一乗谷 栄華を誇った越前朝倉氏の城下町            

◆ 2020年9月24日
       
                       

 昨日は、現存12天守で最後に残っていた丸岡城を訪れることができた。福井市内で一泊したあと、今日探訪するのは、一乗谷である。越前に柴田勝家が築城した丸岡城から、もう一代前に時代を遡り、主人公は信長より前に越前を支配していた朝倉義景である。

 ちょうど今、放映されている大河ドラマ「麒麟が来る」では、主人公の明智光秀が美濃を追われたあと、越前の朝倉義景を頼ったことがかなり詳しく描かれていたが、その朝倉氏の本拠地が、一乗谷である。応仁の乱で京都が荒廃したので、公家や文化人も集まった、当時日本でも有数の繁栄を誇った城下町である。ドラマの中でも光秀が義景に謁見し、足利義昭も歓待を受けていたあの館のある場所だ。これを書いている2020年12月現在、大河ドラマでは、朝倉氏は信長と戦っている。ただし、光秀は足利義昭のもとを離れ、すでに信長の家臣なので、昔世話になった朝倉義景とは敵同士というか、まさに戦っている最中で、なぜ一乗谷が打ち捨てられたのかを説明してくれている。12月20日の放送では、ユースケサンタマリアが演ずる朝倉義景の最期が描かれていた。


               

 この一乗谷は、非常に特異な城下町である。戦国時代の城下町は、そのまま現代の地方都市になっていることが多く、建物が立ち並び、中世の城下町の遺構は破壊されるかコンクリートの下に埋もれているのが普通である。

 が、一乗谷は違った。一乗谷城は険しい山城であり、城下町はその麓の狭い谷に広がっていた。そしてここを滅ぼした、織田信長と柴田勝家は、ここではなく、もっと広い福井平野に、北ノ庄城を築いたわけである。時代は山城から平城の時代に変わりつつあったのだ。そして一乗谷が辺鄙な山中にあったために、そこはそのまま打ち捨てられ、現代までそのままひっそりと土の下に眠っていたのである。これを奇跡と言わずして何と言おう。

 かくして、昭和から平成にかけて発掘調査が行われ、戦国時代の町並みが450年の時を超えてそのままの姿で蘇ったわけである。



 前置きはこれくらいにして、早速探訪レポートに移ろう。まず、福井駅からのアクセスであるが、バスと鉄道がある。鉄道は福井駅から越美北線、別名九頭竜線というローカル線に乗るのだが、難点が2つある。それは本数が極端に少ないことと、駅から一乗谷の遺跡までかなりの距離があることである。バスは直通便が出ている。というわけで、行きだけは非電化のローカル線に乗ってみることにした。昼間は、ダイヤに3時間以上の間隔があり、帰りの時間には、残念ながら適当な列車がないのだ。
 9時8分に福井駅を出発した気動車は、9時25分に一乗谷駅に着く。

 1 一乗谷駅についた越美北線の列車


 鮮やかなオレンジ色の気動車を降りて、のどかな駅に降り立つ。それにしても静かだ。織田信長と500年の歳月が、ここを越前の中心地から辺境の地へと変えてしまった、諸行無常を感じる。

 駅の近くには一乗谷朝倉氏遺跡資料館があるのでまず先にそこに寄ってみよう。なお、道路の反対側には大きな建物を建設しており、新しい資料館ができるのかもしれない。



  2 一乗谷朝倉氏遺跡資料館              3 大河ドラマで使用された光秀と煕子の衣装
   





 資料館で予備知識を仕込んだあとは、いよいよ現地に赴くことにしよう。駅方面に戻って徒歩で一乗谷に向かう。

 4 一乗谷駅の横で線路を越える


 5 西山光照寺跡


 西山光照寺跡についた。かつて一乗谷の入口にあった大きな寺院跡らしい。ここも朝倉氏滅亡後ずっと地中に眠っていたそうだ。



 6 西山光照寺跡の石仏群


 大伽藍のあったこの地も、朝倉氏の滅亡とともに長い眠りについて、このような夢の跡としか言いようがない静寂に包まれている。

 7 春日神社


 一乗谷の入り口にはりっぱな神社があった。いよいよ谷の中に入っていく。

 8 遺跡入口


 谷の入口には、もちろん防御施設があり、誰でも簡単に入れるわけではない。下城戸という名前がついているが、実際の物理的な障害は、巨石と濠である。

 9 下城戸解説板




 10 下城戸の濠跡
     

 まるで江戸城の入り口のような巨大な石の施設である。この谷全体が城のようなものと考えたほうが良さそうである。

 11 下城戸の巨石群


 下城戸をすぎると、遊歩道が整備されており、とても歩きやすい。当時の道はこんな感じだったのだろうか。

 12 再現された道を歩く
     

 いよいよ一乗谷の中に入っていく。谷の大きさ、すなわち左右の山の間隔はそれほどでもなく、京都のような広大な平地というわけではない。もちろん、城下町全体の防御のためである。

 13 瓢町地区へ


 この光景、素晴らしいとしか言いようがない。戦国時代と変わらないであろう山々に囲まれた城下町の様子がはっきりと想像できる。道路、町並み、見事に再現、いや復原されている。

  14 カワラケ職人屋敷跡               15 井戸跡
   

 敷地の境界、そして井戸が各戸に掘られている。水が豊富なのも、この街が栄えた条件の一つだろう。ここは、瓢町といい、職人が焼物などを作っていたらしい。

  16 瓢町地区
   

 17 瓢町地区解説板


 18 復元された道路と水路


 19 屋敷を区画する石積み
     

  20 寺院、町家郡地区へ


 足利義昭になったつもりで、ワクワクしながら一乗谷の奥へ....

 21 現在地地図


  22 井戸がある町家の区画


 このあたりは、区画が比較的大きく、寺院が多かったらしい。

 23 墓地跡解説板


 24 寺院跡


 谷は緩やかな傾斜があり、石積みで平坦な区画を作り出している。これなら水利も水はけも良さそうだ。

 25 寺院・町家地区を望む


 26 まちづくり解説板


 このあたりは、商店や診療所が立ち並ぶにぎやかな街の中心地であったらしい。建物はないが、こうして遺構を見ていると500年前の町人たちのにぎやかな話し声が聞こえてきそうである。

 27 町家、医者の屋敷跡


 谷の中央部には、一乗谷川が流れている。一乗谷城は反対側の山の上にあったらしい。

  28 谷の反対側を望む


  29 石段跡                     30 雲正寺地区の礎石建物跡
   

 当時の人達が毎日上り下りしたであろう石段が、すり減ってすこし丸くなった当時のままのリアルな姿で残っている。

 31 復原地区へ

     

 歩いていくと、塀に囲まれた町並みが見えてきた。ここは、当時の建造物が復原されて、想像ではなくリアルな戦国時代の城下町をこの眼で見ることができる。

 32 復原された一乗谷の町並み


 これほど迫真のテーマパークがあるだろうか。私にとってはディズニーランドのような虚構よりも、何百倍も価値があるように感じられる。リアルな戦国の世にタイムトラベルした気分である。

 当時は、庶民は武家屋敷の中に自由に入ることはできなかっただろうが、現代人にはその自由がある。刀の代わりにカメラを持って、堂々と門をくぐろう。

  33 武家屋敷入り口                 34 武家屋敷内部
   

 中庭や倉庫、使用人の部屋などがあり、かなり身分の高い武士のようだ。

 35 復原武家屋敷解説板


 とはいっても、やはり現代の感覚からするとそれほど広いわけでもなく、どこで寝ていたんだろうという感じである。ここでボランティアの女性が色々解説してくれたので、とてもたすかった。その女性に、一番疑問に思っていたことを聞いてみた。それは、ここが発掘前はどのような状態になっていたのか、ということである。答えは、田んぼだったそうである。その下にあったために、この中世の遺跡が破壊されることなく、現代まで残ったのだ。ここに江戸時代から現代まで、街ができなかった奇跡を喜ぶしかない。

 もうひとつ、ちょっと意地悪な質問をしてみた。これだけの繁栄を誇った朝倉義景がなぜ天下を取れなかったのか、ということである。これには正面から答えを言ってくれなかったが、素人としては大河ドラマの中でユースケサンタマリアが演じていた内容で納得できるような気もする。もう一つの理由は、この後訪れた館跡で明らかになった。

 それに、信長が朝倉義景を討たなかったら、一乗谷の遺跡は残らなかっただろう。義景が信長を討ち損じなかったら、あるいは天下人としての器量があったなら、ここに福井県庁、いや幕府があってもおかしくないのである。

 36 武家屋敷と塀が続く


  37 武家屋敷門                   38 武家屋敷を隣から望む
   

  39 商業地区                     40 井戸
   

 こちらは商業地区らしく、本当にここに住んでいたのか、と思うほど狭くて質素である。日本人がウサギ小屋に住んでいるのは、この時代も同じようだ。
 江戸時代の町並みは、妻籠宿に残っているが、それと比べても建物の造りなどかなり質素である。戦国時代の建物というと安土城などの大きな城ばかりが想像されるが、一般庶民の暮らしは貧しかったのだろう。

  41 呉服屋?                    42 門
   

 当時の衣装の女性がいたので、写真を撮らせてもらった。当時は木綿が非常に高価で、麻が使われることが多かったそうだ。

  43 当時の再現衣装                 44 瓶の並ぶ商店?
   

 45 武家屋敷解説板


 家臣の屋敷で復原された町並みは終わる。

 46 家臣の屋敷?


 47 米津(金工師)屋敷?


 休憩所があり、ここで帰りのバスの時間を確認して、川の反対側に移動する。こちらは、主君とその一族が住んでいたゾーンである。
 一番南側にあるのが、側室である小少将が住んでいたという諏訪館跡であるが、とても広く、立派な庭園がある。

  48 諏訪館跡

     

 49 諏訪館跡庭園解説板


 50 諏訪館跡庭園


 側室、つまり愛人だったにもかかわらず、不釣り合いなほどものすごく豪華な屋敷と庭である。それもそのはずで、小少将は義景の大のお気に入りだったらしい。跡継ぎを亡くして失意にあった義景は小少将を溺愛し、政治をおろそかにしたことが朝倉家滅亡の遠因になったと言われている。今はただの更地だが、義景が毎夜ここに入り浸ったのかと思うと、興味深い場所である。なので、小少将は美人だったはずだが、残念ながら麒麟が来るには出てこなかったようだ。

 51 諏訪館から中の御殿へ


 諏訪館の北にあるのが、義景の母親が住んでいたという中の御殿である。側室のいる諏訪館と義景のいる朝倉館の中間にあり、微妙な立地である。



 52 中の御殿南門


 53 中の御殿跡


 54 中の御殿解説板


 ここからは、当主義景の館が見下ろせる。

 55 中の御殿から朝倉館を望む


 56 湯殿跡庭園解説板


 57 湯殿跡庭園


 58 朝倉館解説板


 ここが、大河ドラマで朝倉義景と足利義昭、明智光秀が宴会をしていた場所だ。流石に大きくて立派な館である。豪壮な建物が建っていたのだろう。ちなみに、一乗谷の城下町の上城戸の南側に南養寺という寺の跡があるが、義昭はそこに滞在していたらしい。

 59 朝倉館跡


 義景の墓所があった。実際は、義景は信長に敗れた後、一乗谷を捨てて、家臣の領地である大野に落ち延びたが、そこで家臣に裏切られて最後を遂げている。つまり、ここは義景の最後の地ではなく、ここと大野と両方に墓所があるようだ。

 60 朝倉義景墓所


 61 朝倉氏庭園解説板


 62 朝倉館跡庭園


 ここにも立派な庭園がある。建物は失われたが、500年前の姿をそのまま残している庭園の石は、彼らの美的感覚そのものである。義景もこのように庭石を見ていたに違いない。

 63 朝倉館跡解説板


 64 朝倉館西門


 西門は、中国風になっているが、これは江戸時代に建てられたようだ。

 さて、肝心の一乗谷城であるが、山城であるため、険しい山道を延々と登らなくてはならない。今日は時間がないので、残念だがまたの機会にしよう。現代にそのままの姿で蘇った栄華と悲劇の城下町は、朝倉義景の栄光と悲劇がそのまま現代まで息づいているような気がした。



 楽しかった戦国時代へのタイムトリップも時間切れとなってしまった。帰りは、残念ながらローカル線のダイヤがスカスカなため、バスで福井市内まで戻ることにする。

 この遺跡の素晴らしさは本文の中で何度も書いたので繰り返さないが、是非自分の目で見ることをお薦めする。福井駅で買った美味しいお菓子のお土産を新幹線車内に忘れたことだけが心残りである。

本日の歩数 (11,937歩 )

 関連サイト ◆丸岡城(2020年9月23日)

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