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◆第34日目(2011年12月11日) 湯河原海浜公園 〜 真鶴駅
前回の県境は、箱根の山から下りて千歳川を経由してついに湯河原海岸に達した。今日は、山から海へと、新たなステージに立つ。
ここから、平塚のスタート地点を目指して海岸線を東へ向かうのであるが、その海岸線は、大きく3つに分けられる。まず、最初は、相模湾に突き出ている真鶴半島、そして早川まで続く箱根外輪山が海に落ち込む断崖、最後が早川から弧を描いて続く相模湾の西半分の砂浜である。
今日は、まず、湯河原海岸からその真鶴半島を目指す。天気予報は曇だったので家でのんびりしていたのだが、急に晴れてきてあわてて準備したおかげで、スタート時間は9時になってしまった。
1 湯河原駅 2 湯河原海浜公園から静岡県方面を望む
湯河原海浜公園から歩き始める。地図を見ればわかるように、湯河原の平地は、千歳川と新崎川によって造られた小さな沖積平野であるが、残念ながら西半分、千歳川と新崎川の間は、埋立地になってしまった。湯河原海浜公園はその埋立地にある。
埋立地の東端、つまり新崎川の河口から東半分に残された自然海岸を撮したのが、写真3である。
3 吉浜海岸
ここ、吉浜海岸はアザラシ...ではなかった、サーファーが1年を通じて生息している。その足跡が写真4である。ヒマラヤのイエティの足跡に似ているが、別種である。それにしても、この寒さの中で素足で歩けるとは、並大抵の耐寒性ではない。
4 足跡 5 吉浜海岸から西を望む
写真6の地点で吉浜海岸は終ってしまう。岩礁は突破できないので、国道に上がって、再び右折して福浦方面に向かう。
6 吉浜海岸東端 7 ラ・シェネガ前から西を望む
右折するとすぐ左手にあるのが、このホテルである。大規模ではないが、知る人ぞ知る高級リゾートホテルで、昔仕事で何度か来たことがある。その時は、車の試乗会か雑誌の取材があったらしく、高級外車が停まっており、ロビーに有名な自動車評論家がいたことを覚えている。特に、プールの前に広がる海の景色が素晴らしい。
そんなロケーションなので、撮影に使われることも多いようだが、今日も、ちょうどマイクロバスが止まっており、人が降りてくるところであった。ジーンズなど汚い格好をしている若い男女が多い。その中で、ひときわ目立つ格好をした美しい女性が降りてきた。モデルさんだろう。芸能関係の仕事の場合、俳優やモデルさんとスタッフの服装が両極端なことが多く、すぐにわかる。
海側に回りこむと、写真9の右側に大きなレフ板があるのが見えた。やはり、撮影のようだ。
8 ラ・シェネガ その1 9 ラ・シェネガ
海沿いに、福浦方面に向かう。
10 ラ・シェネガ前から相模湾を望む 11 福浦インターチェンジ
真鶴半島の付け根に位置する福浦漁港に着いた。ダイビングスポットにもなっているらしい。
12 福浦漁港 13 福浦漁業協同組合
14 漁港内のダイビングショップ 15 ダイバー
16 ダイビングスポット 17 真鶴半島への歩道入口
地図によると、ここで正式な道路はなくなり、破線が真鶴半島方面に続いている。その入口が写真17である。
登山道のような道を登っていく。下は断崖である。
18 真鶴半島を望む 19 真鶴半島への歩道
民家があった。このあたりが湯河原町と真鶴町の境界になる。ちょうど通りがかった土地の人に真鶴半島方面へ抜けられるか聞いてみると、上の道に上がるといける、とのことなので舗装路にでる。出来れば、破線の道をそのまま行きたかったのだが仕方がない。
20 海岸の民家 21 再び海岸へ
写真21の地点で再び海岸方面へ下りる道があった。写真22のところから右に階段が続いており、行き着いたのが、尻掛(しっかけ)海岸である。赤茶けた溶岩のような石の海岸で、車が入れないのではと思うような、秘境めいた浜であるが、人家もあるようだ。土地の人らしいおばあさんに遠慮して佇んでいると、「通りな、この浜は誰でもつかえるんだから」と言われたので、舟の間を歩いて海岸にでる。
22 尻掛海岸入口 23 尻掛海岸 その1
24 尻掛海岸 その2 25 尻掛海岸 その3
真鶴半島の最高所を通るバス道路に戻り、大浜海岸入り口と言う所で再び海岸に降りていく。ここも、小さな案内板がある階段がついており、民家の庭先を通って細い道を歩いて行くと大浜海岸に出る。
26 大浜海岸入口 27 大浜海岸へ その1
28 大浜海岸 29 大浜海岸右の岩場
海岸から民家は見えず、完全なプライベートビーチ状態である。右手に大きくえぐられた岩がそそり立っていたので、おそるおそる近づいて写真を撮る。
30 大浜海岸から陸側を振り返る 31 大浜海岸の海蝕洞
真鶴半島の海岸は、浜と岩が連続しており、それぞれの浜には個別の道をたどるしかない。大浜の次は高浦海岸と道無海岸である。
32 高浦海岸入口 33 道無海岸のマンション
道無海岸は、その名のとおり浜に降りる道がない。リゾートマンションと採石場が海岸の陸側を占拠しているのだ。マンションのフェンス越しに望む道無海岸は、写真35、36のとおりなかなか美しい。海岸は公有地のはずだが、地元町民でさえ入れないというのはどんなもんだろうか。どうしても行きたければ、舟で上陸するしかないだろう。
34 道無の採石場 35 道無海岸 その1
36 道無海岸 その2 37 高浦海岸への道
道無海岸へ行く道の途中で左折する山道には、マンション業者の大仰な警告看板が立っているが、山道自体は通行禁止ではない。
その山道の先にあるのが、高浦海岸である。
38 高浦海岸 39 西部警察消防車展示施設
写真32の地点に戻り、舗装道路を東に進むと、椰子の木とアメリカ西海岸にあるような消防署があった。その中にある興味深い消防車については、解説板のとおりである。
40 西部警察消防車解説板
西部警察といえば、石原プロ全盛期の頃だろうが、自前の消防車を持っていたとは驚きである。
41 西部警察消防車 42 お林展望公園 その1
この消防署の海岸側にあるのが、お林展望公園である。2004年まで、真鶴サボテンランドがあったところである。現在は町営の無料の公園になっている。
43 お林展望公園 その2 44 お林展望公園 その3
45 お林展望公園内の漢詩の碑
サボテンランドの面影を残す、トロピカルな雰囲気の公園は、役所が作る公園とはちょっと雰囲気が違う。景色もなかなかのものだが、木が育っているので、やや展望が悪くなっているようだ。
46 お林展望公園 その4
47 お林展望公園 その5 48 中川一政美術館
49 お林 50 亀ヶ崎海岸入口
次の目的地は、地図で「内袋」と書いてある湾である。亀ヶ崎海岸とも言うらしい。写真50のとおり、通行止めの大きな石が置いてあり、車は進入できない。しかし、道はきれいである。
51 内袋海岸へ向かう道 52 土砂崩れ地点
写真52を見て、通行止めになっていた理由がわかった。崩落して倒れた木の根っこの横に踏み跡がついていたので、人は入っているようだ。やがて、立入禁止の看板が現れる。車は通行止めだと、都合の良い解釈をしていたが、歩行者も立入禁止となっているようだ。が、海岸は目の前なのでおそるおそる進んでみる。特に危険な様子はないが、どうしても入ってみたいという方は、あくまで自己責任でお願いしたい。出来ればここを見て満足していただくほうが良いと思う。
53 土砂崩の上を歩く 54 立入禁止看板
さて、その海岸であるが、写真55のように深い入り江になっており、なぜか、コンクリートのいけすのようなものが並んでいる。
55 内袋海岸
海岸前の空き地にはソテツの木が一本だけ生えているが、通路や瓦礫が残っており、建物が建っていたことを思わせる。
今から40年前になるが、小学校6年生の遠足で真鶴半島へ来た。その時に、海岸の前で撮った集合写真が残っている。たしか水族館で、竜宮城の建物があり、四角いガラス窓の中に魚がいたような記憶がある。今回、真鶴半島へきたので、その場所がどこだったのか、ぜひとも突き止めたいと思っていた。最初は、先ほど訪れた道無海岸かと思ったが、今、ここがその記念写真を撮った場所だと確信した。この場所こそが真鶴水族館の跡地で、いけすにはおそらく展示用の魚が入っていたのだろう。ネットで調べてみると、少なくとも2005年ころまでは、廃墟の建物があったらしい。もう少し広い海岸だと思っていたが、意外と狭い入り江である。
子供たちで賑わう観光地だったここが、今はまったく人気のない廃墟の海岸になっていることに、40年の長い歳月を感じてしばし感慨にふける。
56 海岸から振り返る 57 荒廃した参道
右手に遊歩道のような廃道があったので行ってみると、その先には洞窟が見えた。海蝕洞かとおもったが、灯籠や石碑がありどうも様子がおかしい。霊的なものを感じるのである。
58 謎の洞窟 59 洞窟前
腰が引けるが、勇気を出して草をかき分けて進むと、そこには予想もしない衝撃的な光景が広がっていた。写真60である。岩に彫られた大きな石仏だ。観音様だろうか。なぜこんな所にこんなものが....。写真を撮ったが、その画面に余計な物が写っていても、当方は一切その責任を取らないからそのつもりで。心霊写真かどうかは、見て頂く方の判断に任せることにする。
遊歩道だと思ったが実は参道跡だった道には草が生い茂っているが、観音様の横には掃除道具があったことから、地元の方がまだ管理していると思われた。
60 洞窟内の仏像 61 清掃用具
それにしても、40年前に来た時にはここも見ているはずだが、全く記憶がない。小学生にとっては興味の対象外だったのだろう。
帰ってから検索してみると、ここは「内袋観音」と言われており、地形図を見ると確かに寺の卍印がある。崖の上はお林展望公園になるはずである。
62 自然に還る参道 63 番場浦遊歩道入口
2つの衝撃的な事実に心を揺さぶられたまま、一般道に戻るとすぐに右に海岸へ降りる道があった。番場浦遊歩道と書いてある。三ッ石海岸まで行けるようだ。
64 番場浦遊歩道 65 番場浦の注意書き
焚き火やバーベキューを禁止する写真65のカッコ書きの(漁業者・海女は除く)には思わず笑ってしまった。こんな例外規定では、裁判をしても勝てないだろう。
66 番場浦へ 67 番場浦 その1
番場浦から正面には初島がよく見える。
68 番場浦 その2 69 番場浦から初島を望む
岩場の海岸を回りこんで行くと、三ッ石が見えた。真鶴半島の先端にあるシンボルである。
70 番場浦遊歩道から三ッ石を望む
13時20分、ついに真鶴半島の最先端である三ッ石海岸に到着した。二つの岩が向い合っているのになぜ三ッ石なのかはともかくとして、その岩に向かって、石の弧が続いている。
遠足でここに来た数年後、少し成長して中学生になっていた私は、友達と3人で自転車でここまで来たことがあった。自宅からは50km以上あるので、当時としてはものすごい冒険である。それでも、無事について三ッ石まで歩いて渡り夢中で遊んでいたのだが、そろそろ帰ろうとして陸地の方を見ると、そこには帰り道の磯はなく、目の前にはなんと青い海が横たわっていたのである。
その時に受けた衝撃と恐怖は今でも忘れられない。岩に取り残されて夜になってしまう。そのうち、波にさらわれて死ぬと思った。無謀な中学生は、潮の満ち干きを全く忘れていたのである。
虚脱状態から立ち直った僕達は、少し冷静さを取り戻して海原を見て、石の道は水面に隠れているだけでなくなっているわけではないことに気がついた。下半身びしょ濡れになりながら、潮に流されないように必死に歩いて岬まで辿り着いときには、本当にホッとした。膝くらいまでの深さだったので何とか流されないですんだのである。よく覚えていないが、今にして思えば、その生死を共にした友達とは友情が深まったのではないかと思う。
71 三ッ石海岸 72 三ッ石海岸からケープ真鶴へ
岬の高台に登る。
73 高台から三ッ石を望む 74 休憩施設と相模湾
江戸末期に造られた砲台跡があった。
75 幕末の台場跡 76 ケープ真鶴から相模湾を望む
77 ケープ真鶴 78 お林の大木
ケープ真鶴から、半島の東側の舗装路を辿る。こちら側には遊歩道はないようだ。それにしても真鶴半島の植物はすごい。お林とよばれ、長く保護されてきたこの森は、魚つき林としての役割も果たしているという。ここでは、写真80のように道路よりも大木のほうが優先されている。
ところで、細長い舌のような形をしたこの真鶴半島はどのようにして出来たのか気になるところである。詳しくはここに書いてあるが、要するに火山である。ここ、真鶴半島の火山も箱根火山の一部で、今から約15万年前の火山活動による溶岩ドームだそうである。真鶴半島特産の本小松石も溶岩が由来であるという。
79 山神社 80 お林優先の道路
81 お林 82 琴ヶ浜へ
海岸の人里に着いた。琴ヶ浜である。
83 琴ヶ浜から小田原と丹沢・大山を望む 84 琴ヶ浜
ここからは、丹沢のシルエットが良く見えて、小田原方面の相模湾、すなわちこれから辿る海岸線の眺めも素晴らしい。
小さな漁船が昔ながらの漁をしている。アワビかイセエビかウニか、どれにしても高そうな獲物ではある。
85 琴ヶ浜の漁 86 琴ヶ浜の遊歩道
3つの黒い頭が見えた。ダイビングスポットでもあるようだ。
87 ダイバー 88 ダイバーのデポ
ここ琴ヶ浜には海岸沿いに遊歩道が作られており、逆にバス道路には歩道が無いので、ここを歩くようにと書かれている。
魚市場の2階は魚座というレストランになっている。
89 魚座 90 真鶴港から対岸を望む
魚座の道路反対側には、頼朝が岩窟に隠れたという伝説が残っていた。
91 しとどの窟解説板
92 しとどの窟の幟 93 しとどの窟
内部には、頼朝に似た石像が鎮座している。
94 しとどの窟内部 95 しとどの窟横の観音堂
魚市場の北側は真鶴港で、人家が密集している。
96 観光船 97 真鶴港
98 ひもの屋さん 99 石畳の階段
時間は14時30分であるが、昨日からの連続の放浪でさすがに体がきつい。坂を登って真鶴駅を目指す。途中にある石段は、真鶴特産の石を使っているのだろうか。
100 道端の干物 101 城口駅跡
102 真鶴駅
真鶴駅に着いた。
GPSによる今日の歩行経路 (時間:6h13m 距離:41.2km)
今日は、湯河原から始まった海岸線の初日で、計画では根府川あたりまで行けると思ったが、とんでもない誤算であった。真鶴半島は地形が複雑でアップダウンが多く、また、森も深いため、海岸まで出るのに、その都度一本道を降りていかなければならない。そのため、余すことなく訪れるために非常に多くの時間と距離が必要であった。
しかし、そのおかげで、特に真鶴半島西側の人目につかない海岸を徹底的に調査することができ、廃墟に埋もれつつある観音様の発見など思いもかけない収穫もあった。真鶴半島は古くから観光地として有名で、個人的にも子供の頃から何度か訪れているが、その奥深さに改めて触れることが出来たと思う。
次回は、小田原の砂浜を目指して、箱根山が海に落ち込む断崖の道をたどることになりそうだ。
(本日の歩数:34755歩)
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