北千葉導水路1・手賀沼 探訪

 千葉県北部の利水、治水のために作られた、利根川と江戸川を結ぶ人工水路の大規模プロジェクト
2021年1月1日  北千葉導水路1 (利根川・北千葉第一機場〜手賀大橋)


 前回の水の旅は、初めての運河だった。明治時代に作られた、利根川と江戸川をショートカットする利根運河である。この水路は、運河の役割を終えた高度成長期には利根川の水を江戸川に流す役割を果たしたことを知った。そして、その後に同じ目的で作られた北千葉導水路の存在を知った時、それをこの目で見てみたい衝動が抑えられなくなり、現地を訪れることにした。

 その前にルートの確認と計画を立てよう。まず東端の利根川側は、印西市と我孫子市の境界だが、成田線が走っているのでそれほど行きにくい場所ではなさそうである。西端の江戸川側は松戸市となり交通は不便だが、都内に近いのでかなり市街化が進んでいるようなのでなんとかなりそうである。水路の総延長は28.5kmだが、駅からの距離などを含めると40km以上になるはずである。2日間で歩けない距離ではないが、ここは無理をせず3回に分けることにした。



 我孫子駅で常磐線から成田線我孫子支線に乗り換えて、木下駅で降りる。初めて乗る路線だ。「きのした」ではなく「きおろし」と読むそうだ。



 北口に降りると駅前はとても寂しい。正月だと言うこともあるが人通りもなく、寒々としている。

  1 木下駅
 
    

 ここは印西市(いんざいし)であるが、このあたりは利根川水運の拠点、木下河岸として栄えたところだそうだ。現在は千葉ニュータウンのほうが有名かもしれない。
 河岸の面影を残す水路の脇を通って利根川に出る。流石に流域面積日本一の大河である。広々している。

 2 利根川河口方面を望む


 利根川の向こうは、茨城県である。この旅は、ここから東京都との境である江戸川を目指すので、千葉県を横断することにもなる。

 3 利根川上流方面を望む




 上流に向かって歩くとすぐにゲートがある。手賀川の河口であるが、洪水防止の為だろうか、厳重な水門である。

  4 手賀川河口(手賀排水機場)            5 利根川75kmポスト
   

 気持ちの良い堤防の上の道であるが、ふと標識をみると県道と書いてある。んなわけないと見直すがやはり自転車専用の県道だった。やがて市境の標識があり、水門が現れる。

  6 千葉県道409号線佐原我孫子自転車道線    7 印西市・我孫子市境
   

 ここが、北千葉導水路と利根川の合流地点である。長い旅のスタート地点だ。ここは、利根川からの水の取入口なのか、それとも流出口なのか、その答えは後でわかってくる。

  8 北千葉第一機場利根川口水門


  9 河川管理境界
     

 ちょうどコンビニがあったので寄って、肉まんを買って温まる。北千葉導水路第一機場の大きな標識のある道を横断して、広い道路をすすむ。もちろんこの地下は、先程の水門から続く大きな水路になっているはずだ。

  10 北千葉第一機場               11 手賀川水門
   

 手賀川と第一機場は手賀川水門でつながっていた。つまり、この施設は利根川と手賀川の両方につながっているということである。

  12 手賀川水門から北千葉第一機場へ       13 沈砂池と機場(ポンプ場)
   

 写真13の浄水場のような施設があった。調べてみると沈砂池だそうで、利根川の水を手賀沼や江戸川に送る時に処理するということらしい。たしかに地下水路なので土砂などが混入しては管理上まずいだろう。写真13の左側奥に大きな建物があるが、ここにたくさんのポンプが設置してあるらしい。調べてみると、ポンプは両方向に流せるようになっているということだ。



  14 JR東日本成田線
     

 我孫子支線をすぎると右側にサージタンクがあり、正面に橋が見えてくる。

 15 六軒大橋を望む


  16  我孫子市布佐ポンプ場           17 六軒大橋
   

 北千葉導水路28.5kmのうち、東側の22.2kmは鉄管による地下水路となっている。しかし、地上にもその用地というか痕跡があるはずなので、その跡を推測しながら追跡することになる。とはいっても、力強い味方がいるので心配ない。
 国土地理院の地形図には、青い点線でその位置が示されているのだ。スマホで確認しながら歩いていけば良いので、大した苦労はないはずである。地図を作ってくれた国土地理院さん、GPSを作ってくれたアメリカ軍さん、地図ロイドを作ってくれた鴨井さん、ありがとう。

 第一機場から鉄道を過ぎて地下水路が伸びているはずだが、それは手賀川より少し北にあるようだ。

  18 西から北千葉第一機場を振り返る       19 我孫子市新々田付近 その1
   

 写真19の緩やかなカーブを描く道路、これが地図の青い点線の水路のルートである。



 高校を正面に見ながら田園風景の中を緩やかに進む。いかにも地下に水路を埋めましたという道である。この道は写真21で手賀川に突き当たる。

 20 我孫子市新々田付近 その2           21 手賀川へ
   

 地図によると、水路は手賀川を直角に横切り対岸に続いているが橋はないので、少し戻って関枠橋を渡る。再び我孫子市から印西市に戻ってきた。

  22 関枠橋                   23 手賀川南岸へ
   

 今までのルートを見てくると地下水路は直角には曲がれないらしい。したがってこちら側も外側に膨らんでいるはずである。写真24は、水路の維持管理のための施設になっており、この地下にカーブした水路があると考えられる。

  24 怪しい施設                 25 桜並木
   

 手賀川南岸を進む。水路はどこに埋まっているのか。水防上、堤防の中とは考えにくい。堤防から道路を挟んで不自然な細長い空き地があり、桜が植えてある。ここが怪しそうである。水路用に農地を買収したのだろう。

 26 下手賀川へ


 水路は下手賀川を渡っている。水路は川に対して直角になっているはずなので、下手賀川の手前でこの桜並木は膨らんでカーブを描いているにちがいないと予想していた。現地につくと、写真27のとおりその予想はドンピシャだった。ここで桜並木は終わりである。

  27 桜並木終点
     



 が、残念ながらここに橋はないので、下手賀川をさかのぼって上流の橋に向かう。

 28 下手賀川対岸を望む


  29 手賀川・下手賀川河川境界標識        30 発作橋
   

 この地名は、「ほっさ」ではなく「ほっさく」と読むらしい。

 31 発作橋から手賀川を望む


  32 発作橋上のカモメの行列           33 河川境界標識
   

 さて、対岸の下手賀川と手賀川の合流地点にも、なにか手がかりがあるはずだと探してみると、地下埋蔵物ありの幟が風にはためいていた。看板ではなく、工事現場用の汎用の幟とは、経費削減にはなりそうだが、すぐにだめになるのではないかと心配である。と思ったら、その先に資材置き場があり、工事関係の一時的な標識のようだ。

  34 地下埋設物幟
     

 その先は、再び桜並木が続く。桜の木の根が水路の障害にならないのだろうか。

 35 桜並木


 ここから直線的な道を歩く。地図を見てもわかるように、川の両岸ともに広々とした平坦な農地が広がっている。ちょっと不自然なほど川は真っすぐで農地はまっ平らである。

 36 手賀川南岸を西へ


 この光景と地形に隠された秘密....カンのいい人ならピンとくるはずである。そう、昔の手賀沼は今よりも全然大きかったのである。




                     
出典 歴史的農業景観閲覧システム(明治時代初期に作成された迅速測図)

 明治時代のほぼ同じ位置の地図を見ると、現在広がっている農地は、かつてはすべて手賀沼だったことがわかる。陸地だったのは、左下の布瀬地区だけだ。明治時代でも、湖岸に少し〇〇新田という農地が広がっている。干拓は、江戸時代から始まっていたのだ。戦後は食糧難だったので大規模な干拓がおこなわれ、手賀沼の面積は大正時代と比べて約 1/5の 650ha になったという。

 つまり、このあたりは昔は手賀川も下手賀川もなかった。あるのは一面に広がる手賀沼である。干拓が始まる前の戦国時代にここを歩いていたら、いや、水の中なので歩けないから、船かもしれないが、今とは全く違った広々とした水面が広がっているのを眺められただろう。ちなみに、ここは下総国なので戦国時代は小田原北条氏の支配下で地元の国衆が統治していたはずだ。

 37 白鳥の列


 昔は沼の中であった干拓地をひたすらまっすぐ進む。沼ではなくなったとはいえ、水鳥の楽園である。逆に人はだれもいない。

  38 柏市手賀新田付近
     

 39 手賀川の水鳥


  40 浅間橋遠景
     

 41 浅間橋から利根川方面を望む




 42 浅間橋から手賀沼方面を望む


 12時12分、浅間橋から次の水道橋に向かう。左手に、道路を挟んで、もう何も植えられていない導水路用地がずっと伴走している。さらにその左側には、導水路ができた時に立てられたと思われる電柱の列が続いている。

 43 水道橋へ


 44  利根川から6km地点


 利根川から6kmの標識をすぎると前方に次の橋である水道橋が見えてきた。



 さて、この地下に導水路がある証拠として、ある間隔で設置されているものがある。コンクリートの箱型をした施設だ。空気弁室と書いてあり、管理番号が付いている。空気弁は水道施設などでも見られるが、配管内に空気が溜まり流れが阻害されることを防ぐために空気を排気する機能がある他、工事等で管路から水を抜く時の吸気口としても使われる。

  45 空気弁室1A-7                46 水道橋遠景
   

  47 水道橋
     

 12時36分、水道橋に到着した。写真48のように前方にようやく丘陵や建物が見えてきた。あの辺りで、いよいよ手賀沼が姿を現すはずである。

 48 水道橋から手賀沼方面を望む




  49 手賀沼へ                  50 謎の標識
   

 堤防上の道に謎の文字が書いてあるのに気がついた。R7という文字と矢印であるが、明らかに空から見えることを意識している。

  51 空気弁室1A-11               52 手賀沼へ向かう北千葉導水路
   

  53 新曙橋遠景                 54 新曙橋の標識
   

 新曙橋が見えてきた。ここにも空にむけて橋の名前が書いてある。ちなみに空から見るとこんな感じである。



 55 新曙橋から利根川方面を望む




 13時ちょうど、曙橋についた。ここから西には狭くなったとはいえ、手賀沼が広がっているのだ。手賀沼から手賀川への流出口とも言える。駐車場とトイレが有り、沢山の人がいる、眺めの良い休憩所でもある。

  56 手賀あけぼの橋
     

 57 手賀沼自然ふれあい緑道掲示板


 ここから西に向かって、手賀沼の南岸には、ふれあい緑道が整備されている。

  58 手賀沼・手賀川河川境界標識         59 ふれあい緑道 その1
   

 60 ふれあい緑道から手賀沼を望む その1


 広々とした手賀沼の景色に気を取られていたが、本題に戻ろう。北千葉導水路である。

  61 ふれあい緑道と並走する導水路 その1
     

 緑道の南側には、細長い敷地が伸びている。ただし、きれいに整備されて芝生や植栽が植えられている。しかし、せっかく莫大なお金を投じて整備した施設なので、もう少し自己主張してもよいのではないかと思ったら、ちゃんと説明板があった。導水路の役割も簡潔に説明されている。利根運河を暫定緊急導水路にしたくらいだから、利根川から江戸川へ水を送ることが最初に書いてあると思ったら、重要度は3番目らしい。これは時代の移り変わりもあるだろう。なぜなら、首都圏の現在の水不足問題は、高度成長が終わり、人口の停滞・減少、節水技術の発達、製造業の衰退による工業用水の需要の減少などの理由により、1970年代とは様変わりしているからである。

 62 北千葉導水路説明板




  63 空気弁室1A-12               64 ふれあい緑道と並走する導水路 その2
   

  65 ふれあい緑道と並走する導水路 その3    66 第三制水弁室
   

 導水路の施設も、休憩・公園施設としてうまくカムフラージュされながら設置されている。

  67 ふれあい緑道と並走する導水路 その4
     

 68 ふれあい緑道から手賀沼を望む その2


 手賀沼といえば、日本一汚染が進んでいる湖沼として有名である。現在もCODで第3位と状況はあまり変わっていないが、水質はともかくとして、美しい景色であることは間違いない。その証拠に、この湖畔の緑道を歩いたり、走ったりする人が絶えないことでもわかる。特筆すべきはサイクリングで、歩行者と分離された広い自転車道が整備されており、風を切って一周したら気持ち良さそうである。

 そして、緑道の南側には導水路が埋まっているが、その上は芝や植生で公園のように整備されており、干拓地との緩衝材として続いているため、導水路と手賀沼に挟まれた緑道はより一層開放的な道になっている。

  69  ふれあい緑道と並走する導水路 その5
     



 70 ふれあい緑道と並走する導水路 その6


 それにしても関東地方の穏やかな冬は、この最高の景色の中を歩くのには最高の季節である。緑道の緩やかなカーブさえもが美しく見える。

 71 ふれあい緑道から手賀沼を望む その3


 72 ふれあい緑道と並走する導水路 その7


 73 ふれあい緑道と並走する導水路 その8     74 ふれあい緑道と並走する導水路 その9 
   



  75 ふれあい緑道と並走する導水路 その10   76 ふれあい緑道と並走する導水路 その11
   

 ベンチ、トイレ、展望台、東屋などがところどころに設置されている。

  77 ふれあい緑道と並走する導水路 その12   78 ふれあい緑道と並走する導水路 その13
   

  79 岩田新田付近
     

 そして、いよいよ前方に大きな橋が見えてきた。手賀沼中央部を横断する手賀大橋である。

 80 手賀大橋遠景


  81 一面の葦原
     

 82 ふれあい緑道から手賀沼を望む その4

 83 ふれあい緑道案内板




  84 ふれあい緑道と並走する導水路 その14
     

 85 中秋丸解説板


 段々と人通りも多くなってきた。14時15分、ついに今日の目的地である手賀大橋に到着である。北千葉導水路もちゃんと大橋の下を通り抜けていた。

 86 手賀大橋と導水路


  87 満天の湯                  88 道の駅しょうなん
   

 橋の袂には日帰り温泉と道の駅しょうなんがあった。湘南は、神奈川県の海岸地域の地名だが、なぜ...
 実は、漢字だと沼南と書くらしい。たしかに位置は沼の南である。なぜ、ひらがなにしたのか。沼南という字が読みにくいと思ったのか、かっこ悪いと思ったのか、湘南と勘違いしてもらうことを狙ったのか、諸説あるが真相は不明である。



 ここでバス停を探すが、場所がよくわからない。せっかくなので、この大きな橋を渡ってみることにした。対岸に渡ればバス停も見つかるだろう。

  89 手賀大橋を渡る
     

 次回歩く、北千葉導水路のこの先を確認する。ちょうどその上で、親子がバトミントンをしていた。まさか、自分たちの足元に巨大な北千葉導水路があるとは、夢にも思っていないだろう。

 90 手賀大橋から導水路と手賀沼を望む


 91 手賀大橋から手賀沼と我孫子市街地を望む


 手賀沼の対岸には、我孫子の市街地が広がっている。

  92 対岸の我孫子市へ              93 我孫子駅
   

 バス停はかなり遠く、バスもなかなか来なかったが、なんとか我孫子駅にたどり着いた。



 利根川から北千葉導水路をたどって手賀沼まで、沼と川と干拓地がおりなす、歴史と水郷風景と北千葉導水路のダイナミックな姿を存分に楽しむことができた、今日のルートであった。

 本日の歩数 29,547歩

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 関連サイト ◆2020年12月29日  利根運河 (利根川〜江戸川)

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