったが、ここは、地元の人の忠告を素直に聞くべきだろう。
というわけで、歩道のないトンネルに突入すると、写真63のような恐ろしい目に遭うことになる。
62 衛生処理場 63 東魚見トンネル内部
東魚見トンネルを越えると、そこはもう御宿町である。廃屋になったドライブインがあったが、海岸へ降りる階段とバス停は残っていた。
64 御宿町境界 65 ドライブイン廃屋の海岸への階段
66 御宿トンネル付近の海岸 67 御宿漁港
漁港を過ぎると、いよいよ御宿海岸である。
68 漁港の堤防 69 御宿海岸 その1
この町は、この海岸を一番のウリにしているが、確かに広々とした美しい海岸である。白い建物が風景にとけ込んでいる。
70 御宿海岸 その2 71 御宿海岸の空
72 御宿海岸 その3 73 波を見つめる
74 海辺の白い建物
75 ウォーターパーク付近の道 76 清水川
ここ、御宿海岸は、画家であり詩人でもあった「
加藤まさを
」という人が、有名な童謡である「
月の沙爆
」を発想した場所とされており、御宿の町おこしに一役買っている。
実は、この歌には個人的な思い出がある。父親がよく風呂の中で歌っていたのが、この月の沙漠であった。「つきのぉぉぉ〜〜 さぁばぁくぅをぉぉぉ〜〜 はぁるぅぅ〜ばぁるぅとぉぉぉぉぉ〜」と子供の頃に何度も聞かされたおかげで、大正時代の歌にも関わらず、小学校に上がる前から覚えてしまった。
ちなみにこの歌がラジオでヒットしたのは昭和7年以降ということなので、昭和4年生まれの父は、ちょうどリアルタイムで聞いていたのだろう。今頃は、天国で風呂に入りながら、気持ちよさそうにこの歌を歌っているはずである。
77 月の沙漠公園
橋の向こうには、月の沙漠記念館がある。ちなみに、加藤まさをという人は、少女趣味に詳しく、当時の雑誌で人気を博したそうだ。画家というよりも、現代の人気イラストレーターか少女漫画家に近い存在であったらしい。
78 月の沙漠記念館への橋 79 ビーチバレーコート
80 月の沙漠記念館 81 御宿海岸を望むベンチ
清水川を渡ると、岩和田海岸である。
82 岩和田海岸 83 謎の洞窟
のんびりした海岸沿いの道をしばらく行くと、やがて道は海岸を離れて登りとなる。途中で左に折れると、メキシコ記念公園である。なぜこの名前が付いたかは、解説を読んでいただきたい。
84 専修大学御宿セミナーハウス 85 メキシコ大統領来訪記念碑
86 メキシコ記念塔 87 メキシコ記念公園
88 メキシコ記念塔解説板
高台にあるこの公園からの眺めは、写真89のとおりである。
それにしても、官軍塚といい、メキシコ記念塔といい、この地が難破船の漂流地であったことと、地元の人たちが単なる親切を通り越した、極めて国際的かつ人道的な感覚を持っていたことが伺える。
89 メキシコ記念公園から岩和田漁港を望む 90 正面から見たメキシコ記念塔
91 メキシコ記念塔近影 92 小波月?
メキシコ記念公園を後に、景勝地小波月という看板につられて海岸に出るが、写真92がそうなのかはよくわからなかった。これに懲りて、つぎの大波月の看板はスルーする。
93 ペンションの看板 94 大波月方面?
突然現れた工場のような施設の横に写真96の看板が立っていた。海岸に降りていく。
95 謎の豪邸 96 ドン・ロドリゴ上陸地点の解説板
先ほどの、記念塔の発端となった上陸地点がここである。断崖絶壁に囲まれた場所で、当時は砂浜があったのかもしれないが、よくこんなせまい場所に300人以上の人たちが流れ着いたものである。不安でたまらなかったことだろう。
先ほどの工場のような施設は研究所で、道路の反対側に立派な施設が建っていた。
97 ドン・ロドリゴ上陸地点 98 海洋生物環境研究所
99 岩和田の山中 100 千葉県水産情報通信センター
山の中の一本道をひたすら歩く。その心細さが、かえって、日常の現実を一時的にせよ、忘れさせてくれるような気がする。
101 海洋生物環境センターを見下ろす 102 いすみ市小池付近
やっと小さな集落にたどり着き、海岸を目指して右折する。トンネルを過ぎると、やがて、池が見えてきた。
103 山神社 104 ひょうたん池
構造から見て、人工的なため池のようだ。堰が道路となっており、反対側の低地は写真105のとおり、平坦な草原になっているが、どう見ても田圃の耕作放棄地である。
105 ひょうたん堰下の耕作放棄地 106 釣師海岸 その1
そして、ついに、海岸に着いた。釣師海岸というらしい。写真108の崖は手すりもなく、夜や酔っぱらったときは絶対に近づきたくないところだ。解説板によると、房総一の男性的な風景らしい。ネットで調べると、このあたりには、断崖絶壁に囲まれたプライベートビーチのようなところがいくつかあるということだ。
107 釣師海岸 その2 108 釣師海岸の崖上
地図を見て予想はしていたことだが、この岩船地区は、山と断崖絶壁により地理的に孤立しており、集落も秘境のような独特の奇妙な雰囲気がある。
109 釣師海岸の別荘? 110 小さな神社
この地区の精神的な中心地は、この岩船地蔵尊である。海岸には、六人のお年寄りが仲良く並んでいる。何があるのだろうか。
111 岩船地蔵尊遠景 112 六地蔵ではなく六....
この地蔵尊前の交差点が、岩船地区の中心地でもあり、バス停と漁港がある。誰もいないと思ったら、お年寄りが結構歩いていて意外な気がする。
113 地蔵尊前 114 岩船地蔵尊 その1
地蔵尊は海に突きだした海蝕台の上にあるが、現在は周りをコンクリートとテトラポッドで囲まれ、やや情緒に欠ける。しかし、放っておいたら、いつかは崩落するはずなのでやむを得ない措置なのかもしれない。
115 地蔵尊解説板 116 岩船地蔵尊 その2
117 岩船地蔵尊 その3 118 岩船地蔵尊 その4
海辺の厳しい風雨にさらされたお地蔵様は、バックの海によく似合う。後ろの列のお地蔵様はかなり古いものなのだろうか。顔の表情がすでにわからないほどになっているのが、かえって心に何かを訴えてくるようだ。
119 地蔵尊から北側を望む 120 地蔵尊から南側を望む
121 岩船地蔵尊 その5 122 有料トイレ
有料のトイレがあるが、料金はなんとこのご時世に20円である。申し訳ないので、お金持ちで太っ腹の私は、利用した後に5円も余分に寄付しておいた。良いことをした後は気分がいい。
123 岩船地蔵尊を後にする 124 洞窟の門がある民家
トンネルを過ぎると、また、山里の風景になる。美田だ。ひょうたん池の下流に当たるのだろう。
125 杉山地区の里の風景 126 田圃
127 光明寺 128 浪花小学校
とても懐かしい光景のお寺や小学校を経て国道を渡り、駅を目指す。体力的には大丈夫だが、初冬の日暮れは早い。時間切れである。今日は大原駅まで行くことは出来なかった。
129 ザリガニを釣る少年 130 浪花駅
浪花駅はローカルな無人駅であるが、駅の看板だけは、どこにも負けない美しさであった。
131 浪花駅看板
今日は、八幡岬から、リアス式の海岸を進み、途中で部原海岸、御宿海岸と美しいビーチを過ぎ、断崖絶壁の海岸が続く岩船地区にたどり着いた。このあたりは、地形の厳しさから海岸沿いを進めないが、それだけに幹線道路や鉄道を離れたちょっとした秘境とも言える雰囲気を味わうことが出来た。この断崖絶壁はもう少し続きそうである。
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