海岸線をどこまでも 本州一周 (になるかもしれない旅)  現在鹿島臨海工業地帯を踏破中
 ◆第12+27日目(2010年10月16日)鹿島ポートホテル 〜 鹿島セントラルホテル 


 昨日は、銚子から30kmのロングラントレイルで疲労困憊したが、夕方なんとかホテルに辿り着いてゆっくり休養した。しかし、一晩寝れば体力が快復する年代をとうに過ぎている身としては、今日の行程は不安が募る。少し歩いてみると下半身の筋肉と関節に多少の痛みはあるが、何とか大丈夫そうである。出発だ。天気は良い。
 埋立地特有の、四角い区画を真っ直ぐに貫く広い道路を歩き出す。右手には、大きな工場の煙突が見える。その向こうには港らしき青い海が少しだけ顔をのぞかせたりする。

  1 鹿島ポートホテルを出る              2 鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の踏切
   





        3 出羽貝塚解説板
   

 貝塚があった。縄文時代の海岸線である。鹿島灘産のハマグリや猪肉が主食とは、なかなか贅沢な身分である。

  4 出羽貝塚                     5 般若寺
   

 網元の住宅が残っているということで、行ってみることにしたがなかなか見つからない。軽トラに乗り込もうとしていた地元のおじさんに場所を聞くと、すぐ隣だと言って率先して案内してくれた。言葉はぶっきらぼうだが、根は親切な人である。まだ、開いていない。時間が早く、管理人が来ていないらしい。おじさんが管理人に連絡しそうな勢いだったので、またあとで来ますからと言って、収めてもらった。「能書きはそこだ。」というので、写真8のとおり撮影する。

  6 山本家住宅 その1                7 山本家住宅 その2
   

    8 山本家住宅解説板
   

 「江戸時代の家がよく残っていましたね。」と言うと、おじさんは誇らしげに「ここには4軒の家があったんだが、他の家は放火されて燃えてしまった。」という。その中には、今おじさんが住んでいる家もあったようだ。つまり、このおじさんも、山本家に関係する漁師の家に育ったのかもしれない。

  9 山本家住宅 その3                10 山本家住宅 その4
   

 親切なおじさんにお礼を言って、先に進む。



 神之池についた。地図で見ると細長い形をした池で、周辺は緑地になっている。その形から、人工的な水路だと思っていたが、先程の山本家住宅の説明板によると、江戸時代からあったような記述がある。この池の生い立ちはどうなっているのだろうか。

  11 神之池 その1                 12 神之池 その2
   

  13 神之池 その3                 14 神之池 その4
   

 学生から中年まで、走ったり散歩したりする人が多く、休日の朝らしい公園の賑わいである。なかなかいい感じだ。

  15 神之池 その5                 16 神之池緑地 その1
   

  17 神之池 その6                 18 神之池 その7
   

 緑地公園の中の芝生では、老人たちが真剣なまなざしで大きめのボールを転がしていた。まるで、鹿島地区に住む老人が全部集まったかのような盛況である。

  19 グラウンドゴルフ大会              20 神之池 その8
   

 対岸は緑地の向こうに、煙突、風車、高圧電線が見え、ここが紛れもない工業地帯であることをしめしている。

  21 神之池 その9                 22 神之池緑地 その2
   



  23 神之池と神栖市文化センター           24 ふれあい橋
   

 池のちょうど真ん中には、浮橋が架かっていた。奥多摩湖で見たあの浮橋よりも少し立派な造りである。

  25 ふれあい橋から東側を望む            26 ふれあい橋から西側を望む
   

    27 神之池解説板
   

 この解説を読んで、ちょっとショックを受けた。形から人工的なものだと思っていた池が、実は自然にできたもので、しかも、元々はとてつもなく大きな池だったのだ。かつての池は、工場と鹿島港の水路になっているのである。
 此処から見る対岸ははるか彼方だったことだろう。

  28 ふれあい橋から市役所方面を望む         29 神之池緑地 その3
   

 それでも、人工の護岸にも少しは自然が残っていて、のんびりした雰囲気を味わうことが出来る。ただし、頭上には高圧電線が何本もあるのが、工業地帯らしい。

 30 神之池 その10




  31 神之池北西端                  32 北西端の水門
   

 すっかり小さくなってしまった神之池を後に、鹿島港の中心部、港公園をめざす。

  33 鹿島臨港線踏切                 34 踏切からみた水戸方面の線路
   



 工業地帯の真っ直ぐな道路の両側には、工場の広い敷地が広がっているが、なぜか空地になっている工場も多い。道の北側には飼料会社が多いようだ。

  35 飼料会社工場                  36 海員組合と港湾福祉センター
   

  37 鹿島埠頭株式会社                38 茨城県鹿島港湾事務所
   

 港湾施設を管理する事務所が立ち並んでいる。このあたりが、鹿島港の中枢と言って良いのだろう。突き当りが港公園である。地図によると、なぜか、この公園に来る道は1本しかない。また、この殺風景な道を引き返さなければならないかと思うと気が滅入るが、とにかく公園の中に入ってみよう。

  39 港公園入口                   40 昭和産業鹿島工場
   



 芝生が広がる公園で目をひくのはなんといってもこの巨大な塔である。パラボラアンテナのようなお椀が付いているのが特徴的だ。

 41 港公園と展望塔


 190円を払って展望塔に入る。受付の女性に、「エレベーターはありますか。」と聞いたところ、笑いながら「ありますよ。」と答えてくれた。有料なのに階段で登るのであれば、文句の一つも言いたくなるというものである。なぜこんなことを考えるかというと、要するに昨日今日の歩行で肉体が疲れているからに他ならない。
 とりあえず一人でエレベーターに乗り、展望塔についた。ガラス張りの展望台からの眺めは素晴らしい。横のドアが空いているので外に出てみると、360度、さらに素晴らしい展望がひらけていた。ただし、風が強い。

  42 展望塔内部                   43 神栖市街地方面
   

 特に目をひくのは、鹿島灘に向かって正面左に広がる、まるで爆撃を受けて廃墟になった、あるいは、近未来の見捨てられた港のような、茶色の建物群と船である。
 もちろん、これは現役の製鉄所であり、廃墟ではないが、どこまでも広がる錆びた鉄の色がなんともいえない威圧感を感じさせる。SF映画のような、なかなか見ることのできない非日常的風景だ。

 44 展望塔から住友金属工業鹿島製鉄所方面を望む


 製鉄所よりさらに左に目を移すと、パルテノン神殿のような柱が林立する工場の横の埠頭に船が横付されていた。おそらく、穀物を積んできて、飼料(食品?)工場に降ろしているのだろう。

  45 神栖市街地方面                 46 東京電力・鹿島石油方面
   

 鹿島灘に面しているのが、中央航路である。鹿島港は、ちょうどYの字になっており、中央航路から北航路と南航路が分岐している。中央航路の北側は住友金属、右手の南側はタンクが並び、東京電力鹿島火力発電所と鹿島石油になっている。

 47 中央航路と鹿島灘


  48 南航路                     49 LNG船
   

 展望塔から降りて、公園に戻る。横浜港のような華やかさはないが、川崎港や千葉港より、少し潤いがあるような気がする。

  50 港公園から見る鹿島港              51 展望塔
   



 再び、同じ道を戻る。今日は天気は良いのだが、疲労でやや体と心が重いので、このまま神栖市の中心街に戻ることにした。その道の途中には、飼料会社から国内各地の畜産地帯へ出荷されると思われる飼料が、上からのパイプを通ってトラックに積まれていた。
 我が国の卵や牛乳はほとんど国内で生産されているが、肝心のエサは、その多くがこうして外国から輸入されているのである。牛や豚の肉も同様だろう。つまり、肉、乳、卵も実は輸入品なのである。

  52 飼料の積み出し施設               53 飼料の積み出し
   

 このような構造のため、道路はなんとなく粉っぽく、道には飼料が散乱している。

  54 路上に散乱する飼料               55 鹿島臨港線踏切
   

  56 臨港線水戸方面                 57 和田山緑地 その1
   

 踏切を渡ると、ベルト状に細長く緑地帯がつづいている。和田山緑地である。なぜこんな形で緑地があるのかと思っていたが、現地に来て納得した。高圧電線の下が、緑地になっているのである。

  58 和田山緑地 その2               59 和田山緑地 その3
   



 緑地から住宅街を抜けて、広々とした道を鹿島セントラルホテルに向かう。神栖は旅客鉄道の駅がなく、東京への公共交通機関は、高速バスが主流である。そのターミナル、すなわち神栖の中心になっているのが、鹿島セントラルホテルである。神栖セントラルホテルではない。
 ここから頻繁に高速バスが出ており、東関東自動車道を通って東京と結ばれている。

  60 メインストリート?                61 鹿島セントラルホテル
   

 ホテルの中にある待合室に着くとすぐに、みんなが立ち上がり始めた。バスが来たらしい。急いで乗車券を買ってバスに乗り込む。

  62 ホテル内                    63 東京駅行き高速バス
   

 バスは、水郷地帯を通って、東京駅へ向かう。車窓から撮った写真は、窓ガラスを通したため、青みがかっていた。

    現在地                      64 利根常陸川橋から外浪逆浦を望む
         

  65 利根川橋から下流を望む             66 東京駅日本橋口
   

 首都高を降りるとすぐに東京駅に着いた。東京駅には、いつの間にか、日本橋口という出入口が出来ていた。
 
 今日は、昨日の鹿島灘海岸とはうって変わって、鹿島臨海工業地帯を歩くことになった。工業地帯ほど歩いていて辛い場所はない。横浜や川崎の京浜工業地帯でも、その味気なさと疎外感に悩まされたものだった。しかし、ここは、池や緑地帯、公園があったおかげで、なかなか変化があり、少し救われた気分である。50年前であれば、日川浜からそのままビーチが続き今頃はかなり先まで進んでいたはずである。このように内陸部の大幅な遠回りを余儀無くされた理由は、鹿島港が掘り込み式の港であるからだ。

 単なる長大な砂浜であった鹿島灘を掘り込んで港を造るという発想は、なかなかスケールが大きい。しかも、これほどの自然破壊を伴う大規模開発は、高度成長期の日本でなければ成し得なかっただろう。しかし、開発のおかげで、地域が豊かになったことも事実である。今日は、その結果として、現在も日本を支え続けている鹿島港と鹿島工業地帯をじっくり観察することが出来た。次回は、再び鹿島灘海岸の自然の砂浜に戻れるだろうか。

 (本日の歩数:24441歩)


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