神奈川県一周
境川から尾根を辿って、神奈川県最北端を目指す初めての山岳地帯
◆第23日目(2011年6月4日)
和田峠
〜
上野原駅
前回の神奈川県一周では、高尾山の奥の尾根道を縦断し、陣馬山を経て和田峠まで到達した。今日は、いよいよ、神奈川県の最北端、生藤山に挑むことになる。前回は、和田峠から東京都八王子側に下って陣馬高原下のバス停に降りたわけであるが、今回は、中央線で小仏峠のトンネルを抜けて反対側の神奈川県側、
藤野駅
からアプローチすることにした。それは、ある目論見があったからである。
1 藤野駅 2 和田峠 その1
高尾駅から登山客で賑わう中央線の甲府行き電車に乗る。藤野駅で降りて、駅前広場でタクシーを探すが、残念ながら停まっていない。観光案内所でタクシー会社の番号を聞いて電話すると、すぐに迎えに行くという。おじいさんを乗せたタクシーが来て入れ替わりにこの車に乗り込み行き先を告げる。
途中で登山者を何人も追いぬいて林道を登り、着いた所は和田峠だ。藤野駅からの所要時間は20分、料金は3050円である。標高はすでに690m、奥高尾の山々最後の難関を前に、交通事情を考えるとどうしても今日中に
上野原駅
まで行きたかったので、時間と体力を金で買ってしまったのである。いつもこんな贅沢をしているわけではないが、「なんだズルではないか?」という諸兄からの批判は甘んじて受けよう。ちなみに徒歩の行程は和田峠で連続しているので、物理的、あるいはこのサイトのポリシー的には問題ないかと考える。
今日は和田峠の茶屋も営業しているようだ。トイレを借りたので茶屋のおじさんに100円を払う。まだ、9時を少し回ったところである。
3 峠の茶屋 4 陣馬山からの道
写真5の林道を少し歩くと、すぐに左側に登山道の入口に着き、登り始める。暗い人工林であまり楽しくはない。
5 生藤山への道 6 登山道入口
7 尾根へ 8 祠
坂を登り切ると尾根に出て、まもなく醍醐峠に着く。藤野駅方面からの登山道が合流している峠だ。和田峠から先は、時間が早いせいもあるのだろうが、ほとんど人に会わない。和田峠から高尾山までの混雑ぶりとは対照的である。高尾山から日帰り圏内にないので、歩く人も少ないのだろう。
9 醍醐峠へ 10 醍醐峠
11 醍醐丸への道(右)とまき道(左) 12 醍醐丸への急登
写真11の分岐点を右に入って坂を登り切ると、標高867mの醍醐丸だ。ここから東京都側の行政区域は、八王子市から檜原村に変わる。
奥高尾縦走路
は、ここから北へ市道山方面に向かうが、県境と首都圏自然歩道は西へ向かい生藤山に続いている。北側に少し展望があるだけで、樹木に囲まれているピークだ。なぜ「醍醐」という名がついたのかという点については、後ほど明らかになる。
13 醍醐丸山頂 14 醍醐丸から北方面の展望
15 醍醐丸の自然環境保全地域説明板
この解説板のとおり、東京都側は環境が保護されており、杉林から広葉樹林に変わった。
16 山の神へ その1 17 斜面の難所
途中の巻き道では、岩のちょっとした難所もあったりする。
18 醍醐丸から700mの標識 19 山の神へ その2
このあたりから、神奈川県側も杉の人工林がなくなり、自然豊かな明るい尾根道となる。
20 山の神へ その3 21 山の神へ その4
天気は、晴れたり曇ったりであるが、気持ちの良い県境の尾根道を快調に歩く。
22 路傍の岩 23 山の神
山の神に着いた。この峠にも和田集落からの登山道が合流している。休むまもなく、次の目的地である蓮行峰へ向かう。
24 山の神から和田方面への道 25 連行峰へ その1
26 岩がちの尾根道 27 連行峰へ その2
山の神から連行峰への道は登り基調である。
28 連行峰へ その3
29 連行峰へ その4 30 連行峰山頂 その1
10時53分、標高1016mの連行峰に到着した。現地の標識には、連行「山」と書いてあるが、登山地図や
Wiki
では連行「峰」だ。県境の最高高度を更新し、ついに1000mを超えた記念すべきピークである。ここからは、北に檜原村の柏木野という所に行く登山道が分岐している。ここで少し休憩した。
陣馬山から見えた高い山
は、生藤山だと思っていたが、実はこの連行峰らしい。
31 柏木野への標識 32 連行峰山頂 その2
次の目的地は、標高1019mの茅丸である。連行峰で、せっかく高度1000mに達したのに、また下るのはもったいない気がするが仕方がない。
33 茅丸へ その1 34 都県境標識
巻き道を行くと、目の前にぶら下がる黄色と黄緑の鮮やかな芋虫に行く手を阻まれた。屈んでやり過ごす。右手にピークを見ながらさらに行くと、右後ろ上方から下ってくる登山道と合流した。茅丸からの下山道である。巻き道を選んでしまったので、茅丸を巻いてしまったのだ。仕方なく、反対側の写真36の地点から茅丸を登り返す。
35 小さな妨害者 36 まき道と茅丸からの道の合流点
11時20分、標高1019m の茅丸に到着。連行峰よりも3m高いので、またまた最高高度を更新である。茅丸では、南側に少しだけ景色が広がっていた。
37 茅丸山頂 その1 38 茅丸山頂 その2
39 茅丸から南方面を望む
茅丸の次に目指すのは、神奈川県最北端の生藤山であるが、ちょっと下の地形図の拡大図を見てほしい。
生藤山は、990.3の標高が記入されている△マークのあるところだが、どう見ても、その東約100mの地点が最北端であるように見える。
40 まき道との分岐点
写真40のまき道分岐点で左側を選ぶと、そこからは岩場の急斜面となる。
41 生藤山への急斜面 その1
42 生藤山への急斜面 その2
そして到着したのが写真43のピークである。
43 生藤山東側のピーク(神奈川県最北端地点)
標高は生藤山よりもやや低そうだが、標識も展望もない
ここ
が、本当の最北端だろう。
2011年6月4日、11時32分、ついに厳密な意味での神奈川県最北端を制覇した。
最南端の城ヶ島
、
最西端の川崎市浮島
、そして最北端の生藤山(の東のピーク)と、3箇所とも全く異なった場所であったことを思い出す。残るは最西端だけとなった。
44 生藤山へ 45 生藤山山頂 その1
46 生藤山山頂 その2 47 生藤山山頂 その3
生藤山山頂に着いた。定説では
ここが神奈川県の最北端とされている
が、それは誤りで、実際はその東にあるピークが真の最北端であることは、すでにこの目と足で確かめた。ネット検索でもこの事を指摘した記載は見当たらない。つまり、従来常識とされていたことを覆し、地理学、行政学上の新たな発見を成し遂げたということになる。
この神奈川県一周の無謀な旅も、このように我が国の学問の発展に貢献することができて、望外の喜びである。来年のノーベル賞発表が楽しみだ。それにもまして、この世紀の大発見をインターネットという手段で瞬時に全世界の人たちと共有できる喜び、これに勝るものはない。
そんなわけで(どんなわけで?)、写真43の地点では興奮のあまり余裕がなかったので、ここで改めて最北端到達の記念写真を撮る。誰もが宗谷岬の日本最北端の記念碑の前で写真を撮りたがるのと同じ悲しい習性である。この生藤山の標高は、990.3mなので、現時点での県境の最高所は、1019mの茅丸ということになる。
生藤山から三国山までは、下って巻き道を併せ、あっという間である。
48 三国山へ 49 三国山山頂 その1
50 三国山解説板 51 三国山山頂 その2
生藤山よりもこちらのほうが人が多く、西側の景色も良い。地形図では三国峠となっているが、現地の案内板は三国山となっていた。ここは、その名のとおり、相模、武蔵、甲斐の三国の境界となっている。つまり、県境の旅も、多摩川の河口からずっと続いてきた東京都と別れを告げて、新しいパートナーである山梨県との付き合いが始まる記念すべき場所である。
ちなみに、神奈川県は、海岸線を除くと、東京都、山梨県、そして静岡県と県境を接している。山梨県との県境がどこまで続くのかと地図を見てみると、
山中湖の東にある三国山(三国峠)
までらしい。偶然だろうが、ここと名前が全く同じである。
神奈川県最西端でもあるあ
ちらは、相模、甲斐、駿河の国境である。
そこまで続く長く険しい山岳地帯が、神奈川と山梨の県境になっており、この先の困難な旅を想像させる。
52 三国山から西方向の展望
富士山は見えなかったが、三国山からみえる山梨県側の雄大な景色を堪能してから、県境に沿った登山道を下りていく。
53 三国山から佐野川峠へ その1 54 祠
境川源流からここまで、尾根沿いに道がついており、県境をほぼ忠実にたどることが出来た。しかし、これは国境であった歴史と首都圏の人気ハイキングコースの整備という偶然が生んだ奇跡といってもよいだろう。通常は山中の県境に都合よく道が付いているとは限らない。
そして、ついにここでそれが現実となった。地形図によると、981mの地点で県境と登山道が離れてしまうことがわかる。その場所が写真56である。
55 三国山から佐野川峠へ その2 56 県境と登山道の乖離点
地図にない道があるかもしれないので、県境の尾根を探索してみた。写真57のように行けないこともなさそうだが、杉の植林地で、行ってみようという気が起きない。ここから神奈川県側に入る登山道を引き続き歩くことにする。
やがて明るい広場とベンチが見えてきた。
57 県境の尾根 58 甘草水入口
59 甘草水由緒
広場には、上のような案内板があった。「甘草水」という湧水らしいので、さっそく行ってみる。
60 甘草水への道 61甘草水湧水
登山道をそれてしばらく歩くと、立派な湧水があった。湧水の伝説と地域の歴史が解説されていた。昔、醍醐というチーズのような乳醗酵食品があったらしいが、ここでいう「醍醐」とは、そのことであろうか。
62 甘草水解説板
63 道端の石仏 64 佐野川峠 その1
佐野川峠に到着した。ここから県境のある上岩という集落にむけて、一気に下っていく。
65 佐野川峠 その2 66 上岩集落へ
67 林道へ出る 68 林道から再び登山道へ
69 上岩生産森林組合の神棚 70 コンクリート舗装へ
湧き水で濡れて滑りやすい道を降り切ると、久々の人家があった。生藤山登山道入口にもなっている。
71 生藤山登山道入口を振り返る 72 久々の人家
73 薪積み 74 茶畑の向こうに県境の尾根を望む
県境に復帰すべく、集落の中を北西に向かうと、そこに広がっていたのは、県境の尾根を背景にした茶畑と石仏群であった。懐かしさで胸がいっぱいになるような、山里の風景である。このあたりでも標高はまだ450mもあり、高原と言っても良い高さかもしれない。
75 山里の石仏群
仏様が多いのは、ここにお寺があったからだろうか。
76 大通寺跡 77 県境付近の上岩集落
そして、つい県境に復帰する。尾根を降りてきた県境は、山あいを流れ始めた小さな川に沿って下っているのだ。その川の名前はズバリ、「境川」という。そのまんまである。
78 県境の橋 79 県境の橋から上流を望む
80 県境の橋から下流を望む 81 神奈川県側の集落
82 山梨県側の集落 83 県道522号線
県道に出た。522号線である。相模原市藤野と上野原市の棡原というところを結ぶ県道である。ところで県道というのはその名のとおり、県が管理する道である。この道のように、県をまたぐ県道の番号はどうするのだろうか。同じ道なのに、県を越えると番号が変わるのだろうか。疑問に思って
検索してみた
。両方の県で同じ番号になるよう、自治体間で調整しているらしい。つまり、神奈川県道でも山梨県道でも522号線は、同じ道であった。余計な心配をしてしまったが、ひと安心である。
アンタが心配してどうなる?という疑問の声があるかもしれない。そのとおりであるが、納税者の一人として心配くらいしても許されるだろう。
84 石楯尾神社付近の県境 その1 85 石楯尾神社付近の県境 その2
県境すなわち境川は、県道の左(東側)を流れていたが、この石楯尾神社の手前で県道を横切っていた。したがって県境も道路を横切ることになり、写真84と反対側から見た写真85のお馴染みの県境標識が立っていた。
86 境川 87 対岸の山梨県の人家
この地域では、谷を流れる境川を挟んで、神奈川県と山梨県が共存していることになる。例えば、写真87の民家は川の向こう側にあるので、山梨県ということになる。その証拠に橋の向こう側にある白い車も山梨ナンバーである。
88 上野原市先祖付近 89 境川の橋から下流を望む
境川は写真89の地点で道を横切った。
川のすぐ西側にある道を歩いているので、現在は山梨県側にいることになる。
90 山梨県側の証拠 91 県境の橋の上の庚申塔
まだ小さな川なので、すぐそこは神奈川県である。こんなに近所なのに、自治会や学校も別なのだろうか。県が違うどころか、関東地方と中部地方に分かれてしまうのだ。この数mの差はものすごく大きい気がする。
92 県境の橋から下流を望む 93 県境の橋から神奈川県側を望む
94 県境の橋から山梨県側を望む 95 境川と並行する道
96 境川へ向かう道の分岐点 97 県境の橋
橋をわたって県境を超えて神奈川県側に入る。
98 97の橋から境川上流を望む 99 97の橋から境川下流を望む
神奈川県側に入った証拠写真も撮った。
100 橋を渡り神奈川県へ入った証拠 101 立派な民家
県道に復帰する。御霊というおどろおどろしい名前のバス停に出た。バスは一日5本しかないが、偶然にも井戸行きのバスが走っていた。
102 御霊バス停 103 井戸行きのバス
緑区の建物が見えた。昔の藤野町役場佐野川出張所だったのだろう。ここは、れっきとした政令指定都市で、相模原市緑区である。たしかにほんとうの意味での緑は多いので、あながち区の名前も間違ってはいない。林業が盛んだった名残りがあった。
104 相模原市緑区役所佐野川連絡所 105 木材加工場
久々にガソリンスタンドがあり、都会に近づいたと思ったら、閉店していた。この人口密度では仕方が無いだろう。
106 ガソリンスタンドとコンビニ 107 スタンド閉店のお知らせ
郵便局も商店と併設である。標高は約300mだ。
108 商店併設の郵便局 109 沢井入口交差点
沢井の交差点を右折して、上野原駅方面に向かう。県境の境川もこの道の右側に深い谷を作っている。
110 県境の谷を望む 111 堺橋
堺橋を渡って、県道は山梨県側に入る。なぜか、この橋は「境橋」ではなく、「堺橋」と書くらしい。
112 堺橋から境川上流を望む 113 堺橋から境川下流を望む
114 県道521号線から県境の谷を望む 115 上野原市街地へ
相模川の境川橋まで行こうかと迷ったが、疲れた体は、そのまま上野原駅を目指せと言うので、県境の境川を離れて、市街地に向かう。
116 境川対岸の神奈川県側住宅地を望む
対岸の神奈川県には山の中に住宅地があるようだ。市街地に向かう高台の道路からは、県境を流れる境川が造る大きな谷と、その谷を跨ぐ赤い中央高速道路の橋が見えた。
117 境川と中央高速道路を望む県境の谷
118 上野原インターチェンジ
下の地形図を見ていただければわかるように、上野原の市街地は、相模川の北の河岸段丘の上の標高約250mの平らな土地に広がっている。中央高速道路は、その台地を切通しで掘り抜いて通過しており、南北の道路は高速道路の上に架かる陸橋がその役割を担っている。この南北の道路は、上野原市にとっては市街地と駅を結ぶ非常に重要な道路である。
その中央線上野原駅は、河岸段丘の崖の最下段にあり、車道は河岸段丘を斜めに上下している。しかし、それでは距離が長くなるので、歩道は写真119のように階段で直線的に付けられている。ちなみに、相模川の水面は標高200mにも満たないので、この河岸段丘は50m以上あることになる。したがって、写真120のような眺めになる。
119 上野原駅近道 120 河岸段丘上からみる相模川と対岸集落
登山道のような急階段を下りていくと、上野原駅に着いた。電車を利用する人、特にお年寄りは大変だろう。バスを使うのだろうか。駅の北側のバスターミナルは写真122、123のとおり非常に狭く、緑の崖が続いている。
121 上野原駅への階段 122 上野原駅
駅に入ると階段を登ること無くそのまま線路を超えて、階段を降りると写真124のような不思議な構造の構内に出る。ホームの真ん中に切符売り場があり、上りと下りで別々の改札口になっているのである。こんな構造の駅は初めてであるが、すぐにホームに出られるので便利である。河岸段丘の崖の途中に無理やり作られたおかげてこのような構造になっているのだろう。
123 上野原駅北口駅前に続く河岸段丘 124 上野原駅構内
今日は、予定どおり和田峠から生藤山を経て、上野原駅までの県境の旅を終えることが出来た。山道も思ったほど険しくなく、なんといっても神奈川県最北端の地をこの目で確かめることが出来たことは大きな収穫であった。三国山からは県境が山梨県に変わり、ついに楽しかった奥高尾の山々とも別れを告げる日が来たようだ。孤独な県境の旅としては異例の、
城山
、
景信山
、
陣馬山
といった、たくさんの人々で賑わう賑やかな山も、良い思い出となった。しかし、もう新たなステージに入らなければならない。
次はいよいよ、相模川を越えて、県境の旅における最大の難所になるであろう、険しい道志/丹沢の山々に挑むことになる。ルート選択、体力、装備面でも今までのハイキングのような安易な考えでは対応できなくなるはずだ。帰りの電車の中で、そんなことを考えながら帰途に着いた。
(本日の歩数:32325歩)
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